乱世の確率事象改変
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諦観の元に
徐州に越してきた劉備達は前の州牧からの引き継ぎも終わり、以前とは比べものにならない量の仕事に目を回しながら忙しい日々を送っていた。
ただ、海に面しているため貿易等の新たな事案が出てきた為、力を増す事が出来るのは幸いだった。
これからの乱世に向けて軍備の拡張も行わなければいけないので、将である三人の仕事も増えることとなる。
日に日に力を付けていく為の計画が確立されこれからだという頃に、徐州移動に伴って増やす事の出来た斥候から一つの報告が入る。
それは秋斗にとって最悪の報告であった。
「大変です! 大変な事がぁ!」
バタバタと普段から走る事の無い朱里が大声を上げて廊下を駆け、桃香の執務室の扉を勢いよく開いた。
「どうしたの朱里ちゃん!? そんなに慌てて……」
肩で息をする朱里は膝に手を突きながらも何かを伝えようとするが、乱れる呼吸が邪魔をして上手く言葉が紡げない。
「大丈夫、朱里ちゃん?」
そんな様子をみて、桃香の仕事を手伝っていた雛里が座るように促し、冷えたお茶を差し出す。
受け取り、ゆっくりと飲み干して大きく息をつく朱里。まだ少し息は弾んでいたが、どうにか落ち着いたようで桃香の方へと向きなおす。
「桃香様、すぐに皆さんを集めてください! 早急に軍議を開きます!」
「ええ!? 何があったの!?」
問い返す桃香に対して、慄く朱里の唇から静かに、安穏とした空気を引き裂いて――――
「公孫賛様の国に、袁紹軍が攻め入りました」
――――彼女を悲しみに落とす報告が告げられた。
†
兵から緊急の軍議が開かれると聞いた秋斗達は、練兵をそれぞれの副隊長に任せて謁見の間へと向かった。
愛紗と鈴々は口々に疑問を頭に浮かべていたが、秋斗には何があったのか理解出来てしまった。
桃香、朱里、愛紗、鈴々にはその出来事が起こるとの予想は話していない。
桃香の成長の為に、そして先が読めない状況で未来の予想程度で思考が縛られるのを避ける為に。
これからの乱世を抜けて行く為には、特に桃香にとっては思考を積むというのは絶対に必要な為に、軽々しく振り回す事など出来はしなかった。
それについては雛里も詠も同じ意見なようで、何が起こるか分からない今の状態なら幅を持たせるために他の思考方法も残しておくべきだと言っていた。
朱里くらいになると気付いてしかるべきなはずだが……さすがに今回の徐州移動による仕事量の増大によってそこまで予測する事が出来ないようだった。
謁見の間に到着し、桃香の悲哀に満ちた表情を見て今回の軍議の議題が何であるかの確信に至った。
「そ、それでは……軍議を始めます。議題は……」
ちらと桃香の方を見て、眉を寄せてから朱里は続きを語る。
「幽州が、袁紹軍の侵略を受けました」
しん、と痛い程の静寂が室内を包み込んだ。愛紗と鈴々は目を見開き、言葉を発する事が出来ず、桃香はただ顔を伏せた。
「そして、これに対して我が軍が動くべきなのか、それとも静観を貫くのか、皆さんの意見を聞かせてください」
「助けに行かないとダメなのだ!」
跳ねるように声を上げたのは鈴々。彼女の性格ならば、真っ先にそう言うであろうことは誰もが知っていた。
それを見た愛紗は口を噤む。苦い表情からはこの軍が今の現状でどうすべきかを既に読み取っているのが分かる。一瞬、目を伏せた後に口を開く。
「私は、今回助けに向かうべきでは無いと、思います」
「どうして……どうしてなのだ!? 公孫賛のお姉ちゃん達は鈴々達を助けてくれたし、恩も返すべきなのだ!」
噛みしめるように言葉を区切って愛紗が言うと、鈴々が尤もな意見を述べた。
しかし、確かに白蓮達には世話になったが、ギブアンドテイクが成立している。義勇軍時代の恩恵は数多の政策と代わりの賊討伐、烏丸に対しての牽制と時間稼ぎ、黄巾討伐への代理出撃で清算しているのだからもう返す必要は無い。
何よりも、、白蓮が承諾した時点で契約が成立している。
ただ、桃香の心持ち一つで変わるだけ。
この時代の恩とはそういうモノ。ここからさらに恩を返せと自分から喚く者は集りにしか見えず、まさしく自分の事しか考えていない暗愚な王と取られる。
秋斗は鈴々の様子を見て、重苦しい表情をしながら、静かに声を流し始めた。
「鈴々、一番行動を共にしていた俺から言おう。白蓮達への恩返しは既に終わっていた。今後、恩がまだあるかどうかを決めるのは桃香の心持ち次第になる」
「でも――――」
「それに、今の俺達の現状を考えた上では、例え恩があろうと無かろうと参加すべきでは無いというのが俺の意見だ。そうだな、朱里?」
続けて言葉を返そうとした鈴々を遮り、己が意見を話してから朱里に問いかけた。
先を向けられた朱里はビクリと肩を震わせてから秋斗に悲哀の瞳を向け、さらに彼の瞳を見てしまった事で余計にその色が深くなった。
この場においては、確かに全員が白蓮達の世話になったと言える。
だが、桃香と秋斗の二人が今回の報告に感じる絶望は二人以外に測る事は出来ない。
友であるが故にその絶望は深く、助けに行きたいと願う想いは誰よりも強い。
桃香の場合、旧知の友であり、人格形成の時機に仲良くなった友人であり、理想に対しての一番初めの理解者と言っても良かった。更には自身の理想に対する足がかりを作ってくれた相手でもあるのだ。
秋斗の場合、理不尽に落とされた世界で、初めての居場所と言っていい地が幽州であり、彼にとっての一番の安息は白蓮の治める幽州と言えた。右も左も分からない世界での初めての友、心から笑える場所。
どちらの想いが上、などと優劣をつける事など出来はしないが、幽州での彼と白蓮達の仲の良さを、朱里は繋ぎ役の大本となる軍師であった立場故にほぼ全てに於いて知っている。だからこそ、秋斗に対して思い入れを持ってしまうのも不思議ではない。
無感情で無機質な黒が渦巻く瞳の奥を見た朱里は目を逸らし、戸惑いながらも問いかけの答えを口にする。
「……はい。我が国である徐州は現状で戦、それも遠征に赴ける状況ではありません。赴任して早々の戦に民から不満の声が上がる事は先の反董卓連合でも明らかとなったはずです。
何より袁家対立の噂から聞く通りに、幽州侵攻を決めた袁紹派に対抗して、急ぎで袁術派が私達の国に攻め込む危険性があるからです」
悲痛な面持ちで事実を語られ、鈴々はここまで言われて全てを悟ったようで口を噤んだ。その様子を見てから雛里が静かな決意の輝きを放つ瞳を携え口を開いた。
「私も同意見です。大陸の現状を鑑みるに公孫賛様の国へ救援に向かう事は出来ないと思われます。今は内の安定と外への警戒に力を使い、この先を見据えて耐える時となりましょう」
最後に雛里は己が想いを寄せる男を見つめる。彼にも言い聞かせるように。
彼女の心遣いを間違わずに受け取った秋斗は、そのまま雛里の予想だにしない驚くべき言葉を口にした。
「桃香、お前が望むなら助けに行けるぞ」
瞬間、ばっと顔を上げて秋斗を見た桃香は、すぐさま苦しげに表情を歪ませてその顔を伏せた。
甘い誘惑……ではなく、彼は残酷にも真っ直ぐ現実を突きつけた。
己が治める国の民を犠牲にして他国を救うなら今しかない。何を於いても救いたい者であるならばそれを選べ、と。
雛里は彼の言葉を聞いた途端に表情を曇らせ、目に涙を溜めた。
どれだけの想いを呑み込んで、どれだけ自分を殺してその言葉が紡がれたのか。どれほど心を砕いて一人の王の成長を助けているのか。
本当なら今すぐにでも助けに行きたいのは彼も同じであるのに、自分から口にすることで桃香に対して先の戦後に行われた問答をより強く思い出させた。
現実となった事実を突きつけられた桃香は、ただひたすらに震えていた。
自身の友を切り捨てろ、そう己が近しいモノ達に突きつけられているのだ。
いつかの、白蓮の言葉が頭に響いた。己が国が安定していないのならば助けにくるな、と。
桃香は悩んでいた。大切な友達、それを切り捨てる事など出来はしない。
しかし、彼女が選んだ今の自分はその選択を許してはくれない。自身を慕ってくれる民、仲間がいるからこそ。
苦悶と絶望が心を蝕む中、縋るように信頼する仲間に希望が無いかと問うてみた。
「……白蓮ちゃんの国だけで勝てる可能性は……どれくらい、なの……?」
掠れた声はその場にいる、一人を除いて全員の胸を締め付けた。
「……桃香様、公孫賛様が己が力のみで侵略を跳ね返せる可能性は……良くて三割……いえ、二割程度です」
「現場の情報が不足している今回、私達だけでは全てを判断出来ませんが……私の見解も同じです。公孫賛様の軍だけでは勝ちの目が薄いです」
桃香はそれを聞いて尚も身体を震わせ始めた。息が荒く、胸に手を当てて呼吸をどうにか紡ごうと必死であった。そこに一つ、
「決断を下せ。俺達に命じろ。お前が何を為したいかを」
無慈悲な、重く冷たい声が圧し掛かった。
覚悟を違えるな。自身が望んだものはなんであったのか、それを思い出し、俺達に確固たるものとして示せ。
そう、秋斗は告げていた。
ビクリと跳ね、尚も震えつづけていた桃香であったが、ぎゅっと自らをその両腕で抱きしめ、口を引き結んで顔を上げる。
強い光を宿した目の端に涙を浮かべ、慄く唇から彼女の答えが紡がれた。
「……わ、私達劉備軍は此度の幽州での戦に……救援を行わず、内を固めなさい。万事に対応し自国の民の全てを守りきれるように」
命は下された。
聞いた皆は口々に御意と応える。
「桃香様、今日の政務は私達に任せてご自身のお部屋で休んでいてください」
吐き出しきった桃香は、朱里に促されて漸く、覚束ない足取りで軍議場を後にし、扉を閉じてすぐに走り去る音が聞こえた。
後に残ったのは静寂、そして重苦しい空気。
誰もが、己が主と一人の男の心境を考えて言葉を発せずにいた。
「朱里に聞きたい」
目を瞑り、ただ沈黙を貫いていた秋斗は唐突に話を振った。
いつもの快活さも、飄々とした軽さも無いその声には違和感しか無く、その場にいる誰もが普段の彼のモノでは無いと悟っていた。それでも誰も、彼に対して駆ける言葉を持ち合わせていなかった。
「袁術軍が攻めて来るまでどの程度の時間があると思う?」
「そうですね……未だに民の不平不満が多い地と聞きますし目立った徴兵等の動きも見られず、私達の情報をある程度知っていると考えて勝つべくして来るのならば……後一月は攻めてこなかったでしょう。
しかし、今回の袁家内部での諍いを見ると……半月以内に来てもおかしくないかと」
朱里が予測を話し、秋斗は少しだけ弱々しげに微笑み頷く。
「分かった。なら急いで準備しよう。向こうは袁家だ。どんな手でも使ってくると考えていいだろう。なら民の被害も最小限に抑える為に迅速さこそ求められる」
「お兄ちゃん……大丈夫なのか?」
堪らず、鈴々は声を掛けた。目を合わせた秋斗はそのまま皆を一回り見回してから、すっと立ち上がった。
「心配ありがとな。大丈夫さ、覚悟は出来てた。俺よりも桃香の心配をしてやってくれ。出来れば今日の夜は誰か傍に居てやった方がいい」
その言葉を聞いた愛紗は少し悩んだ後、
「秋斗殿……同じ想いを共有できるあなたも、少し話したほうがいいのではないですか?」
己よりも彼の方が支えるのに足るのではないかと、そして彼自身の為にもなるのではないかと問いかけた。
「いいや、一番に桃香を支えられるのは俺じゃない。では仕事に戻る」
踵を返し去っていく秋斗の背中が小さく見えて、雛里は思わず声を掛けそうになったが呑み込んだ。
皆それぞれが与えられた仕事に動き出す中、一人だけ佇んだままだった雛里は悲哀の感情から拳を握る。
桃香様がしっかりと間違いなく選択出来るためだとしても、どうしてこんなにもあの人自ら傷つかなければいけないのか。
雛里はそこで昏い感情を向けそうになっているのを頭を振って追い払った。
無理やり落ちて行く思考を前に向け、彼女もまた他の皆と同じように与えられた仕事をやりきる為に動き出した。
†
寝台に着いた途端に倒れ込み、掛け布に顔を埋めて叫び声を上げた。
止めどなく溢れ出る涙は瞼を閉じようとも溢れつづけ、埋めた布をただ濡らし続ける。
私は友達を見捨てた。
その事実が頭に響き、罪悪感が心の内に降りかかる。
甘い考えで安穏と過ごしてきたツケだとでもいうように、胸の痛みは深く、冷たく私を苛み続ける。
まだ、何も決まってはいない。
でも……私に出来る事は何一つとして無いんだ。
初めはたった一つの想いだった。
誰かの為に、何か一つでも出来る事は無いだろうか。
人の涙は哀しいから、心が痛いから、誰もそんなこと望んじゃいないから。
だから、この世界を変える誰かが必要なんだって思ったんだ。
一番初めにそんな思いを褒めてくれたのは白蓮ちゃんだった。
応援してくれたのも、送り出してくれたのも彼女だった。
そんな大事な人を……私は見捨てる。
ふと、冷たい輝きを持ったあの人の瞳が頭に浮かんだ。
あの人は平然と切り捨てたわけではない。元からこういう事があると考えていて、だからこそ私に対して現実を突きつけてきた。
自然と、歯を噛みしめていた。
何も出来ない事が悔しくて
助けになれないのが不甲斐無くて
あまりにも自分が無力過ぎて
自分にはどれだけ覚悟が足りなかったかを思い知った。否、思い知らされた。
かつての洛陽でのことと同じでは無い。これは私が自分で選んだモノだから。
全て受け入れて、乗り越えなくちゃいけない。
ただ、どれだけ罪悪感が胸を支配しようと、どれだけ後悔しようとも、私はもう理想を叶える為に立ち止まりはしないという想いが、変わらずに……煌々と心の内で光り輝いていた。
それでも……悲しみが溢れ出るから、涙はいつまでも止まらなかった。
†
「思ったよりも大丈夫そうね」
「三人のおかげで潰れないですんだ。きっと独りよがりのままじゃ今回の報告を聞いて壊れてただろうな。心配して来てくれてありがとう」
目の下の隈もすっかり取れて、最近は落ち着いた様子だった秋斗さんが苦笑しながら言葉を紡ぐ。
いつの間にか四日に一度、他の人達には秘密のまま皆で部屋に集まって寝る事が決まっていた。秋斗さんはもの凄く拒否していたが、結局雛里ちゃんに頼まれると断れないようで押し切られていた。代わりに、寝台を少し広めのモノに変える事で妥協案を出したけど。
実の所、雛里ちゃんの恋の応援の意味合いも含んでいるのは内緒だったりする。
今は予てより危険視していた幽州の戦が始まった事で、この人が無理をしていないか確認するために集まっている。
仕事が終わり次第あわあわと慌てながら私達の元に来た雛里ちゃんは、秋斗さんの様子に安心したのか少し落ち着いていた。
「でも秋斗、まだ桃香は一段上っただけよ。これから先の事も考えてるんでしょうね?」
お茶を飲み、大きく息を吐き出してから厳しく注意する詠ちゃんの真意は彼も良く分かっているようで、
「ああ、ここから本格的に変えて行こうと思う。これくらい大きな決断が出来たんだし、きっともう話しても大丈夫だろう。
だが、今の桃香の精神状態じゃあ近いうちには無理だな。暫らくは様子を見よう。幽州の戦、それと徐州の防衛がある程度落ち着いた頃でないと不安が残る」
しっかりと先の事を考えていた。詠ちゃんは満足したように少し頷いた。
「それで? 朱里と話し合った結果、徐州の防衛の件はどれくらい話が進んだんだ、雛里?」
「袁術軍の動きが定かでは無いのでまだ土台構築程度ですが、秋斗さんと鈴々ちゃんはまず先に国境から少し離れた拠点へ物資輸送し、より近い城で駐屯して頂く形になります。
急な物資確保は未だ現状では不可能なため、徐々に輸送致します。他の動きは……やはり諜報能力が違うためどう行動を起こすにも時間が掛かりそうです」
秋斗さんに問われた雛里ちゃんはつらつらと答えを並べて行ったが最後にしゅんと落ち込む。余りの落ち込み様に帽子まで下がって見えた。抱きしめたくなったけど、どうにか我慢しよう。
「了解。もし何かあれば早馬をくれ。こちらもすぐに動きは伝えるから。曹操については……多分詠の予想通りになったんだろう。俺達が動く事も出来ないしそんな暇もないから諦めるしかないな。とりあえずはこんなところか」
これで戦の話は終わった、とばかりに彼は一つ息をついて椅子に少しもたれ掛った。
覚悟していたとはいっても、やはり精神的な疲労はかなりあるように見える。
「お疲れ様です。楽観視しているのかもしれませんが公孫賛さんの騎馬軍はお強いと聞きます。霞さ……神速の張遼相手に抑え込んだとも。なら希望を持ってみてもいいのではないでしょうか?」
少しでも気休めになればと思って自分の思った事を口に出してみた。すると詠ちゃんが少し眉根を寄せて続ける。
「霞の軍を抑え込んだし、外敵からの侵略を跳ね除け続けてきた事を見ても公孫賛の軍は確かに相当強いわ。でも甘い。何が問題かは……秋斗も分かってるわね」
話を向けられて私の頭をくしゃりと一撫でしてから秋斗さんは口を開いた。視界の端で雛里ちゃんが何故か顔を伏せた。
「月、気遣いありがとな。まず一つ目、白蓮の軍は戦略視点も戦術視点も薄く、優秀な軍師と呼べる者が一人もいないんだ。
二つ目、白蓮の凄い所と弱点はたった一人で土台を積み上げた所なんだ。そして、自分が将も軍師も王も……全てを担ってきたが為に前線に立たざるを得ない。兵はその姿をこそ見てきてしまったから。
如何に星と牡丹がいてもそこだけは止められないし、それを見逃すほど袁家は甘くない」
続けようとしたが、そこまでで彼は口を閉じた。その先に続く言葉が何であるかは、分かってしまった、気付いてしまった。
正々堂々と戦うのが袁家であったなら、私達はここにいないだろう。どのような手を使おうとも勝ちに来る。そして袁家であるなら、捕まれば最後、権力の代行者のすり替えの為に公孫賛さんだけは確実に殺されてしまうということ。逃げた場合も――――。
初めから、あの洛陽の時点で希望など無かったのだ。私はそれを……董卓という被害者の立場から、一番残酷な形で突きつけてしまった。
「あ……ああ、ご、ごめんなさい、そんなつもりじゃ無かったんです」
「クク、月は優しいな。あまり気にするな」
ゆっくりと優しく頭を撫でてくれる手は暖かくて、余計に申し訳なくなってしまう。
「まあ、いい機会だ。そのまま理を詰めて行くのもいいだろう。少し付き合ってくれるか?」
「別にそれはいいけど……」
「で、では……秋斗さん……眠くなったらすぐに眠れるように寝台の上で煮詰めましょう」
雛里ちゃんの唐突な提案に、秋斗さんはしまったというような顔をした。
それをみた詠ちゃんはクスクスと笑ってポンと肩に手を置いて諦めろと暗に伝える。
そんな三人の様子に、沈みかけていた私の心も少し落ち着き、最近では決まってしまった配置で並んだ。
いつも通り他愛ない会話を織り交ぜながらも、軍議会場となった寝台の上での夜は更けていった。
†
桃香様の部屋に来て幾刻、沈黙が場を支配していた。
愛紗さんも、鈴々ちゃんも何も話す事が出来ない。
夜に一人では壊れそうな時があるからと言ったあの人の言葉の通りに、私達は主の為に何か出来ないかと思い、ここに来ただけ。
弱々しく微笑む桃香様の表情は儚げで、でも瞳には光が溢れていた。
「ふふ、心配、掛けちゃったね。ありがと、一人にしてくれて」
声は力強く、私達の耳に響いた。
「私は私に出来る事をするしかない。まだ白蓮ちゃんが負けちゃうって決まったわけでも無い。何が起こるかも分からない。なら、今しなきゃいけない事を一刻も早く終わらせないと。その為に皆の力を貸して欲しい」
この方は、決めたんだ。犠牲を払う覚悟を本当の意味で呑んだ。
恩のある友人を己が理想の為に諦観する事を認めた。
余りに弱々しいその笑みは、己が力の無さを自覚し、それでも誰かを救いたいと願う最も尊きモノ。
ふいに、あの人の声と重なった。
ああ、やっぱり……あの人は同じだったんだ。
そんな桃香様を三人で抱きしめた。壊れてしまわぬように、ひび割れてしまわぬようにと。
桃香様はそのまま安らいだのか眠りに着いた。
そのまま、鈴々ちゃんが一緒に寝ようといい、太守用の広い寝台に四人で眠る事になった。
どうか、今は安らかに。これからまた大きな決断があるでしょう。
その度に……いえ、いつでも、あなたが地に落ちないように支えるのは私達の役目です。
あの人はきっと先に天を駆け、その力で支えている。なら私もそこに並び立つだけだ。
そう考えながら私が眠りに着いた先、一つの夢を見た。
藍と橙の重なった空を見上げる夢。日輪と真月が上がるその空は、ただひたすらに美しかった。
後書き
読んで頂きありがとうございます。
原作で、『どうして桃香さんは白蓮さんを助けに行かなかったのか』が描かれていないことを不思議に思ってました。結構重要だと思うのです。
白蓮さん拠点にて、桃香さんが白蓮さんの国が攻められた報告に夜な夜な泣いていたとの情報があったのでこんな感じかなと予想しました。
さて、これからどのように掻い潜るのか、それが一番の問題ですね。
蜀ルートとは少し違う動きがありますし、それらは今後です。
ではまた
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