気まぐれな吹雪
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第一章 平凡な日常
35、霧と大空、ご対面
春が近づき、桜のつぼみが見えてきた頃、一人の少女が並盛の道を歩いていた。
彼女は三千院凪。
何度も通ったおかげか、不慣れなはずの並盛でさえ、地図を見ることなく歩ける。
向かう先はもちろん、要の家である。
ピンポーン
軽快なインターホンが鳴る。
「はーい」
が、そこに現れたのは、見覚えのない小さな男の子。
驚いて表札を見るが、そこにはちゃんと『霜月』と書かれている。
むしろ、何度も訪れているこの家を、見間違うはずなんてない。
どうしようかと迷っていたその時、奥からもう一人が現れた。
「お、凪じゃねぇか!」
エメラルドグリーンの短髪が特徴的なその人物は、確かに要だった。
だとすると、この子供は一体誰なんだろうか……。
「あ、えっと。こいつはコスモ、訳あって預かってんだ」
そんな凪の心情を悟ってか、要が慌てて説明する。
あらかた説明が終わると、コスモは可愛らしくにぱっと笑った。
「よろしくね、凪ねぇ!」
「凪ねぇ……?」
聞きなれない呼ばれ方に驚きながらも、凪は優しく微笑んだ。
「っと、そう言えばどうしたんだ? 用があんだろ?」
「うん。いい天気だし遊びに行こうと思って。よかったらコスモ君も一緒に」
コスモ君も一緒に。
この言葉に反応しないわけがなく、一気にコスモの目が輝き出した。
何も言わずとも目が語りに語りまくっているために、要は思わず苦笑を漏らした。
「じゃ、行くか」
†‡†‡†‡†‡†‡
「ぐはっ」
「要?」
「かなねぇ?」
場所は遊園地。
ここに来てからすでに四時間が経過している今、要は潰れていた。
理由は簡単。
この四時間、ひっきりなしにコスモに連れ回されていたからである。
ジェットコースター、コーヒーカップ、メリーゴーランド、お化け屋敷etc.
「かなねぇ、もう一回!」
「悪ィ……ちょっと、休む……」
「じゃ、一人で行ってくるね!」
言うが早いが、コスモは列に走っていった。
その姿を見送った凪は、心配そうに要を見た。
「要、大丈夫?」
実際問題、かなり心配だった。
彼女が相当なお人好しであることは知っている。
そうでなければあの日自分に声をかけることなんて無かっただろうから。
けれど、度が過ぎてしまえば、いつか自分で自分を殺してしまうんじゃないかと、それが心配なのだ。
しかしながら、要は小さく笑っただけだった。
「あいつさ、もう少しで死んでたんだ」
「え?」
突然切り出された話に、呆然としてしまう。
「車に轢かれそうになってた。周りの奴らは誰も助けようとしなくて、ホントやばかった。ダメかもしれないと思ったんだけど、ギリギリ間に合って助けることができた。そんときになつかれちまって預かることになって、そんであいつ、今日帰るんだ」
やっぱりこの人はお人好しだ。
お人好しほど早く死ぬ、なんて言葉があるけど、彼女がそれを体現している気がしていた。
他人のためなら自分の危険は省みない。
それが要と言う人間であることは充分承知している。
だからこそ、恐い。
人を助けるばかりで、決して自分は助けを求めない。
だから危険を冒す。
「要!」
「ん?」
「辛かったら相談して、私たちを頼って。一人で何でも抱え込まないで」
「……凪?」
「私は……苦しんでる要を見たくないから」
その言葉に、要は言うことを失ってしまった。
昔から、自分のことは自分で解決しなくちゃいけないと思っていた。
誰かに頼っちゃいけないと思っていた。
頼ったら、その“誰か”に不幸が訪れてしまうから。
両親も彩加も……。
だから一人で抱え込まなくちゃいけないと思っていた。
けれど凪は、“抱え込まないで”と言った。
“頼って”と。
「別に辛くないし、抱え込んでもねぇよ」
だから嘘をついた。
また抱え込んだ。
それが凪にバレているだろうとわかっていながら。
†‡†‡†‡†‡†‡
夕日が照らす並盛町を、要はコスモの手を引いて歩いていた。
家の前には黒い車が数台止まっていて、家の明かりがついている。
戸締まり忘れてた、と後悔しながら、玄関を開けた。
「悪いな、勝手に上がらせてもらった」
案の定、そこにいたのはγだった。
遊園地でも言った通り、今日はコスモが帰る日なのだ。
「それじゃ坊っちゃん、帰るぞ」
「うん」
コスモが寂しそうに頷く。
そしてγに手を引かれて、外に止めてあった車に乗り込んだ。
後に続くように、要も家から出る。
車の中から、コスモが見上げていた。
「コスモ」
精一杯の笑顔を作る。
コスモが寂しがらないように。
いや、本当は自分に向けて作った笑顔だったかもしれない。
「今度はオレがイタリアに行ってやるからな」
「うん!」
それを皮切りに、車が発進する。
コスモの顔が、だんだんと遠退いていく。
次第に黒い塊となり、ただの影となり、地平線へと消えていった。
すでに、要の顔からは笑顔が消えていた。
「絶対に行くからな」
その頬を流れ伝う滴が、夕陽の赤い光を反射して輝いた。
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