誰が為に球は飛ぶ
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焦がれる夏
弐拾陸 精一杯の夢
第二十六話
俺も、甲子園を目指す高校球児だった。
勉強なんて出来なくてもいい、彼女なんて居なくてもいい、それよりも一本のヒットが打ちたい、少しでも上手くなりたい、勝ちたい……
そう考える18歳だった。
前にも色々言ったと思うけど、あんまり子どもらに、高校野球の"後輩達"に、「勝て」と強く言えないのは、結局の所、俺の夢を子どもらに背負わせるのが傲慢に思えてしまったからかもしれない。
実際、俺があれこれ言う必要も無かったよ。
あいつらは、あいつら自身の夢だけを背負って、ここまで来たんだ。
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「さて、勝利監督インタビューです。まずは加持監督、おめでとうございます!選手権大会初出場で決勝進出、いかがですか?」
「はい、本当に初戦以降、どんどん生徒達が成長してます。凄いなぁ、ただそれだけしか思う所がありません。」
「碇投手と、4番打者の剣崎選手、この2人が注目されますが、1失点完投に、ダメ押しの本塁打。2人とも期待通りの活躍でしたか?」
「いえ、その二人はもちろん、今日もいつもと変わらず"全員野球"だったと思います。全ての選手を褒めたいです。」
「今日の試合を振り返ってみましょう。序盤からチャンスを作りますが、武蔵野高校・小暮投手の前に無得点。4回にはスクイズで先制も許します。苦しい展開だったのでは?」
「これまでの試合、ずっと先制して、流れ良く試合を運んできていたので、不安はありました。が、生徒達が「こんな展開は我慢が大事だ」と言う事を分かっていたので、何も言いませんでした。」
「そして7回に一挙3点を奪って逆転します。」
「セーフティバントをした渚君といい、勝ち越しのツーベースを打った相田君といい、いつもにはない積極性があったと思います。また一つ、生徒達が成長してくれました。」
「さて、それでは初となる決勝戦への意気込みを聞かせて下さい。」
「あれこれ考えず、力一杯ぶつかっていくだけです。自身の夢の為に。生徒達が一番それをよく分かっていると思います。」
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インタビューを終えた加持は、この数分の間に随分凝ってしまったように思われる自分の肩を揉みながら球場の廊下を歩いていた。
ベンチにほぼ「居るだけ」の自分がこうやってチームを代表してコメントを出すという矛盾。
いや、何もせず、ただ責任をとる為にこそ俺は居るのか、と加持は思った。
「……!」
加持の正面から、長身痩躯の老人が歩いてきた。その身を灰色基調のユニフォームに包み、頬がこけた顔は、その眼光も含めてシャープな印象を受ける。胸には青に金の縁取りで「ZEIREI」と刺繍されていた。
「こんにちは、冬月先生」
インタビュー後で気の抜けた顔をしていた加持は、その姿を見ると急激に姿勢を正し、一礼した。冬月と呼ばれた老人は加持の前で立ち止まる。
「久しぶりだな、加持君。かれこれ、12年前の夏以来だ」
この老人は、埼玉県内で最も伝統と実績を積み上げてきた是礼学館野球部の監督を20年務める。
冬月浩三である。
「実に面白いチームを作ってきたな。皆楽しそうに、伸び伸びと野球をしている。君がしたかった野球だろう?」
「はい、おかげさまで。生徒に恵まれました」
加持は冬月に笑みを見せるが、その目は笑っていない。
「……我が是礼のOBで、ああいう野球を志す監督は君くらいのものだ」
「……皮肉ですか?」
「賞賛だよ」
冬月はその場を離れていく。
加持はその後ろ姿を目で追う事もなく、凝った肩を自分で揉んでいた。
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「いよいよ決勝かぁ……」
ネルフ学園ナインは試合後、翌日の決勝戦の相手を見ておく為に真司以外は球場のスタンドに残って準決勝の第二試合を観戦する事にした。
真司は翌日の登板に備えて酸素カプセルによる治療回復に向かった。この夏の大会、特に投手はコンディションの維持が大変である。
「薫、受けててどうだ?真司は大丈夫か?」
スコアブックを振り返りながら尋ねる日向に、薫は肩をすくめて見せた。
「明日の調子は明日の真司君に聞かない事には分かりません。でも、余力はあると、僕は思ってます。」
「終盤3イニングはジャスト9人で斬ったしな。バテてはない、か。」
どちらにしろ、日向は決勝の先発も真司以外に考えてはいなかった。藤次も大会の中盤を支えたが、真司には及ばない。真司がマウンドを降りる時は、自分達が負ける時だと腹をくくっていた。
グランドでは、是礼学館のシートノックが行われていた。長身の冬月監督が次々と打球を繰り出し、非常にキビキビとした所作で選手達がゴロを捌く。動き一つ一つにメリハリがある。
そしてそのユニフォーム姿。ユニフォームのパンツはショートフィットのタイプで、一見スラッと細身の選手でさえも腿の裏、ふくらはぎ、尻が内側からパンツを突き上げている。胸板を初めとした体幹もしっかりしていて、鍛え上げられた逞しさに満ちている。
「ヤシイチも上手かったけど、このノックを見ると、やっぱ埼玉の王者は是礼だって思うよなぁ」
「でも優勝候補の筆頭は初戦に当たったヤシイチだよねぇ、アライグマ先輩」
「アライグマはよせって」
健介に真理が、応援をリードした後のガラガラ声で尋ねた。エンジの応援シャツは汗が乾いて少し塩を吹いたようになっている。
「まぁ、絶対的エースと、主砲が居た分だけヤシイチの方が注目はされてたさ。是礼は秋は準々決勝、春は決勝で負けてるし。でも、層の厚さと全体的な打力なら是礼の方が前評判も上だし、事実ここまで5試合でホームラン4本打って勝ち進んできてる。」
健介はため息をついた。
「やっぱ最後までタフな勝負になるよなぁ。優勝するってのは大変だぁ……」
「でも、ここまで勝ち上がってこれたんだから明日も大丈夫だよ〜。にゃはは」
真理は無邪気に笑う。
その場の皆が、その気まぐれそうな笑いに、つられて笑った。
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「いつも通りやるだけだ!勝つぞ!」
「「おおお!!」」
「スコアラー、お前もな!」
是礼ナインは試合開始直前に円陣を組んでいた。その中心で、均整のとれた体格をした主将が声をかけていた。
「はい!」
声をかけられた制服姿のスコアラーが、高い声で返事をする。ショートカットの髪、少し幼な目の顔つき。円陣の中心に居た主将と、その顔はそっくりだった。
「おうおう、今日の真矢ちゃんもかわいーなー」
「バカ、試合前だぞ。引き締めろ。」
集合準備の列の先頭でからかわれているのは、是礼学館野球部主将の伊吹琢磨。
スコアラーを務めている女生徒は、伊吹真矢という。
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三遊間にゴロが飛ぶ。
ショートの琢磨が低い姿勢のまま走り、グラブを伸ばして打球をもぎ取る。そこから、体を一塁側に返しながらのランニングスロー。
一塁手のミットに、糸をひくような送球が収まり、一回表がチェンジとなる。
「あの距離をランニングスローで投げられるって、凄い肩だなぁ。」
スタンドの敬太が驚嘆の声を上げる。
「1年からレギュラーの伊吹琢磨。去年1年間はサッパリだったのに、ここに来て復調して、ドラフト候補にも挙がってきてる。」
健介は少し呆れたような顔をしている。
直後、是礼は先頭の琢磨が弾丸ライナーのスリーベースでチャンスを作り、犠牲フライであっさり一点を先制した。
「ソツがないな。」
日向がメモを取っている間に、三番打者が倒れ、打席にラグビー選手のような体格をした、縦にも横にも大きな四番打者が入る。
「カァーーン!」
懐大きく球を呼び込み、ストライクゾーンを飲み込むようなスイングから放たれた打球は、レフトスタンドへと雄大な放物線を描く。
「四番の分田はこれが大会三本目…」
日向は苦笑いした。
「こりゃ、普通に強いぞ。」
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「今日も先制、か。」
「…二点ではまだ心許ないですね。今日の先発は1年の加藤君ですし。」
「そういう事だな。…さて、何回まで持つと思うかね?」
「初回を見た限り、生命線のスライダーを投げる時に肘が下がって高めに抜けてますね。川越成章打線が様子を見てきたから初回はしのぎましたけど、そう長くは……」
「その通りだ。真矢君、君が指揮をとってみるかね?おい大坪、準備しておけ。」
「はい!」
監督の冬月と、スコアラーの真矢との会話の後に、指示が出される。この光景は是礼ベンチの日常となっていた。是礼のスコアラーは、冬月の話し相手という側面が強い。静かな語り口の割には、冬月はお喋り好きな老人である。他人に語りかける事で、自分の考えを整理しているようにも見える。
「監督さぁ……」
「ん?」
冬月の指示でブルペンに走った大坪が、一緒に来た控え捕手にヒソヒソと話しかける。
「スコアラーが魚住から真矢ちゃんになってから、明らかデレちゃってるよな?」
「おい、それ言うなって」
二人してクスクスと笑う。
その時、フィールドからは甲高い金属音が響いてきた。
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「あーあ、結局加藤は3回でお役御免かぁ」
スタンドで青葉が残念がる。
是礼学館先発の加藤と友人だったらしい。
加藤は3回で4失点を喫し、4回のマウンドには2番手投手が上がる。スコアは4-4と、序盤から試合が大きく動いていた。
交代した大坪の投球にも、目を見張るものは感じられない。実際、ここまで強打で勝ち上がってきた川越成章打線は難なくその投球を捉える。
「打線はええけどのぉ、投手は大した事ないんとちゃうか?小暮の方がエエやんけ。」
「でも加藤は背番号20、今投げてる大坪は背番号11だぞ?エースじゃない」
「でもエースが今投げてないゆう事は、エースも大した事ないんちゃうん?」
藤次が首を傾げていると、煙草を外で吸ってきた加持がネルフナインの下に戻ってきた。
「まぁ、半分正解だな鈴原。実際是礼の投手力は大した事はない。でもさすがにエースは小暮くらいの球は投げるな。是礼の冬月監督は準決勝では中々エースは使わないんだ。」
「そらまた、何で?」
「決勝で負けたら結局甲子園はないからな。是礼みたいな名門にとっちゃ、決勝で負けるのも準決で負けるのも一緒だよ。」
藤次の隣に腰掛けた加持は是礼ベンチを見ると、目を丸くしてその身を乗り出した。
「是礼、今は女子マネージャーなんてもん採ってやがるのか!?」
「あ、そういえば加持先生是礼のOBでしたね」
「俺の時は男のむっさいマネージャーしか居なかったんだぞ?野球部なんて、女子禁制の硬派の集団だったってのに…」
「なのに何でこんな軟派な人に育っちゃったのかにゃ〜?」
「う、うるさいぞ真理!」
真理にツッコまれた加持に、ネルフナイン皆が笑った。
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「あ〜、よく寝たァ」
試合終了後、すぐに酸素カプセルに入った真司は、そのまま寝てしまっていた。
職員に促され、眠い眼を擦って起き上がりカプセルから這い出ると、美里が待っていた。
「よく休めた?」
「ふぁい、ふごく眠いれす」
「答えになってないわよ。」
真司がフロアのテレビを見ると、是礼と川越成章の準決勝がちょうど終わったようだった。
11-8。終盤までもつれたようだが、結局是礼が逃げ切ったようである。
「是礼が明日の相手かぁ…」
「強いわね。伝統のある、埼玉の王者よ。」
「でも何か…」
真司は、寝ぼけて赤い目を細めて笑った。
「勝てそうな気がするんですよ。」
「そうね、あたしもそう思うわ」
何の根拠もない。
でも何の根拠も要らない気がした。
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「明日の相手は是礼!」
試合を最後まで見届けたネルフナインが、日向の一言で一斉に立ち上がった。
「とにかく明日の試合を勝つことだけ考えよう!勝てば甲子園とか、そんな事は…」
「それ、多分一番意識するの日向な気がする」
「あ、確かに」
威勢良く訓示を始めた日向に、多摩が水を刺し、皆がウンウンと頷いた。
「次の事なんて考えなくても良いから、みんな、明日の試合が最後だと思ってやりましょう!」
「そうだな!」
「せやせや!」
光の言葉に、健介と藤次が意気上がる。
「え…えと…まぁ頑張るぞ!」
立場を食われた日向が、言葉に詰まりながらその場を締める。
「「オオーーッ!!」」
ネルフナイン全員が、この少し頼りないキャプテンの言葉に強く頷いた。
このキャプテンについてきた。
そしてここまで来た。
皆知っていた。
恐れられないが、慕われるこの男だからこそ、自分達はここまでやってこられた事を。
ーーーーーーーーーーーーーー
「あ、綾波」
学校に帰ってきた真司を、校門で玲が待っていた。美里の車から降りて、真司は駆け寄った。
玲の真っ白な顔は、連日の応援で、日焼けして赤くなっていた。試合中トランペットを吹き続けた薄い唇も心なしか爛れている。
「碇君…」
玲に会う度、真司は、自分達の野球が自分達の身体だけを削っているのではない事を実感する。自分のやっている野球というものが、どれだけの人を巻き込むものなのか、少し恐くなる瞬間でもあった。そして、そんな真司の胸中を知ってか知らずか、玲は微笑む。
「体は、大丈夫なの?」
「うん、僕は大丈夫だよ」
「そう……」
待っていた割には、玲の言葉の数は少ない。
真司も、その少ない言葉で十分だった。
これが2人の関係だったから。
「頑張って、ね」
「うん。精一杯やるよ。」
シンプルなその言葉。
その一言こそ、真司を何より奮い立たせる。
勝ちは保証できない。
でも、精一杯やるのは保証できる。
日向さん、多摩さん、剣崎さん、藤次、健介、敬太、薫君、委員長、青葉、真希波、加持先生、そして綾波。
色んな人の精一杯が、お互いの精一杯を支えて、活かしてきた。
あと一つ、もう一度、精一杯やるだけだ。
真司は目の前の、玲の微笑みに誓った。
後書き
自分が応援の描写を意識的に入れてるのは、やはり高校野球においてはメンタルが大事で、
そのメンタル面に応援のクオリティはよく関わってるという実感があるからです。
智辯のジョックロック、日大三高のマーチザヒーロー、常葉菊川のエルクンバンチェロ、
強豪には有名な応援があったりしますし、甲子園にくる学校で、
バッターごとの曲しかなく、チャンス曲もない学校は
あんまり無いんじゃないか、と思ってます。
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