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A's編
第三十一話 裏 前 (グレアム、クロノ)
ギル・グレアムは、これが夢だと自覚していた。
この夢は決まってグレアムの罪をまざまざと見せつけてくる。
夢の空間の中、暗い闇が支配する空間。そこにグレアムは立っている。周りには何もない。いや、ただ一点だけ、グレアムから少々離れた場所にポツンと人影が見えた。
その人影は、グレアムが直接見た記憶はほとんどない姿。だが、一方的によく知っている姿だ。
ショートカットの茶色の髪をヘアピンでまとめ、大柄のグレアムの半分ぐらいしかない少女。その姿は、グレアムの罪そのものである。
目を逸らしたい。だが、逸らせない。逸らすことはできない。直視することだけがグレアムにとっての贖罪だった。
仕方ない、仕方ない、と心の中で何度言い訳しただろう。なぜ、彼女のような少女が闇の書の主なのだろうか、と何度世界を呪っただろうか。
グレアムが見つけた主が、極悪人であればよかった。老い先短い老人であればよかった。もしも、そうであるならば、これほどまでの罪悪感を感じることはなかっただろうから。
もしも、代われるものならば代わってやりたい。しかし、それは不可能だ。
だから、グレアムは悪魔のささやきに応えた、応えてしまった瞬間から覚悟していたのだ。もっとも、覚悟しただけですべてを跳ね除けられるほど人間強くないものだ。
彼女が―――今回の闇の書の主である八神はやてがゆっくりと近づいてくる。その表情は俯いていてわからない。いや、これがグレアムの夢だとしたら、逆だ。わからないのではない、知りたくないのだ。
呪われることを覚悟している、怒りを抱かれることを覚悟している、だが、それでも直接むけられたくないというのが人の本能だろう。夢という空間だからこそ、それが如実に表れている。それでも、彼女の姿がグレアムの視界から消えないのは、グレアムの覚悟の表れだろう。
やがて、八神はやてはグレアムの一歩手前まで近づいてきて、その歩みを止めた。永遠ともいえるような時間が経った後、彼女は今まで見せていなかった顔を上げてグレアムを真正面から見つめる。
「なぁ、なんで私がこんな目にあうんや?」
その瞳は、悲しみの涙で濡れていた。
◇ ◇ ◇
ギル・グレアムは目が覚めるのを自覚した。
ゆっくりと開いた瞼の向こう側に見えるのは、室内を照らす明かりだ。もっとも、グレアムの記憶が正しければ、眠る前に明かりはすべて消したはずなので、誰かがつけたと考えるべきだろう。その誰かを考える必要はない。この部屋にグレアムの許可なく入れるのは、自分を含めれば三人しかいないのだから。
「お父様、目が覚めましたか?」
「ああ」
そう答えながら、グレアムは体を起こす。
グレアムを父と呼んだのは、セミロングの茶色の髪の毛を持つお嬢様のような雰囲気を持った女性だ。その傍には、双子のように顔立ちがそっくりな、ただし髪の毛はショートにした女性が立っていた。
お父様と呼ぶ彼女たちだが、グレアムの娘というわけではない。なにより、娘とするなら、彼女たちには人間には決してありえないものがついている。それは、頭に生えている一対の猫耳だ。コスプレのために着けるカチューシャのようなものではなく天然ものだ。
ならば、彼女たち―――リーゼアリアとリーゼロッテとは、グレアムにとっての何なのか。答えは、使い魔だ。グレアムの魔導師としての使い魔としての存在。それが、彼女たちだった。
二人いるのは、お嬢様のような雰囲気を持ったリーゼアリアが魔法に秀で、リーゼアリアが格闘術に秀でるという役割分担をしているからだ。通常ならば、一体の使い魔と行動を共にするだけで魔導師として現場で働ける人材は稀だというのに、グレアムは二体もの使い魔を伴いながら、現場でも獅子奮迅の働きをする。それが管理局で英雄と呼ばれる男の実力だった。
「あれ? お父様、なんか寝てた割にはすっきりしてなさそうだけど………」
どこか不思議そうな表情でリーゼロッテが小首を傾げながら問う。
リーゼロッテの見立てはある意味正しくて、ある意味間違っていた。
確かに寝る前よりも体力は回復している。魔力も漲っており、このまま現場に出ても問題ないほどだ。だが、体は好調であっても心はそうはいかない。少女一人の人生と命を犠牲にした作戦。それだけで、グレアムにかかる心労は相当なものだ。しかし、10年前の後悔と二度と繰り返してはいけないという想いが、この作戦へとある種の狂気をもって駆り立てていた。
その裏には、過去の命を犠牲にしてしまった後悔から、自分たちがやらなければならない、という想いもあるのかもしれない。
もしも、グレアムがこの作戦を立てなかったとしても結論は同じだろう。闇の書の主はある種の自滅をもって命を散らす。ならば―――、そう考えた部分もないともいえない。
そして、それらのグレアムの想いと後悔を乗せた作戦は現在も順調に進んでおり、現状では最終段階に来ていた。
「いや、大丈夫だ。それよりも、お前たちがここに来たということは……」
「そうです。お父様、舞台の準備は整いましたわ」
腕を組んで澄ました表情で告げるリーゼアリアにグレアムは、そうか、と一言答えた。
彼女が告げた舞台―――それは、この『闇の書封印』作戦が最終段階に至ったことを告げていた。
ここから演じられるのは、一人の少女を犠牲にした悲劇と一人の英雄を生み出す英雄譚だ。脚本と監督はギル・グレアム。役者は、グレアムが誇る愛娘、リーゼアリアとリーゼロッテ、そして、巻き込まれた―――そう、巻き込まれたと称するのが正しい少年と少女である蔵元翔太と高町なのはである。
「それでは、行くとしようか」
グレアムは眠っていたベットから降りると時空管理局の制服に着替えた後に身だしなみを整えて彼女たちに告げた。
―――さあ、最終幕の始まりだ、と。
◇ ◇ ◇
「今回までの調査で分かったのはこのくらいだね」
「そうか……わかった。引き続き、調査を続けてくれ」
もう、一秒も惜しいと言わんばかりにクロノ・ハラオウンは無限書庫の調査を依頼しているユーノ・スクライアとの通信を切った。あちらとて、こちらの事情は知っているはずだ。ならば、このことにも文句は言わないだろう。感情の揺れ動きが大きいやつならまだしも、クロノが見た限り、ユーノ・スクライアという人間は、頭は冷静を保ちながら、心を滾らせることができる人間だ。
そうでなければ、一人の少女の命がかかっているからと言ってこんな無茶な依頼を受けることはできないはずだ。なにより、彼の眼の下にできた隈がそれを証明していた。
ユーノとの契約は、期日ぎりぎりまで調査を続けることだ。成果自体を期待しているわけではない。なにせ、相手は無限書庫。そこから一連の資料を一部とはいえ探し出すのにはチームを組んで最低三か月は必要なのだから。それを人数が増え、チームの体裁をなしているとはいえ、女子どもでできたチームにわずか一か月で数百年に及ぶ闇の書―――否、夜天の書の記述を調査させているのだから。
現状は、夜天の書がユニゾンデバイスであり、貴重な魔法を記憶しておく役割を持った書物だと判明した。そして、ヴォルケンリッタ―とは、夜天の書に書かれた貴重な魔法を狙う輩から夜天の書を護るための騎士だということも。
そんな夜天の書がどうして闇の書になったのか、そのあたりははっきりとした資料は見つかっていない。だが、もともとあった転生機能によって主を転々としていくうちにウイルスともいうべき機構を組み込まれ、結果として夜天の書は闇の書となった。
だから、クロノはある一点に一縷の望みをかけた。つまり、闇の書から夜天の書への再生だ。
そのための資料をユーノには探させていた。夜天の書が作られたであろう古代ベルカ時代の書物を。
もっとも、ベルカ文明の貴重な資料―――ベルカ時代の資料を保管している聖王教会ですら持ってなさそうな―――が無限書庫にあることが不思議でならないのだが、『無限書庫』だから、の一言で片が付けられるような気がするところが恐ろしいところである。
しかし、何にしても残された時間は少ない。
なのはの協力によって闇の書の残存ページ数は残り数十ページになった。あと一回竜狩りを行えば間違いなく闇の書は666のページ数を埋めることができる。その先に待っているのは八神はやての時空牢への永久凍結である。
そんなことが許されるのか、とクロノは憤る。
確かに、八神はやてを放置した後の結果は最悪なものになるだろう。特に魔法文明が存在しない地球ではどれほどの規模の被害が出るかわからない。しかし、今回は幸運にも先に発見できたのだ。
ならば、時空管理局が掲げる正義が本物であるならば―――少なくともクロノたちの派閥である穏健派が掲げる理念に従うならば、時空牢への永久凍結というような重大犯罪人のようなあつかいではなく少女を救うために全力を尽くすべきではないだろうか。
今、ユーノに頼んでいる調査にしても、時空管理局が本気でチームを組んでくれていれば、今頃解決方法が見つかったかもしれない。
それを考えれば、ユーノが女子どもとはいえ、人数を連れてきてくれたのは助かった。スクライアの魔法を使えるだけで探索という分野においては十分に戦力になったからだ。もしも、ユーノ一人に頼んでいたならば、どこまで進んだのか怪しい。
もっとも、彼らをまとめ集めてきた情報を解釈するユーノの調査能力や精査能力にも目を見張るものもあるが。
いくらイフを重ねても仕方ない。幸いにして、今は12月の初旬と中旬でかなり出撃回数を重ねてしまったから、という理由で最後の出撃を伸ばしているが、それもいつまで伸ばせるかわからない。少なくともグレアムたち上層部は地球で言うところのクリスマスまでの解決を望んでいるのだから。
いや、今までの経験から言えば闇の書が堪え切れる期間ぎりぎりがそのころなのだ。少なくとも、何もしなければ八神はやては年を越える前に闇の書にリンカーコアを喰われて、死に至るだろう。そして、闇の書は転生機能によってまた次の主の元へと向かうのだ。再び破滅をもたらすために。
できれば、グレアムによって時空牢で封印されることも、闇の書による自滅も防ぎたい。
その二つを願うことはおこがましいことなのだろうか。だが、その両方を達成できなければ、八神はやてという少女はこの世から消えてしまう。
ならば、時空管理局の正義に、いや、違う。時空管理局とは同じベクトルの正義を持った者たちの集まりだ。たとえば、グレアムのように一人を犠牲にしても多数を救う正義も時空管理局の中にはある。だからこそ、今回の作戦は時空管理局の総意として認可されたのだから。
だから、クロノが八神はやてを助けたいという願いは、その願いは決して時空管理局の正義からの願いではなく、クロノ・ハラオウンが胸に抱いている正義なのだ。ただ、目の前の手の届く範囲にいる少女を救いたいというクロノ・ハラオウンの正義だった。
「………ユーノ。頼むぞ」
クロノは通信が切れた向こう側で戦っているであろう知人を思う。同時に、この方面に関して何もできない自分を呪う。力づくであるならば、まだ戦いようもあったのだが、この戦いは知識や文化方面による戦いであり、クロノは門外漢だった。だから、せめて彼が働ける時間を稼ぐために動こうと思った。
―――1秒でも長く時間を得ること。
それがクロノにできる唯一のことだった。
だが、クロノは忘れている。先ほど、時空管理局は異なるベクトルの正義の集まりだと考えた。ならば、クロノが自らの正義を実行したいようにほかの者も自らの正義を実行するのだと。
「クロノ、入るぞ」
「グレアム提督――っ!」
執務室のドアが自動的に開いて入ってきたのは、クロノが所属する派閥のトップに位置する提督でもあり、自らの恩師たちのマスターでもあり、今回の作戦を立案したギル・グレアムだった。その二歩後ろには、彼の使い魔でもあり、クロノの師匠でもあるリーゼアリアとリーゼロッテが控えていた。
彼らの雰囲気は、これから話題話をしようというほど穏やかなものではなかった。むしろ、どこか尖っているような、ピリピリとした空気を肌で感じている。
もしも、任務の途中の戦地であればクロノはすぐさまにデュランダルを構えていただろう。だが、相手が恩師であること、ここが執務室であることも合わせて一瞬だけ判断が遅れた。そして、その判断の遅れは致命的ともいえた。それは、過去に師匠であるリーゼアリアとリーゼロッテにも言われたこと。
―――戦場の一瞬の躊躇や戸惑いは致命的なものになる、と。
だから、次の瞬間、クロノは彼女たちの行動にまったく動くことができなかった。
「なっ!?」
クロノが驚きの声を上げたのも無理はない。
一瞬の剣呑な雰囲気を感じ取ったクロノが、懐からデュランダルを取り出そうとした瞬間に、リーゼロッテが風のように動き、クロノの右手をひねりあげたかと思うと、リーゼアリアがカードを片手に束縛系の魔法を使う。一瞬の間にクロノは反撃手段を封じられ、動きを封じられていた。
「なにをするんだっ!?」
クロノは、状況が理解できず叫ぶ。
その叫びに対して3人の雰囲気は変わる様子は見られなかった。ただ、剣呑とした雰囲気と一瞬たりとも気を抜くような気配を見せない。あのリーゼロッテだって、今は真剣な表情をしている。
クロノの執務官としての頭脳は状況を理解しようとして必死に回す。状況確認と冷静な判断を下そうとするのだが、上手く回らない。状況を把握する前に疑問が浮かんでくる。なぜ? どうして? という疑問が。
「クロノ」
3人の剣呑な雰囲気の中、口を開いたのはグレアムだった。
「お前には、このまま作戦終了までこの部屋にいてもらう」
それは、お願いでも、依頼でも、命令でもなく決定事項だった。それ以外の道は認めないとでもいうように。グレアムの表情からは何も読み取れない。ただ、目を見ればわかる。彼には何か強い意志のようなものが籠っていることだけは。それは、誰にも動かせない岩のようなものだろうか。
だが、動けない、動かすことができないからと言って、このまま「はい、そうですか」と受け入れてやるわけにはいかない。
「どういうことですか!? グレアム提督!」
情けないことだが、クロノにとっては、叫ぶことだけが唯一の反抗といってもよかった。
クロノの叫びにグレアムは、応えない。ただ、無表情の能面のような冷たい表情でクロノを見つめるだけだ。クロノだって、自分を拘束するぐらいなのだから、何らかの理由があって、それを素直に答えてくれるとは思っていない。叫んで、問いかけたのはせめてもの抵抗だった。
しかし、その答えは意外なところから返ってきた。
「理由はあんたが一番知ってるだろう?」
「なんだって?」
「無限書庫、闇の書―――そして、夜天の書」
まるで双子が示し合わせたように言葉を紡ぐ。そして、リーゼアリアが口にした単語がすべてを物語っていた。クロノがこの状況に陥っている理由を如実に示していた。
「……知って、いたのか」
ばれていないつもりだった。少なくとも、ユーノたち一族への調査費の支払いは執務官が個人で使える捜査予算の中から出していたし、それらの捜査結果に関してはクロノが報告書とともに提出している。今回の闇の書事件で調査を行うのは別段怪しい話ではない。リーゼアリアたちにも勘ぐられているとは思っていたが、ここまで直接的に行動に出るとは考えていなかった。
「当たり前だよ。あんたは、熱血そうに見えて冷静さをどこかで忘れない。悪あがき、ってやつを考えるぐらいなら、次の行動に移してるね」
「そう、だから、私たちは理解した。あなたは無限書庫で何かをつかみ、そして、それは希望になっている」
付き合いが長いことが災いしたのだろう。彼らは誰よりもクロノのことを知っていた。確かに彼女たちの言うとおりだ。もしも、ユーノの調査が想像以上に順調でなければ、おそらくクロノはユーノに謝礼金を支払ってそこで打ち切っただろう。間に合わない、と結論付けて。
その場合、クロノはおそらく次の行動に移ったはずだ。たとえば、高町なのはに協力を依頼する、などの別の行動に。
そのような行動が見られなかった以上、クロノは何かしらの成果をつかんだと思われたのだろう。確証はなかった。しかし、彼らはクロノがつかんだ『何か』が怖かったのである。
「そんなに……そんなにあの作戦を進めたいのか!?」
リーゼアリアの口から出てきた言葉、『夜天の書』。その言葉が彼女の口から出てきたということは、少なくとも彼女たちもつかんでいるのだ。闇の書の正体を。だが、それでも、彼らは彼らが提示した作戦を進めようとしている。クロノから言わせれば、一人の少女を犠牲にした作戦を。
「違う、違うよ、クロスケ」
「私たちだって、好きでやってるんじゃない」
「だった、なぜっ!?」
そうクロノが憤るのも無理はない。今回の作戦の指揮官はギル・グレアムだ。彼が作戦変更の決断を下せば、容易に彼女の犠牲は避けられるかもしれないのに。
「―――ならば、クロノ。お前が抱いている希望に目途はついたのか?」
今まで黙っていたグレアムが口を開く。その言葉に今度はクロノがぐっ、と押し黙るしかなかった。なぜなら、クロノが抱いている希望は、ユーノが未だに探している闇の書を再生へと導く資料。ただ、その一つだけであり、それ以上はなかった。それが見つかれば、闇の書は夜天の書という無害なロストロギアへと変わり、少女が犠牲になることもなくなる。
しかし、それは希望であり、目途が立ったわけではない。不眠不休でユーノたちスクライア一族が探しているが、よほど深いところにあるのか、あるいは、無限書庫には存在しないのか、いまだに見つかる兆候は見られない。
「そういうことだ。目途のつかない作戦のために邪魔されてはかなわない」
「そんなこと―――」
するはずがないっ! という言葉は、リーゼアリアとリーゼロッテの冷たい視線によって止められた。
「それはどうかな? クロスケ、あたしたちがしている事に反対だろう?」
当たり前だ。誰かを犠牲にして得られる平穏に意味はない、とクロノは思う。こうじゃなかったはずの出来事に巻き込まれることはあるだろう。それが世界なのだから。だが、誰かをこうじゃなかったはずの未来に巻き込んでいいとは思わない。ましてや、相手はいたいけな少女だ。一人の少女の未来を閉ざすことなど許されはしない。
「なら、ぎりぎりで邪魔してもおかしくない。いや、それほどの危うさを持ってもおかしくないでしょう? 闇の書はあなたの親の仇なのだから」
それは事実だ。前回の闇の書は、クロノの父親のクライドの船ごとアルカンシェルで亡くなった。しかし、そのことにクロノは何の感慨も持っていない。確かに悲しい記憶はあるが、子どものころの記憶であり、すでに心の整理はすんでいる。むしろ、感情的になりやすいのは―――。
「それは、君たちのほうじゃないのか?」
クロノの問いには表情を変えやすいリーゼロッテが若干、歪んだ表情をすることで応えていた。
クライドの直接の死にかかわった人間。それが目の前のグレアム、リーゼアリア、リーゼロッテだ。グレアムにしてみれば、可愛がっていた部下、リーゼアリアとリーゼロッテとも仲は友人のように良好だったと聞く。しかも、クライドを犠牲にしたのは、闇の書を護送中の出来事。たられば、を考えても仕方ないが、彼女たちの中では多大な後悔も積み重なっているだろう。
つまり、両者はまったく逆のベクトルの正義を持っている。
クライドが犠牲になっておさめた闇の書事件だからこそ、今度は誰も犠牲を出したくない―――クロノ。
クライドの敵討ちとこれ以上の犠牲を出さないためにも何が何でも闇の書を封印したい―――グレアム、リーゼアリア、リーゼロッテ。
すべては十年前から起因している両者の対立ではあった。
「確かに、多少の私怨が入っていることも認めよう。だが、それ以上、時空管理局の提督としても闇の書をこれ以上放置はしていられない。たとえ、今回の処置が一時的なものだとしても、闇の書を抑えている事実は大きい」
「………気付いていたんですか?」
「当然だ」
クロノが言いたいのは、今回の封印処置が一時的なものにしかならないだろうということだ。
闇の書という強大な力。それが目の前にあって、手を出さない人間がいるだろうか。いつか、どこか、闇の書という存在を忘れたころにきっと誰かが封印を解く。力にあこがれるものが、手に余る力だとわかっているのに手を出さずにはいられない人間というのがこの世にはいるのだ。
だから、永久凍結といっても一時的なものにしかならないだろう、とクロノは考えていたのだ。そして、それを対抗策ができた時の言い分にするつもりではあった。
「だからこそ、クロノ、今回は傍観者でいてほしい。そして、今回の作戦のあと、彼女を護ってほしい。そして、いつか彼女を解放してくれ……」
しみじみと語るグレアムに思わずクロノはかっ、と血が上った。いつも冷静を心がけているクロノが珍しくである。だが、無理もないことである。グレアムの言い方はあまりにも自分勝手すぎたから。
自らの作戦で一人の少女を犠牲にしながら―――しかも、それが対症療法に過ぎないことを知っている―――その後始末をすべて自分に丸投げしようというのだから。
自分が尊敬した提督の姿はそこにはないように思えた。
「それは……それは、提督自らがすることです」
かっ、となった頭を何とかなだめながらクロノは口にする。
最後まで責任をとれ、とクロノは言いたかった。言わずともその言葉はグレアムに伝わったようだ。わずかに動いた眉がそれを示していた。
「できることなら最後まで見届けたかった。いや、見届けるべきだった」
ふぅ、とため息でも吐きそうな口調で言うグレアムの表情の向こう側に見えたのは諦観の情だった。
「クロノ……私は、この作戦が終わったら退任する」
「なっ!?」
その一言はクロノにとっても衝撃だった。
グレアムは、時空管理局の英雄とみなされており、また時空管理局の穏健派の重鎮の一人でもある。その彼が退任するということは、時空管理局に大きな影響を与えることは間違いない。内部的にも外部的にもだ。
ギル・グレアムという名前は過去の業績と相まって、この年齢になってもどこかで抑止力となっていた。つまり、背後にはグレアムが控えているという大きな抑止力だ。だからこそ、時空管理局内部には大きな影響力を持っているし、穏健派の重鎮として君臨できたのだ。
その彼が退任するということは並大抵のことではない。利害関係や内部組織への影響力を考えると、やめます、と言って簡単にやめられるものではないだろう。引き継ぎに一年近く、それから後始末と合わせると三年は準備が必要だ。すぐにやめられるタイミングがあるとすれば、本当に彼が急死した時だけだろう。
「何を考えているのですか!?」
「クロノ―――この作戦の欠陥は先ほどの一つだけではないのだよ」
そう言いながら、グレアムは懐からカードを取出した。そのカードはクロノにも見覚えがある。彼が今、持っているデュランダルにそっくりだ。
もともと、デュランダルは今回の作戦の要だ。デュランダルが持つ強力な氷結魔法で永久凍結する。それが作戦の最終項目なのだから。だから、デュランダルに闇の書が封印できるほどの出力が出せるのか? というのが懐疑的な目で見られていた。だからこそ、クロノが先に試作品を使って、改良点を研究させていたのだから。
その問題は目途がたった、と定例報告で報告されていたはずだった。
「確かにデュランダルのリミットを外して魔力を最大限つぎ込めば、闇の書の永久凍結は可能だ」
それは11年前の闇の書事件で観測した暴走間際―――魔力が臨界に達し、一度落ちる瞬間だ―――の魔力から判断したので、ほぼ間違いないとのことである。
それでも、クロノはグレアムの一言が聞き逃せなかった。
「リミットを外す?」
通常、デバイスには自らのリンカーコアの限界を超えて行使しないようにリミッターが付けられている。それを外すとグレアムは言ったのだ。だからこそ、クロノはグレアムが退任するという理由に思いついた。
「まさか………」
思い至ったクロノに共感したのかリーゼアリアとリーゼロッテも沈痛な面持ちで顔を伏せる。
「そうだ。私のリンカーコアの限界を振り絞ってようやく、と言ったところだ。老兵の花道としては、いささか後味の悪いものだがね」
リンカーコアの限界を振り絞ると、何らかの後遺症が残ることは間違いない。一般的には出力の低下があげられる。それが、若いころの肉体ならまだ回復する余地は見込めるだろうが、グレアムは白髪が混じる老体だ。さらに、強力な使い魔も二体所持している。
もしも、双子を解放すれば、グレアムも一線に残れるかもしれないが、家族のような存在の二人を解放するつもりがグレアムにあるとは考えにくい。
つまり、作戦後のグレアムはその職には力不足になってしまうのだ。もしも、これが一般的な提督ならば問題はないかもしれないが、グレアムは名前をとどろかせる英雄。その英雄の力がそがれたという事実はやはり時空管理局内外に影響を与えるだろう。
「先ほど言った意味がわかるだろう? 君には、私の後継になってもらわなければならない。だからこそ、大人しくしてもらわなければ。いや、少しの反抗はいいのだが、決定的な部分で邪魔をされてはすべてが台無しになる」
グレアムが危惧していることが分かった。つまり、最後の段階でクロノが邪魔しないか不安なのだ。ユーノという希望があるからこそ、クロノが最終的段階で手を出してくる可能性をグレアムは見たのだ。
もしも、クロノが作戦を邪魔したらどうなるだろうか。それも、まだ希望が見えている、という段階でだ。もちろん、クロノの行動は命令違反であり、処罰の対象になってしまう。その後、作戦がうまくいったとしても、クロノがグレアムの後継になることは不可能だろう。
クロノが考えるに、グレアムにとってベストは、今回の作戦に内心、納得しておらず、それでも命令に従いながら作戦を最後までやり通すということだろう。グレアムがやめた後、クロノと同様に今回の作戦に納得していないものは、グレアムを恨みながら新しい清廉潔白な後継者であるクロノを受け入れることだろう。
「大丈夫だよ~、クロスケ、あたしたちも手伝うからさ~」
ひらひらと軽い笑顔で手を振るリーゼロッテ。
彼女たちが言いたいことは明白だ。つまり、志の部分でクロノが後継し、不安が残る経験と実力についてはリーゼアリアとリーゼロッテが補うということだろう。さらに、内心ではそう思っていないにしても、グレアムについて、信用できなくなった、としてクロノに主替えしたとなれば、もはやクロノの後継はゆるぎないものとなる。
ハラオウン家という家柄、今回の作戦について納得のいっていない清廉潔白な志、リーゼアリア、リーゼロッテという生き字引。十四歳で執務官という実力。もはや、彼を後継者―――いや、新たなる穏健派の盟主として認めないものはいないだろう。
「それでは、な。クロノ。また作戦が終わった後に会おう」
「ま、待ってくださいっ! 提督っ!!」
手を伸ばそうとしても、その手は動かない。せめてものあがきで身をよじるが、それさえもグレアムは一瞥もせずに執務官室から出ていく。
クロノは、グレアムの必死ともいえる背中をただただ見送ることしかできなかった。
つづく
後書き
次回 闇の書+竜 V.S. なのは+守護騎士 = 怪獣大決戦
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