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久遠の神話

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第七十話 富と地と名とその六

「僕達もですね」
「神様はいるのです、マルクス主義者の主張とは違い」
 彼等は神も宗教も否定する、共産主義自体が宗教でありその為他の信仰を一切許さないのである。もっともマルクスが無神論者だったことが全てのはじまりだが。
「神様はいます」
「それでその神様にですね」
「私は救われました」
「それで今ここにおられるんですね」
「何故私は救われたのか」
 他の仲間達は破滅した、だがだというのだ。
「そのことについて暫く考えました」
「それで、ですか」
「私は罪を何処かで何らかの形で償うのではないのか」
「その為に救われたのですね」
「はい、そう考える様になりました」
 こう上城に話す。
「私は」
「だから学園をですか」
「建てて、子供達の為に働きたいのです」
「どうして身体の悪い子供達の為に」
「いじめていた相手がです」
 高代は上城に顔を向けた、それで言ったことだった。
「足が悪い子だったのです」
「足、ですか」
「生まれつき。ちんばという言葉を知っていますか?」
「ちんば?」
「足を引き摺って歩く、そうした人のことを言うのです」
「そうした言葉もあるんですね」
「今では差別用語としてあまり使われなくなっています」 
 せむしやびっこ、その他にもつんぼや目くら等もだ。こうした差別用語とされた言葉が使われなくなって久しい。
「ですが私の頃はまだ使われていまして」
「そうした人をですか」
「いじめていました」
「そして糾弾されて気付かれたんですね」
「そうです」
 まさにそうだったというのだ。
「そうした差別の醜さもまた」
「気付かれて、ですか」
「今はそうした考えです。ですが」 
 ここでまた言う高代だった。
「もう一つ、これは大学の時に気付いたことですが」
「それは何ですか?」
「身体の何処が悪くとも」
 それでもだというのだ。
「それは個性に過ぎなく私達と同じなのです」
「普通の身体の人達とですか」
「そうです、身体の何処が悪くとも同じなのです」
 同じ人間だというのだ。
「これは私が大学の時に骨折をして気付きました」
「オーストラリアにおられた時にですか」
「些細な不注意で窓から落ちて右腕を」
 骨折したというのだ。
「その時に気付いたのです」
「身体が悪いということはですか」
「怪我と同じ様なもので変わらないので」
 普通の人とだというのだ。
「差別をすることが間違っています」
「よく言われていますね」
「その頃の私はそのことがわかっていませんでした」
 そのいじめをしていた頃の彼はだというのだ。
「そして醜い行いをしていたのです」
「身体の何処かが悪くとも」
「身体よりも心です」
 そちらの方が重要だというのだ、人にとっては。
「心がどうかです」
「僕達もですね」
「その通りです」
「若しも心が人でなければ」
 上城はこう思った。
「そうなればですね」
「はい、人でなくなります」
「人は心で人になるんですね」
「そうです、私はあの時は人ではなかったのかも知れません」
 いじめをしていたその頃の彼はというのだ。 
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