闘将の弟子達
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第七章
第七章
西本は好投した投手には何も言わない。だが不調でも必死に投げた投手に対しては打ち込まれても声をかけた。彼はそうした人物であったということを知ったのだ。
鈴木だけではなかった。井本や土井とのトレードで近鉄にやって来た柳田豊、左の変則派村田辰美、かって甲子園のスターと言われながらも伸び悩んでいた太田幸治もそれに気付いたのだ。投手陣も練習にさらに入れ込むようになった。
打線は少しずつでしかなかった。羽田は中々成長しない。あの山口のボールを空振りし西本に殴られてたこともある。
「羽田みたいに優しい奴は親にも殴られたことはないやろうな」
西本は言った。そんな羽田を殴ったのだ。
それは羽田の素質を知っていたからであった。そして羽田に成長して欲しいからであった。
就任五年目にしてようやく芽が出て来た。それはまず佐々木からであった。
彼は相撲をしていたこともありその足腰はガッシリとしていた。そして西本の野球に心酔していた。今でも彼を西本の一番弟子と言う人がいる。近鉄の監督時代は背番号まで受け継いでいた。
その彼が首位打者を獲得したのだ。特に左投手に対して無類の強さを発揮した。
しかし彼だけであった。まだ覚醒というには早かった。
「何かが足りんな」
多くの者は近鉄を見てそう言った。それは何か、すぐにわかった。
「ホームランや」
確かにパワーのある若手はいる。だが覚醒していない。それにはもう一つ発奮材料が必要だ。
それはやって来た。ヤクルトからチャーリー=マニエルを獲得したのだ。
彼は守備が下手だった。だが指名打者のあるパリーグならその心配はない。それでもマニエルの活躍を危ぶむ声があったのだ。
「西本さんと合うか!?」
そういう声があった。マニエルはかってメジャーにいた。プライドはかなり高い。それでヤクルトの監督を務めていた広岡達郎と衝突していた。それを心配したのだ。
だがそれは杞憂であった。マニエルは西本に会うとその人柄に惚れ込んだ。
「ミスターニシモトはメジャーの監督でも通用するよ」
彼は笑顔で言った。そして近鉄に馴染んでいったのだ。
ただ馴染むだけではなかった。彼はもうチームの柱となっていた。
「マニエルおじさん」
こう呼ぶ者もいた。今やマニエルはチームに欠かせない存在であった。
マニエルが中核となった打線はその力を大いに発揮した。栗橋が打った。元々三振が少なく相手ピッチャーにとっては嫌らしい男であった。
彼だけではない。あの羽田がようやく覚醒したのだ。弾丸ライナーを打ちまくった。
「やっとか。長くかかったな」
西本は彼のそんな姿を見て目を細めた。いつも手取り足取り教えた苦労が実ったのである。
佐々木もいた。そして梨田、小川もいる。先頭打者には平野光泰がおり脇を石渡茂、吹石徳一等が固める。いてまえ打線の完成であった。
いてまえ打線は一世を風靡した。それは西本が完成させた最強打線であった。
「あれが西本道場の弟子達か」
ファン達は打ちまくる彼等を感嘆を込めて見ていた。
「凄いもんや、無名の連中があそこまでやるんやからな」
近鉄は最早あの弱小球団ではなかった。押しも押されぬ強豪チームであった。
西本の名声はさらに高まった。阪急だけでなくあの近鉄まで優勝させたのだから当然であった。
「あれだけ練習したからな」
選手達は言った。時には飛行機で着いたその夕方に早速練習をしたこともあった。飛行機の中にボールやグローブを持って行ったのだ。
そうした練習の賜物であろう。最早彼等を馬鹿にする者は本当に野球を知る者ではいなかった。
時折醜く顔が膨れ上がった男やガチャ目でスキンヘッドの狂人共が何かを言う。連中は野球を知らないだけである。狂人でもテレビに出られ、如何に視聴者から憎悪され軽蔑されても得意になって気付かない。こうした怪奇現象が起こるのは我が国だけである。恥と言ってよい。もっとも当人達は狂人なのでそれには一向に気付かないのだが。
西本は実証したのだ。努力が報われるということを。だがまだ完全ではなかった。
「日本一ですか!?」
記者の一人が西本に対して問うた。
「いや」
それに対して彼は首を横に振った。
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