魔導兵 人間編
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苦悩
「せんせー、そこ間違ってますよー?」
「あ、ご、ごめんね、皆!」
翌日の授業は、予想通り――予想したくなどなかったが、左霧にとって散々な結果だった。実習は受けているとはいえ、いざ本番となるとそうそう上手くなどいかない。わかっているとは言え、生徒たちから間違いを指摘されるというのは、先生としての威厳に欠けるものだ。
黒板に書いた自らの達筆とはいえない文字を慌てて消す左霧の姿を見て、生徒たちは微笑ましくその先生の仕草を観察しているのだった。
「せんせーそんなに慌てなくてもだいじょーぶですよー?」
「ごめんね……授業、下手で……」
「いいって! どうせ授業なんて面白くないし。それよりもー先生のこと私たち知りたいなー、ねぇみんな?」
その授業を楽しくやりたい、という思いが左霧にはあるわけだが、残念ながら生徒たちに伝えることはまだ出来ない。
クラスの一人の掛け声に賛同するかのように波紋が生徒内に響き渡った。そうなるともう左霧では収拾がつかない。ガールズトークが繰り広げられ、その渦中に左霧という新人教師は生贄にされるのだった。
「わかった……じゃあ皆、何か聞きたいことはあるかな?」
「はいはーい! 先生って、男ですよね?」
「その質問は昨日もしたよ? 僕は正真正銘の男だよ」
「えー……でもぉ、証拠がないと分からないですよぉ?」
「証拠……? そんなこといっても……困ったなぁ」
その本気で困惑している姿が面白いのか、周りの生徒はクスクスと屈託のない笑みを浮かべている。更に追求しようと他の生徒が少し突っ込んだ内容を口にするからいよいよ左霧も困惑を通り越して弱ってしまう。こういった反応は、実は今回が初めてではない。自分の容姿や体格に文句を言っても仕方がない。こういう質問があるたびに、左霧は今みたいな反応を余儀なくされるのだった。
そんな頼りない先生を見かねたのか、ある生徒が立ち上がった。
凛とした佇まいで、ぐるりと辺りを見渡し、そして最後に先生――左霧の方へ体を向けた。
「みんな、先生が困っているからそのくらいにしなさい」
「雪ノ宮さん……で、でも皆さん聞きたがっているし……」
「人には色々な事情があるものよ。先生だって聞かれたくないことくらいあるわ。特に、身体的な特徴なんてデリケートな問題でしょう?」
「う……そ、そうだよね。先生、ゴメンなさい」
「い、いや……気にしないで」
本当は事態を収拾しなくてはならない左霧の代わりに、雪ノ宮学園長の娘である、『雪ノ宮雪子』が生徒たちを一つにまとめ上げた。
左霧は感激した。こうやってクラスの均衡を保つことの出来るしっかりした生徒がいることは実に頼もしいものだ。
「先生、授業を続けてください」
雪子はジッと先生の方を見て、固まっている左霧に声をかけた。無表情だが、その秀麗な容姿に思わず左霧は息を飲んだ。
(人形、みたいだな)
はっと今の表現を頭から消した。例えそうだったとしても言われた本人は、人形だと言われて嬉しいとは思わないだろう。
「先生? 大丈夫ですか?」
「あ、はい! ゴメンなさい、授業、続けますね!」
そんなことに頭を悩ませていると、雪子は怪訝そうに左霧に再び問いかける。チョークを取って黒板に向かうが、慌てているため何本も折ってしまった。もちろんその姿がおかしいので、生徒たちに笑われてしまったのは言うまでもない。
「雪ノ宮さん! さっきはありがとう助かったよ」
授業が終わり、生徒たちが思い思いに羽を伸ばすなか、左霧は一人の生徒の背中に声をかけた。教室から出るところにいいタイミングで鉢合わせになったのだ。
「……霧島、先生」
雪子は振り返り、先ほどのような感情の色が見えない表情で、左霧と対峙した。前髪は丁寧に切りそろえられて、後髪は首筋辺りまで伸ばしている。どことなく古風な感じがする少女だ。目元はキリっとした二重で、意志の強さを強調しているようだった。
「何の、お礼ですか?」
雪子は、不思議そうに左霧に問いかけた。どうやら彼女にとってはあの場面の出来事など取るに足らないことだったようだ。それでも、自分が助けられたことは変わりがないので、改めて左霧はお礼を口にした。
「さっき僕が生徒たちに質問されているところ、雪ノ宮さんが助けてくれたでしょ? 君がいなかったら収拾がつかなくなるところだったよ。ありがとう」
「……あれは、別に先生を助けたわけではありません。授業が進まなくなると私が困るから言っただけです」
「そうなんだ。でも結果的に君に助けてもらっちゃったのは事実だよ。ありが」
「――お言葉ですが」
雪子は鋭い口調で左霧の口を遮った。その目は、先ほどよりも心なしかキツいような気がした。まるで、嫌なものでも見るかのような。
「あなたは先生としての自覚が足らないと思います。先生なら、いつ、いかなる時でも生徒たちの育成に努めるべきです。であるのに今のあなたは何ですか? 私に助けられたとペコペコ頭を下げて。先生なら、先ほどの場面を恥じるべきであって、ましてや反省の色なしとなるともはやあなたに教鞭を振るう資格があるかも怪しい――と私は思います」
しばらく、左霧は何が何だか分からなった。やがて自分が雪子に説教されていることに気づき、どう反応したらいいのか測りかねた。そして出た言葉が、
「あ、えっと……ゴメンなさい」
なのだから、しょうがない。雪子もこれ以上は時間の無駄と判断したのか、それだけ言い残すと小さくお辞儀をしてその場から去っていった。その歩き方もまた、精錬されたようで、ヒールでも履いていたら『カツッカツッ!』音を立てていたかもしれない。
いずれにせよ、左霧はダメ出しをされてしまったのだった。
「ううう……」
ダメージの強さに思わず呻き声を上げてしまった。どうやら皆が皆、心の広い生徒たちばかりではないらしい。
「雪子さん、か……」
昨日、左霧だけ念を押されたわけが何となくわかった。自分が受け持つクラスに、娘がいるとなれば、それはプレッシャーをかけるもの当然だ。自分のような新米教師なら余計気にもかける。
「せんせードンマイ! そういうこともあるって!」
先ほどの会話を盗み聞きしていた一部の生徒たちが教室から顔を出して笑っていた。左霧はバツが悪そうに頭をかくことしか出来ない。
「さっすがきっついなぁ~学園長の娘!」
「私なんて怖くて話しかけれないよ~」
「なんか冷たいイメージあるよね……だがそこがいい!」
どうやら雪子に対する生徒たちの評価はそんなところらしい。だが、決して悪意があるわけではなく、ただ単に憧れているようだった。
雪ノ宮――というのはこの辺一帯を占めている地主の名で、学園にある莫大な敷地も全て雪ノ宮家のものなのだ。
つまり、学園長――雪江は学園の長でありながら大地主の元締めも担っているということになる。そして、その娘となれば、もちろん正真正銘のお嬢様なのだ。
「清楚で、可憐で、気高い……私も雪子さんに罵ってもらいたい!」
「私も!」
「私も!」
「先生もこの気持ち、分かりますよね!?」
「ごめん、皆。ちっとも分からないよ……」
恍惚の表情を浮かべたうら若き少女たちの気持ちには、左霧は上手く答えることが出来なかった。訂正、彼女たちは雪子によからぬ感情を抱いているようだ。
先ほど言われた言葉が、意外にも左霧の心に深く突き刺さっていた。
――あなたに教鞭を振るう資格があるのか?
悔しかった。初めてとはいえ一人の生徒に不安を抱かせてしまったのだ。授業のことも、生徒たちとのやり取りも、何が正しくて、何がいけないのか、その判断すらも今の左霧には分からなかった。
「よし……悩むの終わり! 教務室に戻ってさっきの授業のおさらいと、資料チェックしなきゃ!」
雪子に言われたことは気になるが、今悩んでも仕方がない。クラスの生徒たちに別れを告げ、左霧は教務室へと勇み足でかけていくのであった。
「クックック……早速我が愛娘に接触したようだな。霧島の」
教卓でプリントとしばらく睨みあっていたところ、舌っ足らずな声がどこからか聞こえた。左霧は重い体を上げ辺りを見渡す。
「ここだ、ここ! 君の目の前だよ!」
驚いて下を見下ろすと、そこにはあどけなさの残る、小さな少女が立っていた。今日も今日とてヒラヒラとした人形のような衣装の着て、教務室に謎の雰囲気を作り出す少女。 雪ノ宮雪江は今日も学園長らしくない学園長だった。
「学園長……驚かせないでください」
「ふん、君が鈍感なのが悪いんだ。それでも霧島の血縁か?」
不満そうに両手を組み、雪江は左霧を半眼で睨んだ。
それを言われたら、はい、と返すしかないため左霧は頭をかいてごまかすしかない。その反応が好みだったらしく雪江は更に不敵な笑みを浮かべ、隣のイス――砂上の席に遠慮なく座り込んだ。
「教師の資格がない、って言われちゃいました……」
左霧が正直にそう答えると、雪江も流石に思うところがあったのか、穏やかな声で静かに語った。
「そんなものを最初から持っている奴などどこにもいない。ああ、教員免許は持っているんだろうな……? ふむ、ならば今はそれでいい。技術など嫌でも身につく。今必要なのは勉強、努力、経験……そして」
「……そして?」
左霧が聞き返すと、また雪江は不敵に笑い、小さな親指をゆっくりと左霧の胸元に突き刺す。
「君という存在だよ、左霧。君は失礼な男だが……決していなくなっていい人材ではない。必要とされているんだ。その事を心に留めておくといい」
「……が、学園長! 感激です!」
「ムフフフフ……ってまた頭を撫でるな! このたわけ!」
雪江はしばらくされるがままになっていたが、すぐに学園長の威厳を取り戻し、持っていたパイプで左霧の額を殴打した。それでも笑っている左霧は、どこか不気味な姿だった。
「痛い! でも僕、嬉しいです!! 必要な人材、必要な先生……」
至極単純な思考回路だな、と雪江は思った。この程度で教師のご機嫌がとれるのなら容易い。雪江は左霧の浮かれっぷりに呆れを通り越して関心してしまった。
「左霧」
「あ、はい。何でしょうか、学園長?」
嬉しそうに教務室を飛び回っている左霧を呼び戻す。迷惑そうに見ている他の教師の為と、左霧に会いに来た理由を告げるために。
「雪子を、頼む。勝手ながら、これは親、保護者としての頼みだ」
その言葉に、左霧は強い念を感じた。自分は生徒たちの親から子供を預かっている身なのだ。ここに、頭を下げ、てはいないがどうやら本当に母親らしい学園長が、頼むと言っている。
左霧に言えることはただ一つだった。
「雪江さん、副担任ですけど雪子さんのことは僕にお任せ下さい! 雪ノ宮家の令嬢として、一生徒として、僕がしっかりと彼女を守ってみせます! ……といっても彼女はしっかりしているので、僕なんか必要ないと思いますけど」
最後が締まらない半端な宣言だったが、雪江は左霧を真剣に見つめ、そして笑った。
「――――だからお前は新米教師なのだ」
気分良さげにそう言って雪江は学園長室へ戻っていった。今の発言の意味を問う隙もなく、左霧もやりかけの仕事へと慌てて戻っていく。そしてここで聞かなかったことについて、激しく後悔するのであった。
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