誰が為に球は飛ぶ
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青い春
拾伍 バカになれ
第十五話
抽選会があったんだ。
俺の、俺たちの最後の夏の大会の。
ビックリこいたよ。
埼玉の全チームの主将が一つ所に集まるんだから。どれもこれも坊主頭だ。気合が入ってる。
それに比べ、俺なんて普通の短髪なもんだから、結構浮いちまったよ。
1人ずつクジを引いて、マイクに「◯◯高校、◯◯番!」って言うんだ。
他の連中も見てるもんだから、これが緊張するんだよ。俺が番号を言った瞬間、どよめきが起こったもんだから、何かおかしな事でも言ったのかと思ったよ。ビビったビビった。
そしたらさ
俺たちの初戦の相手が
八潮第一だったんだとさ。
選抜ベスト4で、Aシードのさ。
まず最初に思ったのは、
やばい。多摩の奴に帰ったら何て言われるんだろうって事かな。
ーーーーーーーーーーーーー
グランドを校舎の窓から見下ろす美里。
その目には、グランドを走り回る野球部の生徒達の姿が映っている。
「…よくやるわね。夏の初戦は、あの八潮第一なのに」
「初戦が県営球場でTV中継されるっていう事がモチベーションになってるみたいよ」
画面に向かい、キーボードを目まぐるしく打ち込みながら、律子が美里の独り言に応えた。
「TVねぇ。でも、TV中継がある中で試合するというだけなら、あんなに練習しなくて良いんじゃないの?」
「TVの前で無様な試合はできないんじゃないかしら。せっかくの大舞台を少しでもより良いモノにする為の努力ね。それに…」
律子はDVDを指でつまんで、美里に見せる。
そのタイトルは「選抜甲子園3/25第三試合」。
八潮第一の、春の甲子園での試合の映像だ。
他にも、DVDが積まれている。
それは八潮第一が現チームになってからの、県の準々決勝以降の全ての試合の映像だった。
「…これを集めてくるんだから、まだ彼ら、諦めた訳じゃないんじゃないかしら?」
「MAGIを利用した、八潮第一の分析、か」
このDVDは健介が集めてきたものだ。
一体どこから持って来たものかは分からないが。
「統計のサンプルにするには少し量は少ないけど、そこは生体コンピュータ、ただ数字を出すだけじゃない分析をしてみせるわよ」
律子は、とにかく自慢のMAGIを活かせる事にご満悦である。
「急遽、応援団も結成されるし、ブラスバンドは応援用の曲を練習し始めるし、もう学校全体が野球部を後押しし始めたわね」
美里が窓の外から流れてくる軽快な音色を聞いて、呟いた。もうすっかり、暑い時期である。
梅雨で、蒸し暑い日が続いてる。
総勢100人以上の応援団の結成は、抽選会の次の日に碇玄道理事長の鶴の一声で決まった。応援団にも、試合当日には公欠を出すという。教育課程が柔軟なネルフ学園ならではかもしれない。
授業を休んで野球の試合を見て騒げるとあって、人数はすぐに集まった。その理由の一つには、真司と薫という見目麗しいバッテリーの存在もある。
「…もう、学校全体としての、勝負ね」
美里は拳を握った。
ーーーーーーーーーーーー
「コラァーッ!何それ!それでTVに写ってもいいのォー!?」
「うるせェーッ!とっとと次打ってこいよクソアマァ!」
小雨が降る中、試合形式のシートノックが続く。かれこれ数時間。今日はこの練習だけを、放課後からずっとやっている。
日向の提案で、夏の大会前に学校で合宿する事になった。追い込み練習という奴である。朝から晩まで厳しい練習をして、チームとして一山越えようというものだった。
朝も晩も学校の合宿所で過ごし、普段の練習に加え体力トレーニングのメニューも追加する。
倍の練習量だ。
その最後の日のメニューがこれだった。
ひたすら続く、ゲームノック。
「あ"っ…」
次の球を打った真理が、打った瞬間バットを放して悶絶した。雨で湿った地面を転げ回る。
打球はボテボテと転がった。
「まっ真希波!」
「ピッチャーゴロ!」
真理を気遣ってマウンドから降りようとした真司に、真理が鋭い声を出す。
ハッとした真司はボテボテと転がった球を拾い、一塁へ送球する。
「真理ちゃん、大丈夫?」
「いったぁぁあ……これでっ…三つ目ェ…」
光が駆け寄って真理の手を見ると、手から血が流れ出している。今日できたマメを今日潰している、という状況らしい。これ以上ノックは打てないだろう。
「やっとこれで終わりだよ」
「もう良い時間だしなぁ」
悶絶している真理を気遣うような余裕も無いくらい、守備についている選手も疲弊していた。
ひたすら同じ事を、ずっと小雨の中やってるのだ。もうユニフォームもスパイクも重い。
終わりだ、もう十分だ-----
そんな空気がグランドに流れ始めていた。
「よーし、じゃあ俺の出番かア」
しかし、そこで立ち上がった男が一人。
「真理ほど上手くはないが、許してくれよッ」
加持が真理が落としたノックバットを拾い、ボールを手に取る。
グランドに、何とも言いようのない空気が広がった。
「ウソだろ……まだ続くのかよ……」
青葉が、誰もが思っていることを言葉にした。
もう限界だろ。雰囲気もダレきってるし、これ以上何もこの練習で得るもんはないだろ。
口々に呟き、恨めしそうな視線を加持に向けていた。
そこで、レフトから大声がした。
「ノーアウト!また最初から始めるぞ!」
他の皆がぎょっとしてレフトを見る。
日向が掠れた声で叫んでいた。
日向は目を丸くしている他のナインに叫ぶ。
「お前らァ!加持先生が、今、自分からノックバットを握ったんだぞォ!?こんな事が今まであったかァ!?これまでは頼まれないと、練習を手伝いはしなかった!それが今、自分から来たんだ!俺たちの思いがこの人にも伝わったんだ!!ずっと冷めてた加持先生も、俺たちを見て熱くなっちまったんだ!俺たちがそこで冷めちまって、どうすんだぁ!」
全力で怒鳴り続ける日向の姿に、他の面々は言葉を失う。
「来いよ加持先生!俺たちと勝負だぁ!どっちかが倒れるまでやってやらぁ!」
啖呵を切って、レフトのポジションで構える日向。
「…うぉらぁあーー!来いやワレェー!何でも捕ったるわ、ドアホーッ!!」
つられて声を上げたのは、ライトの藤次。
「こーぜこーぜ!」
「ハイ、最初はどこに来るどこに来る?」
「ショート静かだなぁ帰ったのかァ!?」
少しずつ、だんだんと、グランドに声が満ちていく。煽られたショートの青葉も、半ばヤケクソで声を上げていた。
「みんな…」
自分もびっしょりと濡れ、顔に泥をくっつけている光は、その光景に、胸のあたりにジーンとくる感覚を覚えた。
一週間の合宿で疲れきっているはずなのに、それでもなお、湧き出てくる力というのが、目の前の選手達にはある。
「…俺の本気のノックは高くつくぞォ。今回は特別サービスだ!」
加持が、薄暗い空へ、高々と、泥に塗れたボールを打ち上げた。
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