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魔導兵 人間編

作者:時計塔
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居場所

「はい、じゃあ、これ」
「何ですかこれ? 辞書? 間に合ってます」
 雪子はいきなり渡されたキチガイなほど分厚い本にげんなりした。元々勉強は好きではない。必要な時間に必要な量をこなせば大抵それなりの点数は取れる。自主的に勉学に励んだことなど一度もなかった。それが雪子の自慢であり同時に残念な部分だと自覚している。自覚しているだけなのだが。
「違う違う魔道書だよ。なるべく読みやすくて簡単な初心者用の物を書庫からもってきたんだ」
「ちょっと! なにこれ? すっごい分厚いんですけど? 私が持っていた偽物の倍はあるわよ!?」
「そうだね!」
「そうだね! じゃないわよ! 全くいきなり家に来いっていうから何だと思ったら……」

 放課後、左霧は早速弟子である雪子を家に呼んだ。もちろん学園長から許可はもらってある。左霧の仕事の半分は彼女を一人前の魔術師に育てること。そして自らに降りかかる火の粉を退けられる力を手に入れること……。
 結局、魔力を持った人間は、強くなるしかない。そうしなければ殺される。至極単純で、残酷な世界だ。左霧は、雪子にそれを説明するべきなのか悩んだ。本人は、左霧に借りを返すという名目のために弟子になったのだ。まだ理解していない部分もある。魔術を学ぶことは『殺し方』を学ぶことなのだということを。

「魔道書の使い方……セイレイ召喚編?」
「そう。まずは自分のセイレイと契約を行うことが魔術の基本なんだ」
「セイレイ……」

 雪子は悪魔のことを思い出した。あんな思いをまたしなくてはならないのだろうか? だが、先生を巻き込んでしまったという事実があるので、安易に弱音を吐きたくない。しかし恐いものは、恐いのだ。

「雪子さん……あのね? 今からでも遅くはないんだ。君が、嫌だって言ってくれるなら、僕は」
「うっさい。やるったらやるの。召喚すればいいんでしょ? すっごいやつ、出してやるわよ!」
「雪子さん……」

 こうなったらやけだ。やってやる。自分の尻くらい自分で拭うくらいでなければ雪子のプライドが許さない。この左霧っていう先生を驚かせてやりたい気持ち、そして少なからず魔術という摩訶不思議な力に興味があるのだ。――怖くてもちょっとくらい我慢は出来るだろう。なぜなら自分は雪ノ宮の人間なのだから! 雪子は母親と約束した手前、簡単に引き下がるわけにはいかなかった。

「これ、読めばいいんでしょ? 退屈だけどやってやるわよ。期待しててね先生。絶対、あんな契約、すぐ解いてやるんだから」
「……ありがとう、雪子さん」
 自分が危機的状況にあるというのに、左霧は穏やかな笑顔を雪子に向けた。これが大人の落ち着きというものだろうか? しかし、雪子には、左霧が諦めているように見えて、不快だった。

「あ! お兄様! もうお帰りになったの?」
「おかえりなさいませ、左霧様……クビになったのですかって……あら?」
「やぁ、二人共、お帰り」

 雪子が左霧の家で話し込んでいると、二人がようやく帰宅してきた。小さな天使(左霧視点)桜子と色々と大変な自称女中、華恋だ。華恋の手には大きく膨れ上がったスーパーの袋が二つ。どうやら買い出しに行くついでに桜子を迎えに行ってくれたのだろう。

「何か、今不快な空気を察しました。ということで左霧様、殴らせてください」
「やだよ! でもゴメンなさい」
「なぜ謝るのですか……ところで左霧様、そちらの方は?」

 華恋は視線を雪子に移した。いきなり現れた和服姿の美人に雪子は恐縮しながらも、何か言わなくていけないという使命感に駆られ、立ち上がった。

「あ、あの、私は雪ノ宮雪子と申します。えっと、左霧……先生の受け持つクラスの、生徒です」
「雪ノ宮……はっ!! まさか!」
「まぁ!」

 華恋と桜子は同時に驚き、華恋は左霧のところへ滑り込むように駆け、桜子はカバンを背負ったまま雪子の方へ向かい、スカートを摘みながら丁寧にお辞儀をした。

「ようこそ霧島家へ……私は左霧の妹で、桜子と言います。何もないところですが、どうぞごゆっくり……」
「こ、こちらこそ……」
 小さなクリクリの目が、雪子に向けられている。満面の笑顔、黒くてしなやかな髪。なるほど、どことなく先生に似ているな、と雪子は目を丸くする。愛らしく左霧とじゃれあう姿に雪子は毒気を抜かれた。
「こらこら、桜子。何もないってことはないだろう?」
「えー? だって本当のことだもん!」
「そんなことはないよ? 例えば」
「何にもない!」

 意地悪そうな目つきで左霧をからかう桜子。左霧は「う」だと「え」だのと説得をしていたが、遂に屈し、涙目になりながら華恋へ相談した。

「華恋……桜子が反抗期だよ?」
「違います。事実です。それよりも……雪ノ宮の女を手篭めにするなんて、左霧様、グッジョブです。これで当分お金には困りませんね」
 今日も華恋の思惑は腹黒かった。いいかげん自分の印象を改めて欲しいと願う左霧だった。
「何を言っているの華恋は? 雪子さんはね、僕の弟子になったんだよ?」
「弟子……それは一体どういうことですか?」

 途端に華恋は鋭い視線を雪子に向ける。それは主を守らんがために前に出る騎士のような姿だ。

「まさか、霧島の『魔術』に手を出そうと?」
「違うよ、華恋。その手を下げなさい。命令だ」
 華恋は警戒をあらわにし、雪子に向けて手を開いた。不穏な空気を感じ雪子も華恋を睨みつける。いきなり敵意を示してきたのだから、雪子の反応は当然だ。
「ですが!」
 左霧の空気が変わった。いつもの穏やかな笑顔の下に隠された、鋭い刃。華恋はようやく自分が間違っていることに気づくのだった。

「下げろ、華恋。二度は言わんぞ?」
「……っ! 失礼しました。お許しください左霧様」
 そう告げると、何もなかったかのようにまた笑顔に戻る左霧。それを見ると華恋はようやく肩の力を抜くことが出来た。
「……気にしてないよ、雪子さん、紹介が遅れてごめん。こっちはお手伝いさんの華恋」
「……どうも」
 いきなりな態度をとられた雪子は少し不満らしく、その表情は固いまま。それでも最低限の礼儀ということで首だけ僅かに動かし会釈をする。何とも言えない空気が二人の前に漂う。
「華恋です。先程は失礼を……ですが、一体どういうことですか左霧様? 弟子をとろうなどと……」
「まあ、ちょっと僕も……このまま逃げてばかりじゃいけないじゃないかと……」

 左霧は雪子との一件を説明した。華恋は終始眉を潜めたままだった。だが、主の決断に対して自分が意見できるはずがないと判断したのか、溜息をつきながら了承した。

「なるほど……では左霧様のお仕事の半分は、雪子様の教育になるのですね?」
「そうなるのかな? 放課後の部活動みたいなものだけど」
「部活動って左霧……先生。まさかここに毎日私は通うことになるの?」
「そうなるけど……何か不満があるの?」
「……そう言うわけじゃないけど、いいのかしら、先生の自宅にお邪魔しちゃっても……迷惑じゃないの?」
「大丈夫です。もう迷惑ですから」
「……なんですって?」

先程から痛いほど視線を受けていることは分かっていたが、どうやら隣の召使は自分のことが嫌いらしい。初対面で、しかも女中ごときに文句を言われる筋合いもない。自分がお嬢様なのは外面だけで内面はご覧のとおり跳ねっ返り。当然、売られた喧嘩は買う。よって両者の前には赤い火花が散ることになった。

「大体なんですかあなたは? 左霧様に対してタメ口など……学生なら学生らしく振る舞いなさい」
「はぁ? 女中ごときに文句を言われる筋合いはないわ。私がその気になれば左霧なんてクビチョンパなんだから」
 そう言って雪子は冗談混じりに手刀を横にスっと振った。洒落にならない。
 左霧にとって一番聞きたくない言葉だった。だが正にその通り。彼女に逆らったり何かあった場合、自分の安い首など簡単に飛んでしまうのだ。今になって左霧は自分が爆弾を抱えていることにようやく気が付いた。

「なんて高飛車な子……左霧様、私は反対です。こんな子、さっさと溝にでも捨てたほうがいいです」
「左霧、こんな失礼な召使、さっさと富士の樹海にでも捨ててしまなさい。私がもっといい子を紹介してあげるわ」
「いや……とりあえず落ち着こう? ね?」
「「落ち着いているわよ!!」」

 どうやら取り返しのつかないことになっているようだ。そんな様子を不安に感じたのか。難しい話のため、左霧の傍で本を読んでいた桜子が中に割って入ってきたのだ。

「喧嘩はダメ~~~~!!」
「きゃ……!」
「ああっ! 桜子様、ご無体な……!」
「あわわわわわわわわわわわわ……」

 桜子は小さな体を機敏に動かし、雪子のスカートと華恋の和服を一気に捲し上げた。チラリと見てしまった二人の下着姿に左霧は大慌てで顔を両手で覆う。桜子はテカテカした顔で満足そうに頷いていた。
「喧嘩りょーせいばいだよ?」
 桜子の至極真っ当な意見に、二人は深く反省したようだ。それよりも、目の前の彼に見られたショックの方が大きかった。自分の妹ながら、やはり恐ろしい存在だ。左霧は密かに妹の成長を喜んでいた。
「あ、あ、あ、左霧に、見られちゃった……」
「はぁ……どうせならもっと派手な物を着てくればよかったです」

 華恋は少しずれているが、そんなことは最初からわかっていたので気にしない。
 ようやく大人しくなった二人を確認し、左霧はホッ胸をなで下ろした。これから上手くやっていけるのだろうか? いや、上手くやっていけなくてはならない。

「雪子様は、お茶がいいですか? 紅茶がいいですか? ああ、水でいいですね」
「紅茶、アールグレイでよろしく、召使。さっさと働きなさいよ――――アリのように」

 ……上手くいってほしいと切に願うのだった。





 夜、左霧は自室で鏡を見ている。等身大の鏡。特に何の変哲もない鏡。だが、その場では、『会話』が行われていた。会話――――つまりその場には左霧ともう一人の話し相手がいるはずだ。しかしその姿はどこにもない。にも関わらず、左霧は会話を続ける。まるで、親しい仲のように『彼ら』は話始めた。

「勝手なことをしてくれるなよ」
「……分かっているよ」
「いいや、お前は何も分かっていない。本来、俺たちはこんな茶番を続ける必要などどこにもない」
「でも全て任せると言ったのは君だよ? 今さら口出しなんてしないでもらいたいな」
「ああ、そうだな。だがお前が悪魔と契約をしたなら、話は別だ。何のつもりだ? 何様のつもりだ?」
「……あの時は、ああするしかなかった。雪子さん……彼女を守るには」
「雪子……? ああ、あの女か」

 鏡との対話。鏡の中の左霧は不満そうに腕を組みながら鼻を鳴らす。
「なぜ弟子など……」
「逃げてばかりじゃ、いられないってことだよ。左霧、君をいい加減わかっているだろう」
「ふん……弟子などとらなくても、俺は一人でも十分だがな」
「僕は違う。僕にはそんな力はない。いい機会だと思うんだ。僕は僕たちでやるしかないんだ」
「だから弟子だと? くだらない。それに何の価値がある? 大体、お前が弟子だと? ふっ、笑わせるなよ」

 明らかな挑発的な態度に、左霧は半眼で『彼』を睨んだ。とうの本人は涼しい顔で笑っている。何度見ても変わらない。いつも自分のことをからかい、弄ぶ。あの時、決して自分は舞台に立たないと言い張ったくせに。気まぐれにこうやって話をしにきては、自分のことを咎め、否定し、去っていく。遊び。彼にとって、この世に起こる全てことが享楽に過ぎないのだろう。

「何か用なの? それとも僕をからかうだけならさっさと帰って」

 怒っても無駄だ。自分が挑発されればされるほど、彼は楽しいのだ。思い通りになど決してならないと決意し、左霧は冷たく言い放った。

「そう怒るな。せっかくいい情報を持ってきたというのに」
「いい情報? 君がそういう時は大抵くだらない内容だけどね」
「既に動いているぞ。――――天王寺が」

 何でもないように鏡の中の自分は言い放った。退屈そうにあくびをしながら。左霧の体に冷たい汗がよぎる。まさか? なんで? どこで? どういうことだ? 頭をフル回転させて、状況を読み取る。その姿がおかしいのか、また鏡の中の自分は笑っていた。

「せいぜい気をつけろよ。お前が弟子の教育などというくだらない遊びをしている間に、その弟子が殺されてしまうかもしれないからな。クックック……」
「させないよ。僕が、雪子さんを、華恋を、そして桜子を……守るから」
「守ることに何の価値がある、とは言わないでおこう。どうせ俺にはわからんことだからな。お前の尖った目を見るのもいささか飽きてきた」
「君は、勝手だよ。いつも勝手だ。全部僕に押し付けて、傍観者を気取って……」

 口を噛み締めて、左霧は鏡を睨む。その手で、鏡を叩き割れたらどんなに爽快な気分だろう。だがそれには何の意味もない。いつの間にか握り締めていた拳をゆっくりと開く。彼が憎いわけではない。嫌いなわけではない。だが、そう、気に入らないのだ。

「お前は、俺だ。暇つぶしに生まれたもうひとりの俺。どうしようとお前の勝手だが……死んでもらっては困るぞ。悪魔の件は正直どうでもいいが……いささかこの世に未練があるからな」

 そう冗談なのか本気なのか分からないことを言い放ち、彼は去っていこうとした。だが、急に思い出したようにこちらを向き一言だけ、

「桜子を頼んだぞ」

 それだけ言って消えていった。それはどうやら彼にとって重要なことだったらしい。全てにおいて興味を示さない、彼が、唯一興味を示した対象。ただそれだけなのだ。それだけの理由。

「わかっているよ、左霧」

 所詮自分は彼のおもちゃ。分かっていたのに、それを言葉にするのは、ひどく惨めに思え、自分を哀れむ自分自身が嫌いになる。自分に感情を与えた彼を呪いたくなることすらある。
 それでも左霧は笑顔でいる。自分の場所を手に入れたから。他でもない自分の力で作ることが出来たから。例えそれにどんな思惑があろうとも、関係なかった。

「……出来るだろうか。僕に」

 失いたくはない。この心が自分の物ではなかったとしても、左霧は戦う。世間と社会と、『闇』と。
 だって、だって、そう――――

 ワタシハソノタメニツクラレタ
 
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