乱世の確率事象改変
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明けに咲く牡丹の花
前書き
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「あー。めんどくさい。こんなめんどくさい追撃初めてなんだけど」
思わず愚痴が零れだしてしまう。
林道という少し狭い区画に於いて数十にも満たない兵が待ち受けていたと思うと、一斉に矢が放たれ、左右の木々の隙間からも少ないが同じようにばらばらと。
次いで行われるのは死兵の如き兵による特攻突撃。死ぬことも恐れず、ただ前に前にと槍を突出し、片手が切られようとも、足が千切れようとも、腹を貫かれようともしつこく攻撃を加えてくる。息絶える寸前にはあたし達の兵に覆いかぶさり、別の敵兵が覆いかぶさった兵の身体ごと貫いたりもしていた。
彼らには逃走という思考が初めから存在していない。少しでも生きたいという想いが伝わってこない。向けられるのは圧倒的な殺意、そして死の間際の達成感溢れる笑顔のみ。それが何度も続いていた。
そのあまりの異様さに、先行していた斗詩は一部隊のみでは危険と判断してあたしの合流を待っていた。合流と同時に二人でどうにか突破し続けているがそれでもめんどくさい事に変わりない。
「ちょこちゃん……おかしいよ。こんな兵、死兵ですらないよ」
蒼褪めて震えながら口にするが……こんな兵、酷い言い草だろう。それぞれの想いが確かにあったのに。
あたしだけは気付いている。こいつらは皆、あたしと同じ同類に成り下がった。誇りも名も捨てて、全てを賭けて、どんな手段を使っても大切なモノだけを守りたい異端に堕ちた。同じ釜の飯を食った存在をも躊躇いなく切り捨てる様は死兵と呼ぶよりも狂兵ではないのだろうか。
そんな中、自分達の仲間ごと袁紹軍の兵を貫いていた一人の兵士は、あたしの鎌による斬撃でこと切れる間際に叫んでいた。
――御大将、俺の想いはあなたと共に。
あたしは知っている。その呼び名で呼ばれる存在が幽州の主では無い事を。ここにいるはずもない。あの人は今、もう一つの袁家の戦場にいるはずなのだから。
少なからず、ある程度の兵士には彼の影響も含まれているという事だろう。それでなければ、ただの死兵だけであるのならばここまで狂気に堕ちるはずもない。
苛立ち、確かにある。めんどくさい事は嫌いだ。でもダメだ。笑いが抑えきれない。あの人はどこまで行ってもあたしと同じで、しかも同じようなモノを増やしてるなんて可笑しくてたまらない。
「あはっ、秋兄は邪魔ばっかりするねー。まあ、仕方ないか。あたし達も邪魔してるしおあいこだよね」
笑ったあたしを見て斗詩が訝しげに見つめて来るが、なんでもないよと流しておいた。
「それよりさ。ちゃちゃっと抜けなきゃ逃げられるし、ちょっと無茶してみよっか」
「何をするの?」
「猪々子が大好きな事、だよ」
にやりと笑うと斗詩はさらにさーっと顔を蒼く染め上げて恐怖に落ちた。誰だってこんな兵達相手にイノシシはしたくないのは確かな事だけど、それでもしなければ後々もっと厄介な事になる。
劉備軍の強化は袁術軍の被害に繋がる。兵を減らされれば減らされる程に飼い猫の首輪は緩まっていく。事前の予定では二回ないし三回目で孫策軍を引っ張り出す計算だからそれまでに被害をより大きくされると危うい賭けになるだろう。
末っ子の身柄を人質としていられる内はいいが、被害が増える事で目付け役の紀霊まで駆り出される事になると拙い。孫呉のじゃじゃ馬姫様は単体でも手を焼くし、紀霊ぐらいしか褐色猫狂いやふんどし鈴女に気付ける者がいないのも問題だ。それも含めて夕が先に指示しているかもしれないが現場からの距離が離れすぎていて少し不安が残る。
「ね、ねぇ、ちょこちゃん。さすがにそれは無しにしようよ」
先の思考に潜りすぎていたあたしに斗詩が懇願してきた。
――まあ、今は先の事はいっか。とりあえず公孫賛達を捕えないとあたしや夕の立場も悪くなるし。
「ダメダメ。逃げられたらあたし達が詰られるんだから。後ろから猪々子も来るだろうし問題ないよね。ほら、行くよ! 張コウ隊! 盾を前に全速力で駆け抜けろっ! 公孫賛を逃がすな!」
「もう行くの!? 待ってよ! 顔良隊! 張コウ隊に続けぇ!」
この策の狙いはある程度見抜いていた。
最初に矢を放つのは将を狙ってだ。突撃への牽制では無く、指揮官を封じる事で軍の脚を乱し、先導するモノを無くす事で脚を止めさせる。
見事な戦術だと思う。公孫賛の白馬義従の騎射の腕は高いし、それが馬の上で無いのなら尚更。横合いを抜ける時も何度か危ない所があった。
異常な敵兵からのこの策によってあたし達の兵の心理はかき乱されている為に、このまま続けるだけでは無駄な被害と時間を浪費して悠々と逃げられるだけ。こいつらは白馬義従の兵だろうから馬を歩兵に渡して逃走の速度も上げてきたはず。
敵は逃げ切る時間が欲しい。あたし達は公孫賛を捕まえたい。ならどうすればいいか。
被害を気にせず突っ込めばいい。まず公孫賛の本隊の足を止めなければ話にならないのだから。
敵が一番警戒しているのは趙雲と拮抗していたあたしで間違いない。なら、あたしが先行して囮になれば斗詩は矢の被害を抑えて殲滅に集中出来るだろう。
それに……公孫賛の軍は少しばかり舐めすぎだ。
「あたしの部下を舐めすぎってね。夕を助ける為が一番なのにあたしが普通の事しかしてないわけないじゃん」
次々と矢が放たれる中、盾をそのままに最前列を駆ける張コウ隊は突きだされる槍も気にせずに敵に突撃していく。
二列目、味方の背を踏み越えて打ち倒す様は味方を気にしない敵兵達と同じモノ。
強靭な精神力に支えられた張コウ隊の精兵は死の気配に臆することなく向かっていく。受け止めても問題は無く、突き破られても問題は無い。
彼らは誇りなど持ってはいない。自身が掲げる将であるあたしがそれを持っていない為に。示すのは結果のみ。それが張コウ隊を縛る鉄の掟。
彼らは従順なあたしの下僕であり、夕とあたしに心酔してるバカであり、夕が一番助けたいあの人が以前個人的に持っていた部隊の兵達。一人残らずクズの手も入り込んでない本当の忠義を持った兵。同じような兵がぶつかり合うのなら、馬上では無く白兵戦に身を置いてきた自分達の方が上なのは当然の事だろう。
次々と細かい指示を出し、敵兵達の無謀な突撃をいなし、突き破っていく。
「抜けた奴らはそのまま走っていきな! すぐに追いつくから、さ!」
そのまま兵達の突撃を先行させ、周りの敵兵を斗詩が追いついてくる時に狙われにくいように大鎌の斬撃で切り裂き、矢が放たれるも大振りによる風圧と鎖を回して叩き落とす。
「斗詩、次のとこ行ってるから殲滅したらすぐに来てね」
「ええ!?」
斗詩が追いついてきたと同時にある程度で切り上げ、また先の場所へと赴きながら一つの事に気付いた。
――なるほど、敵に軍師がいたら危ない策だったけど、これなら問題ないや。
軍師がいれば、兵数も兵種も行動も、場所によってばらつかされてこんな単純な突撃では対応しきれなかっただろう。
繰り返し、繰り返し同じ事を続けられるその行動は、きっちりと型に嵌っていて案外簡単なモノだった。変則の型に嵌めればもっと有能な策と為せるだろう。だけど常時死兵の輩はあたしの隊くらいだから事前から袁紹軍が自分達で練るのは無理か。
何度も同じような敵の攻撃を突破し、少しだけ敵との距離が開いたので違和感を覚え、同時に林道を走っているそこかしこから視線を感じた。多分、これはあたしでしか気付けない。道には戦った形跡も見当たらないので確信に至る。
先行させた兵も無視して行うとすれば――――
「集中射撃!」
その言葉が耳に届くよりも速く、追随する二人の兵を無理やり両腕で捕まえて引き付け、壁として直射矢の群れを凌ぐ。
兵の身体は矢が当たる度に脈打ち、肉に突き刺さる気持ち悪い音と苦しそうなくぐもった声が延々と続くかに思えてくる。
「後続! 林の中に突っ込みな!」
遅れて追随していた小隊は足が止まっているだろうからと声を上げると、次々に雄叫びを上げたので突撃して行った事が分かった。
疾く、兵の隙間を縫って後退する。足元や鼻先に次々と矢が打ちこまれる様子から自分の予想は正しかったと理解した。
確実にあたしだけを狙っている。
兵が散開していき、敵の殲滅に繰り出す中、矢もまばらになってきたので弾き返しながら声を上げる。
「出てきな。どうせあんたも主の為に死ぬ輩でしょ? 単純な行動ばかりで慣れた所に急な不意打ちをしてあたしを殺そうとした、ってのは褒めてあげる」
大きく声を上げると一人の茶髪の少女が木々の隙間、あたしの真横に飛び出し、斬りかかって来た。
振り上げた鎌と斧がぶつかり合って高い金属音が鳴り、戦斧を受け止めた片手が痺れる。鍔迫り合いになり、吹き飛ばす事も出来るが一応膠着しておいた。
「味方を盾にして、さらにこれだけやっても死なないとか……どれだけ外道なバケモンなんですか!」
「ふふ、今も後ろから兵士が狙ってるよね。あんたも結構卑怯なんだね関靖」
ビクリと分かりやすく反応した関靖を一振りで弾き飛ばし、振り切った反動で鎖分銅を後方に放つと鈍い音と同時に短いうめき声が聞こえた。
「……袁家に一番言われたくない言葉ですよ」
憎悪の感情をまざまざと瞳に浮かべてあたしを見る関靖は今にも飛びかかって来そうな程。
「会話するのが時間稼ぎなのも分かってるよー。お綺麗な一騎打ちするつもりは無いみたいだし手早くいこっか」
にやりと笑って告げると関靖は憎らしげに歯軋りをして、覚悟を決めたのか腰を落として攻撃態勢を取った。
研ぎ澄まされた感覚の中、横合いから矢が飛んできたので首を後ろに下げて躱す。
同時に動いた関靖は左斜め下から薙ぎ払いに来た。同じ武器相手の以前の戦、華雄の一撃に比べればどうという事は無い速さ。
性格が表されているような素直な一撃だなと考えながら軽く身を捻って避けると、大振りした彼女は不思議な事に横に飛びのく。
その一所、その時機だけを狙っていたようで、彼女の飛びのいた後方の茂みから兵が矢を放ってきた。
鬱陶しくて一振りで弾き、そのまま鎖だけ持って大鎌を関靖の方へと投げつける。
関靖の表情は驚愕。彼女はきっとこんな簡単に対応されるとは思っていなかったのだろう。
趙雲なら、そのままギリギリまで引き付けてからズレて同時攻撃で殺しにきてたよ。とはさすがに言わない。
戦斧を盾にして受けきった関靖は勢いのまま吹き飛ばされた。
「はは、無様だねー。あたしを止めて時間を稼ぎたいなら趙雲にすればよかったのに」
鎌を引き戻し、軽く手に持ち見下すと、関靖は力強い瞳で尚も敵意を向けて来る。
分かっている。趙雲はこの後の追撃を跳ね返す為に必要だから残れなかったんだろう。
「一つ聞かせて下さい。なんでお前達は殺そうと思えば殺せる私を捕えようとしているんですか?」
睨みながら告げられたのは疑問だった。関靖はあたし達、特に猪々子と斗詩が手を抜いていた事に気が付いていたのか。
「時間無いけど……どうせしばらく行った所に大きな関所もあるしちょっとくらいいっか。公孫賛に従って貰う為にはあんたの存在が必須だからだよ。どう? 大人しく捕虜になってくれるなら傷つかずに済むけど。公孫賛も趙雲も殺したりしないから従って欲しいな」
「バカですね。私がここにいるという時点で捕虜になってもたかが知れてるのが分からないんですか?」
はっ、と笑いながら言われて結構気が合うかもと思った自分は変なのだろうか。どこかいじめたくなってくる。
どの点を突いたらこいつの心を揺さぶる事が、否、へし折る事が出来るのか。
急な嗜虐心が顔を出してゾクゾクと背筋に気持ちいい感覚が走る。自分の悪い癖が出てきてしまう。
苦痛に歪む表情が見たい。泣き出す顔が見たい。絶望に打ちひしがれる様が見たい。
その全てを抑え付けるのは必死だが、夕の望む未来の為ならばある程度を諦めるしかないようだ。
「にしし、なら力付くで捕虜になって貰うね。さあ、続きを始め――――」
「残念ですね。捕まえる事こそがお前の目的と分かったので逃げるが勝ちです。お前は頭がいいので私を逃がしたらこの地がどうなるか予想出来るんじゃないですか? それに……兵如きでは私の相手になりませんよーだ」
どうにか聞き取れる早口の後、べーっと舌を出して木々の隙間に飛び込む関靖の姿に呆気にとられ、数瞬の後に漸く気付いた。
――嵌められた。このあたしが。
イラつきが込み上げて来て自然と口が引き裂かれる。
「やるじゃん、関靖。……顔良と文醜が着いたら伝えな。そのうち追いつくから自分が死なないように殲滅しつつ先に林道を抜けて公孫賛と趙雲の隊を追いかけ、見つけたら時間稼ぎと兵力消耗の襲撃程度に留めて着かず離れずを維持ってね。
大型の武器の二人じゃ木々の隙間の関靖は捕まえられないしあたしが直接行く。今回こっちの武器を使うから鎌は……お前が持ってて。五十人は関靖の捕縛の為に林へ突入、他の奴らは先行した部隊に倣って街道の敵兵を突撃殲滅、その後に林外で待機。行動開始っ!」
幾つもの御意、と上げられる返事を聞きながら大鎌を一人の兵に渡し、腰に据えてあった長い鉤爪を装着しつつ林の中に駆け込む。
散開させた兵達は見つければ合図を送ってくれるだろう。というより、関靖に殺される兵の悲鳴が合図になるから問題ない。
斗詩と猪々子は大丈夫。さすがに趙雲相手に直接挑みはしないはずだ。公孫賛の白馬義従は厄介だが遅れてくる猪々子が連れてる強弩部隊と行けば二人でも楽に抑え切れる。
問題は敵本隊に追いつくまでの時間だが、どれだけの兵がこの奇策に費やされているか分からないのでなんとも言えないか。
しかし……関靖すら捕えなければいけないのが痛い。殺す事が出来るのなら楽なのにそれも出来ないのがこの戦で一番の難所だった。
ここから関靖を亡き者にすると激情に駆られた公孫賛と趙雲は五分程度の割合で釣れるかもしれないが、先程の兵達のように特攻してきたならば服従させる事も出来ずに自ら命を絶つだろう。屈辱の中、片腕を消失するという絶望を味わってしまってはもうどれだけ説得しようと服従などしてくれる相手では無くなってしまう。
公孫賛が死んでしまえばどうなるのか。
決まっている。行軍の最中に起きた反発具合から予想できるように、幽州内部で黄巾の乱のようなモノが起こり得る。民が為政者とここまで密に繋がっている土地など異常に過ぎるのだ。決起した民に釣られて参加するのは今も烏丸と戦っている幽州を守り抜いて来た精兵。公孫賛達が居なくても今回の侵略に対して守れている事から戦の相手としてもめんどくさい事この上ない。
夕は民が反乱する可能性も見越して公孫賛達三人の捕縛を命じていた。対して、郭図には異常な民の心までは分かりえなかった。
普通の国であれば郭図の方法は、厭らしいが利が多い。侵略の後の統治は容易では無いが、その方法ならば後に治めやすく、逃げられたとしても敵意の刃となってさらに苦しめる事が出来ただろう。
しかしあいつは抜けているのだ。
『お前達が攻めて来なければ自分達は幸せに暮らせていたのに』
そんな当たり前の憎悪の感情を向けられる事を甘く見過ぎている。
確かに民草の心は移ろい易い……だが全ての民の心がそうなわけではないのだ。
もし、関靖を逃してしまえば、例え公孫賛を捕まえようとも、殺そうとも、逃げられようとも民の決起に於ける優秀な火付け役となり、より大きな反乱に繋がってしまう。単独で公孫賛と合流するのはここに決死の覚悟を持って待機していた時点であり得ない。主の為にと動く関靖は必ず袁紹軍の邪魔をする為に、民の犠牲も気にせずに扇動し、行動を起こすだろう。
そんな事になってしまえば計画の全てが破綻するのは予想に難くない。こんな辺境の土地一つ迅速に治められない者が大陸制覇など笑わせる、と全ての諸侯に鼻で笑われることになる。
その時に動くのは誰か。まず違いなくあの女、曹孟徳は機を逃すはずが無い。それに倣ってせっかく懐柔した別の土地の豪族も掌を翻して行く。
後には反乱の制圧に時間が掛かれば掛かる程に自らの首を絞めて行ってしまう。
「クズめ。だからお前は夕に届かないんだ」
舌打ちと共に毒づき、迷わないよう木々にキズをつけながら走り続ける。
視界を遮る木々の隙間を縫って目当ての得物を探し続ける事一刻。自分の隊の兵士の野太い絶叫が遠くに聞こえ、笑みを深めてその場へと向かった。
†
猪々子と合流した斗詩は明の残した言伝を聞き、二人で部隊と共に異常な兵を殲滅しつつ林道を抜ける事にどうにか成功した。被害も気にせずに抜けた事と、怯えて逃げ出した兵が居たので連れていた数の約二割程度を減らしてしまっていたが。
しかしそこかしこに旗が立ち、未だちらほらと敵兵がその先にまで待機している事が分かり陰鬱とした気分が斗詩の胸に広がる。
公孫賛軍の死にかけの味方でさえ躊躇なく殺す様子は悪鬼、狂人と呼ぶに相応しかった。
明の隊もそれに近いが、さすがに味方を殺す事まではしない。先程までの光景が頭に過ぎり、尚も気分が悪くなる斗詩であったが――
「まだまだあたい達に命を賭けて向かってくる兵がいるんだな!」
目を爛々と輝かせ、楽しそうに声を上げる猪々子に愕然とした。親友の発言は斗詩の心に不安を齎してしまう。
「文ちゃん……さっきまでのあれを見てなんとも思わないの?」
「ん? だってすげぇじゃんか! 守りたい奴の為に必死で……味方に殺されてまで時間を稼ぐなんてさぁ! それなら敵のかっちょいい心持ちに対して全力であたい達のしたい事を押し付けるのが戦だろ?」
にやにやと笑みを浮かべながらの言葉に斗詩は思わず苦笑が漏れる。
戦バカ。それが猪々子に対する周りの評価となる。だが、斗詩は分かっている。猪々子なりにその兵の想いを受け止めようとしているのだと。
戦は己がエゴの押し付け合い。敵の話も、思想も、生き様も、誇りも、全てを地の底に叩き落とし、力を以って自分が正しいと主張する。
その冷たい理論の中に、人の想いという別種の熱いモノがあるのなら、せめて自分達の方が上だと示してそれを守ろう。猪々子の言い分はそんな所。
「うん。そうだね。敵兵さん達も必死……でも、私達にも守りたいモノがあるから戦わなきゃだね!」
そんな気持ちを予想してか斗詩は自分を鼓舞するように、言い聞かせるように声を出して気合を入れる。
優しい彼女は戦には向いていない。だが、彼女も守りたいモノが確かにあるのだ。
「斗詩も気合入れてくれたかぁ! くぅ~! 腕が鳴るぜぇ! とりあえず本隊見つけないと話にならないし、どうせあたい達に向かってくるなら……野郎ども、正面から全力突撃だぁー!」
「せっかく広い場所に出たのに!? もう! 無茶ばっかりするんだから! 顔良隊、文醜隊の補佐の為に左右に分かれて突撃! 三方向から敵を制圧します! 強弩部隊は追随して広がる敵の殲滅、掛かれっ!」
単純明快とばかりに敵に突撃を仕掛ける猪々子に対し、斗詩はしっかりと補助に回る。そんな彼女達だからこそ着いてくる兵もいる。
その場に残された張コウ隊は苦笑しながら二人の部隊を見送っていた。
後ろの林の中、立ち上がる影がある事には気付かずに。
†
凄絶な打ち合い、とまではいかないまでもある程度は自分の動きに付いて来ていた。
死の淵に瀕すると武力が上がる事はよくある。感覚が研ぎ澄まされ、普段よりも力が上がり、反射速度も劇的に変わる。
呂布と戦った時はあたしも同じような感じだった。生き抜く事が最優先となり、全ての思考がそれのみに集約されていく。
だが、如何せん彼女と自分では実力が違い過ぎた。騎馬に乗った状態であるのなら、もう少しはマシな戦いとなっただろう。
防戦一方による時間稼ぎでは無く、関靖は純粋に攻める事すら出来ないだけ。
鎖大鎌を想定して木々の立ち並ぶ林の中に逃げ込んだのだろうが、残念ながらこちらには隠し玉としてこの武器があった。一騎打ち専用のこの長い鉤爪は近距離専門なので滅多に使わないが予備武器としては十分。
関靖の身体にはそこかしこにキズがあり、その疲労は尋常じゃない汗の量と激しく上下する肩から見て取れる程。
こちらがそんな相手に攻めきれないのは殺してはいけないという制限があるからというだけ。
隙を見つけて武器を奪い取ろうとしても全てがギリギリで躱されてしまっていた。体勢を崩そうとしても体力の消費も考えずに無茶な身の振りで全てが避けられてしまっていた。
このまま長く続ける訳にはいかない。もう既に追いかけっこを終えて兵には他に敵がいないかを探すように言いつけ、一騎打ちを始めてから二刻強は経った頃合いだろう。どれだけの敵兵がいるかは知らないが、斗詩と猪々子ならば関の前あたりには余裕で追いつけるとしても、あたしが追いつけなければ捕獲しきれない。
「ねぇ、そろそろ降参して欲しいんだけど」
「殺せばいいじゃ、ないですか。出来るなら、ですけどね」
息も絶え絶えに軽く見下した笑みを浮かべてあたしに向けられた言葉は挑発。しかし、そんなモノは自分の十八番である為に別段気にするはずもない。
「分断された今、例え後半刻であろうと、長くお前を留める事が出来れば、私の勝ちです」
どうせ捨てる命なのだ、と言わんばかりの態度はずっと同じだったがどこか少しだけ違和感を覚えた。
「公孫賛が逃げられると本気で思ってるの? 顔良、文醜に加えてあたしの隊もいるんだから疲労困憊な公孫賛の軍じゃ無理でしょ」
何故、こいつはこんなにもそれを信じているのだろうか。状況は絶望的であり、いくら奇策で兵を減らしたとしてもこいつらが逃げたいであろう徐州までには届き得る。
にやりと笑った関靖は一つため息をついて口を開く。
「分断された、と言ったでしょう? お前の隊の練度の凄さは知っています。だからわざと……顔良と文醜の二人が抜けるまでは投入兵数を少なくしたんですよ。端っから私の狙いはお前とその隊だけですし、今頃伏撃で被害が増えてる頃合いですから間に合いません。ふふ、秋斗の策を私が改良してやったんです。どんな策か誰にも読めないに決まってます」
関靖の説明、後の蕩けた笑顔を見てぞわりと肌が泡立つ。このイカレた策はやはりあの人のモノだった。それがこいつの手によってあたしを殺す為だけに向けられている。その事実は自分に武者震いにも似た歓喜の震えを与えた。
追いつく為にはさらに時間が掛かるのも分かった。ただ……あたしの動揺を誘おうとしたんだろうけどその程度に問題は無く、それよりも関靖がやっと心の隙を見せてくれた事の方が嬉しい。
自然と口の端が歪んで行き、関靖の死の淵の集中力を容易に崩す為の、最善であろう方法を笑いながら告げる。
「ねぇそれってさぁ、秋兄が……秋斗があたしを殺そうとしてるのと同じ意味だよねー」
彼の名を口にすると、彼女の表情があらんばかりの怒りへと変わった。当たり前の事だ。自分が慕うモノの真名を、憎むべき敵であるあたしが気軽に呼んだのだから。
「張コウっ! 誰の許可を得て軽々しく真名を――――」
「残念でしたー。秋兄とあたしは仲良しだし真名を交換してるもん。だから問題ないよー」
言い切って舌を出すと関靖の瞳が揺れる。困惑、動揺、悲哀、疑念、切望……感情の渦は思考に波紋を齎し、綯い交ぜになった心は迷いを生み、命のやり取りという極限状態に於いて一番の敵となる。
「嘘……嘘です……嘘に決まってます! お前みたいな外道と……真名を交換するはずが――――」
「真名の事で嘘をつくのはご法度。それくらい分かってるでしょ? どうして交換したかは後で全部教えてあげる、よっ!」
そんなはずは無い、と現実を受け止めきれていない関靖に向けて大きめの木片を蹴り上げると、迷いの思考に引きずられるまま関靖は己が武器で弾き飛ばし、予備動作も行えず振り切られたその片腕に、漸く大きな切り傷を走らせる事が出来た。
ギリと歯を噛みしめて絶叫を出さなかった関靖は、だらんと垂らした片腕をひきずるように飛びのく――――途中に膝から上にもあたしのもう片一方の腕の振り抜きによって二筋の切り傷が入る。
乱れた集中力は大きな傷の痛みを脳髄に伝えるようになり、彼女は飛びのいた先、着地点で表情を歪めながら身体の均衡を崩してぐらついた。
その隙を逃すような自分では無く、全力で地を蹴って近づくこと大きく二歩、踏ん張りも効かず、片腕でどうにか放たれた戦斧での力無い一撃を己が武器で下から弾きあげて力を逸らし、そのままの勢いで関靖を引き倒して馬乗りになった。
「呆気ないもんだね。終わりだよ関靖」
目に涙を溜めてあたしを睨みつける関靖はまだあの人の真名をあたしが呼んだ事を認めていないようだ。
真名は余程信頼を置く間柄でなければ交換しない。ましてや異性、それを家族以外で呼ぶことの出来るのは婚姻関係を結んだ者達くらいか、生死を賭けて共に戦う武人か、絶対の友くらいでないと不可能。最近は主従関係でもある程度は呼ばれるようになったが、それは主が部下を信頼し、裏切らないと悟ってこそ呼べるモノだ。
それだからこそ異常なのはあたしと夕と秋兄であり、関靖の対応は通常のモノ。
「安心しなよ。秋兄は裏切り者じゃない。真名は前の連合の時に交換しただけ。あの人は目的の為なら最後はある程度手段を選ばない同類だしね。ほら、劉備の為なら平気で友達を切り捨てる所とか」
「それは私達を信じてくれたからこそです! あいつの想いを、バカにしてんですか!」
暴れようともがく関靖を抑え付けて、耳元で甘く囁く。
「バカはあんただ。洛陽の酒宴の時に注意喚起したって事はその時点で見捨てる事を決めてたってこと。大事な友達とは口ばっかりで、下らない偽善者の成長の為にあんた達を踏み台にしたんだよ。どうして助けにこなかった? あの人がいるだけでもっと多くの人が救えたはずなのに。あんたよりも曹操と上手く交渉しただろうし、この戦の最中での張純の裏切りなんか絶対に起こらなかったのに」
言い切って関靖の顔を見ると涙が零れだしていた。武人であろうと一人の人間。一番脆い部分を同時に突けばいくら覚悟を決めていようとぶれてしまう。
油断したわけでは無い。ただ、極限状態で思考誘導に乗ってしまっただけ。老練の武人ならば笑い飛ばしただろう。心高き昇龍ならば下らないと苦笑しただろう。しかし、この年若く、劣等感が強い少女では耐えられない。
今の内にめんどくさくないようにしておこう。
「じゃあそろそろ――――」
腕と脚の骨を折ってから気絶させようと思った瞬間、真後ろからの異様な音によって横に飛びのく。
見やると公孫軍の一人の兵があたしに向かって槍を突きだしていた。
無駄話が過ぎたか。しかし……どうしてこんなにも気配を殺せていたのか。それに先程の一撃には殺気が全くと言っていいほど無かった。
「助かりました。せめてあと少しでも時間を稼ぎましょう」
ぐいと涙を拭った関靖は武器を手に取って兵に指示を出し、足を引きづりながら一歩踏み出す。この場に感じる違和感がより大きなモノになるも、動き出そうとした関靖への対応の為に思考が中断される。
そして、今にも飛びかかろうとした関靖のその腹を……公孫賛軍の兵士の槍が後ろから貫いた。
「あ……」
目を見開き、状況を理解出来ていない関靖はたたらを踏んだ後に腹から突き出た白刃を眺めていた。
「……かはっ……」
血を大量に吐き出し、後ろを向くと、その兵士は振り向いて逃げ出そうとする所。
あたしはそこで気付いてしまった。その鎧は確かに公孫軍のモノ。だが、中着は白馬義従として統一されていた白では無く、さらにちらりと見える内部の軽装は袁家のモノ。
トン、と両膝を地に付く関靖の横を駆け、逃げるその兵士を捕まえる寸前、逃げられないと悟ったのかその兵は、小さな短刀で己が首を切り裂いて自害した。
誰がこのような事を思いつき、実行に移すのか思い至り、激情が胸を焦がして沸々と湧き上がる殺意があった。だが、それら全てを抑え込む。今は感情に任せる時では無いのだ。後々問い詰めようとも、あのクズならば上層部の権力を笠に知らぬ存ぜぬで押し通せてしまうだろう。
全てを諦め、関靖に近付くと虚ろな瞳で倒れ伏していた。息は短く速い。典型的な死に向かうモノの呼吸から分かるように、もう助からないし助けられない。
「苦しまないように止めを刺してあげる。最後に言い残す事は?」
謝る事など出来はしない。後悔も何もありはしない。ただ、死という残酷な事実が残るだけ。
込み上げてくるのは初めての感情だった。きっとこれが罪悪感というモノなのだろう。せめてこいつが何か残せるように、誰かに想いを伝えられるようにと、普段なら気にもしなかった事をしようと思ってしまった。
槍を引き抜き、仰向けに膝の上に乗せてあげた関靖の顔は……驚くことに満面の笑みを浮かべていた。その瞳は憎しみに染まらず、ただただ綺麗な透き通った色に光り輝いていた。
「ふ、ふふふ……私は、あのお方を逃がせたんですよ……死を選んだあのお方を救い出せたんです……ああ、でも、もう手伝えない。そういう事だったんですか……せっかく……ったのに」
理解出来たのは公孫賛を救い出せた事が嬉しいという感情だけ。
次第に小さくなっていく声、しかし尚も彼女は言葉を紡いでいた。
「……ごめんなさ……もう手伝えません……せっかく……のに……一人にしてしまいます。せめて……あなたの望む世界になりますように……」
最後の言葉は一粒の涙と共に紡がれた。紡がれずにいた声にならないモノも、唇の動きからその名が誰のモノかは分かった。
たった一つの祈りを聞き届けたのはあたしだけ。それを伝えられるのもあたししかいない。
泣き笑いの笑顔のままで関靖の身体全体から力が抜けて行く。
彼女の鼓動が弱まっていき、これ以上苦しまないようにと止めを刺す事も出来ずにただその光景を眺めていた。
動こうとしても、何かに縛り付けられるようにあたしの眼は関靖から逸らすことすら出来なかった。
最後の息が深く紡がれ、瞼が閉じられるその瞬間まで何も出来なかった。
張コウが遺体を運び出し、血に塗れた第二師団団長のその姿を見た林道の中にいる公孫軍の兵達が憎悪に染まり向かってくるも、張コウとその隊は向かい来る敵を殲滅した。
関靖が死んだ事を知った兵の内幾人かは逃げるように散らばっていったが、その瞳は怯えでは無く覚悟の光を宿していた為に、それがどのような状況に繋がるかを理解した張コウは本隊と顔良、文醜へと伝令を送る。これ以上の追撃は袁紹軍にとって多大な損害を被る、と。
両将軍の元への伝令は一歩間に合わず、怒りに身を任せた公孫賛と趙雲の逆撃によって甚大な被害を受けた。本隊は張コウの言葉を聞かず郭図によって追撃を続けるよう指示されたが、顔良隊と文醜隊の大破、さらにはそこかしこで決起した民の反乱によって追撃を諦める事となる。
一人の兵を捕えておいた張コウはその兵に関靖の髪留めを渡し、馬を渡して内密に公孫賛の元へと送り出す。
河北動乱の果てに莫大な兵と一人の少女は命を落とした。
しかし、白馬の王の片腕は、己が身を切ることによって確かに彼女を救いきった。
†
モニター越しに全てを見やる少女は落胆のため息をついていた。
「全てを救えるなんて出来るわけありませんか……まあ、この外史で死亡確率の一番高い公孫賛を救えた事象なので良しです。これでよりゼロ外史に近付けました」
彼女はすっと一つのデジタル数字が幾つも示されているメーターを取り出し、見つめること幾刻。
モニターの中で公孫軍が関所に到着すると幾つも同時に並んだ数字はゼロへと少しだけ近付いていく。
それを確かめてから、ふっと息を一つ漏らしてメーターを空間に溶け込ませた。
「さて、どれとの複合事象であるのか、それだけが問題です。何度も繰り返してやっと改変の方法が解き明かせたんですから正しい選択をしてくださいよ?」
にやりと笑った少女は戦場で血だるまになりながら駆け抜けるその男を見て笑みを深めた。
~牡丹の願いは~
天幕の中で膝を揃えて寝台の上に座る真っ赤な顔をした牡丹は立ちすくむ白蓮を見ていた。
もじもじと身を揺する様子は年頃の少女そのもので、白蓮は自分が男だったら堪らず襲い掛かっているだろうなどとくだらない考えが頭に浮かぶ。
「あの……白蓮様。その……えっとですね……なんというか……そんなに見つめられると恥ずかしいです」
尚も顔を紅く染め上げて彼女はぎゅっと目を瞑り、揃えた膝に両の手を乗せて震えはじめる。
「いや……すまない。私はこんな時どうすればいいんだ? というかどうしてこんな事になっているんだ!」
「白蓮様が寝台に座れって言ったんじゃないですか!」
「確かに言ったけどさ!」
口げんかのような言いあいを重ねていたが、白蓮は諦めたように寝台の牡丹の隣に腰を下ろす。
牡丹の心臓はこれでもかというくらいに跳ね上がり、熱っぽい視線で白蓮の事を見つめ始める。
その視線を受けた白蓮は顔を真っ赤に染め上げて、思考を巡らせるもこの後に何をすればいいのか全く分からなかった。
ふいに、牡丹は小さく噴き出した。明日が決死の戦場であるというのに白蓮の戸惑う姿があまりに面白くて、そしてあまりに可愛らしくて。
「ふふ、白蓮様の女の子の表情頂きました。ねぇ、白蓮様。そんなに緊張しなくてもいいです。私は星の言うような事を望んでいませんよ」
ポカンと口を開けた白蓮はその発言に呆気にとられた。何故ならば、彼女の想いの向いているのは自分であり、それが恋心というモノだと理解していたから。
一つ深呼吸をして、牡丹は白蓮の瞳を真っ直ぐに見つめて己が気持ちをぶつける事を決めた。
「私は白蓮様の事が……大好きです。だから無理やりな状況で、心を注がれないままにそうなる事を望んでいません。いつか白蓮様が私を本当に好きになった時に誘ってください。あ、私もしっかりと生き残らなければいけませんね」
優しい微笑みを携えて、最後に舌をペロリと悪戯っぽく出して語られた事に隠された意味を、白蓮も間違いはしなかった。
牡丹なりの引き止めなのだ。主の決断である特攻に逆らう事も出来ず、せめて生きて欲しいという願いであり、共に幸せな未来を歩きましょうという誘い。
そんな事を言われてしまっては彼女は何も言えない。自分が巻き込んでしまうという多大な罪悪感が胸を支配する中、彼女は己が決定を覆すことも出来ず、
「そう……だな。ならさ……今夜は一緒に寝よう。今は家族として、お前の事を想っているから」
そんな返答を行った。白蓮なりの妥協であるのだとしっかりと受け取った牡丹は喜んでと呟いて白蓮を抱きしめ、共に寝台に倒れ込み掛け布を被る。
真っ直ぐに好意をぶつけられた白蓮の顔は紅く、憧れの主と共に寝台で共に寝ているという事実に牡丹の顔も朱に染まる。
互いに無言。何を語らうでも無く、緊張感溢れる場となってしまった寝台の上で二人は互いに温もりを確かめ合う。
「……なぁ、牡丹。じゃあさ、秋斗の事はどう思ってるんだ?」
突然の白蓮の発言に牡丹は戸惑い、素直になれと言った星の言葉を思い出して、本心を主に語り始める。
「むかつく事ばかりしてきますが……あのバカ、秋斗の事は認めていますし気になって仕方ないです。きっとこれも好きの一つのカタチだと思います。白蓮様が一番であいつが二番。そんな感じです」
「そっか。星も慕ってるみたいだから大変だろうな」
純粋に一人を想っている星と二番目だと豪語する牡丹の気持ちのどちらが強いか、などとは考えられるはずも無く、どっちも幸せになって欲しいと白蓮は心の中で願った。
「ねぇ、白蓮様。そんな秋斗から聞いた事があるんですが、口づけは家族の挨拶、という国も大陸の外にはあるらしいんです。だから……眠る前に……」
目を潤ませて牡丹が懇願し、余計な事を、と白蓮は一人の友に毒づいた。
「……初めてだから……うまく出来ないけど……」
「……私も初めてです。お、お願いします」
目をぎゅっと瞑り、牡丹は白蓮に顔を向ける。跳ねる心臓をそのままに、こいつこんなに可愛かったか、と考えながら白蓮は顔を寄せて行く。
二人の唇は重なり、幾重かの静寂の後にどちらともなく顔を離し、あまりの恥ずかしさから顔を背けた。
「おやすみ、牡丹」
「おやすみなさい、白蓮様」
互いに言い合って、二人ともが静寂と温もりの中で時を過ごしていく。
白蓮から寝息が聞こえ始めた頃に牡丹は一人、ぽつりと呟いた。
「ありがとうございます白蓮様。何があっても、あなたの事だけは守り抜きます。どうか、先の世であなたに幸せがたくさんありますように」
天幕の闇に溶けた言葉は彼女だけの願い。
彼女は主の胸に顔を埋め、温もりの中で幸せな時間を噛みしめながら、暖かな眠りに包まれていった。
後書き
読んで頂きありがとうございます。
そしてごめんなさい。
この事象では全てのキャラが救われるわけではありません。たった一つのエンディングにたどり着く事象なのです。
少しだけ物語の設定が明らかになりました。
この外史では白蓮さんの結末は討ち死に、もしくは自害にありますが、主人公が関わることによって捻じ曲げられました。
星さん、牡丹ちゃん、兵士たち、主人公、どれか一つでも無ければ彼女の心は壊れてしまうか覚悟を固めてしまい、城ごと燃やしての自害や特攻討ち死にという確率が一番高いです。
心苦しい物語で申し訳ありません。ですが必死に生きている彼女達を見てくだされば幸いです。
蛇足ですが
以前『確率接点t』という台本形式のネタを上げていたのですが、それは全て本編から退場してしまう牡丹ちゃんの為に上げておりました事をここで明らかにします。
ではまた
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