剣の丘に花は咲く
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。
ページ下へ移動
第十章 イーヴァルディの勇者
第四話 決断
前書き
やっと動き出すます。
「許可することはできません」
強く、その鋭い目で自分を見つめる男から視線を逸らすことなく、わたくしはゆっくりと、しかしハッキリと男に対する返事を口にする。
と、同時に内心安堵の息を吐く。
声……震えていませんでしたわよ、ね。
たった一言返事を返すだけで、まるで大魔法を使用したかのような疲労を全身に感じてしまっていた。
涼しい顔をしていられるのは、これまでに経験してきた修羅場のおかげであるだろうが。ただし、この今感じている緊張感や圧迫感は今まで経験してきた修羅場―――他国の王たちや貴族たちとのやり取りとは全く別種のものであるゆえ、それがどれだけ力になっているのかは分からない。
特に違うのは別に他国の王や貴族たちに嫌われたり憎まれたりしても全く痛痒は感じないが、このいま自分を見つめる男―――衛宮士郎に嫌われたり憎まれたりするのは絶対に嫌だということである。
アンリエッタは、自分を見る士郎の瞳に苛立ちや怒り等の負の感情を見られないことに、再度内心安堵の息を吐く。
すると、まるでタイミングを測ったかのように士郎が口を開いた。
「……どうしても、か?」
士郎の声は、何時もの通り落ち着いたものであり、自分の願いを断られたことに対する影響は全く感じられない。
自分に対し乞い願う言葉の中にも、同じく断られたことに対し含むものは感じられない。
苛立ちも、怒りも、落胆も、悲しみも……そして、必死さも。
僅かに眉がひそまる。
? 随分と余裕―――いえ、これは違いますね。
真剣な硬い顔で自分を見つめる士郎の顔には、余裕等そんな気配は全くない。だからこそ、アンリエッタは内心で溜め息を吐く。
三度目の溜め息は、残念ながら安堵によるものではなかった。
「ええ、どうしても許可することはできません。そんなことあなたも分かっているはずです。あなたが助けようとしている彼女はトリステインではなくガリアの者。それもこの資料とあなたの言葉を信じれば彼女はガリアのシュヴァリエであり更に今は犯罪者として扱われている者です。そのような者を例えどんな理由があろうともトリステインの騎士であるあなたが連れ出せばどうなるか……分からないはずがないです」
「そう……か、なら、仕方な―――」
アンリエッタの言葉に何ら反抗することなく、士郎は僅かに目を細めると小さく顎を引いて頷いて見せると、肩に羽織ったマントに手を伸ばそうとした瞬間―――。
「と、言いたいところですが、そう言って大人しく諦めるようなあなたではないですからね」
はぁ……と溜め息を吐くと同時にアンリエッタは諦めの言葉を口にした。
「アンリエッタ?」
「あなたなら騎士の位を返上し、一人ガリアにまで行きそうですから」
「いや、そん―――」
戸惑うような士郎の声に被せるように、アンリエッタはニッコリと笑う。アンリエッタの顔に浮かぶ笑顔を見た瞬間、士郎の喉がゴクリと動く。士郎はアンリエッタの顔に浮かぶ笑顔を幸か不幸―――不幸にも良く知っていた。どんな時に浮かぶものなのか、どのような意味を持つものなのか……をだ。
どんな時? ―――怒っている時。
どのような意味? ―――黙れ、これ以上喋るな。
時と状況によってその内容は変わることもあるが、現状からかんがみるに、今回はこれで間違いはないだろうと、士郎は脳裏で一瞬で結論に至る。
そして今までの経験から反射的に口を閉じ背筋を伸ばす。
既に条件反射の域にまでたどり着いてしまっているのは、士郎のせいなのか、それとも士郎の周りにいた女性のせいなのかは……分からない。
「あなたの取った行動によりガリアと戦争が起きるかもしれませんよ? それでも行きますか?」
「タバサは助ける。戦争は起こさせない」
アンリエッタは目を丸くする。
……全く……あなたと言う人は……。
ふっ、と口元だけの小さな笑みを浮かべるアンリエッタ。
チラリと視線を横に動かしたところで、自分を見る士郎の目に更に強い意志の光を感じたアンリエッタは、反射的に顔に浮かんだ表情を士郎から隠すように小さく俯くと、気持ちを切り替えるように息を吐いた。
それはため息でも安堵の吐息でもなく……苦笑から漏れた吐息であった。
全く、行く気満々じゃないですか。
何を言っても、止まるような人じゃありませんし。
それに……止めたくても、わたくしには止める方法がありません。
やはり……わたくしは……ただ待っているしかないのですか……。
シロウさん。
……あなたが彼女を助けようとするのは、やはり『正義の味方』に憧れているからですか?
囚われた仲間を救うため、大国を相手にたった一人で戦いを挑む……。
普通に考えれば絶対に不可能な話……でも、あなたなら……もしかしてと思ってしまう。
わたくしの時のように……アルビオンでの撤退戦の時のように……自分を犠牲にして…………。
……正義の味方……ですか。
何故……ですか。
あなたは……何故そこまでして……。
……ぁ。
……そう言えば、あなたは―――
「……一つだけ……聞いてもよろしいですか?」
俯いたまま、アンリエッタは士郎に問いかける。
「何が聞きたいんだ?」
士郎が眉を僅かに下げながら首を少し動かす。
「あなたの目指す『正義の味方』とは、一体どんな『正義の味方』なんですか?」
「ん?」
コテリと士郎の首が傾く。
そんな士郎の姿に、しかし顔を上げたアンリエッタはピクリとも動かない。睨みつけるように強い視線で士郎を見つめたまま、アンリエッタは静かに大きく息を吸う。
「『正義』と一言で言っても、人によってそれぞれ違います。例えばですが、『トリステインの女王としてのわたくし』にとっての『正義』とは、国家の存続です。極端な事を言えば、他の国を滅ぼさなければトリステインが滅んでしまうのなら、わたくしはどんな手段でも取ると思います。場合によれば、どれだけ非人道的なことでも、必要とあれば行うかもしれません」
「…………」
スッと目を細めたまま黙り込む士郎に、アンリエッタは問いかける。
「『正義の味方』のあなたは、そんなわたくしの『正義』の味方になってくれるのですか?」
「…………」
「それとも、わたくしの『正義』の敵になりますか?」
「…………」
問いに答えない士郎に、アンリエッタは特に反応しない。
ただ、少し前のめりになっていた身体を伸ばし、目を閉じ、ゆっくりと開くと、アンリエッタは士郎の目を見つめる。
互いに目は逸らさない。
士郎の目に、揺らぎや戸惑いは見えない。
「……あなたは以前、『全てを救う正義の味方』と言っていましたが、あなたの言う『救う』とは何をもって『救った』と言えるのですか」
「………………」
「『救い』とは……他人によって決められるものではありません。確かに、あの時わたくしはあなたに救われました。しかし、何かが違えばわたくしは『救い』とは思わなかったかもしれません。そうなれば、あなたはわたくしを救ったことにはなりません……あなたにとっての善意の押し付けただけ……。シロウさん……人は……誰一人として同じ者はいません。……あなたは……何をもって『救い』と言うのですか?」
「……………………」
何も答えない士郎に、アンリエッタは一歩近付く。
手を伸ばせば互いの身体に触れられる距離。
無言の士郎。
しかし、向けられる視線からは逃げることはない。
「シロウさん―――」
一瞬だけ噛み締められた唇の隙間から漏れた微かに掠れた声は、しかし意外なほど大きく執務室の部屋に響き。
「―――あなたの目指す『救い』……『正義の味方』とは……一体どんなものなのですか」
アンリエッタの二度目の問が、士郎に向け放たれた。
「……許可をすることはできません。勿論協力もです」
顔を伏せたままアンリエッタ言葉を紡ぐ。
協力を得られないという事実に対し、しかし士郎の顔に苦しげなもの色はない。
「ですので、何処かで誰かが捕まったとしてもわたくしは何もしませんし何も言いません」
「……」
アンリエッタは顔を伏せたままチラリと横目で士郎を見る。
士郎は黙ったままジッとアンリエッタを見つめていた。
顔に熱がこもるのを自覚しながらアンリエッタは顔を横に向けたまま顔を上げた。
士郎に顔を見られないように。
アンリエッタは明後日の方向を見上げながら、ポツリと呟く。
「そう言えばですが、ガリアとの国境にいる兵たちを交代させる時期が三日後に迫りましたが、その時期になるとどうしても警戒が緩んでしまうので何か方法を考えなければいけませんね」
そう口にしたアンリエッタは、士郎から顔を背けたままそのまま背中を向け窓に向かって歩いていく。
「……最近何かと物騒です。シロウさんもお身体にお気をつけてください」
「……ありがとうアンリエッタ」
士郎は窓の外を見上げるアンリエッタに向け頭を深く下げると、そのまま執務室の部屋を出て行った。パタンと乾いた音を立てドアが閉まると、アンリエッタは窓枠にその白く細い指先を置くと、赤く染まりだした空を見上げながら目を細めた。
「ありがとう……じゃないですよ、もうっ」
ぷぅっと、僅かに頬を膨らませながら文句を口にしたアンリエッタだが、その目尻は明らかに下がっていた。
窓枠に半身を預けるように寄りかかったアンリエッタは、窓に耳を当てながら空を仰ぎ見る。
不安はある。
気を緩めれば去っていった彼のことを追いかけてしまいそうな自分がいる。
彼のことだ。
きっと自分のことなど省みることなく救おうとするのだろう。
わたくしには何もできない。
ただ……待つことしか。
でも……それでもいい。
不安はある……不満も、恐怖も、苛立ちも……。
だけど……待てる。
彼……シロウさんのことを待っていられる。
それはきっと、彼の言葉を聞いたおかげ。
彼のことを……ほんの少しだけでも……わかったから。
わたくしは……待てる。
彼を……信じて……。
「無事に……帰ってきてください」
小さく口の端から漏れた声は、寂しげで不安げで、そして濡れていた。
そっと目を閉じたアンリエッタの脳裏に、先程の士郎の姿が浮かぶ。
『俺が目指す『正義の味方』、か……全てを救うなんてたいそうなことを言ったが、実のところたった一つだけだ……俺の救いたい……守りたいものは…………それは、な―――』
「……じゃないと、あなたのなりたい『正義の味方』にはなれませんよ」
濡れた声から溢れたかのように、頬に一雫の涙が流れた。
「きゅいきゅいきゅいっ!? 帰ってきたのね!」
「っおい」
ドアを開けた瞬間、甲高い声を上げながら一人の青髪の女性が飛び跳ねながら士郎に駆け寄ってきたかと思うと一気に飛びかかってきた。
「きゅいきゅい! どうだったのねっ?! どうだったのね?! お姫さまいいって言ったのね!?」
「落ち着け、部屋に入れない」
ドアノブに手を掛けた姿のまま士郎は自分の身体にまとわりつきながら「きゅいきゅい」と喚きたてる青髪の女性の首根っこを片手で掴見上げると床に放り投げた。ドスンとお尻から落ちた青髪の女性であったが、直ぐに立ち上がるとパタパタと再度駆け寄ってくる。まとわりついてくる青髪の女性を片手であしらいながら、士郎は部屋の中へと進むとテーブルを囲むように椅子に座る二人の女性の前まで歩いていく。
「きゅいきゅいきゅいっ! いいから早く教えるのねっ」
椅子に座る二人の女性は、手に持っていたカップをテーブルの上に置くと、一度士郎にすがりつく青髪の女性に視線を向けた後、すっと目を細めそれぞれ口を開いた。
「……で、結果はどうだったのシロウ? 女王陛下の許可は取れたのかしら?」
「……姫さまは何て?」
士郎は二人の問いかけに目を細めると、小さく首を振り空いた椅子の上に座った。
「残念ながら、許可は出なかった」
「きゅきゅいっ! 出なかったってそれってどう言うことなのね! 早く助けに行かないと大変なことになるのねっ! 何すごすご帰ってきてるのねっ! もう一度行ってくるのねっ! きゅいきゅいきゅいきゅいッ!! 早く早くっ!! きゅいきゅ―――っぎゅ」
椅子に座った士郎の耳に顔を近づけ大声を上げる青髪の女性。士郎はテーブルの上に置かれたクッキーを鷲掴みすると、それを青髪の女性が大きく開けた口の中に押し込んだ。突然口の中に握り拳大のクッキーの塊を押し込まれた青髪の女性は、目を白黒させると士郎に文句を言おうとしたのだろうか? 息を吸おうと開ききった口を更に開けようとした瞬間、口の中に詰まっていたクッキーの塊が喉に落ちたのだろう、突然喉を両手で抑えると床に倒れてしまった。青髪の女性は喉を両手で押さえながらふかふかのカーペットが敷かれた床の上をごろごろと転がったかと思うと、ピタリと動きを停めて死に掛けの虫のように手足をピクピクと震わせる。天井を見上げピクリとも動かなくなった青髪の女性の顔色は、その髪色のよう真っ青であった。
「許可は出なかった……か、ま、当たり前よね。ガリアという大国に拘束されているたった一人を、しかもトリステインとは全く関係のない人を捜し出すことを許可するとは元々思えなかったし。それにシロウは今ではトリステイン騎士、しかも女王陛下の近衛隊。そんな人物が他国で犯罪者として扱われている者を助けようとしているのがバレたら下手すれば、いえ、確実に外交問題になるでしょうしね。許可が出るほうがおかしいのよ」
「……ま、最初から分かっていたことよね」
絨毯の上に突っ伏したままピクリとも動かなくなった青髪の女性にチラリとも視線を向けることなく、椅子に座る赤い髪の女性―――キュルケの言葉にその隣に座るピンク色の髪の女性―――ルイズは床に転がる青髪の女性に視線を一つも向けることなく小さく頷いた。
「で、シロウはどうするつもりなの?」
テーブルに置いた空のカップの縁を指先でなぞりながら、キュルケは覗き込むように士郎を見る。
「下手をすれば戦争になる可能性もあるからな。時間はかかるだろうが外交で何とかするしかないだろう」
「外交でなんとかなる問題なの?」
腕を組みむっつりとした顔でポツリと呟いた士郎の言葉に、ルイズは椅子の背もたれに身体を預けながら問いかける。
「留学生とはいえタバサはトリステイン魔法学院の生徒だしな、先の誘拐事件に深く関わっていることである程度話し合えるだけの材料は揃っている……無理ではないだろう」
「それは可能性がゼロじゃないってだけで、事実上は無理な話でしょ……なら、シロウはタバサのことを諦めるってこと?」
「……今は動けない」
「ふ、ん……そう」
顔を下に向けた士郎をチラリと一瞥したキュルケは、隣りで睨みつけるように士郎を見るルイズを横目で見る。探るような目でルイズは士郎を見ているが、士郎は顔を伏せているためにどんな顔をしているか見えないのだろう。ルイズの眉間に皺が寄っている。明らかに機嫌が悪い。
「そう……ね。確かに戦争になる可能性を考えればタバサを助けに行くことは考えられないわね」
士郎の顔を伺うことが失敗に終わったのだろう。明らかに不機嫌な様子でルイズは椅子に座り直すと、ゆっくりな動作でテーブルの上に手を置いた。人差し指の指先で硬いテーブルの上を叩き、「コンコン」という硬質な音を立てながら、ルイズは先程のお返しとばかりに士郎に対しそっぽを向く。
「時間を無駄にしたわね。一旦学院に戻りましょう。外交にわたしたちみたいな一介の学生が関われる理由がないし。他に方法がないか調べてみなくちゃ」
「そうだな。俺も他に方法がないか調べてみよう」
キュルケが椅子から立ち上がると、士郎もそれに続く。そのまま二人はドアまで歩いていくが、ドアの直前で同時に部屋を振り返った。
「ルイズ? 帰らないの?」
キュルケが未だ椅子に座り、テーブルの上に置かれた空になったカップを指先でつついているルイズを見る。キュルケに声を掛けられたルイズは、カップをつついていた手を止めると、ゆっくりとした動作で天井を仰いだ。
「ちょっと用事があるのよ。先に帰ってて……夜には戻るから」
「……そう、わかったわ。竜籠の用意をお願いしとくから、それで帰ってきなさい」
「ん、ありがと」
目を細め真剣な顔で天井を見上げるルイズ。一度も顔を向けなかったルイズに文句を言うことなく、キュルケは何かを言おうと口を開こうとしていた士郎の背中を押すと、強制的にドアの外へと連れ出していく。
パタンと乾いた音が部屋の中に響き、静寂が満ちる。
ギシリと微かな椅子が軋む音を響かせ静かに立ち上がったルイズは歩き出し、先程まで士郎が座っていた椅子の後ろに立つと、背もたれに手を掛け目線を下げた。そしてまるでそこに士郎がいるかのように目を細めると頬を微かに膨らませた。
「何が『今は動けない』よ。こういう時のあなたのそんな言葉が信用できると思ってるのかしら?」
頬に貯めた空気を吐き出すかのように、重く低い声で文句を口にしたルイズは、士郎の頭を叩くように背もたれを叩くと、ドアに向かって歩き出した。
その顔には、何処か困ったような、しかし何かを吹っ切ったかのような晴れやかな表情が浮かんでいた。ドアの前で一度立ち止まったルイズは、片手を上げぐいっと背筋を伸ばし、「よしっ!」と小さく、しかし勢いよく口の中で呟くと一気にドアを開く。
「全く、使い魔が勝手な行動を取るんじゃないわよっ」
不満も露わに文句を口にしながらも、何処か嬉し気に外へと出て行くルイズ。
ドアが閉まり、沈黙が部屋を満たす。
何も動かず、何の音もしない。
ただ沈黙だけがある世界。
ただ……時間だけが過ぎる。
そんな時、唐突にドアが開かれ沈黙が壊された。
静寂の世界を壊した人物は、柔らかな敷物の上をスタスタと歩いていくと部屋に設置されたテーブルの近くでピタリと足を止めると腰をかがめ、
「……忘れてた」
と、ポツリと呟き仰向けに転がっていた青髪の女性をむんずと掴み肩に荷物のように担ぎ上げ、ドアに向かって真っ直ぐに歩いていくと、そのまま無言でドアを開け部屋を出て行った。
そして今度こそやっと部屋に本当の静寂が戻ってきた。
アンリエッタは一番の友人―――親友とも言ってもいい少女を前に、諦めたかのように溜め息を吐くと顔を俯かせた。
「―――ルイズ、あなたは今自分が言ったことの意味をキチンと理解していますか?」
「はい」
重々しく問いかけたつもりの声は、思ったよりも小さく、震えていた。
それを心の何処かで威厳が足りませんねと小さく苦笑しながらアンリエッタはゆっくりと顔を上げ臣下であり、友人であり、幼馴染でもあるルイズを見る。
貴族にとって死に等しい宣告をたった二言で頷いてみせたルイズ。
真っ直ぐに、強い意思と覚悟に満ちた榛色の目を前にして、アンリエッタは厳しく引き締めていた顔の口元を僅かに緩ませた。
「……羨ましいですね」
「え?」
アンリエッタが口の中で小さく呟いた声が聞こえたのか、ルイズは緊張で強ばらせていた顔を驚きに染めると小さく戸惑いの声を上げた。
アンリエッタはそんなルイズの顔をチラリと見ると、ルイズに背中を向けた。
「友のため全てを捨てる……ですか、今のわたくしには……いえ、以前のわたくしにも無理でしょうね」
「……姫さま」
「わたくしには責任があります。この国の王としての責任が。ですから、たった一人のためにこの国を危機に陥らせるような判断は下せません」
「…………」
背中越しに話しかけてくるアンリエッタの言葉をルイズは無言で聞く。
「例えそれが大切な友人の願いでも……心を寄せている人の願いでも……です」
目を閉じたアンリエッタの瞼の裏に、様々な情景が浮かんでは消える。
「ルイズ……あなたに一つ聞きたいことがあります」
「なんでしょうか」
アンリエッタの言葉にすっと背筋を伸ばし直すルイズ。
ルイズが背筋を伸ばすのに合わせるかのように、ゆっくりと振り返ったアンリエッタは、何かを試すかのような視線でルイズを見つめる。
「あなたが彼女を助けようとするのは何故ですか?」
アンリエッタの嘘偽りは許さないと視線と態度に、ルイズは息を大きく吸うと、ハッキリとした声で応えた。
「それがわたしの通すべき『筋』だからです」
「通すべき……『筋』?」
予想外の言葉だったのだろう。アンリエッタの顔に困惑の色が浮かぶ。
「はい。『筋』です」
こくりと頷いたルイズは、困惑の色が薄れないアンリエッタに対し口を開く。
「わたしが、わたしであるために必要なのです」
「そのためだけに、あなたは捨てると言うのですか」
睨み付けるようなアンリエッタの鋭い目とルイズの目が合う。
怯むことなく、ルイズは一つ頷くと口を開く。
「はい」
ハッキリと応えたルイズを前に、アンリエッタは釣り上げていた目の尻を下げると、頬に手を当て困ったように溜め息を吐いた。
「ふぅ……全く……ルイズにシロウさんが似たのか……シロウさんにルイズが似たのか……」
「姫さま?」
急に雰囲気が柔らかくなったアンリエッタの姿に、困惑の声を上げるルイズ。そんなルイズにアンリエッタは笑いかけると、先程渡されたマントを胸元に抱きしめた。
「……このマントは確かに預かりました。ですが、わたくしには他にも仕事がありますので、できるだけ早く取りに帰ってきてください」
「っ! 姫さまっ、それは―――」
「ルイズ」
ハッと顔を上げ何かを言おうと口を開いたルイズを遮るように、アンリエッタはルイズを呼ぶ。
「それがわたくしの『筋』です」
「―――っ」
自分のマントを胸に抱き、優しく微笑むアンリエッタの姿を前に、ルイズは開きそうになる口を必死に歯を食いしばることで耐えると、震える身体で小さく頭を下げた。
「わかり、ました」
自分の前で頭を下げ、身体を震わせるルイズの姿を見下ろすアンリエッタは、浮かべていた笑みを更に緩める。
「無事に帰ってきてください」
「……は、い……」
ゆっくりと顔を上げたルイズの目は、その榛色の瞳がぼやけて見えなくなり、溢れ出したものが頬を流れ落ち床に染みを作り出していた。
無言で再度アンリエッタに頭を下げると、ルイズは扉に向かって歩き出して行く。
がらんとした執務室に、ルイズの足音だけが響く。
しかし、ルイズが扉を開けようと手を伸ばしと瞬間、アンリエッタの声がルイズの背中に向けられた。
「ルイズ。あなたはシロウさんが目指す『正義の味方』がどんなものか知っていますか?」
「え?」
扉に手を掛けた姿のまま、ルイズは顔だけアンリエッタに向ける。
「知っていますか?」
「それは……その、えっと……全てを救う?」
唐突過ぎる質問。
何故こんな時にこんな質問をするのか、その真意を図ることができないルイズ。
あやふやなルイズの答えに、アンリエッタは未だ笑みが浮かぶ顔で首を横に振ると再度問う。
「そんな曖昧なものではなく、もっと具体的なものです」
「具体的?」
首を傾げるルイズ。
シロウの目指す『正義の味方』……。
アンリエッタの言葉に、ルイズは先程まで浮かんでいた戸惑いの色を消し去ると、目を閉じ深く考え始め……そして気付く。
そう言えば、漠然としたものばかりで、具体的なものは聞いたことがなかったような……でも、『正義の味方』なんてものは、元々漠然としたものだし……姫さまは、何でそんなことを……?
具体的と言っても、『正義の味方』と言えば……悪人を捕まえる? 困っている人を助ける? ……それも曖昧な感じがするし……。
衛宮士郎が口にする『正義の味方』とは一体どんなものか自分が全く知らないことを。
曖昧な……漠然とした形しか知らずにいたことを。
「具体的に何をするのか、何を守りたいのか……何をもって救ったと言うのかを、です」
「それは……」
苦しげな声を漏らすルイズだが、アンリエッタの話は続く。
「『全てを救う正義の味方』……敵も味方も……その全てを救う……理想と言うよりも妄想に近いものですが……シロウさん目指しているものは……あるいは確かに『全てを救う正義の味方』と言えるのかもしれません」
「姫さまは、それを」
微笑みながら口にするアンリエッタの姿に、ルイズは目を見開くと、僅かに震える声で問いかけると、
「ええ、教えていただきました」
アンリエッタは顎を引くだけの小さな頷きをもって返した。
「そんな顔をしなくても、聞けば教えてくれると思いますよ」
アンリエッタの言葉に、悲しみの色に顔を染め上げたルイズが頬を赤く染め上げると顔を伏せてしまう。
そんなルイズの姿に、アンリエッタは微笑ましげに頬を緩ませる。
ルイズの姿に目を細めたアンリエッタは、視線をルイズから窓からのぞく赤く染まりだした世界に動かした。
「きっと、あなたも満足いくと思います」
そして、赤い世界の向こうに見える、星の輝きを見るかのような遠くを見つめる目を窓の外に向けながら、
「彼の目指す『正義の味方』の姿に……」
アンリエッタは誰に言うでもなく囁いた。
「ちょ、ちょっと隊長それはどういうことだよっ!?」
「どうもこうも、今言った通りだ」
目の前で憤りを露わにする小太りの少年―――マリコルヌを前に、士郎は言い聞かせるようにゆっくりと声を上げる。
学園に戻ってきた士郎は、直ぐに自分の部屋に戻った。そして士郎たちの帰りを待っていた者たちに、タバサの救出の許可への是非についての結果を伝えたところ、その反応は様々であった。
「トリステインの貴族である僕たちの誰かが捕まれば、外交問題……最悪戦争になる……か、確かに陛下が許可を出すとは思えないね」
「捕まらなくても、問題になるだろうしね」
仕方がないと納得する者。
「でも……どうにか出来ないかな」
諦めきれない者。
「ギムリの言う通りだよっ! 隊長は見捨てるのかよっ!」
怒りに声を上げる者。
「そうは言ってないでしょ。少し落ち着きなさい」
士郎に食って掛かろうとするマリコルヌの前に腕を出して止めたロングビルが、眼鏡をかけ直しながら注意する。
「でもあなたがそんなに怒るなんて、少し意外ね」
「意外とは何だ意外とはっ! 学友を心配しない男がいるかねっ」
ふんすっと鼻息も荒く腕を組むマリコルヌにキュルケが感心したように声を上げる。
「ふ~ん、あんたがそんなに友情に厚いとは知らなかったわね」
「まあねっ」
胸囲だけならキュルケにも負けないだろう胸を張るマリコルヌの姿に、お茶を片手に壁を背にしたジェシカが「むふふ」と口元を歪めた。
「で、ホントのところはどうなの?」
「いやここで格好良く決めたらイルククゥさんが僕に惚れるかもしれないだろ?」
むふんっと鼻息も荒く、デレレと顔を緩ませるマリコルヌ。そんなマリコルヌに、部屋にいる女性陣から冷めた視線が向けられる。
「最低」
「最低ね」
「最低ですね」
「あはは、正直と言うか何て言うか……最低ね」
「きゅきゅい、さいてい?」
士郎の部屋にいる六人の女性の内、五人から冷たい視線を向けられたマリコルヌの視線が、助けを求めるように残る最後の一人に向けられる。
最後の一人。椅子にゆったりと座り、先程メイド―――シエスタから入れられたお茶を飲んでいたカトレアが「ん?」と視線を傾けた。
「み、ミス」
「う~ん。どんな理由でも助けようとするのは素敵なことよ」
「―――っ! おおっ」
カトレアが唇に指を当てながら、小首を傾げ、サラリと音を立てながら桃色の髪が揺れた。
マリコルヌが初めての援護の声に喜色の色を浮かべる。
だが、
「でも、ちょっと最低ね」
ニコリと笑うカトレアの姿に、マリコルヌはガクリと膝を落とした。
「あ~……話を続けてもいいか?」
「ええ、大丈夫よ」
床に突っぶして動かなくなったマリコルヌを部屋の隅に蹴り転がしたロングビルが頷く。
部屋の隅で「うっうっ」と泣きながら震えているマリコルヌの姿を横目に、士郎が冷や汗を額に浮かべながら頬をヒクつかせる。
マリコルヌが受ける仕打ちにではなく、そんなマリコルヌを完全に無視する女性陣の姿に、部屋にいる男たちの顔に冷や汗に流れ出す。
「とは言え、話すことはそうないが……タバサの救出については先程言った通り―――外交で解決することに決まった」
「……ふ~ん……外交で……ね」
士郎の言葉に、ロングビルが口元を片手で覆いながら顎を引く。
「きゅきゅいっ! それは困るのねっ! 今すぐ助けないとお姉さまが危ないのねっ! 早く早くきゅきゅいッ!」
「い、いやイルククゥさん。陛下の許可がもらえなかければ救出には」
手足をばたばたと振り回しながら騒ぐイルククゥに、レイナールがまあまあと両手を振り落ち着かせようとする。
だが、イルククゥは落ち着くどころか、ますます声を荒げた。
「きゅきゅいっ! そんなこと言ってもダメなのねっ!! いいから行くのねっ! 絶対助けてくれるって言ったのねっ! それは嘘だったのねっ!?」
遂には涙を流しながら声を荒げるイルククゥの姿に、部屋にいる者たちの顔が渋く歪む。
涙を流しながら訴えるイルククゥに、士郎の脳裏にイルククゥとの出会いが蘇る。
イルククゥと出会ったのは、昨日の夕方のことであった。修練が終わり、疲れきっているだろう水精霊騎士隊を回収しようと赴いたところ、何と裸の少女を囲み騒いでいるギーシュたちを目にした。
結果―――。
死屍累々と転がる水精霊騎士隊……。
士郎がギーシュたちの始末について考えを巡らしていると、後から現れたシエスタたち女性陣が、裸の少女に服を着せ事情を聞いたところ、その少女がタバサの義妹であり、タバサの救出を求めにやってきたことが判明した。
イルククゥと名乗った裸の少女。
突然現れタバサの救出を願うイルククゥに、キュルケなどが疑いを掛けたりするトラブルも起きたが、彼女が呼んだシルフィードによりその疑いも晴れることに。
イルククゥが言うには、タバサは裏切りによりガリア王政府からシュヴァリエの地位が剥奪され、母親を拘束されることになったと。そのためタバサは母親を救出にガリアへと向かったが、奮闘虚しく待ち構えていたエルフにより囚われの身となってしまった。
士郎にすがりつき涙ながらにタバサの救出を訴えるイルククゥに、士郎は『絶対に助けてみせる』と応えてみせた。
しかし―――。
「―――なのに助けてくれないのね……」
「その、イルククゥさん。シロウさんは別に助けないとは」
「今すぐに助けないといけないのね。何だか嫌な予感がするのね……このままだと、二度とお姉さまに会えないような……」
シエスタの声に、力なく床に座り込んだイルククゥが首を左右に振る。
しんっと静まり返る部屋。
イルククゥはのろのろとした動作で立ち上がると、引きずるように足を動かしドアへ向かう。
「っ、イルククゥさんっ!」
力ない姿で部屋を出て行くイルククゥの背中をシエスタが追いかける。
「隊長」
「その、陛下の言うことも最もですが、やっぱり……」
「女の子を泣かせる趣味は僕にはないんだけど。本当にこのままでいいのかい?」
「そうだね、泣かせるよりも鳴かせてもらいたいね」
言外に救出を訴える(一部違う)水精霊騎士隊の隊員に囲まれる士郎だが、一度首を横に大きく振る。
「駄目だ。俺だけが処分されるのならばいいが、下手をすれば関係のないものたちまで巻き込んでしまう……お前たちの気持ちもわかるがここは耐えてくれ」
腕を組み顔を伏せる士郎に、部屋に残った者たちの視線が刺さる。
「……ルイズはこのことについて何か言っていましたか?」
そんな中、ただ一人口につけたカップを傾けていたカトレアが不意に声を上げた。
未だ城から帰ってきていないルイズのことを、共に城まで向かったキュルケに視線を向け尋ねるカトレア。
「……ルイズなら、『そう』って言っただけで、特に何も言わなかったわね」
「なら、わたしも特に何か言うことはありませんわ」
カップをテーブルの受け皿に置いたカトレアは、すっと椅子から立ち上がる。
「それではわたしは少し用事がありますので、これで失礼します」
部屋に留まっていた人達に頭を下げたカトレアは、そのまま静かに部屋を去る。
残った面々は、互いに顔を見合わせるとそれぞれカトレアの後を追いかけるように部屋を出て行く。最後まで部屋に残っていた水精霊騎士隊の面々も、部屋の隅に未だ転がったままのマリコルヌを蹴り転がしながら部屋を出ていった。
ただ一人自室に残った士郎は、大きく溜め息を吐くと天井を仰ぎ。
「すまない……な」
ポツリと声を零した。
士郎の部屋から出て行った女性陣は寮塔の外、大きな木を囲むようにして立っていた。
空から振り注ぐ二つの月の光も、大きな木の枝葉がその明かりを遮り、彼女たちの姿を隠していた。だが、例え枝葉が光を遮らなくとも、彼女たちはそれぞれの顔を見ることは叶わなかっただろう。
彼女たちは皆、気を背中を向け……互いに背を向け合って立っているからだ。
「……で、どうします?」
冷えた夜の空気に響いたのは、その声音まで柔らかな印象を受けるカトレアだった。
カトレアの問いかけに、木を背に立つ彼女たちから声が上がる。
「今回は身を守る力が最低限必要ですので……」
悔しげに唇を噛み締めた隙間から漏れる声を上げるシエスタに、ジェシカが不満な色を隠そうともしない声で頷く。
「わかってるわよ。あたしたちはお留守番ね」
空に片手をかかげ、シエスタが目を細め指の隙間から見える星空を見上げる。
「……こういう時、自分に力がないことが悔やまれます」
「わたしも荒事には自信がありませんので。足でまといになりかねませんし……」
胸に手を当て、カトレアが目を伏せ小さな声を漏らす。
三人の女性が気落ちした声を落とすと、今まで黙っていた二人の女性が声を上げた。
「じゃあ、あたしと……」
「わたしということで」
反対の声は上がらない。
暫しの時が流れ、夜風が通り抜けると、サラリと絹糸が擦れるような音が響く。
「シロウさんをお願います」
「ちょっと目を離せば無茶をするからねシロウは」
シエスタの声に、微かに笑い声を含んだジェシカが続く。
「ルイズのことも、よろしくお願いします」
「ルイズなら心配はいらないんじゃないかしら」
「そうだね。最近ぐんと強くなってるからねあの子は……色々と」
この場にはいない、妹のことを心配する姉の言葉に、軽口を叩く。
「それでは、シロウさんをよろしくお願いしますね。キュルケちゃん。ロングビルさん」
「……ちゃんは止めてください」
肩を落とし重い溜め息を吐くキュルケ。そんなキュルケの姿を頭に思い浮かべながら苦笑したロングビルは、一歩前に足を出すと、肩ごしに手を振りながら歩き出した。
「ま、学園の方は任せたよ」
それを切っ掛けに、五人の女性たちはそれぞれバラバラに歩き出す。
後に残ったのは、ぽつんと立ち尽くす、大きな木……だけだった。
後書き
クリスマス・イヴに一人っきり……ま、いつものことだけどね。
プレゼントに感想ご指摘お願いします。
ページ上へ戻る