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楽しみ

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第四章


第四章

「とんでもない勢いで三振取りまくってなあ。王ですらもや」
「王も」
「村山は長嶋を、江夏は王を」
 右と右、左と左であった。
「江夏も真っ向勝負やったんや」
「逃げずにですか」
「逃げずに向かって打たれもする」
 実際ホームランもかなり受けていた。それでもだ。
「それでもそこには華がある」
「華、ですね」
「そや」
 僕の今の言葉に頷いてくれた。
「その華や。二人には華があった」
「華があるからこそマウンドを支配できたんですね」
「村山は熱い男で江夏はクールやった」
 この二人の個性の差である。彼等はいい意味で正反対だったのだ。
「それでもそれぞれの華でな。マウンドを支配して」
「球場も」
「見てみい」
 まだ人が殆どいない球場を指差してみせてくれた。
「広い球場やろ」
「ええ、確かに」
 その言葉に頷く。確かにかなりの広さだ。最近はどの球場もかなり広くなっているがこの球場の広さは別格に思える。グラウンドだけでなく観客席もかなりの広さなのだ。
「ここを支配したんやで」
「それだけの凄さがあったと」
「そういうことや。半端やなかったな」
「それは何となくわかります」
 僕はこの言葉はわかった。見たことがあるからだ。
「バースがそうでしたし」
「バースはバッターとしてグランドを沸かせくれてあの二人はグラウンドからな」
「成程」
「あそこから挨拶してくれたんや」
 ここで一塁側に指を向けてくれた。語るその目が温かくなっていた。
「村山は監督もやってその中で死にもの狂いで投げてな。身体も壊して」
「そうだったんですか」
「それでも投げた。その結果ボロボロになって辞めた時やった」
 懐かしく、悲しくも嬉しい思い出であったようだ。その一塁側に村山のその時の姿を見ているようであった。
「江夏とか山本が肩車して最後の挨拶になった。ええ姿やったで」
「見たかったですね」
 話を聞くだけでそう思えた。写真で見たことはあるがそれでも実際に見てはいないからそればかりはどうしようもないものがあった。
「それは」
「わしは見た。それをずっと忘れへん」
 自分自身に言っている言葉だった。
「絶対にな」
 もう村山はいない。泉下にいる。藤村も若林も田中も。けれどあの人達は今も中沢さんの心の中にいると言っていたのだ。それは偽りがなかった。
「江夏も阪神からおらんようになった」
 阪神の名物は残念なことにお家騒動と内部抗争、派閥対立であった。江夏はそれに巻き込まれて阪神を去ることになったのである。
「悲しい話やった」
 今度は目が悲しくなっていた。
「もう阪神には戻らん。田淵もそうやったが江夏もそうやと思った」
「けれど。ですね」
「そや、引退の時に阪神に戻ってくれた」
 それは江夏が引退の時だった。最後に彼は阪神時代のユニフォームを着て引退会見に及んだ。それが彼の現役生活の終わりだったのだ。
「悲しかったけれどそれが嬉しかった」
「田淵は阪神のコーチになりましたし」
「それな」
 その言葉に顔を綻ばせる。
「実は待ってたんや。田淵がおらんようになってからずっと」
 田淵は阪神から西武にトレードに出された。ホームランアーチストもそれで阪神からいなくなった。しかしそれで終わりではなかったのだ。
「けれど帰って来たからな」
「やっと、ですね」
「ホンマにな。奇麗な虹みたいなアーチでなあ」
 田淵のアーチは奇麗な弧を描くものだった。その美しいアーチを見るのがこの上ない楽しみであるというファンが多かったのだ。
「見ているだけでな」
「よかったですか」
「ラッキーゾーンは田淵の為やった」
 田淵のホームランを増やす為に設けられたのがラッキーゾーンだったのは有名な話だった。今ではもうないので知る者は少ない。思えば昔のことになった。
「それがなくなって田淵のことも皆忘れてると思ったんやが」
「覚えていますよ、皆」
 僕は外野の方を見た。そこにラッキーゾーンがあったのだ。
「中沢さんと同じで」
「その言葉が嬉しいで」
「僕だって同じですし」
 僕の思い出を話した。やはりバース達だった。
「あれは忘れられませんよ」
「あそこやったな」
 今度はバックスクリーンを指差してくれた。
「巨人の槙原から打ったやつやったな」
「そうです」
 当然のように覚えていた。何か僕もやっと話に追いついた感じであった。
「バースが打って掛布が打って岡田が打った」
「でしたね。あれは凄かった」
「実際はあれやで」
 ここで僕に向かってにやりと笑ってきた。立ったまま話を続ける。
「ブリーデン、田淵、ラインバック、それで掛布の四人の方が凄かったところもあった」
 昭和五二年頃の話だ。これは少し知らない。
「けれどなあ。やっぱりバースやった」
「そうですよね、バースがいました」
 実はバースが大好きだ。目を閉じると青い目の髭の顔がすぐに思い浮かぶ。まるで豪傑のような顔をしていてそれでいてしっかりしていた。
「やっぱりバースですよね」
「バースがおらんかったら優勝できんかった」
 それは確かだ。
「打って欲しい時には絶対打ってなあ。豪快に」
「覚えてますよ。ほら」
 一塁スタンドをここで指差す。
「乱闘とかで試合が中断されたらいつもね」
「ああ、あそこでキャッチボールしとったな」
 バースは寡黙で穏やかな男だった。豪傑のような顔をしていても知的で頭の回転が早かった。将棋も上手く読みも確かだった。何もかもが頼りになる男であったのだ。
「チームに溶け込んでな」
「心から阪神の選手でしたね」
「バースは阪神のバースや」
 この言葉こそファンが見ていたバースだった。寒い秋の中でも半袖でいて不敵に笑ってエキサイトしていたから寒くなかったと言う。無敵とまで言われた西武もそのアーチで破った。所沢は見渡す限り阪神の黒と黄色で覆われ六甲おろしが鳴り響いた。日本一になって胴上げの時は今も覚えている。
「バースがいたから阪神は日本一になったしな」
「バースあればこそ、でしたね」
「けれどあの頃のナインは皆よかった」
 殺し文句が出た。
「脚こそあまりなかったけれどな」
「守備もよかったですね」
 野球は打つだけではない。守備も大事だ。あの時の阪神は守備もよかった。掛布や岡田、真弓は打つだけでなく守備も一流だったし平田に吉竹、佐野、木戸もいた。主役が揃っていたのだ。ピッチャーが少々頼りなくても勝てたのはそこに理由があったのだ。
「そやな。安心して見られた」
「はい」
「席はそこやったな」
 中沢さんはチラリとチケットを見た。そうして僕達は一旦話を止めて一塁ベンチのすぐ上の席に座った。そこでまた話を再会させた。
 
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