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誰が為に球は飛ぶ

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青い春
  伍 エゴと誠意

第伍話


野球を小中高とやってきて、未だに大会で勝った事が無いんだよ。まあ、一回戦で半分が負けるもんだとはいえさぁ、8年やって一つも勝ってないんだ、嘘みたいだろ?

ずっと秩父の田舎の、過疎地域に住んでいてね。むしろ、小中と、野球部が消えずに残っていてくれただけでも感謝すべきだったかもしれない。

家もまぁ、厳しいというか、野球やってても二言目には「でも野球でご飯は食えないんだぞ」とかいちいち言ってくれるような家庭だ、遠くのシニアになんか通わせちゃもらえなかったよ。



ケツの大きい、豆タンクみたいな体格だったから、ポジションはずっとキャッチャーだ。
小学校の時は大きかったんだけどね。中学で身長はピタリと止まっちまった。牛乳たくさん飲んだんだけどなぁ?
チームは弱かったんだけど打順はずっと4番、バッティングには結構自信あるよ。

自分のプレーの質如何に関係なく負ける。
俺が良くても普通に負ける。俺が悪ければ惨めに負ける。俺の野球なんてずっとそんなもんだった。

頼みにしていた高校も、第三新東京市なんてもんに引越しちまったもんだから、選択肢なんて全然ありゃしなかった。ネルフでは、自分らが高等部の一期生で、野球部も一から俺が作ったようなもんだよ。この経験のおかげで小中時代が恵まれてた事に気づけたんだけどね。




俺の野球人生、一度も勝たずに終わるのかなぁ。
そう思ってる時に、あいつの球を俺は見た訳だ。



ーーーーーーーーーーーーー


「……」
「……」

この日も日向は真司のもとにやってきた。
クスクス笑いながら、1-Cの他の生徒達が見ている。あまりに足繁く通うもんだから、日向が真司に惚れでもしたんじゃないか、日向は実はゲイなのか、そんな風にネタにされている。

真司にしてみれば、良い迷惑である。

「…今日でもうここに来るのも、頼むのも最後だ。」

いつもと違った始まり方をしたので、真司は狸寝入りのその顔を上げた。

「…ただ、言いたい事全部言わせてもらう」

真司が少しそれを聞いて身構えるのと、日向が息を大きく吸い込むのが同時だった。




「俺は勝ちてえんだよ!」

不意に大声で叫んだ日向に、教室の中の全員がビクッとしてそちらを見た。目の前で怒鳴られた真司は目をパチクリさせる他ない。


「俺は今までの野球人生一度も勝った事がねえんだせっかく高校はそこそこ強い所行こうとしてたのにこんな街に引越しちまったからその計画も全部パァになっちまったんだよ大会出る度出る度負けて負けて負け続けてそれでも野球が好きだから野球以外に好きになれるもんがなかったからここまで続けてきたんだ俺は来年の春も夏も一つでも多く勝ちてえんだお前にとっちゃ勝ちとか負けとかどうでもいいかもしれねえけど俺にとっちゃ大問題なんだよ一度でも勝たねえと勝ちなんかに意味があるとかねえとかわかんねえじゃねぇかよ俺の中の拘りが消えてなくならねえんだよお前のあの一球見た時に俺は少しでも期待しちまったんだこれなら勝てるかもしれないって

その期待の責任をとれよォー!!」


一息に言った日向はゼイゼイと息を切らしている。まくしたてられ続けた当人の真司は、圧倒されてその顔を引きつらせている。

ガタッ


そして、日向の気迫に応じたかのように、教室の隅で立ち上がった男が居た。

「そうじゃ碇ィ!偉そに上から見下ろしてんちゃうわ!」

藤次だ。真司を熱心に誘う日向の姿をずっと面白くなさそうに見ていただけだったが、日向の怒鳴り声に触発されたかのように席を立って真司に迫った。

「ワイはこんかい投げられますよ〜ってわざわざ見せつけて、『ワイは上手いけど、おのれらとは野球はせーへん』て、ナメるんもええ加減にしさらせボケ!そうやって必死こくワイらをバカにし続けるつもりか、エエ!?お前も必死こかんかい、せやないとワイがいつかお前を抜いた時にもお前は『練習してないから』とかなんとか言うんやろがえ!ふざけんなワレ、お前も野球してワイと勝負せぇやぁ!」

まるで今までのつれない態度に対する苛立ちをそのままぶつけられるような感覚に、真司は戸惑いを隠せない。

「そ、そんなぁ…あまりにも自分勝手すぎますよォ…」
「勝手なのは百も承知だそれを分かった上で頼んでるんだ!」

日向は真司の机をバン、と叩いて、眉間に皺を寄せた顔で迫る。

「お前の気持ちなんて知るか、お前は俺の為に野球しろォ!」

理屈も何もない。気持ちを剥き出しにして、
日向は迫った。
藤次も一緒になってグイって迫る。





「………………」

真司は助けを求めるように薫を見るが、薫は鼻歌を歌いながらそっぽを向いていた。




「……………」

これで最後というだけあって、日向も藤次も全く退く気はない。



「……わ、分かったよ…やれば良いんだろ、野球」

遂にこの一言が絞り出された。



この一言が、大きなうねりの始まりになる事を



この場に居る誰もが、知らなかった。

 
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