虹との約束
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第一部
第二章
さよならの序奏
前書き
それは突然だった
冬休みも終わり、白銀の季節もピークを迎えた、二月のある日だった。
真里の家で、家族会議があった。
父親が第一声を発した。
「単刀直入に言うよ。俺が本社の経理課長になることになった。」
家族で小さな拍手が起こった。だが、父の目は暗かった。
「だが、本社は大阪にある。どうしても、引っ越さなければならない。幸い今の家より状態のいい空き物件がごろごろあるから、引っ越し先は問題ないんだが、真里には転校を考えてもらうことになる。」
真里は呆然とした。真っ先に頭に浮かんだことは言うまでもないだろうが、それを差し置いても、友達全てと離れてしまうことになる。なじみの土地からもお別れだ。きっと何がどこにあるのかわからなくなってしまうだろう。
「そんな…」
「これは仕方のないことなんだ。単身赴任するという手もあるが、もう大阪から戻ることはないだろうし、高校受験の前だから、まだ都合がいい。この際一家で引っ越してしまう方が効率的だ。家賃もかからないしね。」
父は自分で頷いている。
「都合がいいって…勝手なこと言わないでよ。私にだって…」
「これは仕方のないことなんだよ。真里には申し訳ないけど、どうかわかって欲しい。覚悟を決めておいてくれ。」
そう言うと、父は足早に部屋に入っていった。話題から逃げているとすぐにわかった。ただでさえ大人に苛つきやすいこの時期、真里は並みならぬ憤りを感じた。
同時に、喪失感を感じた。心の中まで空っぽになってしまったような気がした。寒気さえ感じた。
祐二とも、終わりなの?
バレンタインデーになった。
放課後、二人は河川敷で落ち合った。生徒の行き帰りも少ない、貴重な場所だった。少し寒かったけれど、雨は降っていなかったし、クロッカスなども咲き始めていて居心地がよかった。
「はい。バレンタインチョコ。」
真里がそっとチョコレートを差し出す。祐二はありがとう、とそれを受け取った。
その時祐二は真里がいつもと纏う空気が違うことに気づいた。
「何かあったの?」
聞くと、真里は慌てて首を振った。信じられなかったけれど、それ以上問い詰めるのも酷だと思った。
祐二は話題を変えた。
「今日はね。僕もプレゼントがあるんだ。これ。」
祐二は、買ったばかりの金色のロケットをポケットから取り出した。
「え?私にも?うわあ、きれい。え、でも今日バレンタインだよ?」
喜びと疑問の合わさった不思議な気持ちが、祐二にも伝わってきた。
「バレンタインって、本当は男女が愛を誓い合う日なんだって。日本ではチョコレート業界の影響で女性がチョコを贈る日になってるけど、本当は違うんだよ。だから、君も受け取って欲しいな。」
彼女の手を取って、祐二はロケットを手のひらにのせた。
「ありがとう。付けてみていい?」
「もちろん。」
彼女はそっとロケットを着けた。それは彼女の胸元で金色にきらきらと輝いた。とてもよく似合っていて、祐二はほっとした。女性にアクセサリーを買うのは初めてだった。
「似合う?」
「うん。とってもよく似合うよ。きらきら光って…」
祐二はしばらく見とれていた。真里も嬉しそうに微笑んだ。河が流れるさらさらという音が、二人の耳に、話しかけるように聞こえてきた。
「雪降らないね。」
照れ隠しもかねて、祐二はつぶやいた。
「そうだね。」
真里が応じる。二人とも雪が好きだった。ずっと降らないか、と楽しみにしていて、もう二月十四日になってしまった。気温は十分低いのだが、雨雲がないらしい。
「降るといいよね。」
祐二は、真里と雪を見るのが夢だった。白銀の世界を二人で歩きたい、と。
「無理かもしれないね。」
真里が切なげに言った。なにか変だ、と祐二は感じた。
「そんな悲しいこと言うなよ。」
「だって…」
「だって、なに?」
「だって、悲しすぎるから…祐二、ごめん。またあとでね。あとでちゃんと話すから。」
そう言うと、真里は慌てたように河川敷の坂を登っていった。その背中を見送って、祐二は大惨事を予感した。浮気疑惑のときとは比にもならない、不安と焦燥を真里から感じた。
祐二はそっと、チョコレートを口へと運んだ。ほろ苦い感じがした。
抱え込むなよ、と祐二は小声で言った。それは白くなって、冬の空に消えていった。
一週間後、事件は起きた。
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