IS 〈インフィニット・ストラトス〉~可能性の翼~
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第二章『凰鈴音』
幕間『漸動』
前書き
本日のIBGM
○新たな門出
New Days(ペルソナ4)
ttp://www.youtube.com/watch?v=H0xdddtsWFg
○予期せぬ福音
遠い約束(Xenogears)
ttp://www.nicovideo.jp/watch/nm3137728
○天才兎の登場
Dystopia(ACE COMBAT 2)
ttp://www.youtube.com/watch?v=GyX-Bco-PVo
○天敵来襲
Thin RED Line(BLAZBLUE)
ttp://www.nicovideo.jp/watch/sm16944276
○賽の目は振らずして結果は出ず……
海と炎の絆(Xenogears)
ttp://www.nicovideo.jp/watch/nm3138637
○午後の一時
おらが村は世界一(Xenogears)
ttp://www.nicovideo.jp/watch/nm3231737
○広がる惨劇?
チェックナイト(カービィのエアライド)
ttp://www.youtube.com/watch?v=leuvnNwj1pc
日曜日、国内の某国際空港――。
人の行きかうフロアの一角で、見目麗しい三人の女性が立っていた。
「このたびは、何から何まで、本当にありがとうございました」
穏やかな笑みを浮かべながら、楊管理官――否、元管理官・楊麗々が、織斑千冬と山田真耶に対して深々と一礼をしていた。
「実際、私独自の清教官への素行調査も、完全に行き詰っていたうえに、上から釘を刺されて、断念せざるを得ないところだったんです」
「本当に……、お辞めになってしまうのですか……?」
「はい、それが私なりのけじめですから」
真耶の気遣いを感じながらも、楊の決意に揺るぐところは無かった。
「義を正すため、妹の無念のためとはいえ、私が国に刃を向けた不忠義の臣であることに、何ら変わりはありません。のうのうと管理官を続けても、いずれは本省の競技会とも折り合いが悪くなるのは、分かりきったことですから」
無論、後悔がないわけではなかろう。
楊とてIS学園担当の管理官となるべく、多くの努力と苦労を積み重ねてきたはずだ。
それを辞するという決断に、いささかの葛藤もあっただろう。
その高潔な意思を復讐に染め上げたのもまた、清周英という男であり、別の意味で彼女も清に人生を曲げられたと言っていいだろう。
だが今は、怨嗟のしがらみから解き放たれた心地を、しみじみと感じる楊だった。
「これから、どうするつもりだ?」
千冬が真っ直ぐな目で、楊に向かって問いかける。
「そうですね、ひとまず落ち着いたら、妹も向こうの病院に移そうと思います。今までゆっくりと、傍にいてあげられませんでしたから……」
「そうか……」
楊の返答に、千冬はただそれだけを返す。
それでも妹と弟の違いはあれど、同じ年下の血縁をもつ者として、二人にはそれだけで通じるものがあった。
「そういえば、夜都衣先生はどうなさったんですか。一緒にお見送りのはずじゃあ……?」
真耶はこの件にもっとも縁深いはずの、夜都衣白夜がいないことに気が付いた。
「急用が入ったそうだ。先生から言伝は受けている」
「そう、ですか……」
千冬からの言葉に、楊は少し残念そうな顔をした。
「『そのうち運も向く、仲良く達者に暮らせ』だそうだ」
「あら……、見透かされていましたかね?」
「あの人のことだ、そのぐらいは察していたんだろう」
自分が妹を連れていくことを見抜かれ、楊は少し気恥ずかしい気分になった。
千冬も白夜との付き合いが長いため、その考えを推量することが出来た。
千冬にとっては白夜は、“師”と呼んで敬服し得る特別な年長者であり、武においては目に見える“遥かなる高み”でもある。
突拍子の無い言動に肝を冷やされることもあるが、そうした闊達な在り方も含めて、千冬は白夜に特別な思い入れを持っている。
――ピリリリ…
どこか近くで、ケータイの着信音が鳴り響いた。
「あっ……、すみません、失礼します」
どうやら楊のだったらしく、手に提げたバックからスマートフォンを取り出し、電話に出る。
中国語で話しているため、千冬と真耶には内容は分からないが、どこか腰の低い感じではある。
ところが話しはじめて間もなく、楊の様子が変わった。
まるで雷に撃たれかのように微動だにしない。
そして次の出来事が、千冬と真耶を困惑させた。
楊が、震えながら泣きはじめたのだ。
それからしばらくは、口元を手で覆って嗚咽を抑えながら、何とか電話に受け答えする。
そして電話を切ると、人目もはばからずにその場で泣き崩れたのだ。
「ど……、どうしたんですかっ!?」
それを見てとっさに真耶が傍に駆け寄り、事情を訊こうと楊を宥めはじめる。
千冬は一旦楊を休ませるために、手近なベンチか人目を凌げる場所を探す。
ふと右手側を見ると丁度良い壁際のベンチを発見し、真耶と楊をそこへと誘導した。
しばらくは泣くばかりだった楊だったが、数分も経つと落ち着きを取り戻していった。
「楊さん、何があったんだ?」
千冬は正面から屈んで視線を合わせ、顔を覗きこむように楊に尋ねた。
「……妹が……」
「……妹さんが、どうしたんだ……?」
「……目を……覚ました……って……!」
「え……」
「さっき……病院から、その連絡が……あったんです……!」
突然の知らせだった。
病院の話によれば、数時間前に看護師が巡回中に彼女の妹の目覚めに気が付き、先ほど検査を終えたところだったらしい。
現状では、特に後遺症などの兆候は見られないという。
「良かったじゃないか、楊さん」
「おめでとうございます……!」
二人からの激励に、楊はただ頷きながら応じる。
神様がいるというなら、なかなかに粋な計らいをしてくれたものだと、千冬は感じるのだった。
「渡りに船だな楊さん、これからは妹さんと一緒に、失くした時間を埋めていける」
千冬の言葉に一瞬目を丸く楊だったが、
「はいっ、そうします……!」
最後は明るく答えるのだった。
三人のベンチに、和やかな雰囲気が漂っていた。
寸の間、ある言葉が思い出され、
(まったく、相変わらず人が悪い――)
千冬は内心でそんな風に独語し、苦笑するのだった。
――――
ところ変わって太平洋、公海上――
何処とも分からない無人島の地下に、その場所はあった。
無数の機械と金属パーツが転がる、南海の大自然とは対照的な近未来的で薄暗い空間。
人ひとりが衣食住と、何らかの研究を成すに必要なだけのスペースが確保されている。
それと同等の面積の空間に、無数の金属製のパーツがリフトやウインチ、ジャッキなどに固定されている。そばには数多の工具が用意されており、さながら大型機械のガレージの様だ。
その一角に、いくつもの中空電子画面が壁一面に展開された部屋があった。
画面には、黄昏色の装甲をもつIS――真行寺修夜の『エアリオル=ブラスト』と、彼自身が戦う姿が映し出されていた。
戦っている相手は、漆黒の巨人――IS学園を襲った無人機だ。
そしてこの部屋で、両者の戦いをいくつもの画面と視点で観察する人影があった。
やや赤み掛かった腰に届く長髪で、揉み上げを三つ編みにしてある。頭には何の冗談か、バニーガールの付けているような、ウサギ耳を模したカチューシャをつけている。また空色の布地で縫われた南ドイツの民族衣装風の腰にエプロンの付いたドレスが、機械的な空間とミスマッチを起こし、彼女の存在感をより浮かび上がらせていた。
画面を見つめる顔は端正だが、垂れた目と下がり眉のせいでどこか緩い雰囲気を醸している。
豊満な胸とグラマラスな肢体は、衣装の影響もあってより胸を強調したように見える。
「はにゃ~ん、やっぱりカッコいいなぁ~……」
画面の中の修夜を追う女性の声は、少し幼く甲高く、甘い声色だ。
コンソールを置くカウンターに両肘を突き、手の甲に顔を乗せ、終始口元を緩ませている。
それからコンソールのボタンを一つ押し、画面を一斉に止める。
止まった画面には、精悍な顔つきの修夜がズラリと並んだ。
「むふふ……っ、あんな可愛いかったシュウちゃんが、こんなイケメンに育ってるなんて、束さんのハートはキュンキュンのだ~。きゃっ!」
束――
そう彼女こそ、この世界にIS――インフィニット・ストラトスを生み出し、世界の秩序と均衡を大きく覆した“天才”にして、世界がその動向を追う“異端の革命児”、【篠ノ之束】である。
ある者は彼女を“科学の女神”と称賛し、ある者は“電子の魔女”と敵愾心を抱く。
ISに関わるものすべてがその名を知る、今代一の女性科学者である。
世間では浮世離れしたふわふわとした雰囲気と、突如として行方をくらましたその言動から、奔放で謎多き人物とされている。
分かっていることは、年の頃は二十四であること、ISの生みの親であること、初代IS世界大会覇者・織斑千冬のセコンド兼調整技師だったこと、六年前に突如失踪して捜索が続いていること、などそれぐらいである。
彼女の人物性や失踪の真相には諸説あるが、どれもいまいち信憑性がない。
*すでにISに飽きて別の発明を始めている
*謎の組織に追われている
*ISを利用した私立軍隊を創設し、世界を切り取る準備をしている
*理由などなく、ただ気ままに世界を引っかきまわして楽しんでいる
*危ない薬で脳が飛んでいるマッドサイエンティスト
*膨大な特許料を慈善事業に使っている現代の聖女
*神から人の革新を促すために遣わされた天使
*戦争をもたらすために地獄から遣わされた悪魔
*実は侵略宇宙人の斥候
――等など、挙げればきりがない上に、挙げるほどに現実味が薄らぐばかりなのだ。
何にせよ、政財界や学界の重鎮たちからすれば忌むべき頭痛の種であり、世間知らずでクソ生意気な小娘以外の何でもない。
「おっと、危ないあぶない。もうすぐお出かけの時間だったっけ」
夢のひとときから目を覚まし、天才はふと時計を気にしてみる。
彼女の傍らには小型のキャリーケースが置いてあり、その言葉通りにどこかへ出かけるつもりだったらしい。
「そろそろ研究所に乗って移動しないと、おっかない人が追ってきちゃうから……」
「その“おっかない”のとは、誰の事じゃ?」
「それはもちろ~ん、先生のぉ~…………、え……?」
自分の背後から、聞き覚えのある声がした。
そしてそれは、何人たりとも捉えられないと言われる篠ノ之束の、この世で【唯一の天敵】たる人物の声であった。
それが何かと悟った瞬間、束の顔から一切の余裕は失せ、どんどんと蒼くなっていく。背筋に悪寒が走り、全身からじっとりと脂汗が滲んでくる。室温は適温のはずなのに、彼女のグラマラスな体は、極寒の地に佇んでいるかのように震え上がっていた。
やばい、死ぬ――。
背後からする、吹き荒ぶ極地の風のような冷たい気配の正体を確認すべく、束は一滴の勇気を絞りだして、恐るおそる後ろを振り返った。
そこにいたのは、銀髪の異装の美女と、美女に抱えられたIS学園に送り込んだはずのナノマシン集合体の“瓶詰め”だった。
「ああぁぁあぁぁっ……、びびび…びやきゅし…しゃあんっ……!?」
「久しいな、馬鹿娘」
あまりの恐怖に呂律も回らない束に対し、ここにはいるはずのない存在――修夜の親にして武の師である夜都衣白夜が、目を細めて微笑んでいた。
ただその笑い方はにこやかというより、とても不気味で冷たい骨董の微笑だ。
「えぇぇぇっとぉ……、なな、なんでこの場所が、分かったんで……しょうか~……?」
「こやつに訊いたのさ」
白夜は言うと、片手に大人の頭が入りそうな大きな瓶を掲げた。中にはピンク色の、あのウサギの耳がついたゴムボール――ウサギボールが、ビンの中でぎゅうぎゅうに押し込められていた。
「訊いた……って、そ…その子は私の言うこと以外は、聞かない設定にしておいたはずなのに……!?」
捕捉するなら、指紋・声紋・虹彩・静脈……等々、当人と認証できる鍵は幾重にも掛けてあるはずなのだ。ボケっとしているようで、その実数手以上先を常に的確に見据えるのが束なのである。
「機械の扱いはよくは分からん、しかし術を用いてこやつを騙すぐらいは造作もないぞ」
「だだ、だ……騙す……?」
「そう……『こ~んにゃ風にね~?』」
「ふぇぇぇぇええっ!?」
白夜の喉から、どういう訳か束の声が発せられた。
「『そ~してっ、こんな感じにも~!』」
「うひゃぁぁぁああっ!?」
白夜がその場で一回転した瞬間、独特の衣装が一瞬で空色のドレスに変わり、銀髪も赤毛の長髪へと変化した。凛々しい顔も、垂れ目のおっとりとした風貌になり、頭には硬質素材のウサギ耳カチューシャが……。
「ぁわゎわゎゎわゎゎわっ……!?」
「ふふふっ、そういえばお前さんに見せるのは、これがお初じゃったかな?」
束の姿をした白夜が、束の顔で本物に語りかける。まるで古典怪談の一幕である。
「<自在変化の法>――、わしの十八番じゃよ。その気になれば指の紋、目の紋、五臓六腑に血の道の並び、血の質も体液も、秘所の形から具合まで……。お前の髪の数本もあれば造作もない」
自分の力の一片を語る白夜だが、明晰な頭脳の許容量を遥かに超える怪奇現象と、このあとに待っているであろう“悲惨な現実”を予感して、既に束の思考回路は停止寸前であった。
またその場で一回転し、元の姿に戻った白夜はゆったりと束へと歩み寄っていく。
「びや……白夜…さん……、何でこっちに、よ…寄って来てるんですかぁ~……!?」
「寄らねば出来んではないか――“仕置き”が……」
束の嫌な予感は、見事に的中してしまった。
どうにか逃げなければ……。
そう考えるも、どんな策を弄してみても出る答えは“無理”の一択だけ。
考える間に白夜はどんどん近寄ってくる。
「あ……あの、白夜さん……、ここはひとつ、ご容赦してくれる……ていうのは……?」
束は顔を引きつらせながらも、何とか笑顔を作って、ご機嫌を窺ってはみる。
「なぁに、冥土法界の境を三周もする頃には、気分も変わっておるだろうて」
にこやかに、そして限りなく冷ややかに、骨董の微笑で白夜は返答し、さらに近寄る。
とうとう、手を伸ばせば届く範囲にまで近付かれてしまった。
「さて……覚悟は良いか、大うつけ?」
ビクビクしている束に対し、にっこりと笑う白夜。
ウサギを追い詰めた獣は、おもむろにその右手で顔を鷲掴んだ。
そして――
「さぁ、“我ノ目ヲ見ヨ、篠ノ之束”」
「ふぐっ……!?」
「『仙眼・夢幻廊獄――冥土苦輪』……!!」
「ひにゃああああぁぁぁぁぁあああ……!!!!」
程なくして、束の断末魔が施設中に響き渡り、南海の青空に消えていった。
――それから十数分後……。
「あぅあぅあぅ……。お、お花畑と三途の川が見えたよぅ……」
「自業自得じゃ、大莫迦者」
説教を終えてふらつく束を見て、白夜は冷ややかに溜息をつく。
白夜が使ったのは、早い話が相手に悪夢を見せて精神を攻撃する“幻術”と呼ばれるものだ。
その中でも<冥土苦輪>は、精神攻撃として一等えげつないもので、本来は拷問向けともいえるほどの威力をもつ。何せ、圧縮された時間の中で、絶望的な状況を幾度となく経験させられ、そこで死にかけてはまた……、を繰り返されるのだ。やられた方はトラウマになる。
手加減しているとはいえ、それに耐えきってみせる束の精神も相当なタフネスだろう。
「それで、どう言う積もりじゃ? あんな大事なんぞ起こしおって……」
「なんとなく♪ ……嘘ですごめんなさい、ちゃんと説明しますから固有結界を展開するのは勘弁してください」
いつもの調子で軽く返答しては見た束だが、白夜が再び殺気立ちはじめるのを見て、すぐさま土下座で平謝りするのだった。
それを見て白夜も悋気を収め、とりあえずカウンターの椅子に座るよう、束に促す。
椅子に腰かけて一息つくと、まず白夜が問いかけた。
「今一度だけ聞くが、このたびの機械人形の一件、あれを差し向けたのはお前じゃな?」
再び鋭い視線を向ける白夜を、束は怯えながらも真っ直ぐに返す。
「そうだよ、今回あの無人機――『ゴーレム』を差し向けたのは、この束さんの仕業です」
束の返答を聞いた白夜は、それ以上彼女を睨むことをやめ、「そうか」と返事をした。
束も白夜の反応を見て、ほっと一息つく。
「察しはついてはおるが、一応聞いておく。何のためにあれを差し向けた?」
その問いに、束は頬を人差し指でつついて少し考えるような仕草の後、「そうだなぁ」と前置きをしつつ答え始めた。
「……まぁ、白夜さんだけじゃなく、たっくんやちーちゃん辺りも予測してるだろうけど、ずばりシュウちゃん達のためだよ」
その顔は、先ほどまでと違って真剣そのものだ。
「あの無人機騒動は、名目上では白式のデータ収集が目的となってるけど、その実は【IS学園やIS委員会への警告】そのものなの。今回の件で、少なくとも学園……ちーちゃん辺りは、何かしらの動きは見せると思うよ」
言いながら、白夜が来る事で一度は閉じたディスプレイを空中に投影し、軽く情報を整理し始める束。
「警告ならば、お主が動くだけでも十分効果はあろう。何故あそこまで大事なんぞに……」
「大げさだからこそ、だよ」
呆れた表情で言う白夜の言葉を遮って、束はそう答える。
「今回の件が大げさだからこそ、シュウちゃんやいっくんに対する認識が大きく変わる。世界有数の男性操縦者に、どれだけの【価値】があるか……って言うね」
真剣な表情を崩さないまま、束は言葉を続ける。
「私が動くだけでも、効果は見込めるかもしれない。だけど、世の中にはそれを無視して事を成そうとする不届き者だっている。そして人は事が起こってからじゃないと、本気の対策を立てようとしないものだから、ね」
それは、天才と呼ばれた人間の価値観故なのか……何処か遠くを見るように、己が理を言葉にして綴っていく。
そして白夜自身、彼女の言葉に異を唱える事はしない。人の世を気楽気侭に旅をするこの仁だからこそ、彼女の言っている事が正しい事も理解出来るのだ。
「ゆえに自分から動き、最後まで正体を隠し通した。……そういうことじゃな?」
「まぁ、そんな感じかな。ちょっと、やりすぎちゃった感じはあるけどね」
頬を指で掻きながら事件を思い返し、思わず苦笑いする。実際問題、修夜達の苦戦状況を見れば、あの無人機たちがどれほど強かったは言うに及ばぬところである。
二手三手の先を読むこの天才でも、賽の目の結果までは予想できない。修夜達の実力を予測した上での計画であれ、万が一の可能性は起こりえるのだ。
「しかし、お主の事じゃから、幾つかの布石くらい打っておいたんじゃろ?」
「まぁね。箒ちゃんの打鉄に細工を仕込んだのも、束さんだし」
白夜のこの質問を、束はあっさりと認める。修夜や千冬がこれを聞いたら、あまりの事に叱責しかねないのだが……。
「後は、ちーちゃんが動く事態になった時には、即座にセキュリティを戻せるようにしておいたりね。まぁ、これは本当に最悪の場合だったんだけどね……」
苦笑いしながら話しているものの、それは今回の事で彼女が想定しうる最悪の事態であった。
世界最強である千冬が出撃する事……それは即ち、あの事件が修夜や一夏と言ったメンバーではどうする事も出来ない事態となっていたということである。
もし仮に、その事実が起こりえた場合、同様の事件が起きた時には死傷者まで出ていた可能性を持ってしまう。
「まぁ、白夜さんの介入までは、流石の束さんでも予測できなかったけどね。ほんと、何処で分かっちゃったかなぁ……」
「これでも昔から鼻は利くのでな、特に悪い虫の臭いには敏感でのぅ」
不敵に微笑む佳人に、天才は「敵わないなぁ」とこぼし、また苦笑いするのだった。
「ところでその荷物、どこへ向かう気だったのじゃ?」
白夜は椅子の傍に置かれたキャリーケースを見て、束に問うた。
「あっ、コレですか? これはですねぇ、シュウちゃんの幼馴染ちゃんをはじめに中国の女の子たちをですね~、……散々弄んでほったらかしにしてたオジサン達を……、懲らしめに行く準備なのですよ~……」
言葉を発するごとに、温和な雰囲気が徐々に冷えていく。
その怒気の薄ら寒さたるや、南海にあるこの場所が冷蔵庫かと思えるほどである。
「だいぶと鶏冠に来ておるようじゃな」
「うふふ……、嫌だなぁ白夜さん。この束さんの一番嫌いことはねぇ、頑張って夢を叶えようとする純粋な子たちを食い物にする人たちだって、先生が一番知ってるじゃないですか~……」
笑顔を絶やさない束だが、それも自分を抑制するための演技である。
「やれやれ、今のお前さんを見たら、千冬なんぞは混乱して世迷言を吹くじゃろうな」
「これもシュウちゃんと“先生”のお陰かなぁ~……」
くつくつと笑う佳人に、天才は怒りを引っ込めて呟いた。
「しかし、相変わらず耳聡いのぅ。どこまで知っておる?」
「ふっふ~ん、束さんを舐めちゃいけないよ~。清さんっていう不届き者に関わることは、洗いざらい調べ尽くしてるんだからねぇ~。何より同じ“お姉ちゃん”として、妹を弄ばれたと聞くと……もう……ねぇ……、うふふふふ……」
言いながら、束の中でまた怒りが沸々と込み上げてくる。
「まぁ楊麗々の件については、わしも少しばかりお節介を……のぅ」
「ふぇっ、そうなの?」
白夜からの言葉に、束は思わず目を丸くした。
「今ごろは、その知らせも向こうに届いておるじゃろう」
「うふふふっ、そっか。じゃあ、あとは頭でっかちなオジサン達に、釘を刺しに行くだけかな」
「手心は加えてやれよ、あの手の老獪どもは胃袋と玉はデカイが、肝と尻の穴は小さいでな」
「も~ぅ、そういうお下品は禁止だよ~」
眉を寄せながらも、束は白夜の発言に思わず吹き出してしまう。
「【苦労の数だけ、人は幸せを得る権利を得る】……昔、シュウちゃんが言ってた金言だよ。他人の苦労を弄ぶような不届き者のせいで、家族や自分を壊される可能性があるのなら、……それが私のISでなら、私はその努力をした人の味方になりたい」
束はそう言って、荷物を手に取る。握る手には、何か強い決意がこもっていた。
「でもやっぱり、同じ妹を想うお姉ちゃん仲間としては、そんな事を聞いて見過ごすなんて出来ないしね。だから、束さんはお節介を焼いちゃうのだ♪」
そう言っておどける束に対して、白夜は少しだけ笑みを浮かべながら言う。
「それを実の妹にも実行できておれば、もうちっと説得力もあるんじゃがなぁ…?」
「ぶぅ~! それは言いっこなしだよ、白夜さん!」
「あっはっはっは、それはすまなんだ」
からからと笑う白夜に、束は眉間を寄せて抗議する。
それでも束は、掘り込まれた溝を埋める術を探し続ける。散々好き勝手した果てに出奔した身勝手な姉として、せめて妹に償えることは無いか、その解答を……。
「さぁて、わしも行くかのぅ」
「シュウちゃんによろしくね~」
白夜が学園に戻るのを、笑顔で見送ろうとする束だったが――、
「何を言っておる、わしはお前さんのお守じゃよ」
「ふぇ……!?」
これまた、とんでもない発言が飛び出してきた。
「お前さんが、不意打ちを食らう鈍らでないのは承知しておる……が、念のためにのぅ」
「も~ぅ……」
「なんじゃ、たまには恩師に紹興酒ぐらい奢っても、罰は当たらんじゃろ?」
「もう“先生”って呼ばなくていいって、言ったのは白夜さんでしょ~…!」
「固いことは抜きじゃよ、匹夫どもの間抜けな面を肴に呑む酒も一興じゃろうて」
談笑ののち、美女二人はやがて暗闇の中を後にして、東洋の大国へと一路足を運ぶのだった。
――――
月曜日。
IS学園・高等部校内――
午前の授業を終えた修夜たちは、昼休みに中庭で集合していた。
ここにはいくつかのピクニックテーブルがあり、いつものメンバーはそこで弁当箱を広げて昼食会を開いていた。
「相変わらず美味しいですわねぇ、修夜さんのお料理は~…」
修夜の作ってきた“アスパラガスの豚バラ巻き”に舌鼓を打ちつつ、セシリア・オルコットは感嘆の声を漏らす。
「毎日忙しいのに、よくこれだけのものが出来るな……」
篠ノ之箒も、織斑一夏の出し巻き玉子を味わいながら、二人の手際の良さに感心しきりだ。
「弁当の下ごしらえは、晩飯の用意のついでだな。あとは朝飯のついでにサッと調理できるようにして、弁当箱に詰めちまえば完成ってわけだ」
「たまに夕飯の残りとか、余った材料使って品数を穴埋めしたりもするよな」
「……美味しいです」
弁当を用意してきた二人のあいだで、紅耀が俵型のおにぎりを口に運んでいた。
「りんりんの胡麻団子も美味しいよ~」
「ほら、口に胡麻粒付いてるわよ」
満足気に白胡麻をたっぷりまぶした団子を頬張る布仏本音と、彼女の口の端に付いた胡麻粒を取ってやる鈴。傍から見れば、年の近い姉妹にも感じられる組み合わせだ。
修夜との試合以降、鈴も修夜たちの輪に加わって、さらに賑やかな面々となった。
特に修夜と鈴は何かと小競り合いを起こしてISバトルに発展するため、練習しに来るほかの生徒たちのあいだでは、すっかり名物となってしまっている。
すっかり馴染んでいるようだが、まだ解決しきれていないこともある。
何にせよ、しばらくしないうちに、鈴と本音は自然と打ち解けるようになった。
今では呑気な本音の言動に、鈴がツッコミを入れるのがお約束となりつつある。
「鈴って、のほほんさんとそんなに仲良かったっけ?」
疑問を投げかける一夏に、鈴はどこか憂鬱そうに返事を返す。
「あたしの今の同室の子が、丁度こんな感じなのよ。嫌でも慣れたわよ……」
「同室って、どなたなのですか?」
今度はセシリアが問いかける。
「アメリカから入学してきた子よ、ティナっていうんだどさぁ……。人の話は聞かないし、太る太るってぼやきながらいつもお菓子つまんでるし、オマケに居汚いから起こすの大変だし、そのせいで朝ご飯食べ損ねるから、最近は嫌でも自炊だし……」
溜め息をつきながらぼやく鈴だが、
「ちょっと……ナニよ、その顔は……!?」
一同は何故か、目を丸くして驚いていた。
「……そりゃあ、この前までの暴力的なお前しか知らないからだろ」
「なっ……!?」
修夜にツッコまれ、鈴はいつもの調子で怒ろうとする。
しかしながら、身を乗り出そうとしたところで皆の気まずい顔を見てしまい、釈然としないまま矛を収めるのだった。
「そういえば、箒のその包みってなんだ?」
一夏が問うたのは、箒がテーブルの脇に置いていた包みのことだった。
紫色の綺麗な袱紗をに包まれており、何やら箱状のものが包まれている。
そして持ち主である箒はというと、何故か変に緊張して硬くなっていた。
「……じ、実は、私も……作ってみたんだ……」
箒がおずおずと言いながら包みを広げると、そこにはタッパーウェア型の弁当箱があった。
フタを開けてみると、中から炒飯が顔を出した。
「へぇー、箒も料理出来たんだ」
「しっ、失礼な……!」
不躾な発言をする一夏だが、箒と同室だったときの食事は一夏が作るか、寮内の食堂を利用するかの二択だった。
なので一夏は、箒が料理をしている場面に出くわしていないのだ。
「ふむ……、見た目は割とまともだな」
「しゅ……修夜まで……!」
「あ、悪い……。ついクセでな」
料理人として、他人の料理が気になってしまう。これもまた、修夜の習性である。
「でもちょっと、色薄くない? ホントに味付けしたの?」
「なっ……!?」
横からつっけんどんに言い放つ鈴に、箒がムッとした顔をする。
実はこの二人、まだ完全に打ち解けていないのだ。
打ち解けていないというより、一夏のハートを狙う者同士として、簡単には相容れないのだ。
これでも随分とマシになった方で、特に鈴の態度は軟化した方である。
「まぁまぁ、せっかく作ってくれたんだし、みんなで食べようぜ。なっ…?」
気まずい雰囲気をかき消すように、一夏が割って入り、話を進めていく。
「そうだな、“色は”ともかく味を見てみないと、判断はできないな」
「……ちょっと」
「なんだ?」
「何でわざわざ『色は』、なんて強調するのよ……」
「さっきの玉子焼きの表面は、チョコレートコーティングか何か?」
「ぐっ……」
実は先ほどまで、鈴の弁当には“焦げて茶色くなった玉子焼き”があった。
見た目にと正体のギャップゆえに、誰も手を出したがらなかったのだ。
しかし紅耀がまず箸を伸ばして口に運び、「硬いけどちゃんと美味しい」と言って食べると、続いて一夏が箸を伸ばして「うん、たしかに。硬いけどイケる」と胃の中に収めたのだった。
紅耀に救われた鈴だったが、そうでなければ売れ残りは必死だっただろうことを指摘され、またしても怒りを収める結果にされてしまう。
「う~ん、箸じゃつかみにくいかな……?」
「あっ、それなら……」
悩んでいる一夏を見て、箒は一緒に包んでいた使い捨てのスプーンを取り出す。
「サンキューな、……じゃ、いただきま~す!」
スプーンを受け取って礼を述べると、一夏は炒飯を大きく掬い取り、そのまま口へと運んだ。
一同が注目する中、一夏は良く噛んでその味を確かめる。
……が、二十回、三十回と咀嚼し続け、ついに五十回は噛んだだろうというところで、ようやく一夏は炒飯を胃に落とした。
その表情は、何とも難しそうなものである。
「ど、どうだ……?」
不安そうに尋ねる箒に、一夏はますます悩みはじめてしまう。
仕方ないとばかりに、今度は修夜が自前のスプーンで炒飯を救って頬張った。
そして、……やはり何十回と咀嚼を繰り返してから飲み込み、何とも難しい顔をした。
「…………箒」
「ど……、どうだった……!?」
何か意を決したように、修夜が口を開く。
「……まず訊くぞ、材料は?」
「え……、えぇっと……、白ご飯と玉子と……、あと“白菜”と“鱈のほぐし身”だけど……」
セシリア以外の一同が、一斉に箒に向かって注目した。
「え……、なんだ?」
「……じゃあ、味付けはどうしたんだ?」
「あ、味……!? そ……それは、“醤油と昆布出汁と塩”を……“少し”……」
その一言で、焦る箒に追い打ちをかけるように、またも疑いの眼差しが箒に襲いかかる。
「な……、なんだっ、どこがおかしかったんだっ……!?」
想定外の反応に、箒はますます不安になってうろたえる。
それを見た修夜は、溜め息を一つついたあと、「あのな」と前置きをして話し始めた。
「まず結論から言う、【ものすごく味が薄い】んだ」
「……ぇ」
「よく噛んでいくと、ちゃんと素材の味はするし、それなりにまとまってもいる。……ただ、本当に、しっかり噛みしめないと分からないんだよ……」
「そ……、そんな……」
辛口評価にがっくりと肩を落とし、箒はテーブルに突っ伏した。
「ついでに言えば、素材選びをちょっとミスっているな。白菜も鱈も、味は上品だがそもそも薄味だ。その上、調味料も塩・醤油・昆布出汁じゃ塩気しかないし……」
「それはっ……、その……あんまりしょっぱいと……、体に悪い気がして……量を……」
「……なるほど、だから少なめなのか」
「うん……」
箒なりに気を使ったつもりようだが、結果的にそれがすべて裏目に出てしまったらしい。
「……うん、薄いけどちゃんと美味しいです」
ふと見ると、いつの間にか紅耀が半分以上の炒飯を平らげていた。
「お、おいくー……、お腹は大丈夫なのか……?」
修夜の心配をよそに、紅耀は黙々と薄味炒飯を口に運んでいき、
「……ごちそうさまでした」
あっという間に完食してしまった。
その行動力に唖然とする一同を余所に、紅耀は箒の方に向き直って彼女を見つめる。
「……炒飯、美味しかったです。次はもっと美味しいの、お願いするです」
「紅耀……」
小さな少女の大きな心意気に、箒は強く胸を打たれるのだった。
「……修夜、一夏」
箒はおもむろに立ち上がり、二人に向き直った。
「頼む、私に料理を教えてくれ!」
何のためらいもなく、修夜に向かって頭を下げる。
「お、おい、箒……」
突然の行動に驚く一夏だが、すぐさま修夜がそれを手をかざして牽制する。
「何となくできるなんて言い聞かせてみたが、やっぱり私だけじゃ無理だ。……ホントは、味が薄いのも分かっていたんだ。でも、大丈夫だって、自分をごまかして……。本当にごめんなさい……!」
真っ直ぐに謝ってくる箒を見て、一呼吸置いて修夜は箒を見据えた。
「……言っておくが、幼馴染だからって容赦はしないぞ。やるなら全力でついて来い、それでいいなら俺も出来る限り付き合う」
「修夜……」
「どうする……?」
「……やる、やらせてくれ!」
真っ直ぐ見据えてくる修夜の目を、箒も負けじと見つめ返す。
それはしばしの沈黙となり、テーブルを張り詰めた雰囲気で支配していく。
「……よし、わかった。それじゃ日程を決めて、特訓の予定を組んでいこう」
料理名人からの了承の一言に、卓上の緊張は一気に緩和していった。
「もう一度言うけど、ホントに容赦しないからな?」
「わ……わかった、全力でついていく……!」
こうして箒は、修夜の料理塾の門下となることが決定した。
「あの、ちょっとよろしいでしょうか?」
その直後、今度はセシリアが話題を切り出してきた。
同時に小脇においていた紙袋から、何やら箱を取り出す。
「実はチェルシーさんに習って、スコーンを作ってみたんです。よろしければ、お一ついかがでしょうか?」
そう言ってフタを空けると、中からは可愛らしい焼き菓子が登場した。
丁度、人数分の数が揃っている。
「へぇ~、美味しそうじゃん!」
「スコーンか、なかなか良い感じだな……」
名人二人からの反応はまずまずである。
「セシリア、これってもしかして……?」
「はい、例の賭けの……」
修夜と鈴の試合にて、セシリアが思い付きでおこなった賭けがあったのだが、敢えて鈴に賭けていたセシリアは、負けた対価として“美味しいものをご馳走する”と約束していたのだ。
「わぁ、どれも美味しそうだね~」
「本音さん、いかがです?」
「いいの? やった~、一番乗り~! いただきま~す」
セシリアに勧められ、意気揚々と最初の一個にかぶりついた本音。
……だったが――
「…………」
一口かじったまま、動かなくなってしまった。
そして――
――どさり
そのまま気絶した。
「ほ……本音っ!?」
慌てて傍にいた鈴が駆け寄って体を揺するも、本音は顔を青くしたままピクリとも動かない。
あまりの出来事に、全員に衝撃が走った。
「セシリア、お前いったい何を入れたんだ……!?」
「わ……わたくしは、な……何も……変なものは……!」
混乱するテーブル。
そこに追い打ちをかけるように、
――どさっ
今度は紅耀が気を失った。
「くーぅっ!?」
義妹の非常事態に、さすがの修夜も慌てふためく。
急いで抱き起して体を揺すってみるも、やはり青い顔でぐったりとしている。
「セシリア、どういう方法で作ったんだよ、このスコーン!?」
「わっ、わたくしは、チェルシーさんのおっしゃった通りに……!」
戦慄しながら問いただす一夏に、セシリアはただオロオロと弁明するばかり。
「うっ……!」
すると今度は修夜が苦しげに呻く。
見ると、紅耀のかじったスコーンの反対側が欠けている。
「修夜、まさかお前……!」
「だ……大丈夫……だ……!」
心配で身を乗り出した箒を無言で制止し、手元にあったお茶を飲んで口の中のものを流し込む。
「…………わかった。どうりで不味いはずだ」
「分かったのか!?」
「ベーキングパウダーの入れ過ぎだ、そりゃ滅茶苦茶苦いワケだわ……。それから“異常に塩辛い”……!」
「……塩辛い?」
修夜の言葉に、一夏のみならず全員が首をかしげた。
「セシリア、確かにチェルシーさんの言った通りにやったんだよな?」
「も、もちろんですわ……!」
「材料はちゃんと確認したよな?」
「は、はい……!」
「それじゃあセシリアが調理中に、チェルシーさんは付いていたか?」
この修夜の質問に、セシリアの顔が渋くなった。
「い……いいえ、そのときは……丁度、夕飯のためにお買い物に出てしまわれまして……」
セシリアが言うには、材料の準備までは一緒だったのだが、調理に入る段階で冷蔵庫の中身がかなり減っていたことを思い出して、買出しに出たらしいのだ。
このときチェルシーは帰ってから再開することを提案したのだが、セシリアは「大丈夫ですから」と言ってチェルシーを送り出し、自分はチェルシーの残してくれたレシピに従ってスコーンを作ったというのだ。
「……計量はどうしたんだ?」
「計量……ですか……? チェルシーさんはいつも、スプーンで目分量でしたから……」
「それは多分、計量スプーンでちゃんと量ってるよ……。あと料理も慣れてくると、ある程度の目分量でも味の調整はきくようになるし……。それと砂糖と塩とベーキングパウダーは、ちゃんと確認したか……?」
「……えっと、その……途中で……」
「分からなくなったんだな……?」
「も、申し訳……ありません……」
「ついでに、味見はしたのか?」
「い……いえ、先にいただくのは、お行儀が悪いかと思いまして……。作ったのも、今日持ってきた分だけですし……」
つまりセシリアのスコーンは、セシリアが調味料などを当てずっぽうで入れたために生まれたものだった。さらに分量を人数分ちょうどで作ったために、試食する機会もなかったのだ。
「ほ、本当に申し訳ありませんでした、皆さん……!」
自分の失態の大きさに耐えられず、素直にセシリアは頭を下げた。
「……セシリア」
その直後に、修夜がセシリアを呼んだ。
呼ばれたセシリアは何のことかと、恐るおそる顔を上げて修夜の方を見る。
「覚悟はいいか……?」
「はい……?」
「お前の料理の腕前は、箒と一緒に“直す”……。有無は訊かん、ヘマをしないようになるまで、徹底的に鍛えてやるぜ……!」
料理を愛する男から、修羅悪鬼の如き闘志が立ち上っているように見えた。
あまりの迫力に、一同は戦慄を覚えざるを得なかった。
のちに修夜の特訓を経験した箒とセシリアは語った。
多分、一流店の料理人になる人は、こんな感じにしごかれているだろうな、――と。
後書き
前回の更新で一括と言ったが、すまん、アレは嘘だ!
まぁ、この更新は、鈴編の騒動が終わった後に裏で起こった出来事なので、本編に直接関係して無いのもあるんですがね。
ではでは
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