ストライク・ザ・ブラッド 〜神なる名を持つ吸血鬼〜
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聖者の右腕篇
05.真祖の覚醒
前書き
絃神島沈没まであとわずか......
殲教師と人口生命体を止めるため......
第四真祖がついにその力を振るう!!
暁古城は、かすかな波の音と薄闇の中で目を覚ました。
コンクリートの上に横たわってるせいか、投げ出した腕が冷たい。
だが、寝心地の良い、頬に心地よい温もりが伝わる。
「先輩……そろそろ起きてもらえませんか?」
不意に古城の頭上から声がした。どこか拗ねている雪菜の声だ。
「悪い……あと五分」
夢を見ているような気分。頭を包み込むような、柔らかな温もりから離れたくない。
まったく、と薄いため息が頭上から聞こえる。
「もういっぺん死んでこい」
雪菜ではない声に薄目を開けようとすると同時に腹部に衝撃が走る。それとともに古城は一メートル弱飛ばされる。
「痛て! なにしやがんだ!?」
「ようやくお目覚めか、変態真祖?」
腹部を押さえながら膝立ちをし、古城を吹き飛ばした人物が誰であるかを確認する。
そこには古城のクラスメイトであり、吸血鬼の少年、緒河彩斗がいた。
「なんでお前がここにいるんだ、彩斗 」
「俺のことよりもお前は先に姫柊に言うことがあるだろうが」
彩斗の言葉に今まで何があったのか思い出す。製薬会社の研究所で古城と雪菜はオイスタッハたちと遭遇し、そこで雪菜を庇おうとした古城は戦斧の攻撃を受けた。
その一撃は吸血鬼といえど、生きていられる負傷ではなかった。
「そうか……俺は死んでたのか」
「はい」
その時の光景を思い出したのか、雪菜は唇を噛んだ。そして、また泣きそうになりながら口を開く。
「先輩が死んだあと、しばらくしたら傷が勝手になおりはじめたんです……飛び散った血も、まるで時間を巻き戻したみたいに戻ってきて……」
「で、そのまましばらく寝ててさっきの彩斗の蹴りにいたるってわけか」
少しまだ痛みが残る腹部を押さえ、その後右肩を押さえ、古城は訊いた。半月斧に切断されたはずの肩はかすり傷ひとつ残ってない。
さすがも服はそのままだが。
傷の具合を確かめように指を動かす古城を、雪菜が睨みつける。
「生き返るなら生き返るって、最初に言ってから死んでください。わたしがどれだけ心配したと思ってるんですか……!」
いやそんな無茶苦茶な、と反論しかけたが今まで雪菜が古城が復活するまでそばにいてくれた。
涙目の雪菜に古城はため息をつく。
「心配かけて悪かったよ。だけど俺も知らなかったんだ。アヴローラのやつがいってたのは、こういうことだったのか」
「アヴローラ? 先代の第四真祖が、なにを……?」
「ああ……真祖にとって不老不死は、権能なんかじゃない。ただの呪いだって」
「呪い?」
「真祖は死ねない。心臓を貫かれても、頭を潰されても生き続ける。そういわれてもあんまりピンとこなかったんだが、ちょっとわかった気がするな。死にたくなっても死ねずに何百年も何千年も一人きりで生き続けるのは……たしかに呪い以外の何物でもねーよ」
溜息のように呟く古城を、雪菜は黙って見つめ、彩斗はどこかかなしげな顔で訊いている。
不老不死とは言われていても、吸血鬼は完全に不死身というわけではない。特に魔力制御する脳や、血液循環を司る心臓は弱点である。
そこに深刻なダメージを受ければ、”旧き世代”といえども確実に死ぬ。
だが、第四真祖の古城の肉体は少し違った。
完全に破壊された心臓までもが再生し、流れ出た血すら、その大半が逆流して戻った。
「だからって、どうしてわたしを庇ったりしたんですか!? 呪いだろうがなんだろうが、必ず復活できる保証なんかないんですよ! 生き返れなかったら、どうする気だったんですか!?」
雪菜が、本気で怒っているような口調で古城を問い詰める。
「そうなんだけど、でもよかったよ」
「なにがよかったんですか!?」
「いや、姫柊が無事だったから」
古城の何気なく口にした言葉に、雪菜は動揺する。
「……て……よかったんです」
雪菜の言葉に戸惑う古城は首を傾げる。
「え?」
「先輩は、わたしを庇ったりしなくてよかったんです。もう忘れてしまったんですか。わたしがここに来たのは先輩を殺すためなんですよ」
感情をなくしたように雪菜が呟く。
言葉を出そうとするが古城はその言葉を飲み込む。
今の雪菜の雰囲気が、アスタルテと呼ばれていた少女と重なる。
「あの殲教師が言ったことは本当です。わたしは使い捨ての道具です。ずっと前から気づいてはいたけど、認めたくなかったんです……だから、わたしが死んでも、誰も悲しまない。でも、先輩は違うじゃないですか……!」
「姫柊……」
うつむく雪菜が、泣き出すのをこらえるように古城に背を向ける。
オイスタッハとの戦いの中、雪菜の動揺の理由がわかってしまった古城。
わずか十四歳で、ロタリンギアの殲教師をも圧倒する戦闘能力を持つ、獅子王機関の剣巫。
そんな雪菜は戦いの中で戦いの道具として造られたアスタルテに、自分の姿を重ねてしまったのだ。
そんな彼女を追い詰めたのは、自分かもしれない。
第四真祖の力を手に入れながら、ただの人間として生きようと足掻く古城の姿を、雪菜はここ数日見続けた。
戦う力を得るために、当たり前の日常を捨てた雪菜。
そして誰よりも強大な力を与えられながら、つまらない日常を選んだ古城。
「…………」
顔を伏せたまま動かない雪菜を、古城は途方に暮れた表情で眺めた。
古城の代わりに雪菜が傷ついていいわけがない。何を言っているんだこいつは、と思ってしまう。けれど、今の雪菜を言葉で説得するのは、きっと古城には難しい。
背中を丸めている雪菜の姿はあまりに儚げで、このまま目を離すと消えてしまいそうに感じられた。
そのことに苛立ってしまう。
「あのな、ひ……」
「姫柊……!」
古城の言葉は隣の少年の怒声に掻き消された。
雪菜はビクッと体を震わせて恐る恐るこちらへと向く。少し怯える彼女へとゆっくりと歩み寄る彩斗。
「お前は自分のことをもっとよく考えろ」
そう言いつつ雪菜の額を小突きながらいつもの無気力な表情が微笑む。
「緒河先輩……?」
座り込んだままの雪菜は彩斗を見上げる。彩斗は大きく伸びをしたのちに、こちらへと顔を向ける。
「古城……姫柊を、島のみんなを救いたいならお前の持つ真祖の力を使え……」
その言葉に古城は驚きを隠せない。なんでお前が、と言おうとしたが驚愕のあまり言葉が出ない。
そんな古城に彩斗は言葉を続ける。
「そのためにやんなきゃいけないことぐらいお前にもわかんだろ」
そう言いながら彩斗は徐々にその足を動かし、奥地へと向かっていく。
「それまでの時間は、俺が繋いどくからよ」
そう言い残し、彩斗は奥地の闇へと消えて行った。
その場所は、光すら届かぬ海中深くに造られた、永遠の牢獄のようにも思えた。
キーストンゲート最下層があるのは海の中。海面下二百メートルである。
高い水圧に耐えるために円錐形の外壁は、神話のバベルの塔にもにている。
この階層の役割は、四基の人工島から伸びる連結用のワイヤーを調律することで、島全体の振動制御を行っている。
ゲートの壁を経由して届いたワイヤーケーブルは、この最下層にまで巻きつけられている。
圧倒的な鋼の質量と、爆発的な力を秘めた駆動機関の威圧感。
その最下層の暑さ七十センチの気密隔壁を虹色に輝く人型の眷獣がこじ開ける。
眷獣の胸の中心には、藍色の長髪、薄水色の瞳を持つ、人工生命体の少女、アスタルテだ。
彼女の背後から姿を現したのは、法衣をまとった屈強な体つきのロタリンギア殲教師ルードルフ・オイスタッハ。
「命令完了。目標を目視にて確認しました」
自らの眷獣に包まれたアスタルテが告げる。
宿主の寿命を喰らう眷獣の力を使いすぎた人工生命体はもう限界だ。
しかしオイスタッハは、そんなアスタルテには一瞥もくれずに、最下層の中央、四基の人工島から伸びる、四本のワイヤーケーブルの終端。全てを固定するアンカーの小さな逆ピラミッドの形の金属の土台に近づく。
そのアンカーの中央。一本の柱が杭のように貫いている。
それが絃神島を連結させる黒曜石に似た半透明の石柱──要石である。
「お……おお……」
オイスタッハの口から、悲漢と歓喜の声が同時に漏れる。
「ロタリンギアの聖堂より簒奪されし不朽体……我ら信徒の手に取り戻す日を待ちわびたぞ! アスタルテ! もはや我らの行く手を阻むものはなし。あの忌まわしき楔を引き抜き、退廃の島に裁きを下しなさい!」
高らかな笑い声を上げながら、オイスタッハが従者たる人工生命体に命じる。
しかしアスタルテは動かない。実体化した眷獣の鎧に包まれたまま、無表情に告げる。
「命令認識。ただし前提条件に誤謬があります。ゆえに命令の再選択を要求します」
「なに?」
巨大な戦斧を握りしめて、オイスタッハが要石によって固定されたアンカーの上に、誰かいるのを確認する。
制服を着た少年。
「悪いな、オッサン。お前の思い通りにはさせねぇぜ」
無気力な吸血鬼──緒河彩斗は、オイスタッハを睨みつける。
「西欧教会の“神”に仕えた聖人の遺体……」
キーストーンと呼ばれた石柱を、彩斗は眺める。
半透明の石の中には、誰かの"腕"が浮かんでる。ミイラのように干からびた、細い腕だ。
それは自らの信仰のために苦難を受け、命を失った殉教者の遺体だ。
「聖遺物。こいつがあんたの目的だったわけか」
彩斗は聖遺物を眺めながら言う。
「貴方たちが絃神島と呼ぶこの都市が設計されたのは、今か……」
「んなことは、どうでもいいんだよ!」
オイスタッハが語り出そうとしたのを彩斗は遮る。
「オッサンにとってこの聖遺物がなんなのかはわかんねぇが、何か特別な何かってことはわかる」
怒りに震える彩斗は右手を握りしめ、続ける。
「それでも、この島の人間を……俺の親友を傷つけていい理由にはなんねぇだろ!」
殺意に満ちたその眼光にオイスタッハは一瞬、身体を震わす。その殺意に満ちた眼光にではない。彩斗から溢れ出る魔力にだ。
「やはり貴方という存在だけがわかりませんね」
オイスタッハは、戦斧を構えながら彩斗という存在を確認する。
「俺は、ただの第四真祖の親友だ。それ以上のなんでもねぇよ」
その言葉を聞いたオイスタッハは、ふん、と荒々しく息を吐く。
「もはや言葉は無益のようです。これより我らが聖遺物を奪還する。邪魔立てするというならば実力をもって排除するまで──アスタルテ!」
「命令受諾。執行せよ、“薔薇の指先”──」
沈黙していたアスタルテが、かすかに悲しみをたたえた声で答えた。
虹色の眷獣が輝く。
「そうあわてんじゃねぇよ。それに……まだ役者がそろてねぇからよ」
オイスタッハは、その言葉に眉をひそめる。
それと同時に声が響いた。
「まだ俺はあんたに借りがあるんだぜ、オッサン!」
後方から現れたのは、全身に稲妻を包み込み、唇の隙間から、牙がのぞき、瞳は真紅に染まる第四真相──暁古城と銀色の槍を構えながら彼の隣に寄り添う獅子王機関の剣巫──姫柊雪菜だった。
「貴様……その能力は……」
オイスタッハは表情を歪めた。
「さあ、始めようか、オッサン──ここから先は、第四真祖の戦争だ」
雷光をまとった右腕を掲げ、古城が吼える。
「いいえ、先輩。わたしたちの聖戦、です──!」
最初に仕掛けたのは、雪菜だった。
銀の槍を構えた剣巫が、閃光のようま速度でアスタルテへと向かう。眷獣をまとった人工生命体の少女が、人型の巨体を操って迎撃する。
建物全体をも震わせるほどの拳撃。
しかし雪菜は、その攻撃をしなやかに受け流した。
雪霞狼──七式突撃降魔機槍の神格振動波駆動術式が、実体化した眷獣を寄せ付けず、逆に押し返す。
だが、その眷獣も肉体に神格振動波をまとうことで、雪霞狼の斬撃を耐える。
致命傷を与えるはずの雪霞狼の攻撃は、眷獣の肉体を浅く傷つけるがそれすらすぐに再生する。
戦闘技術で勝る雪菜だが、相手を撃破できる攻撃力はない。
一方、圧倒的な破壊力のアスタルテも、雪菜の体術と槍技に翻弄されて、彼女に触れることができない。
だが、それが古城と雪菜の狙いだった。
「おおおおッ──!」
青白い稲妻をまといながら、古城がオイスタッハに殴りかかる。
雪菜がアスタルテを引きつけている間に、古城が、オイスタッハを倒す。それが古城たちが考えた作戦らしい。
それを悟った彩斗は、古城の元へと走る。
「ぬぅん!」
オイスタッハは、その巨体からは想像もできない敏捷さで古城をかわし、逆に戦斧で反撃してくる。戦斧の刃を魔力の塊をまとった彩斗の右の拳が激突。
通常なら右腕ごと切断されるはずが魔力の塊をまとっているため重い戦斧を弾き返す。
「貴方には驚かされてばかりですが、その動きは浅はかな素人同然の動きですね、第四真祖、名もない吸血鬼!」
「同然じゃなくて、本当に素人なんだよ!」
反論しながらも、古城と彩斗は加速する。たしかに古城と彩斗は武術の素人で、吸血鬼としてほぼ無能。だが、古城には、バスケで鍛えたフットワークは健在。相手のマークをかわして、ディフェンスの裏をかく。緩急と体重移動。そしてフェイント。自分よりもガタイのいい相手との戦い方を、古城はよく知っている。
「ぬ……これは」
魔力で作り出した雷球を、鋭いパスのような感覚でオイスタッハへと投げつける。それに加速を加えるように彩斗は右腕をまるでテニスラケットを振るように動かし、雷球を殴りつける。
彩斗は、テニスでの技術を利用したのだ。相手の動きを見ながら的確な位置に打ち込む。
「先ほどの言葉は撤回です。認めましょう、貴方たちはやはり侮れぬ敵だと──ゆえに相応の覚悟をもって相手させてもらいます!」
「「なに……!?」」
オイスタッハの全身から噴き出した凄まじい呪力に、二人の顔から血の気が引く。
殲教師がまとう法衣の隙間から、輝きが洩れる。法衣の下に着込んだ装甲強化服が、黄金の光を放っているのだ。その輝きを見た古城と彩斗の瞳には激痛が走り、光を浴びた肌が焼ける。
「ロタリンギアの技術によって造られし聖戦装備“要塞の衣”──この光をもちて我が障害を排除する!」
オイスタッハの攻撃速度が増した。装甲鎧が、彼の筋力を強化したのだ。視界を奪われながらも古城と彩斗は、ほぼ感で回避する。
「汚ェぞ、オッサン──そんな切り札をまだ隠し持ってやがったのかよ!」
オイスタッハの攻撃が古城を襲う。
「先輩……!?」
雪菜が叫ぶ。しかし彼女もアスタルテを抑え込むだけで精一杯だ。
心配するな、というように雪菜に目配せして古城は立ち上がる。
オイスタッハの攻撃の手が止まる。古城が放つ異様な気配に気づいてて、警戒したのだろう。
さすがだな、古城は笑う。それと同時に彩斗は呆れたような顔をする。
「俺がなんとかするからお前は思う存分ぶちかませ!」
古城は少し笑みを浮かべる。
「そういうことだ。死ぬなよ、オッサン!」
「ぬ……!?」
オイスタッハが、本能的に後ろへと跳ぶ。
彼を目がけて突き出した古城の右腕が、鮮血を噴いた。
「“焔光の夜伯”の血脈を継ぎし者、暁古城が、汝の枷を解き放つ──!」
その鮮血が、輝く雷光へと変わる。これまでの稲妻とは比較にならない膨大な光と熱量、そして衝撃。その光が凝縮されて巨大な獣の姿を形作った。
それが本来の眷獣の形、古城が完全に掌握した、第四真祖の眷獣の真の姿だ。
「疾く在れ、五番目の眷獣“獅子の黄金”──!」
出現したのは、雷光の獅子──
戦車ほどの巨体は、荒れ狂う雷の魔力の塊。その全身は目が眩むような輝きを放ち、その咆哮は雷鳴のように大気を震わせる。
「これが貴方の眷獣か……! これほどの力をこの密閉された空間で使うとは、無謀な!」
雷の獅子の前足が、オイスタッハの巨体を数メートル吹き飛ばす。
稲妻は一撃で戦斧の刃を融解し、キーストーンゲートの外壁を伝って非常灯や監視カメラを吹き飛ばす。ワイヤーケーブルお固定している巻き上げ機も悲鳴を上げている。
「アスタルテ──!」
殲教師は人工生命体の名を呼ぶ。第四真祖の眷獣に対抗できるのが彼女の眷獣しかないと判断したのだろう。
雪菜の攻撃を振り切って、眷獣うぃまとったアスタルテが古城の眷獣の前に立ちはだかる。
古城の意思に反して、“獅子の黄金”が攻撃を仕掛けた。巨大な眷獣の前足が、雷霆と化して、人型の眷獣を殴りつける。
その瞬間、アスタルテの眷獣を包む虹色の光が輝きを増す。
神格振動波の防御結界が、古城の眷獣の攻撃を受け止め、反射する。
「うおおっ!?」
「きゃああああっ!」
「マジかよッ!」
制御を失った魔力の雷が、分厚いゲート最下層の天井が、あっさり撃ち抜かれた。
「くそっ……ダメか! 俺の眷獣でも、あいつの結界は破れないのかよ……!」
“獅子の黄金”の一撃でもアスタルテの眷獣は無傷。このまま攻撃を繰り返せばおそらく建物が耐えられない。キーストーンゲートの外壁が破られれば、一気に水深二百メートルの水圧が古城らを押しつぶすだろう。雪菜は間違いなく即死だし、古城と彩斗もどうなるかわからない。
「先輩……」
瓦礫に埋もれるかける古城を支えるように、雪菜はそっと寄り添う。彼女の表情にも披露の色が濃い。
「悪い、姫柊。あいつは、倒せないかもしれない……!」
あと一歩……あと一歩でこの島を救える。それなのに、その一歩が届かない。
しかし雪菜は、そんな古城を見上げて、華やかに笑った。
「いいえ、先輩。この聖戦は、わたしたちの勝ちですよ」
えっ、と訊き返す間もなく、雪菜と古城の前に出る一人の少年。
肩を回して少し、気怠さがこんな状況で伺える彩斗だ。
「それじゃあ、いきますかっ!」
気合を入れ直すような声を上げ、彼が右腕をアスタルテへと向ける。
その右腕が、鮮血をまとう。
「“神意の暁”の血脈を継ぎし者、緒河彩斗が、ここに汝の枷を解く──!」
鮮血から激しい突風を巻き上げながら右腕の魔力の塊が徐々に眷獣の姿へと変化されていく。
「──降臨しろ、三番目の眷獣、“真実を語る梟”──!」
形をなした魔力の塊は、神々しい光を放つ翼を持つ梟が出現した。
「ぬ、いかん!」
彩斗の狙いに気づいたオイスタッハが、彩斗へと戦斧を投げようとする。
しかしオイスタッハを古城が放った雷球が襲う。装甲鎧に守られている彼にとっては致命的な一撃ではない。
だが、少なくとも動きは止まった。
彩斗がアスタルテ目がけて走り出す。同時に眷獣も彩斗を追いかける。
「──来い、“真実を語る梟”!」
その声とともに彩斗は地面を蹴り上げ上空へと舞う。舞い上がる彩斗の身体めがけて梟の眷獣は突進する。
激しい光を放ち、その中から人影が姿を現す。
その人影は、間違いなく彩斗だ。
だが、先ほどまで身にまとっていないものが彩斗の身体を覆っている。
それは先ほどの梟の眷獣の翼のように神々しい光を放つ布だった。
それは身体を覆うほどの大きさだ。
まるでヒーローが纏うマントのようだ。
すると彩斗は、アスタルテへとめがけて駆け出した。
次の瞬間、神々しい光のマントをまとった彩斗とアスタルテの防御結界が激突する。それと同時に人型の巨大な眷獣は一瞬のうちのその姿を消し去る。
そこに残されたのは、藍色の長い髪の少女だけだった。
アスタルテの身体を彩斗は突進の威力もあってか強く抱きしめるようにして地上へと落下する。
「アスタルテ……ッ!?」
アスタルテは、彩斗の眷獣の力で自分の眷獣を消された時の衝撃で気を失っているようだ。
それはオイスタッハの計画が潰えたことを意味する。
動揺する殲教師に雪菜は一瞬で近づく。
オイスタッハは反応が遅れる。
装甲強化服で覆われた彼の腹部に、雪菜の掌を押し当てた。
「響よ──!」
鎧を貫通して人体の内部にダメージを伝える、剣巫の掌打。
「──終わりだ、オッサンっ!」
追い打ちのように、古城が殲教師の顔面を殴りつける。
魔力も術もなにもない、真祖の能力など無関係な力任せの強引な一発。それゆえに、それはいかなる魔術でも防御できない。
オイスタッハは、吹き飛ばされ倒される。
キーストーンゲート最下層には、恐ろしいくらいの静寂が訪れていた。
まるで先ほどまでの戦いがなかったかのような錯覚さえも起きるほどだ。
彩斗は自らの腕の中で眠るように気絶している藍色の長い髪の少女を抱きかかえたまま周囲を見渡す。
被害は甚大。
だが、なんとか要石は無事でワイヤーケーブルもほぼ無傷。ギリギリで島は守られた。それを確認し、三人の表情には安堵が浮かべられる。
彩斗は、一度薄くため息をついて自らの腕の中のアスタルテを見る。
ひどく消耗しているが、まだ息はある。
だが、このまま眷獣がいる限り、彼女の寿命はあと数日も保たないだろう。
「はぁー、この娘のためだ」
彩斗はため息を吐く。
少しの覚悟を決めた後、気絶している少女を優しく抱きしめた。
改めて意識して抱きしめた少女は、か細く普通の小さな少女にしか感じられない。
人工生命体の少女の身体はとても柔らく甘い香りが鼻腔をくすぐる。
すると喉の渇きと犬歯の疼きを覚える。吸血衝動の高まる。
ほっそりとした人工生命体の少女のむき出しの首筋に牙を突き立てた。そして彼女の体液を吸い上げる。
長い長い沈黙の後、彩斗はそっと唇を離した。
「緒河先輩……いったい、なにをやってるんですか?」
冷たい口調で雪菜は訊いてくる。
その言葉に若干の悪寒を感じる。
「あ、ああ、この子の眷獣を俺の支配下に置こうと思って。ほら、魔力の仕送りというか、なんつうか……この子の眷獣が宿主の命じゃなくて、俺の命を喰えばこの子の寿命も延びるだろ?」
「つまり彼女を救うために、血を吸った、ということですか」
雪菜の言葉には冷たい軽蔑がこもっている。なぜ雪菜がそのようになっているのかわからず、古城を見るが古城は何か哀れむように見ている。
「そうですか。それで気絶している女の子を抱きしめて興奮していたわけですね」
「い、いや。別にそういうわけじゃ……ってしかたねぇだろ!」
彩斗の言葉は雪菜と古城には届かなかった。
「緒河先輩が何者なのか聞こうと思いましたがその必要ないようですね」
雪菜は冷たい言葉を彩斗に浴びせる。
「ロリコン……だったんですね」
「ご、誤解だっつうの──!」
絃神島の最深部。海面下二百二十メートルの最下層に、少年の悲痛な叫びが響いたのだった。
暁古城と緒河彩斗は、学生食堂の端っこの、日当たりのいいテラス席で突っ伏した。
宿題漬けの週末を乗り越えた月曜日の放課後。
「熱い……焼ける。灰になる……つか、追々試ってなんだ。あのチビッ子担任、絶対に俺たちをいたぶって遊んでやがんだろ!」
「全くだ……誰が島の危機を救ったと思ってんだよ」
夏休みに受けた追試は、積もりに積もった出席日数不足の埋め合わせの点数に及ばず、おまけに夏休み明け初日の授業をサボったことで、結果的に追々試である。これが絃神島を沈没から救った代償だと思うと、あまりに理不尽だ。
唯一の救いは、あの事件以来、妙に浅葱が優しい。
今日もわざわざ放課後居残って、勉強を教えてくれるというのだから。
なんでも浅葱もあの事件に巻き込まれていたらしく彼女は古城が絃神島を救ったということも知っている。
浅葱は現在、飲み物を買うために購買部の方へと出かけて行った。
あたしが戻ってくる前にやっておけ、と彼女に言われた問題集から、古城と彩斗は目を逸らす。
「なぁ、古城」
「なんだ、ロリコン」
「誰がロリコンだ!」
声をあげて立ち上がる。他の学生たちの視線が彩斗に集まる。
「こんなところで大きな声を出してどうしたんですか、緒河先輩……?」
その聞き覚えのある声に振り向く。
そこには、夕日を背にした雪菜が立っていた。
「姫柊、どうしてここに?」
「わたしは、暁先輩の監視役ですから」
彩斗の言葉にいつもの冷静な口調で告げる。
古城の顔を見ると勘弁してくれというような顔の中に少し嬉しそうな顔を浮かべる。
「そういえば、身体は大丈夫だったのか?」
「身体? なんのことですか?」
彩斗はニヤッと口元を少し歪めてなにか仕返しでもするかのように声を出す。
「ほら、古城が姫柊の血を吸ったことだよ」
すると雪菜の頬は、突然爆発したように赤く染まった。
二人はしばしの沈黙ののちに口を開く。
「すまなかったな、姫柊。痛い思いもさせて」
「大丈夫です。あのときは少し血が出ただけで、先輩に吸われた痕も、もう消えかけてますし」
雪菜は自分の首筋に手を触れる。そこには、目立たないように小さな絆創膏が貼られている。
古城が凍りつくのがわかった。
それもそのはず。雪菜の背後の植え込みから、雪菜と同じ中等部の制服を着た女子生徒。長い髪を結い上げた、活発そうな雰囲気の少女。
「ふーん……古城君が、雪菜ちゃんのなにを吸ったって?」
低く怒りを圧し殺したような声で、少女が訊いてくる。
「な、凪沙? おまえ、どうしてここに……?」
「さっき購買部で浅葱ちゃんに会って、古城君と彩斗君が試験勉強してるっていうから、励ましてあげようと思ってきたんだけど。そしたら二人が、聞き捨てならない話をしてるみたいだったし。その話、もう少し詳しく聞かせて欲しいなあ、なんて」
暁凪沙が、攻撃的な笑顔を兄である古城にむけている。
「ま、待て、凪沙。おまえはたぶんなにか誤解をしていると思う。なあ、姫柊」
古城が必死に妹を制止しようとする。その隣で雪菜も首を縦に振る。
「ふーん、誤解? どこが誤解なのかな? 古城君が雪菜ちゃんの初めてを奪って痛い思いをさせておまけに体調を気遣っちゃったりしてる話のどこにどう誤解する要因が……?」
「だから、そのおまえの想像がもうなにもかも全部誤解なんだが……」
古城は途方にくれた表情を浮かべた。
「それよりも、浅葱に会ったんだろ。あいつは、どこに行ったんだ?」
話題を変えようとする古城はなるべく冷静に訊き返す。
しかし凪沙は、冷ややかな口調で答える。
「浅葱ちゃんなら、さっきからずっとあたしと一緒に古城君の話を聞いてたけど?」
「え?」
古城はようやく、凪沙の隣に、もう一人の女子生徒が立っていたことに気づいた。
あまりにも見事に気配を殺していたせいで、彼女の存在に気づかなかった。
制服を粋に着こなした、華やかな顔立ちの少女である。しかし今、その美しい容姿には、復讐の女神を思わせる冷たい怒りの炎が燃え盛っていた。
顔が引きつる古城の肩に手を置いて彩斗はニヤッと口元を歪めながら言った。
「まあ、がんばってくれ……変態真祖」
そう耳元でつぶやいて彩斗はその場を立ち去った。
「おまえ……!」
後ろから古城の殺気を感じながら彩斗は、いつもの平穏な日常を取り戻したのだと感じるのだった。
後書き
聖者の右腕篇完結
次回、監視者・姫柊雪菜に付きまとわれる生活にも慣れてきた平和な日常を取り戻しつつあった"第四真祖"の暁古城。
二人は緒河彩斗という存在が今だに掴めずにいた。
そんな中、"忘却の戦王"の使者ディミトリエ・ヴァトラーと、彼の監視役・煌坂紗矢華が現れる。
しかし、彼らの絃神島への到来はこれから起きる事件の前触れでしかなかった。
戦王の使者篇始動!!
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