銀河英雄伝説 アンドロイド達が見た魔術師
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メイドと少年と大佐と仲間達
同盟軍宇宙艦隊における『ガラスの壁』は主に二つある。
一つは少佐で、駆逐艦艦長職がこれにあたる為、たたき上げの終点とも言われている。
駆逐艦以下の小型艦の艦長をしている者(大体大尉)でも、退役前に少佐に出世するのが慣例となっており、多くの人間はここから先に上がる事は無い。
そして、そんな少佐の壁を突破した人間への第二の壁となるのが大佐である。
戦艦や航宙母艦の艦長職、および戦隊の参謀職など大局をコントロールする立場に否応無くおかれるが、それゆえにやりがいのある仕事とも呼ばれている。
ここから先の将がつく階級になると、才能だけでなく政治力なるものが絶対に必要になってくる。
そして、あまりの艦の多さから戦時任官のはずなのにいつの間にか組み込まれてしまった代将と、その先にある准将は現状では命を賭けなければならない。
帝国との交戦によって必ず欠員が出てしまうからだ。
よって、この大佐というガラスの壁を越えるのは才能は当たり前として、『政治力』と『運』が大事になってくる。
なんて事を考えつつ、足の踏み場も無い自室のベッドでまどろみながら受け取ったばかりの大佐の階級章のついた制服を眺めながら、ヤンは二度寝を決め込んだのだった。
「こんにちわー。
清掃ボランティアにやってきました!」
「ユリアン・ミンツと申します。
今日はよろしくお願いします」
その二度寝を破ったのが、地域ボランティアで清掃活動をしているというアンドロイドと少年の二人組。
市民を守る軍人ゆえに守る市民と触れ合うべしという人形師の理念によって始められたこの清掃ボランティアだが、もちろん狙いは両親が生きているのでヤンとユリアンを引き合わせる為のしかけである。
アンドロイド達の苦闘の末の回答がしのばれる。
独身軍人を中心にした清掃ボランティア活動の政策化で、軍人家庭の子供を対象に軍への関心を高めてもらうという表向き狙いから、市民と軍用アンドロイドのペアで掃除を行っている。
権力の乱用ではあるが、それを指摘できる人間はいない。
何しろ、『アンドロイドとの融和を図る為』という政治の森にそんな些事が隠れているなんて分かる訳がないからだ。
で、独身男性のある意味当然といえる杜撰な生活が暴露されて、同盟議会で問題視される羽目に。
「部屋の片づけすらできずして、帝国軍を破る策が思いつくと思うのか?」
という友愛党議員の指摘に同盟軍内部にて綱紀粛正の動きに繋がったりするから案外馬鹿にならない。
なお、この綱紀粛正運動はドーソン中将をリーダーとする同盟軍風紀委員会なるものを生み出し、友愛党政権の理想と無能と無責任の象徴となって友愛党政権が崩壊するまで軍内部の怨嗟を一心に浴びる事になったりするがそれは別の話。
話がそれた。
そんな政治背景があったにも関わらず継続されているのは、ユリアンの為なんて分かるはずも無く。
対面上は、スポンサーであるアパチャー・サイエンス社の本格的に出回ってきたリトルメイドシリーズ『瀟洒』のお披露目イベントという恣意で本意を隠している。
なお、この手の政治手法を人形師はとても良く好んだ。
「あいにく私は賢者でもなく、清貧に甘んじるほど聖者でもない。
集まった利権は少しは懐に入れるさ。
だが、それ以上に市民の懐を満たす事を私は約束しよう。
私が市民の懐に入れる利権。
それは平和だ」
彼が生前のたまわった政治手法を他の転生者が見たならば、その転生者がある程度の年ならばきっとこんな言葉が出てくるだろう。
『今太閤』と『闇将軍』と。
地球の記憶が曖昧になったこの銀英伝世界においてその言葉が呟かれる事はない。
そして、その清濁併せ呑んだ政治を平和の果実を得た自由惑星同盟は許容した。
経済成長の基礎は治安改善と平和からというのは、間違っていないのだ。
「いらっしゃい。
君達が来るのを待っていたよ」
「……そう言って、本当に掃除をするのはこのあたりではこの家ぐらいですよ。大佐」
『瀟洒』シリーズの副官バージョンとして用意した彼女は相手がヤンという事もあってさらりと毒舌を吐く。
なお、その毒舌の元がどこから来たと尋ねられた彼女は、ヤンの先輩の名前をあげた事でヤンに頭を抱えさせたのだがそれはおいておくとして。
ユリアンがこのメイドと共にヤンの家に来るのはこれが三回目となる。
というか、大佐ともなると高給取りでかつ命のやりとりの高さから家族を持っているか、この手のアンドロイドメイドを雇っているのがほとんどだったからだ。
ヤンがそれを雇わなかったのは、めんどくさいというのとアンドロイドを買う金があるなら資料を買うという趣味人だったからに他ならない。
なお、そんな状況だからこそ、他のボランティアとメイドは対象家庭の人と共に地域清掃に勤しんでいるはすである。
さっきまでユリアン達もその地域清掃に勤しんでいたのだ。
ヤンは堂々と二度寝に勤しんだが、それがある程度許容されているのは、彼が戦場帰りというのも大きい。
「生還おめでとうございます。
そして、大佐昇進おめでとうございます」
「……ありがとう」
ユリアン・ミンツは後に語る。
あの人ほど昇進の祝いに嫌悪感を出した人は居なかったと。
そして、一人と一体による部屋の制圧作戦が開始される。
敵は資料という名の書籍。
分類して棚に直してゆくのだが、ヤンからすれば読みやすいように置いているのでこれが結構不満だったりする。
「ああ、できればその本はそのままにしてくれないかな?」
「堂々と部屋の中央に積まれていると邪魔です。
ちなみに、この書籍の塔は前回もありましたし、動かされていませんでしたよ」
こういう時にアンドロイドは無敵だ。
何も言えずに撃沈されたヤンを尻目に、部屋の中から床が現れてゆく。
「そういえば、お父さんは元気かい?」
「はい。
キャゼルヌ准将の下で忙しそうに飛び回っています」
「私より、先輩の方が忙しいだろうになんであんなに家族サービスができるのやら……」
ヤンのぼやきもある意味当然で、シンクレア・セレブレッゼ大将が率いる後方勤務本部の実務全般を取り仕切り、その実務で戦場に出る事無く准将の椅子を手にしたのだから。
なお、彼も参謀コースの出世の間に艦長職を経験していたりするが、その艦が同盟軍の軍専用輸送船。
しかも、彼が艦長だったその船の航路の経済効率が数割上昇するという伝説までつくる始末。
ヤンの『忙しい』発言は先の緊急軍備予算の可決成立によって艦隊の更新が前倒しされ、旧式艦をフェザーンに有償譲渡する現場責任者だからに他ならない。
それほどのど修羅場なのにも関わらず、五時には家に帰り、休日は家族と過ごし、そして事務は不正も不明もなく適正かつ円滑に進んだというのだから恐るべし。
この一件にて、シンクレア大将は後方勤務本部初の上級大将に昇進する事になり、同盟軍の防衛戦における物資輸送の円滑化は常に帝国に対して優位に行えるようになる。
「お掃除終了です」
「本棚の分類と、移動させた本のリストをホームコンピューターに入れておきますね」
二時間後。
人を招くことができるまで綺麗に片付けられた書斎の中で、ヤンは魔法を見たかのように呆然とする。
そして、毎回思うのだ。
この二人魔法使いではないのだろうかと。
「お邪魔します。先輩。
生還おめでとうございます」
「ご出世おめでとうございます。
最初見たときどうなるかと思っていましたが、とうとう大佐ですか」
「生還および出世おめでとうございます」
掃除終了と共にベルが鳴るので開けた途端のお祝いの奇襲。
押しかけた元部下であるアッテンボロー少佐、パトリチェフ中佐、アルテナ・ジークマイスター少佐の来訪時の台詞に、付き合いが長い分我が後輩はこっちの性格をよく知ってやがるとヤンは苦笑しつつ部屋に招きいれた。
片付けられた部屋だからこそ安心して部屋に招くことができる。
「なあ、もしかしてこれは『お姉さま』の差し金か?」
『良ければ昼食も作りましょう』の一言で何でかユリアンと共に残っているメイドに向けてヤンが悪態をつく。
その返事ににメイドが持ってきたのはユリアン以外ならば飲みなれた、チャン・タオ退役軍曹の紅茶の香り。
(あのメイド、性格の悪さも先輩から学んでいないだろうな?)
なんて言葉を言うはずもなく、はめられた祝宴にヤンは足を踏み入れた。
「なつかしい香りですな。ソヨカゼV39を思い出しますな」
「ソヨカゼV39は相変わらず現役で働いているそうですよ」
「で、先輩。
俺達がここに来た理由はこの紅茶からも察してくれるとうれしいのですが」
人によってはキャリアの終点である大佐は、それゆえにかなり恣意的人事が行える場所でもあった。
何しろ主力艦の運用や戦隊規模の作戦立案が任されるのだ。
それゆえに、その人事権はある程度は配慮されるようになっていたのである。
ここでどれだけ人を見つけられるかで、ここで終わるかその後の出世が決まるかと言っても過言ではない。
「私はできればここで終わりたい人間なんだがねぇ」
「同盟議会であれだけ顔を売った以上、無理だと思いますよ。それは」
ヤンのぼやきをパトリチェフが容赦なくぶったぎる。
世間から見れば、ヤンは軍の不正を正し、優れた見識で帝国の意図を見抜いて主戦論を掣肘し、戦場から帰還した功績もある、トリューニヒト国防委員の覚えめでたいエリートの一人なのだった。
その為、ヤンの大佐昇進と戦艦セントルシア艦長就任が発表されると共に、自薦他薦のメールがヤンに押し寄せる羽目に。
読むのもいやになって、まだ時間があるからと戦艦の主要スタッフをまったく決めていなかったのである。
「まったく。
こんな形で押しかけて、私が断ると思わなかったのかい?」
「その前に、部屋が散らかって入れない方を心配していたんですよ。先輩。
あとついでに、セントルシアのスタッフが決まっているのならば、教えていただけませんかね?」
ヤン、後輩にも撃沈される。
元々この後輩は士官学校では奇襲などが得意だったが、その理由の一つに的確な状況判断能力の高さが上げられる。
効果的なタイミングで事を起こすのがうまいのだ。
「私の下で何がいいのやら」
「艦長の下だったら、確実に帰れそうだから。
それではいけませんか?」
アルテナの一言にヤンは深く深くため息をついた。
まぁ、決めないといけない事だから、仕事が片付いたと考え直したらしい。
「わかったよ。
パトリチェフ中佐には副長を、アッテンボローには戦術長を、アルテナ少佐にはまた航海長をやってもらおう」
「他のスタッフはどうするので?」
駆逐艦と違って、戦艦の運用には人員がかかる。
主だったポストは他にも、機関長や主計長、隊付参謀等があるのだ。
「そういや、ラップのやつ退院したんだっけ。
ラップのやつも呼んでみるか。
主計長として」
ヤンと同期で戦史研究科首席のジャン・ロベール・ラップは、病気療養があって防衛大学校の経理研究科を卒業したばかりと本人からの連絡で聞いていたのである。
士官学校から現場を知り、防衛大学校で学びなおすというのはキャリア形成において不利にはならない。
むしろ、士官学校出という派閥抑制の一因になっているが、同時に大学校卒業という新たな派閥を作ることになってもいるのだが。
現状、士官学校派と防衛大学校派の比率は7対3という所。
「ならば、なおのこと生還しないといけませんね。
先輩。ラップ先輩がジェシカ嬢とつきあっているのはご存知で?」
「聞いたよ」
さらりと切り込むアッテンボローにヤンは穏やかな笑顔で返した。
恋愛と友情のどっちを取るかという話で、友情を取ったという男の馬鹿話でしかないが、そんな話を壁向こうでメイドと少年が耳を立てているのに気づいてヤンは二人を呼び寄せる。
「ほら、何でか分からないが、お祝いの席で仲間はずれはよくない。
君達も一緒に祝ってくれ」
「何をですか?大佐?」
純粋かつませたユリアンの切り返しにヤンは絶句し、それを他の人が爆笑する形でなんとなく宴がはじまったのだった。
ヤンが戦艦セントルシアに着任し、宴の参加者と共に宇宙に旅立つのはそれから一ヵ月後の事である。
後書き
ラップの経歴確認してみたら、彼は戦史研究科らしい。
という事で、卒業後に事務コースで主計長として参加させてみる。
12/21 事務長を主計長に修正。
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