誰が為に球は飛ぶ
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青い春
拾 やもめの憂鬱
第十話
あの子が野球だなんて、ちょっち想像つかなかったわね。学校すらサボりがちだし、何より神経質そうなあの顔でしょ?野球なんて、頭丸めた野獣みたいな男どものやるスポーツだって思うじゃない。あれ、これあたしの思い込み?
でもおかげで、あの子毎日学校来るようになって良かったわ。ま、疲れて授業中よく寝るようにもなったんだけどね。
休み時間に教室を覗いてみると、野球部の仲間…鈴原君や渚君や相田君とじゃれあったりしてる訳。今までは渚君とベッタリで、あの2人できてんのかしらと思ったけど、どうやら単純にこれまで友達が居なかったらしいわ。逆に今は居るという事ね。
加持と飲みに行ってみると、碇君の話がよく出てくるのよ。「トレーニングにも熱心で、1人でよく校舎前の坂道をダッシュしている。放っておいても50本は走ってくる。1人でやるだけじゃなく、練習のアイデアもしばしば主将に進言してるし、チーム内での信頼を集め始めている」だってさ。
そんなこんなで、あたしの中での「碇真司」の「無気力な消極的問題児」というレッテルが剥がれだしたのと
ネルフ学園の定例報告会が催されたのはほぼ同時だった。
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ネルフ学園は、文部科学省科学技術・学術政策研究所の下部組織、人工進化研究所「NERV」の附属中等教育学校だ。ものすごく簡単に言えばNERVは「人間の能力を引き出す研究をしているところ」である。その研究を実際に教育現場に生かしてみる為に造られた実験校、それがネルフ学園だ。
国立で、それなりの予算がこの学校には割かれている。よって関係諸機関相手に、このように会を催して研究活動の内容、その経過、成果などを報告せねばならない。
「………以上のように、生体コンピュータMAGIによる学校運営は今の所一定の成果を挙げ…」
講堂で、スクリーンに図を映しながら金髪白衣の女性が話している。
「リッちゃん、力入ってるなぁ」
「そうね。親子二代に渡る夢だし」
講堂には文部科学省の関係者や報道陣の他に、加持と美里の姿もあった。
加持にリッちゃんと呼ばれた女性は、赤城律子女史。ネルフ学園の運営中枢を担うスーパーコンピュータMAGIの責任者でもあり、学園の情報教諭でもある。
加持と美里とは、大学の同期だった。
「……以上をもって私の方からの報告は終わりとさせて頂きます」
堂々と発表を終えた律子に、出席者から大きな拍手が送られた。
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「お疲れさま。話聞いてると、結構、この一年でシステムも洗練されたのね」
報告会の後、美里、律子、加持の三人は、学内のカフェテリアでコーヒーを飲んでいた。
「いいえ。まだまだ発展途上よ。成果なんて無いに等しいわ。」
労った美里に対し、律子はコーヒーを啜りながら素っ気なく返した。
「文科省の役人にしろ、報道陣にしろ、だいたいが文系の数学音痴。データを改竄するまでもなく、見せ方を工夫するだけで、いくらでも騙せるわ。」
「ふっ、キビシイねぇ」
律子の辛辣な物言いに、加持は苦笑いする。
実は加持も、先ほどの律子の発表に感心していたクチだったのだ。
「…ねぇ、律子の後に登壇したウチの理事長、碇って姓だったわよね?」
「ええ、碇玄道理事長。それが?」
「いや、あたしのクラスの子に碇って子が居るもんだから、何か関係あるのかと…」
律子は渋い顔で美里を見た。少し批難の色が混じっている。
「知らなかったの?碇理事長はあなたのクラスの碇君の保護者よ?」
「えっ?」
美里は目を丸くする。加持は美里にも苦笑いした。
「直接の親子じゃないらしいんだけどな。」
「えっ何何?碇君実は孤児な訳?そんなの初耳よ?」
これには律子と加持、2人がため息をつく。
「生徒把握がなってないわね」
「葛城はホント大雑把だからなぁ」
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「…定例報告会だった。それなりに、疲れた。足りないモノは無いか?あれば、連絡をよこすように。元気だと聞いた。何よりだ。」
そう留守番電話に吹き込み、男は電話を切った。
短髪だがモミアゲがアゴヒゲと繋がっており、何ともむさ苦しい。黒基調の服装に、サングラス。堅気には見えないような格好をしているが、これでも教育に携わる人間である。
碇玄道。国立ネルフ学園の理事長及び人工進化研究所「NERV」の所長。
そして、碇真司の保護者でもある。
真司が不慮の事故により両親を亡くしたのは、中学卒業後すぐ。真司の父親は玄道の弟だった。玄道以外に、世話をするべき人間も居なかった。
正直言って玄道は子どもなど苦手である。それが思春期真っ盛りでなおかつ傷心しているであろう少年となれば、どうすればいいのか、と途方に暮れた。だがありがたい事に、真司はとてもおとなしい、物分りのいい子どもだった。とりあえず、親を失った悲しみをぶつけられる事がなくて良かった、と思った記憶がある。
元々進学予定だった私学の話を断って、定員が幸い20人ほど割れていたネルフ学園に入学させた。その方がいざという時面倒が見やすいだろう。
この事は玄道が勝手に話を進めた感もあったが、真司は嫌な顔せず従った。
第三新東京市での生活に関しては、玄道は一体どうしたものか、と頭を抱えた。自分はNERVの社宅に、年を取った今も住んでいる。一人用の小さな部屋だ。
別に、金が無い訳ではない。それなりのマンションを借りる事は簡単だ。ただ、真司と2人で暮らすというのは玄道自身が嫌だった。多分真司も嫌だろうが。
結局、真司の生活費は全負担するが、別々に暮らすという事にした。一緒に暮らすという負担さえ無ければ、独り身で無駄に溜まっていく一方の金を消費してくれるのは玄道にとってはむしろありがたかった。真司も、少年の割には随分生活力があるようで、一人暮らしに不自由はしていないらしい。
「しかし…お前が居れば、しっかり面倒も見てやったんだろうな。」
玄道は自室に飾ってある一枚の写真を見た。
玄道と共に、一人の女性が写っている。
ミドルショートの髪、色白の肌、隣の仏頂面の玄道とは対照的に、優しく笑っている。
この女性は、玄道が最後に一緒に暮らした他人。今は死に別れてしまった伴侶。
碇唯その人である。
「唯…」
真司について考えた時にこの写真を見ると、心なしかその笑顔が苦笑いに見える。
親戚の少年一人の面倒も、金をよこす事でしかみることができない自分に、玄道はため息をついた。
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