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A's編
第三十一話 裏 中 (なのは)
高町なのはにとって、それまでの日々をどのように表現したらいいのかわからなかった。
週に何度か彼の魔法の練習のために彼の自由な時間の大半を独占できる日々とわずかとはいえ毎日顔を合わせて、言葉を交わすことができる日々。いったいどっちが幸福なのだろうか。
例えるならば、それは週に何度か大きなシュークリームを食べるか、小口のシュークリームを毎日食べるかの違いのようなものだ。もちろん、毎日大きなシュークリームを食べられるのが最大の幸福なのだろうが、それは高望みが過ぎることをなのはは理解している。
ただわかっていることは、なのはにとってのたった一人の友人である彼―――蔵元翔太との時間は彼女にとってかけがえのないほどに大切な時間ということだ。
彼の笑う顔を見るたびに、彼から名前を呼んでもらうたびに、彼が心配そうに自分の顔を覗き込んでくれるたびに、なのはは胸が幸せでいっぱいになるのを感じる。あの、一人だった半年とちょっと前からは全く考えられないほどに幸福に満ちた時間だった。
だからこそ、その時間を大切にしたいと思うし、もっと味わいたいと思うし、失いたくないと思うのだ。
さて、そんななのはが多少思い悩む日々もようやく終わりが訪れようとしていた。つまり、闇の書の魔力が十二分に集まったということである。今日は、闇の書を封印するための儀式が海鳴市のどこかで行われるらしい。
らしい、というのはその場になのははついて行っていないからである。なのはとしては、翔太の安全を確保するためにもついていきたかったのだが、今回の作戦のリーダーであるクロノが却下したのだから仕方ない。
理由としては、なのはの高すぎる魔力があげられる。儀式魔法というのは、複雑で繊細なものだ。そんな儀式の場所に魔力ランクがSSSを越えることができるなのは―――通常でもSランク程度の魔力を持つ―――がいれば、魔力場が壊れて失敗してしまうかもしれない。そうなれば、今までの苦労が水の泡だ。だから、翔太の大丈夫だよ、という言葉を信じて待つ以外、なのはに選択肢はなかった。
もっとも、その場に行くことは無理でも、覗き込むことは十分に可能なのだが。
今、なのはは自分の部屋からレイジングハートを媒介として映し出されたウォッチャーからの映像を見ていた。
レイジングハートから映し出される映像はひどく単調だ。場所はどこかの廃ビルの屋上だろう。手入れされていない屋上とぼろぼろになったフェンスからそうやって判断する。なにより、いくら今日がクリスマス・イヴとはいえ、ビルにまったく明かりがついていないことがその事実を決定的にしていた。
廃ビルの屋上、その出入口付近で向かい合うクロノと翔太とはやて。翔太ははやての隣におり、向かい合ってるのは実質クロノだけではあるのだが。
なのはにとって八神はやてとは、どうでもいい存在に近かった。
むろん、翔太が毎日彼女の家に泊まっているという事実は腹立たしいことこの上ないし、翔太を家族のように扱うことも何様だと思うし、翔太が出迎えてくれるときさえ隣にいるところがイラッとくる。
だが、それでもなのははあの親友を騙るあの金髪や敵でありながらがのうのうと義妹になっているあの黒い金髪のようにはやてのことを忌々しい存在とは思っていなかった。
―――なぜなら、彼女は下半身を動かすことができない障がい者だから。
はやてを介護するために翔太が近くにいるのであれば―――彼女には家族がいないことはなのはも知っている―――それは正しいことだ。どこからどう見ても、百人に尋ねても百人が『良いこと』、と答えるだろう。だから、そこに翔太がいることは無理のないことなのだ。
この作戦が終われば、彼女の下半身不随も治ると聞いている。ならば、その時、はやては翔太にとってクラスメイトと同じく有象無象の友人になるだろう。ならば、彼がそんな態度になっているのは今だけなのだ。
はやては、なのはのように『魔法』という特別な絆でつながっているわけではない。今は、その彼女の境遇が味方しているだけなのだ。だから、なのはがはやてを気にする理由はどこにもない。翔太が『良いこと』をするのであり、その手助けができるのであれば、なのははお手伝いをするだけだ。
結局、なのはは、今の境遇を言い訳にして心の安寧を図っているだけだった。
閑話休題。
なのはが、翔太たちが廃ビルの屋上へと現れたのを確認してから五分程度が経過した。今は、状況を説明しているだけのなのだろうか、クロノの口が動いている以外は特に様子に変化はない。クロノが持っている闇の書に何も変化はないし、闇の書への封印処置を開始するような様子も伺えない。まるで、休み時間に会話する学生のように彼らは口を動かしているだけであった。
『Master. It's strange』
奇妙だと言われてもなのはにはよくわからなかった。三人が話している。五分間も同じように? 確かにレイジングハートが言うように奇妙ではある。だが、今回の内容について説明しているのであれば、奇妙であると断定することはできない。
今しばらく様子をうかがうべきか、と思った次の瞬間、今まで鮮明だった画像がちらつく。そして、一瞬の砂嵐の後に現れた映像は、今までと同じ場所を映し出しておきながら、全く別の様相を映し出していた。
翔太が倒れ、横に立っているはやてが怯え、そして、クロノが嗤っている姿だ。
『Jamming』
なるほどなるほど、どうやら今まで映像が変化しなかったのは、何らかの妨害が働いていたらしい、などと応えられるような余裕を高町なのはは持ち合わせていなかった。翔太が冷たいコンクリートの上に倒れ伏している姿を見た瞬間に、なのはの思考は一瞬で沸騰している。それでこそ、翔太の横で怯えたはやてや嗤っているクロノが目に入らないほどに。
机の上に置いてあるレイジングハートをがっ、と乱暴につかむと一言だけ告げた。
「いくよ」
『All right my master』
自分の扱いには一切言及せず、己が主に忠実なデバイスはただそれだけを告げると、なのはの衣装をバリアジャケットで包み込み、転移魔法をもってなのはを移動させる。向かう先は、今までのぞいていた廃ビルの屋上である。
転移は一瞬だった。
12月の寒空の下、なのはは姿を現す。空は曇り、コートでも着ていなければ、身を丸めて暖を取りたくなるような冷たい風がなのはのバリアジャケットのスカートをはためかせていた。もしかしたら、もうすぐ雪が降るかもしれない。
だが、しかし、今のなのはにはそんなことは関係なかった。ここがどこであろうとも、どんな天気であろうとも関係ない。彼女の視界に入っているのは、廃ビルの屋上でうつぶせに倒れているなのはの唯一の友人たる蔵元翔太だけだった。そのため、翔太の隣で闇の書とともに黒い魔力光に身を包まれている八神はやても、それを満足げに見つめるクロノ・ハラオウンもなのはの視界には入っていない。
「ショウくんっ!!」
大切な―――何物にも代えがたい友人の名前を呼びながらなのはは突貫する。一直線に向かうは彼の元。なのはは、翔太の真横に着地すると彼の容態を調べるために片膝をつき、彼の顔を覗き込んだ。
翔太の顔は、少し青白かったが、呼吸はしっかりしている。顔が青白いのももしかしたら寒さのせいかもしれない。ともすれば、翔太は寝ているだけだと判断する人も少なくないだろう。
とりあえず、なのははいつぞやのデパートのときのような状況になっていないことを確認して、ほっと一安心といったところだった。翔太が無事であることがわかれば、次に目を向けるのは、当然、翔太をこのような状況へと追いやった張本人である。
その張本人―――クロノ・ハラオウンは、なのはから少し離れたところで宙に浮きながら、嗤っていた。
「おまえが、ショウくんを………」
ぎりっ、と奥歯をかみしめながら、レイジングハートを握りしめ、親の仇でも見るような目を向けるなのは。そんな視線を正面から受けながらクロノは、涼しい顔をして相変わらず笑っていた。
「想定はしていたが、思っていたよりも早い登場だったよ。確かに、彼をそんな風にしたのは僕だけど……僕に構っている余裕はあるのかな?」
その言葉とほぼ同時だっただろう。なのはの持つデバイス―――レイジングハートが『Danger!』と警告を発し、直後に自動で防御魔法≪プロテクション≫が展開されたのは。なのははレイジングハートが急な警告に驚き、同時に行動していた。翔太をかばうように、自分の身体を盾にするように抱きかかえた。
直後、聞こえたのはたった一言だけだった。とある魔導書の終わりの始まりを告げる最初の一言だった。
「闇に、染まれ」
その声の持ち主を中心として闇の雷撃が球状に広がっていく。幸いにしてレイジングハートが自動で展開した防御魔法が間に合ったためなのはと翔太の周囲には被害は全くなかったが、代わりになのはが睨みつけていたクロノはその攻撃に乗じて逃げられてしまった。
闇の雷撃が完全になくなったことを確認したなのはは、胸の中で何事もなかったように呼吸をする翔太に安心して、それからきっ、と鋭い視線で廃ビルの屋上のさらに上に浮かんでいる存在を確認した。
それは、白い髪に黒い衣装に身を包む女性だった。その衣装がクロノを髣髴させ、先ほどのクロノの態度といい、女性の攻撃といいなのはを苛立たせる。こいつらは一体、なんど翔太を危険な目に合わせれば気が済むのか、と。
対して女性もなのはを見ていた。涙を流す瞳で、すべてを憐れむような表情で。
ぐっ、と彼女は涙を本を持っていない右手で拭うとつぶやくように口を開く。
「破壊しましょう。すべてを。主を見捨てたこの優しくない世界を。すべてが主の望みのままに―――」
ばさっ、と背中の翼を広げる。明らかな攻撃体勢。そして、その視線の向こう側には、翔太を護るように傍らに膝をつくなのはの姿があった。
『Master! Her target is you and Syou!』
「っ! ディバインバスターっ!」
なのはは彼女の正体など知らない。だが、それでも狙われているのが翔太と自分であることがわかれば手加減などしない。できるはずもない。すぐさま反応して、今にもこちらに向かってきそうな彼女に照準を合わせて自らが得意としている砲撃魔法をためなしに放った。直後にレイジングハートの先から放出されるのは漫画の中でしか出てこなさそうな桃色の一直線の光だった。
その砲撃魔法に込められた魔力はノータイムで放たれた魔法にしては規格外だ。通常の魔導師が放ったとしてもその威力を出すことは難しいだろう。だが、その砲撃で狙われた黒い彼女は、回避行動も見せずにただ一言つぶやいた。
「盾」
『Panzerschild』
彼女の呟きに彼女の持つ書物が応える。それは黒い円形の防御魔法。なのはの砲撃魔法は、通常の防御魔法で耐えられるほど軟なものではない。しかしながら、彼女もまた通常の魔導師であるはずもなかった。
なのはの放った砲撃魔法は、彼女が展開した防御魔法を打ち破ることはできない。ただ、破壊することはできなくても濁流のように流れてくる魔力を相手に踏みとどまることはできなかったのだろう。まるで魔力そのものに押し流されるように彼女はなのはから遠ざかっていく。やがて、砲撃魔法を終えた時、彼女ははるか上空へ押しやられ、豆粒のような大きさになっていた。
なのはは彼女を遠ざけることに成功した。ただし、それは一時的なものにしか過ぎない。いずれ、彼女はなのはを狙って襲ってくることは明白だ。ならば、なのはは先手を打って迎撃しなければならない。この場に翔太がいる限り。しかし、それは平時なればこそだ。もしも翔太に意識があるのであれば、なのははこの場を離れることもできただろう。だが、翔太は意識を失ったまま眠ったようにコンクリートの上に横になっている。もしも、万が一があった時に避けることさえできないのだ。
よって、なのははこの場を離れることができなかった。しかし、離れなければ翔太により危険が迫ってしまう。
そう、もしも、なのはがひと月前と同じ状況であれば、なのはは離れなければならないのに離れられないという二律背反に葛藤しただろう。しかし、今は仮定そのものが異なる。なのはが離れられない。なのはが相手できないのであれば、なのは以外が相手をすればいい。そのための駒はすでになのはの手元に存在していた。
だから、なのはは呟く。それらを呼び出すための言葉を。
「きなさい」
なのはの口から紡ぎだされた命令はたったの一言。だが、その一言は彼らにとって裏切ることのできない至上の命令だ。
レイジングハートが数回点滅し、そのプログラムを始動させる。大本は彼女―――闇の書から生まれており、すでにレイジングハートの中で新たなシステムとして昇華したプログラムを。
『All right! Guardian knight system wake up』
その輝きはレイジングハートの宝玉から飛出し、なのはを護るように四つに分裂し、周囲をくるくると回る。回りながら、それぞれの光はその色を変える。
一つは桃色から紫へと。
一つは桃色から真紅へと。
一つは桃色から深緑へと。
一つは桃色から白銀へと。
それぞれ色を変える。そして、システムを起動させるための最後のフレーズをシステムを御するレイジングハートが告げた。すなわち―――
『Summon』
―――召喚、と。
直後、それぞれの光は柱となる。天を貫こうかという柱に。その中で一際強く輝くそれぞれの光。まるで、柱の中核がそこにあると言わんばかりに一点が力強く輝く。やがて、その一点を中心として、柱の中で変化を始める。最初は大きな影へと。次に影は人型へと変化する。
光の柱がほどけた時には、そこには四人の姿が見えた。まるでなのはを守護するように、なのはを囲う形で四人は顕現していた。
「我ら、不屈の心の下に集いし騎士」
紫の髪をポニーテイルにした剣を持つ騎士であるシグナムが―――
「主ある限り、我らの魂尽きる事なし」
蒼い獣の耳と尻尾とともに鍛え上げられた肉体を持つザフィーラが―――
「この身に命ある限り、我らは御身の下にあり」
金髪のショートヘアを靡かせ、深緑の衣に包まれたシャマルが―――
「我らが主、高町なのはの名の下に!」
真紅のゴスロリとその子どもような体躯に似合わぬ鉄槌を持つヴィータが―――
なのはの命により守護騎士として顕現するのだった。
なのはは彼女たちに何の思いも持っていない。どこかの少女のように彼女のように彼らを家族とは思っていない。なのはの心情は、どちらかというと過去の闇の書の持ち主に近いだろう。つまり、彼女たちはなのはにとっては道具だ。この場合は、特に。なのはの代わりに足止めをしてくれる都合のいい人形だった。
「いけ」
オーダーは端的にして明快。それだけで守護騎士たちが働く理由には十分だった。
「「「「御意」」」」
四つの声が唱和する。その次の瞬間には、彼らはすでに地面を蹴っていた。向かうは、はるか上空にて待機する黒き翼をもつ女性のもとだった。
なのはは彼らを冷たい目で見送る。分かっているからだ。彼らだけではあの女性を止めることはできない。圧倒的に魔力が足りないし、なのはの砲撃を止められるほどの防御ができるのであれば、彼らの攻撃はおそらく通らないからである。
だが、なのはにとってはそれでもよかった。なぜなら、彼女の目的は彼らが彼女を倒すことではないからだ。ただの時間稼ぎ。彼女が望むことはそれだけだった。
「ショウくん………」
そんなことよりも、今優先すべきは、冷たいコンクリートの上で横になっている翔太のことである。
様子をかんがみるに彼は本当に気を失っているだけのように思えるので、このまま横にしても問題はないだろう。なのはとレイジングハートはそう判断できる。しかし、それでも、なのはには翔太をこのまま冷たいコンクリートの上に横にしておくことができなかった。
問題のある、なしではないのだ。なのはが嫌なのだ。
だが、その一方で、なのははどうしていいのかわからなかった。近くに毛布もなければ、布団があるわけではない。寒さ対策や少しでも寝やすくなるような道具は一切なかった。だからと言って、安眠のための場を作るための魔法があるわけではなかった。
あるのは翔太が着ているコートとなのはのバリアジャケットぐらい。しかし、なのはのバリアジャケットはなのはの身体から離れた時点で意味がなくなる。
どうしたらいいだろうか? と頭をひねらせたところで、脳裏に浮かぶとある光景。なかなか、いい考えではないだろうか、となのはは自画自賛した。
早速行動に移す。まずなのはも屋上の冷たいコンクリートの上に女座りで座る。本来であれば素足がコンクリートに当たって冷たくなるはずであるのだが、バリアジャケットで守られているため冷たくなることはなかった。そのまま、なのははゆっくりと慎重に翔太の頭を両手でつかむとクレーンゲームのように持ち上げていく。少しだけできた翔太の頭とコンクリートの間になのはの膝を入れ、そのまま再びゆっくりと翔太の頭を自分の太ももの上に置く。
膝枕と呼ばれる体勢が完成していた。休日などになのはの父と母がソファーの上でよくやっているのを見ていたなのはが思いついた行動だ。父である士郎は至福の時と言わんばかりに頬を緩ませ、母の桃子もなんとなく嬉しそうな表情をしており、周りは時間がゆっくりと流れているようだった。
それを見ていたなのはは、何がそんなに楽しいのだろうか? と疑問に思ったものだが、今ならよくわかる。
太ももから感じる翔太の体温と重みが何とも言えない幸福を与えてくれるのだ。触れている、触れ合えている。その事実だけでなのは自然と顔がゆるむほどの幸福を得ていた。今だけは、翔太をなのはだけが独占しているような気がして。なのはだけが翔太の今を知っているような気がして、それだけでなのはは幸せだし、気分は最高だった。
なのはの膝枕によって頭を少しだけ上げたことで姿勢が楽になったのだろうか。コンクリートの上で仰向けになって寝ているときも幾分、顔色がいいように思える。
身じろぎしない翔太。事情を知らなければ本当に寝ているようにしか見えない。
そんな安らかな寝顔を見て、太ももに彼の重みを感じているだけでも満足していたなのはだったが、もっと触れたいと欲が出てしまった。彼女が参考にした父と母のように自然と手が伸びた。
なのはの右手が触れたのは、彼の前髪だ。少しごわごわした感じの女の子や少女漫画に書かれるようなサラサラの髪の毛というわけではなかった。それでも、彼の前髪を梳くように右手を動かす。時折、くすぐったいのか、うぅ、と漏らすことがあったが、その度になのははびくっ! となってしまう。そして、また恐る恐る手を伸ばすのだ。
それがなんど繰り返されただろうか。どれだけの時間がたっただろうか。なのはとしては、このまま時間が止まってしまえばいいのに、とは思うものの、それは無理な話だった。
やがて、同じように繰り返しした先に、翔太が目覚める瞬間がやってきた。
髪を梳いている瞬間にううぅ、とうめき声をあげ、それに反応したなのはが手を離した後にゆっくりと翔太が目を開けようとしていた。何度かパチリ、パチリと瞬きを繰り返していた。どこか、少し驚いているようにも見える。
「目が覚めた? ……ショウくん」
起きたばかりの彼を驚かせないようになのははゆっくりと落ち着いた声で話しかけた。その声を聴いて、ようやく翔太はなのはの姿を認めたようだった。確かめるようになのはの名前を呼ぶ。
「なのは……ちゃん?」
「うん、なのはだよ」
彼の口から自分の名前が零れ落ちることが嬉しくて。だから、なのははいつものように笑顔で翔太の呼びかけに応えた。
翔太は、なのはから答えをもらって、現状を把握しているのか、少し思案顔になっていた。翔太の邪魔をしないようになのはは黙って見守っている。そして、現状の把握が終わったのか、翔太は、「―――って、はやてちゃんはっ!?」と言いながら飛び起きてしまった。
なのはは、今まで太ももの上に感じていた翔太の重みがなくなって残念に思う。そして、もう一つ、翔太が八神はやてのことを心配していることが気に入らない。
ああ、あの子狸がいなければ、翔太がこんな風になることもなかったのに。なのに、翔太はそれでも八神はやてのことを心配している。
どこか憮然としない感情を抱えるなのは。だが、その一方で、どこか、ああ、やっぱりと納得したような感情を抱えていることも確かなのだ。
―――だって、ショウ君はいい子だもん。
だから、正しい。少なくとも、今回のことにおいて八神はやては時空管理局の途中までの説明を信用するのであれば被害者だ。だから、翔太が八神はやてを気にするのも当然だ、となのはは考えていた。
その後も翔太は、八神はやての行方を知ろうとしていた。翔太に問われれば、なのはに答えないという選択肢はない。だから、なのはは守護騎士たちが戦っている方向を教える。戦況は五分五分、いや、彼女が本気を出していないことを加味すれば、遊ばれている、あるいは戸惑っているというべきだろうか。
守護騎士たちを介して集めた情報をレイジングハートが解析したところ、どうやらあれは闇の書の管理人格が表に出てきた結果らしい。ユニゾンという状態であり、八神はやての意識は彼女の中で眠っているのだという。そして、その管理人格が戸惑っている理由というのは、おそらく牙をむいてきたのが守護騎士たちという理由だろう。
元来であれば、彼女たちが守護するのは戦っている張本人なのだから。管理人格からしてみれば何がどうなっているかわからないというところだろう。もっとも、現状は何らかの要因によって暴走しているらしいので、いずれその意識に飲み込まれ、すべてを破壊するだろう、というのがレイジングハートの見立てだった。
―――すべてを破壊。
すべてはどこまでを指すのだろうか? とも考えたが、レイジングハートの答えは簡単なものだった。つまり、『世界』だと。
世界とはこの地球のことだろうか。ならば、なのはは彼女を止めなければならない。たとえば、対象が『世界』であっても、彼―――翔太がかかわらないのであれば、どうでもよかった。彼女にとって、『世界』とは、彼女が知覚できる『世界』とは、蔵元翔太とともにあることなのだから。
よって、その『世界』を壊そうとする彼女は、以前の黒い金髪と同じく、なのはの『敵』だった。
だから、だから、壊してしまおう。なのはの世界を壊そうとする彼女を。
そんな決意をもって、ぎゅっ、とレイジングハートを握りしめるなのは。
だが、そこに一抹の不安がよぎる。なのはが敵とみなしたのは、闇の書であり、翔太が心配してる彼女である。ならば、この決意が正しいのかなのはにはわからなかった。前回、あの小さな赤い少女との戦いのときはうまくいかなかったことがさらに拍車をかけている。
だから、なのはは聞いてみるのことにした。翔太に。彼はいつだって正しかったから。だから、だから、きっと―――
「―――ショウ君はどうしたい?」
「え?」
少し驚いたような表情。もしかしたら、こんなことを問われるとは思っていなかったのだろうか。だから、返答までには少し間があった。
だが、やがて自分の中で結論が出たのか、どこか決意を秘めた顔で口を開く。
「止めたい。うん、僕は彼女を止めないと……」
『僕は』と考える部分はわからなかったが、どうやら彼の出した結論はなのはとは異なるようだった。当たり前だ。先ほど、なのはがどこかで納得したように翔太からしてみれば、八神はやては被害者なのだ。だから、助けなければならない。止めなければならない。
なのはとしては、翔太を傷つける、傷つけようとするような危険人物は壊してしまいたいのだが、それは翔太の意にそぐわないようだった。
だが、なのはは翔太の言うことを無視することはできない。無視することはできない。だから、その危険人物をそのまま止めることを少しだけ危惧しながら、それでも翔太の決めたことだから、と笑顔で応える。
「うん、そうだね。ショウくんなら絶対そういうと思っていたよ」
そう、そうなのだ。翔太は正しい。だからこそ、翔太が彼女を『助ける』と言うことも心のどこかで思っていた。なのはは壊してしまったほうが、危険性がないのでは? と思うのだが、それはそれだ。お互いに相容れない考えだったならば、なのはは翔太を取る。それが正しいからだ。
そして、そうと決まれば、一刻も早く止めるべきだろう。いづれ、闇の書は暴走してしまう。その時になれば、止められるかわからない。止められるとすれば、完全に暴走が始まるその前までだろう、とレイジングハートは結論を出していた。
なのはは、自らの足にフィンを展開して空へと浮かぶ。
「あの子を止めてくるね」
「ちょっと待って! 僕も―――っ!」
守護騎士たちが戦っている場所へと向かおうとしているなのはに翔太が声をかける。だが、その言葉の途中でなのはは、彼の言葉を止めるように首を横に振った。
確かに翔太の『彼女を止める』という判断は正しいかもしれない。しかしながら、それが翔太にできるか? という問いには、なのはもレイジングハートも首を横に振る。ちょっと手を合わせただけでも彼女の危険性は理解できる。ただでさえ、翔太の魔力は守護騎士を下回っているのだ。到底、守護騎士四人を相手にしている彼女の相手ができるとはお世辞にも言えない。むしろ、翔太が傷つく危険性が高い。だから、この判断にはなのはは首を横に振らざるを得なかった。
「でも……」
しかし、翔太は納得がいかない様子だった。もしかしたら、なのはだけを戦場へと送ることに心が咎めているのかもしれない。翔太は優しいから、そういうところに気がいくのだろう。ならば、ならば、翔太の心が咎めないように、代わりの条件を出そう。戦場に行かなくても、翔太が傷つかなくてもいいような条件を。
「だったら、ショウくんが応援してよ。頑張れって。それだけで私はきっと強くなれるから」
そう、それだけでよかった。翔太が応援してくれることはなのはが正しいことを、いい子であることを証明してくれるから。なによりも、応援がなのはに向けられるということは、翔太がなのはを、なのはだけを見ている証だから。それだけで、翔太が見てくれている、それだけでなのはは万の大軍でも薙ぎ払って見せるだろう。
やがて、何かを考えていた翔太は、うん、と自分を納得させるようにうなずいて口を開く。
「なのはちゃん、頑張って!」
うん、と返事しながらなのはは頷くと、視線を翔太から暴走しながら守護騎士と戦っている闇の書へと目標を見据えるように変更する。
翔太からの応援をその身に受け、心の中を翔太が見てくれることへの歓喜でいっぱいにしながら、なのはは夜の海鳴の街の空を駆けるのだった。
つづく
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