Cross Ballade
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第2部:学祭1日目
第6話『思慕』
前書き
いよいよ榊野学祭。
それまでに作っていた人間関係が鍵となります。
榊野学園学祭、当日……
「おはよう!」
元気よく唯は、食卓に座る家族に声をかける。
きょうは両親が特製の弁当を作ってくれた。
「おはよう、唯」
「いよいよ、今日だな」
両親はその日も働くので、見学ができないが、期待はしているらしい。
「榊野の学祭は2日間あるけど、2日間ライブは大変だろうな。」
「ううん、お父さん、」唯は首を振って、「私たちが演奏するのは1日目だけだよ。
大丈夫、しっかり演奏して、放課後ティータイムの存在をアピールするから」
「楽しんできてね。それじゃ、いってきます」
青い包みの弁当をおいて、両親は家を後にした。
憂は朝食のみそ汁を作っているようだ。
ただ調理中にしては、金属のこすれあう音が、カララ、ゴロロとなっている。
「憂も来てね。ライブは今日だけ、午後の3時からだから、気をつけてね」
「そうだなあ……。考えておくね」
味噌汁をかき回しながら、憂はつぶやくように言った。
「じゃ、行ってきます!」
唯は憂の奇行が気になった。
あのメモは一体何だったんだろう……。
それを頭を振ってかき消して、踵を返して家を飛び出した。
「あ、純ちゃん!」
ギターを抱えて外に出ると、癖っ毛、ツインテールの憂の友達が待っていた。
「おはよう、唯先輩。いよいよライブですね」
その友達、鈴木純が手を振りながら唯に挨拶をする。
「ライブは今日だけだからね。憂と一緒に見てきてね! じゃ、いってきます」
駆け足で学校へ向かった。
「おはよう、憂! あがるね!!」
純は、友人の家の玄関から、勝手に台所に飛び込んでしまう。
「あ、純ちゃん、おはよう……」
少し振り向いて、憂は再び鍋をかき回しはじめた。
「いつまで料理作ってるの? 唯先輩行っちゃったよ。」
なれなれしく純は近づき、鍋を見た。
ぞっとなった。
憂がかき回している鍋には、みそ汁も何も入っていなかったのだ。
空の状態でお玉をかき回していたのである。
「な……どうしたの、憂…。最近、元気ないけど……」
「ん?」
「あ、そっか! そういえば唯先輩に男ができたって噂だよね。まあ、仲の良いお姉ちゃんを取られた気分になっているのは、分からなくないけど」
ガシャン!
憂は激昂してお玉を床にたたきつけた。冗談半分で言ったつもりだったのだが。
「あ……」純は後ずさりしながらも、「と、とりあえず、落ち着こうよ。
そうだ、榊野学園の学祭行こうよ。こういうときには、明るくパーッといくのがいいのよ、パーっと!!」
「そうだ、マコちゃんにメール!」
走りながら、唯は携帯でメールを入力し始めた。
あの日から、誠とは毎日メールのやりとりをしている。
今日は特に、それが楽しみで仕方なかった。
会えるかな。
もし会えたら、自分の思いを素直に伝えたかった。
好きだ、って……。
シャワーを浴びて、誠はリビングに出る。
そこには、母の書きおきと、ハムエッグ、フレンチトーストがあった。
『いよいよ今日から学祭だね。
2日間、しっかり頑張りなさい。
母より』
書きおきをパジャマのポケットにしまい、朝食を食べてみる。
「……うまいな」
悩みを打ち明けて以来、母はいろいろと誠を気遣っている。
いつもより早めに起き、朝食を作るようになったし、できる限り早めに帰って、炊事をおこなうようにしている。
ありがたかった。やはり親はそばにいたほうがいいかもしれない。
ふと、携帯にメールが届いた。
2件。
言葉と、唯からだ。
『おはよう、伊藤君。
いよいよ今日が、榊野学祭だね。
私の演奏、絶対聴きに来てね!!
待ってまーす!
平沢唯』
「平沢さん……」
彼女のホンワカした笑顔が、携帯を通じて見える気がした。
つづいて、言葉のメールを読んでみる。
『誠君、いよいよですね。
午前中は私、クラスの手伝いをしないといけないんですけど、午後は私もあいているんです。
誠君と一緒に、いい思い出作りたいです。よろしくお願いします。
桂言葉』
「言葉……」
ふと、頭に引っかかるものがあった。
「世界は…学祭に来るんだろうか…」
あれから世界は、ずっと学校を休んでいる。
毎日お見舞いをして、手土産を渡したつもりだが、いまだに戻らない。
当然だろうな。
ただ……。
世界がいなければ、学祭でゆっくりと言葉と過ごすことができる。それは、確かだ。
気を使わずに、放課後ティータイムの演奏を聴くことができる。それも、事実だ。
そういう考えが頭の中にあり、自覚するだけでぞっとした。
桜ケ丘高校は、今日は土曜日でお休み。
だが、音楽室にはすでに、放課後ティータイムのメンバーが集まっていた。
「おはよう! いよいよだね!!」
入るや否や、唯は元気よく皆に声がけした。
「ああ、いいライブにしような!! ファイト!!」
律が右腕を上げる。
「正直、軽音部員初めてのライブがこれじゃあねえ……」
梓は朝から憂欝である。
「まあ、やるだけやりましょうよ」ムギがお菓子を配りながら、「いよいよなんだから」
澪は端っこで、榊野学祭のパンフレットを見ていた。
「桂は1年4組か…よりにもよってお化け屋敷かよ…」
どんよりする澪を見て、
「わっ!!」
と驚かすさわ子。
「ひいいっ!! ってなにしてるんですか!」
澪はさわ子を追い回す。
見慣れた光景である。
「くすくす…。ねえ、せっかくだから、みんなで学祭見物してみない?」
唯がはいはいと発案してきた。
誠のメールに、
『午前中は喫茶店の手伝いをしなければいけないけど、午後からは俺もあいてるんです。
ライブ、楽しみにしてます。
できたら喫茶店にも来てほしいけど。』
と書いていたためである。
「私は嫌です」梓は拒否して、「午前中は練習して、ライブが終わったらさっさと帰りたいですよ」
「そうだなあ」澪も、「それに最終調整ってしてないだろう。それに費やしたほうがいいと思うぜ」
「あれえ、澪ちゃんは桂さんに会えなくてもいいの?」
ニヤッと笑った唯に対し、澪の顔がぱっと赤くなり、
「わ、私は公私混同しないたちなんだ! ライブが終わったらゆっくり話をするつもりさ!!」
「赤くなってる、赤くなってる」
唯はニヤニヤする。
「ここは夏合宿の時と同じく多数決だな、私は練習したいね」
「私も。」
澪と梓が練習したいと言い出したが、
「「見物したい!!」」
唯と律の声が重なった。
「私も、見物したいかなあ…なんて」
続いてムギ。
「私も。そもそもこの学祭は、生徒同士の交流という目的もあるでしょ」
と、さわ子。
4対2。
学祭見物するということになった。
「じゃ、サービスで車で送ってあげるから」
「おいおい、榊野には歩いても5分でいけるぞ」
さわ子の発案に、律は笑い半分に答える。
「でも楽器とか持ち運ぶの、大変でしょ?」
「……それもそうだな。よし、今回はさわちゃんの好意に甘えるか」
「律、人の厚意にへそを曲げるもんじゃないぞ」
澪は律をたしなめると、
「……ちょっと、トイレ行っていいかな」
音楽室を飛び出し、トイレへと向かった。
「さっきから何回トイレ行ってるんだ…10回目だぜ。」
さわ子の車にみんなで乗り、榊野学園に向かうことになった。
「榊野ってどんなところかなあ、学祭での出し物も変わってたりして」
「私たちのと変わらないでしょ。それに校風悪いですし」
胸いっぱいの唯に対して、隣の梓は相変わらず冷めている。
「そういえば」ムギが榊野のパンフを見ながら、「これ、お母様から受け取ったパンフなんだけど、澪ちゃんのと微妙に違くない?」
皆集まって、ムギの開いたページを見てみる。
それは、お化け屋敷の部屋のレイアウト。
どこがろくろ首の部屋で、どこが冷たい手の部屋・・・と書いてあったのは共通する。
ただ……。
ただ違うのは、1つ別の部屋が書かれてあるということ。
ベッドと思しきデザインと、2人が座れる椅子、箱と思われるものも書いてある。
「……? 」
皆、妙な顔になった。
気がつくとすでに榊野学園の校内に入り、駐車場に来ていた。
「そういえば、ちょっと聞いた話なんだけど」澪は顎に手を当て、「榊野学園には伝統と伝説があって、学祭に隠し部屋でチェリーを卒業し、キャンプファイヤーで踊ったカップルは、永遠に別れないんだって」
「私も聞いた。となると、噂は本当のようだな……。ますますわくわくしてきたな。彼氏の作りがいがあるぜ」
律はニヤリと笑って空を見上げる。
「何言ってるんですか。これ、榊野の先生方に言ったほうがいいと思いますよ。ねえ、さわ子先生」
梓がさわ子に話を振るが、
「そうだなあ……。私は馴染んでみようかな、榊野で新しい彼氏作るのも悪くないと思うし」
と、気にもしない。
「先生―」
「おお、さわちゃんもノリがいいねえ」
仲間ができて律の頬が、一層緩んだ。
誠達、1年3組が出す喫茶店。
すでに教室には、喫茶店の準備ができていた。
輪つなぎのほか、貝殻つなぎ、四角つなぎ、『高校生パティシェの作ったお菓子 YUM-YUM』と書かれたポスターなど、さまざまな装飾がほどこされている。
厨房を隠すカーテンがしかれ、奥に携帯用のガスコンロとボンベ、家庭科に使うフライパンもある。
「おはよう……あ」
誠が厨房に入ると、すでに皆集まっていた。
世界も。
「おはよう」
世界は、穏やかに答えた。
「体……もういいのか?」
「うん。もう大丈夫。やっぱり、私は自分の思いに正直になることにするから。
誠と二人で回りたい、そう思っているし」
「そ、そうか……」
誠は後ろめたくなった。
「まあ、追いかけるのはせいぜいキノコぐらいにしてよね」
「俺はマリオか。それにキノコ追いかけても俺は1機増えないからね」
「とにかく、世界はあんたを許してくれてるんだから、感謝するんだな」
七海が背後で、にらみを利かせた。
誠はそれから眼をそらしながら、
「しかしまあ、よくこれだけのメンツがそろったな……」
世界、七海、刹那、光、泰介の顔をかわるがわる見る。
「言っとくがね、誠」泰介は半分ニヤけながら、「田中や福田もいるからよ、男子のほうが多いからな! 遠慮することはねえゼぇ」
「何を遠慮するんだよ」
「はいはい、無駄口叩いてないで、準備準備」
刹那は呆れたように声をかけ、客室に出てテーブルにクロスをかけていく。
他の皆も、ある者は準備のために花を飾り、他の者は厨房で食材の準備を始めた。
「それにしても、誠の調理法でクレープやケーキを作ると、とてもおいしいよね。びっくりしちゃった」
世界は微笑みながら言う。
「お菓子は結構作ってたからね、ガキの頃から」
「ふん、それでもうちの黒田流には劣るわよ」
光がそっぽを向いて厨房に向かう。
「おい黒田……」
「光はすねちゃっているのよ。家が洋菓子屋だからプライドもあるし」
世界がうまくフォローした。
「そうそう、桜ケ丘と榊野のヘテロカップル1号へのプレゼント、用意できたぞ」
七海が、輪飾りをつなげながら言った。
「プレゼントまで用意してるのか……いったい何なんだ……?」
「ベンツ1台、なんちゃってー」
「いや、たけえよ……それに俺たち運転できないだろ……」
「冗談って言ったじゃん。本当はパルコで買った高級チョコ2袋」
「チョコかあ」世界は顔を輝かせて、「あそこはおいしいものね」
「ま、あたしやあんた達には縁のないものか。1号をみんなで祝福しようぜ」
「それもそうだな」
瞼の奥に唯の笑顔が浮かんだが、言葉や世界の顔を思い出してかき消した。
ふと、七海の携帯が鳴り、その場を離れて電話をする。
「あ、もしもし、私、七海。……分かった、こちらもこちらで対策立てるから」
世界と誠のところに来て、
「桂も午前中に手伝いのシフトをずらしたらしい。となれば、かなりやばいな……」
誠はもう何も言わないでおいた。何か喋ったら、どう怒鳴られるかわからない。
「あんまり、桂さんを敵視するのもよくはないけれど……」
世界が言葉をかばうが、七海は、
「敵はどう来るかわからないからね。一応手は打っておいたけど。そうだ、平沢って人はどうしようか」
「最近は噂もしぼんできたけどね……」
「でもまあ、向こうは本気みたいだからさあ。ちょっと気の毒だけど、警戒するのに越したことはないぜ」
無駄話をしている間にも、教室の外で生徒たちが、開店は今か今かと待ちわびていた。
誠は、窓越しに生徒たちの様子を見ながら、ちらと思った。
平沢さんも、いるかな。
モグラのようにもたげてくる唯への思いを、再び世界の顔を見て、消した。
銀色で殺風景な校内のいたるところに、輪飾りや派手なポスターが付けられている。携帯のマスコットと思しきピンクの髪の着ぐるみが、手にインクを付け、手形を作っている。
ここは、榊野学園校舎の1階である。
榊野の生徒、桜ケ丘の生徒、両方入り混じっている中で、放課後ティータイムは校内の散策をしていた。
「こうしてみると、女ばかりが多く見えるな……。榊野が共学であることを忘れる……」
最後尾にいる澪は、キョロキョロしながら呟く。
「しっかし唯」律は呆れたように、「ただ遊びに行くだけなんだから、ギター持ってかなくてもよかったのに」
唯一人だけ、ギターケースをかついでいた。
「いいじゃない、なるべくギー太と一緒にいたいし」にこやかに笑って唯は言った。「それにさあ、こうしてみんな楽器を持ち歩けば、『放課後ティータイム、ここにあり』ということがアピールできるじゃない」
「それもそうね」ムギがうなずくが、「でも、りっちゃんと私は持ち歩けないわ。ドラムもキーボードもかさばるし」
「くすくす、仕方ないよ」
一行は2組のオナベ&オカマバーを通りすぎていた。
すれちがった榊野生徒の女子たちが、話をしている。
「ねえ、例の休憩所、借りれるよね」
「う、うそ、来実、彼氏作ったの?」
「いよいよ来実も、晴れてチェリー卒業かあ……。いいなあ……」
「私たちも、石丸先輩や大岡君とか、いいところ探してみるか」
来実と呼ばれた少女の手元にある、『あるもの』にふと、目がとまった。
自分も、ああなれたなら……。
唯の心を読んだかのように、梓が、
「唯先輩、もう伊藤って奴には近づかないほうがいいです。そもそもそいつ、二股も三股も掛けるような」
「梓」澪が梓の肩に手を置く。「言ったって……」
「でも……」
「お願い、あずにゃん、澪ちゃん」唯は2人に目を向け、「しばらく、私の自由にさせてくれない?」
「いい加減にしてくださいよ!! 唯先輩の行動で、みんなに迷惑かけてるんですよ!!」
荒い声の梓に、周囲の視線が集中する。
「梓、トーンダウン」澪はあわててたしなめ、「でもさ、唯。伊藤には、すでに彼女がいる。わかっているだろう?」
「でも……あきらめたくない。これだってわかるよね。正直、もう恥じることなんか何もないんだ!」
唯は反駁する。
思いが制御できない。
誠と親しくなってから、いつもそうだった。
周りがぼそぼそと、彼女をみて噂をする。
大方、自分と誠の話なのだろう。でも……。
「梓、黙って見守るしかないって、以前言ったじゃん」
律が半分呆れ気味の表情で言う。
「見守られますか! いろいろ込み入っているみたいですし、向こうにもこちらにも迷惑がかかるだけじゃないですか!」
「梓、できる限り私が唯を抑えるから」
と、澪。
「澪先輩……」
「たぶん伊藤自身から振られるまで、唯は止まらないと思う」
「な、なんでそうなるのよ!!」
唯は声のトーンを上げた。
「お前はそういう人間だからな。子供っぽいし、一つに集中すると周りがおろそかになるし。
あまり何も言わないようにしておくけど、羽目外すんじゃないぞ」
「わかってるよ……」
唯は沈んでしまった。
「それでいいのかなあ」
梓は半信半疑。
「とりあえず、私たちは私たちでいい出会いを作ろうぜ」律は言ってから、背の高い男性を見つけ、「おーい、お兄さん、私とデートしないかい?」
声をかけられた男性は、「また今度」といってそそくさ立ち去る。
「はーあ、異性への声のかけ方、りっちゃんはまだまだね。私が教えてあげようか」
「さわちゃんはうまく落とせたのかよ」
2人のやり取りに、唯はため息をついて、
「ねえ、みんなで1年3組の喫茶店に行かない? 私たちが食べてるケーキやお茶と、どっちがおいしいか比べてみようよ」
「おいおい、スイーツなんて、うちら毎日食ってるじゃねえか。それよりお化け屋敷なんかどうだい?」
律が拒否するが、
「食べ比べるの!」
唯は強い口調で繰り返した。
「私は怖いの嫌いだし、唯の意見に賛成かな」
澪が唯に、そっと寄り添った。梓は指をつんつんしながら
「私も……甘いものが食べたいです……」
「私は……どうしようかなあ……」
さわ子は腕組みをする。
「分かった、行こう行こう」
律がぶっきらぼうに言った。
澪に肩をたたかれ、唯は振り向いた。
澪は黙って、唯を真剣な表情で見つめた。
「澪ちゃん?」
「もしかして、伊藤がいるのか?」
「うん……」
「まあ、正直私も伊藤に会いたいからな。桂のことや今までのこと、もう少し詳しいことを知りたいし」
「澪ちゃん……」
澪も、ひょっとしたら込み入った中に入り込みたいのだろうか。
彼女はつぶやいた。
「自分の思いに正直になりたいのは、唯と同じかもしれんな……」
1時間ごとに、ウェイターとコックの役を交代させ、3組の喫茶店は、何とか客をさばいていた。
料理に慣れている誠も、さすがにひいひいしてきた。
「みんな!」
トイレから戻ってきた刹那の声に、皆がそちらを向く。
「どうした、清浦?」
「放課後ティータイムが来てる」
他の皆は「それがどーした」と言い返すが、事情を知る者は緊張する。
「とりあえず伊藤は、厨房に交代だな」
七海が真っ先に言った。
「待て甘露寺、1時間ごとの交代じゃなかったか? まだ20分しか経ってないぞ」
誠が反発するが、
「つべこべいわない! また平沢って奴といちゃつかれちゃ困るんだよ」
「そうよ、まだあの噂は完全に消えてないんだからね」
七海と光から鋭い眼光でにらみつけられ、「別に浮気してるわけじゃないってば……」とつぶやき、誠は黙って引き下がった。
「放課後ティータイムには私が接客するから。世界は心配しなくていい」
「でも七海は、相手が嫌いだとすぐ顔に出ちゃうから、まずくない?」
冷静な刹那の意見である。
「私が行く」
名乗り出たのは、世界だった。
「世界? 大丈夫?」
「この際平沢さんや、放課後ティータイムがどんな人たちだか、接していれば少しはわかると思うし」
他のメンツは、何がなんだかさっぱりわからない。
なんだなんだと詰め寄る皆を、泰介はなだめ、
「田中も福田も、気にしない。人の噂にちょっかいは出さない。
まあ、誠は我慢するんだな。モテ男もつらいけどな」
「だからモテ男言うな」
誠は、すぐにコンロに火をつけた。
周りは、
「そういえば、伊藤って桜ケ丘の女の子といい仲だもんな……」
「西園寺も頑固だなあ。伊藤が目移りしてると思って必死になっちゃって……」
噂話に、また花が咲く。
思わず誠は、体を丸めた。
「やめてくれってば……」
マコちゃん、いるかなあ。
期待を弾ませて唯は、3組の入り口にたどりついた。
「いらっしゃいませー! 席へご案内いたします!!」
教室の入り口に入ると、すぐに、白い服にピンクのエプロンをかけた女の子が近づき、唯達を席に案内する。
その少女と目が合って、唯はひやりとなった。
誠に、いつもくっついていた子だ。
世界のほうは一瞬、笑顔が消えたようだったが、すぐに朗らかな表情に戻してメモを取り出す。
「こちらが、メニューでございます」
「お、サービスいいじゃんか。自分たちから近づいて、自分からメニューを取り出して渡して」
律はにっかり笑って言った。
「ありがとうございます。ご注文のほうは?」
「そうだねえ、私はバナナクレープにしようかな」
他の皆も、それぞれ好きな製品を注文していく。
「わかりました。おかけになってお待ちください」
きっちり45度で頭を下げる。
「なかなか丁寧な接客じゃないですか。それにはきはきしてるし」
ムギがにっこりしながら世界をほめた。
「あ、ありがとうございます……。海の家のバイトが役に立ったかな」
世界は顔を赤らめて、セミロングヘアーを振りながら厨房に向かった。
「あの人……」
唯は隣にいる澪の肩をつつきながら、小声で言った。
「え?」
「あの人、いつもマコちゃんにくっついてた人だよ……」
しょぼくれた表情で、唯は打ち明けた。
「じゃあ、あの人が西園寺?」
澪も思案顔になった。
その時、
「あ、甘露寺さん」
ムギが明るい、しかし興奮した声を上げた。
みると、長身でボーイッシュなルックスの少女が、別の人の注文を受けている。
「え、あたし?」
ムギの声に気付いて、七海もそちらを向いた。
「あ、すみません……仕事の邪魔しちゃって」
「あ、いえいえ……どうしたんです?」
「甘露寺さん、榊野の女バスをベスト4まで導いた人だと聞いていたもんで、いろいろと話が聞きたくて」
頬を染めて近づくムギに対し、
「あ、あー……今は取り込み中ですから、午後ゆっくりと」
同じく頬を染めて、七海は奥へと引っ込んだ。
「ムギ、今は仕事中なんだから迷惑だろう」
たしなめる澪に対し、
「でも……今逃したら、甘露寺さんと話ができないと思って……」
少しむくれてムギは答えた。
「ライブで会えないこともないんじゃねえか」
唯はその間、黙って客席全体を見渡した。
お客の中にも、ウェイターの中にも、誠はいなかった。
「いないなあ……」
下座で呟く唯に、
「伊藤、喫茶店にいると言ってたのか」
澪が小声で話しかけてきた。
「そうだよ。ぜひ来てほしい、といってたし」
お冷を飲みながら唯は言った。
「きっと厨房にいるんだろうな……」
「じゃあ今、マコちゃんが料理してるの?」
「まあ、そうかもしれないな」
澪はあり得ないといった表情だったが、唯の中で想像が膨らむ。
手料理作れるって話だから、きっとありかも。
「……みなさん、興味シンシンですね……」
一人梓は、無愛想に呟いた。
「ショートボブの人が平沢さんだよね。ギターを持ってる」
厨房に戻ってから世界は、ケーキにホイップをぬっている誠に尋ねた。
「そうだけど……」
「案外と大人しい子だねえ、あんまり異性にアタックできなさそうなんだけど」
「そ、そう?」
誠は世界の顔を見て、唯のことを考えも語りもしないほうがいいと思った。
「そう言えば、長い黒髪の背が高い人がいたけど」世界は澪の話をした。「きれいな人だったなあ。桂さんにちょっと似てるのは気になるけど、何か憧れる」
「あ、そう……」
誠は聞き流す。
「後の連中、なーんかなれなれしいよな」七海も厨房に戻ってきた。「特にさっきの金髪の人。急に話がしたいといわれてもなあ」
「でもまあ、それは好意を持ってるってことでしょ? 七海って結構有名人だし。あこがれの人だって多いでしょ? きっとあの…ムギって人も」
世界のフォローが入る。
「あたしはタレントじゃないんだよ。それに午後は彼氏とのデートがあるし」
「なんとかさあ、あのムギさんと話す機会設けたら?」
世界と七海のやり取りを無視して、誠は冷蔵庫で冷やしていたチーズケーキを取り出した。
「とりあえずできたよ。注文の品」
「! おいしい!!」
思わず梓は、声を上げた。
「うん、わかるわかる! 頬が落ちそうだよ」
唯もチーズケーキを食べて、梓に同感した。
「そ、そうかあ? ムギのより少し劣ると私は思うけどな」
バナナクレープのバナナを食べている律は少し不満げである。
「何言ってるんですか、こっちのほうが上ですよ! いったい誰が作っているんでしょうか」
急に梓は、目をきらめかせた。
「私のところは、高級シェフが拵えたものなんだけど……」
「いや、ムギ先輩のじゃなくて」
「そこは、私も分からないわ。きっと手料理に慣れている人なんでしょう」
「男の人かなあ」
「うわあ、是非とも彼氏にしたいぜ、そいつ!」
律は声を強めた。
「まあまあ、私の彼氏だった人も手料理うまかったからねえ」
と、さわ子。
「さわちゃん、男運いいなあ」
「でしょ? だけど、去年のクリスマスの日に別れ話を持ちかけられて……う、ううう……」
「おいおいさわちゃん、泣くなよ……」
「おーおー、よしよし、泣かないでさわ子先生……」澪はさわ子の頭をなでながら、「唯、案外ここのケーキ、うまいぞ。うちらで食うケーキ以上の」
「澪ちゃんもそう思う? やっぱりマコちゃん、料理うまいよね」
「おいおい、まだ伊藤の料理だとは分からないだろ。それに手料理、食ったことあるんか?」
「ううん。でも、そうだったらいいなと思って」
「願望で物を言うなよな、人に……」
「へえ……みんな俺の料理、気に入ってくれるなんて……」
誠は声のするほうをちらりと見ながら、つぶやいた。
「世界もとりこにするほどだからね、伊藤の手料理は」
厨房を取り仕切っていた刹那が、誠の尻をぽんと叩く。
「あ、ありがとう」
目を丸くして彼は答えた。
刹那はそのまま、厨房の仕切りの合間をちょっとのぞき見る。
そのまま、動かない。
ケーキにサクランボを飾って料理を完成させると、誠は刹那のところへ行き、
「どうした、清浦?」
「いや、あの子、なんか可愛いなと思って……」
刹那が見ているのは、唯の向かいにいる、つり目小柄なツインテールの子。
「おい清浦……ひょっとしてお前、そういう趣味あるのか?」
「そうじゃなくて、おなじ同性でも人目を引く人いるでしょ。桂さんとか」
「……まあ、言葉はあのスタイルだしな。でもどっちかというとあの髪の長い人、ちょっと言葉に似た人のほうが……」
梓の斜向かいに座っている、姫カットの前髪、黒髪ロングヘアーの子に誠は目を向ける。
あ、ベラ・ノッテに行ったときに感じた視線は、あの子の……?
誠はふと、そう思った。
「まあ確かに、あの人は桂さんに似ているね。でもまあ、人の好みはそれぞれだよ」刹那はくっくっ笑って、「はい、仕事復帰」
誠の尻をつついて仕事場へ向かう。
彼は仕事場に引かれながら、ちらと唯のほうに目を移した。
彼女は、一緒に喫茶店に行った時、あの時と同じ笑顔で、朗らかに笑っていた。
あのときと同じく、口にクリームをいっぱいつけて。
それを見て、しこりが急に氷解していった。
そうだ。
俺はずっと、あの子の笑顔が見たかったんだ。
端っこに小さなレジがおかれ、こちらも交代で会計をする。
偶然にも世界が会計として、灰色の小さなレジを打っていた。
「じゃ、お会計3880円ですね。」
「割り勘で頼むわ」
レジを動かす世界に、律は小銭でパンパンになった財布を取り出し、勘定をすませる。
食事はおいしかったものの、唯は結局誠と顔をあわせられず、落ち込んでいた。
「マコちゃん、結局いなかったな……」
「ライブで会えるさ」
再び澪の励ましが入る。
「ねえ、あたし特上の彼氏探してるんだけどさ、あんたいい人知ってる?」
「え、急に言われても……」
律が頬杖をつきながら尋ねる。思わぬ質問に困惑する世界。
続いてさわ子が、
「スカートはもっと短いほうがサービスいいんじゃない? それとそれとより露出度を高めて……」
「さわちゃんの言う通りかもしれんな」
「そんなこと言われても……」
うなずく律に対し、顔を赤らめながら世界はどぎまぎする。と、そのとき
「「あだだだだっ!!」」
律とさわ子の声が重なった。澪が後ろから二人をつねったのである。
「あんたら何しに来たんだ……しょうもないこと言って」
「いや、だってこの人人気ありそうだしさ、いい男知ってるかと思ったんだもん」
律が言い訳する。
「それに来年の学祭の参考になるのではないかと思ったのよ。私は桜ケ丘で人気あるし、さわちゃんのアイディアはいい参考になると思って」
さわ子はへらへらしている。
ぼかっ!
澪の鉄拳制裁がくだった。
「いい加減にしろ……」
「くすくすくす……」世界は思わず吹き出してしまった。「面白い人たちですね」
「あ、すみませんね……」澪はバツが悪そうに答えた。「2人とも悪い人たちではないんですけどね、羽目を外すことが多くて」
「いえいえ、参考になりました。後輩に話してもいいかもしれませんね。」
「ねえ」澪は小声でさりげなく、「伊藤のこと……」
「ん? 何ですか?」
「……。なんでもないです」
世界の視線から眼をそむけ、澪はごまかした。
喫茶店から廊下に出る時、ちらりと、澪と唯の目があった。
唯は、いたたまれない気持ちで、澪を見た。
澪は多くを読み取ったらしく、
「まあ、しょうがないよ。ライブに伊藤が来るといいんだけどな」
そうか……そうだよね。
ちくちく胸のあたりが痛んだが、唯は無理に気持ちを前向きにし、言った。
「きっと来るよ。マコちゃんメールでそう言ってたもん」
澪がやや不安げな表情になったのを見て、
「ひょっとしたら桂さんも来るかな? 澪ちゃんは来てほしいんでしょ」
「なっ、頼むから桂の話はやめてくれよ?」
「お互いに頑張っていこうよ」
ぽんっ。
「何で肩つかむんだ!!」
2人のやり取りを見て、
「あーあ、何やってんだか」
呆れる律の耳に、周りの女子生徒の噂話が入る。
「ひょっとしてあの子たち、桂の知り合い?」
「あんなフェロモン女と仲いいなんて、どんな子かしら」
「スタイルもいいし、きっとエンコー仲間なんだよ」
彼氏のことばかり考えていた律の頭に、雲がよぎった。
ムギと梓も聞いたのか、二人とも顔をしかめている。
「あの桂って、どんな奴なんだか……」
残るさわ子は、
「ねーねー、お兄ちゃん、暇―?」
と、すれ違う男に手当たり次第声をかけていた。
「やはり特上の生徒たちばかりだな、桜ケ丘の人って。特にさっきのメガネの人が。どうも軽音部の顧問らしいけれど」
泰介がはしゃぎながら、クレープの生地を返す。
「それはよかったな」
誠はぶっきらぼうにフライパンを動かし、生地をはね上げた。
「さわちゃんとかいったな。アタックするのも悪くねえかもなあ。『澤さわカップル』ってのも、ヘテロカップル1号としてはいいと思わねえかあ?」
「はいはい……。ま、先生と生徒のカップルってのもありか」
まあそれも面白いかな。誠は一瞬思った。
「ひょっとしたら、1号はお前と俺との一騎打ちになるかな、なーんちゃって」
「何で俺とお前だけになるんだ! それに前にも言ったろ、俺と平沢さんは、そういう関係じゃない!」
ついムキになってしまう。
「そうかなあ。平沢さんについて話した時、誠、すげえうれしそうな顔をしてたんだけどな」
泰介の言葉に、はっとした。
無理に抑えていた唯のイメージが、一気に、グイと脳の全体を占めた。
そばにいて、笑ってくれるだけでいい。
泰介にはそう言ったけど、本当はもっともっと、そばにいてほしいんだ。
あの屈託ない笑顔を、ずっと続けてほしい。
もっと話がしたい。もっとお互いのことが知りたい。
「ま、お前には西園寺がいるもんな」
「あ……。そ、そうだよ」
高鳴る胸を抑えつつ、生地を皿の上に移した。
「誠、お前はどうしたいんだ?」
「それは……」
「ま、今すぐ答えられねえよな」
図星であった。
誠はだまって、新しく生地を焼き始めた。
「ゆっくり決めなよ。誰を選ぼうとお前の彼女なんだから」
肩をすくめて泰介も、隣でクレープの生地を作る。
そろそろ交代の時間。
やっと交代になった。
もちろん、時すでに遅し。
放課後ティータイムの姿は、どこにもなかった。
一緒に下校した時、ベラ・ノッテに行った時。
その時の唯の笑顔が、頭にほんわりと浮かんだ。
もっと、自分の気持ちに正直になったほうがいいのかな……。
でも、世界や言葉には何と言ったらいいか。
ふと、黒板の下にギターケースがあることに気づく。もちろん唯のである。
おいおい忘れんなって。他の皆も誰か気にかけろって。
お客もクラスメイトも全然目にくれず、めいめい好き勝手なことをやっている。
ギターケースを取ると、ぬくもりがまだ残っていた。
ファスナーのあたりに、白い字で小さく、
『ひらさわ☆ゆい』
とあるのに気付く。
それも『ひらさわ☆』と左上から右下に一筆書きで書かれ、『さ』をはさむ形で『ゆ』と『い』が左下から右上に、交差するような形でデザインされている。
たぶんサイン風に書いたつもりなんだろうが、あまりにおかしい。
でも、微笑ましかった。
きっと彼女、わくわくした表情で書いていたのだろう。
「やはりね」
はっとなって振り向くと、背後に泰介がいる。
「やはりって、なんだよ」
「鏡見てみな。平沢さんのことについて考える時、お前、すっごく嬉しそうな顔をしてる」
泰介にしては、妙に小声。
「そりゃあ、好きな人のことを考えるとうれしいだろ? 世界や言葉のことを考えたときだって」
「いやいや、西園寺や桂さんのことを話す時よりいい顔をしてるよ。それに甘露寺たちがお前らを見張ってから、急に誠は笑顔がなくなっちまったし」
ニタニタしつつ、泰介は言った。
それは……。
きっと、平沢さんの笑顔が伝染したからだろうか。
そうだよなあ。周りにもうつすようないいものだし。
ばしっ!
急に頭に、焼けるような痛みがした。
「浮気者!」
声のするほうを向くと、光。
「黒田? 別に浮気なんてしてねえ」
「やっぱりあんた、平沢さんのことが好きなのね。今の聞いてたからね、世界にも報告するから」
「ちょっと待て、黒田!」
「あんたは世界とデキた仲なのよ! 忘れないでよね!!」
「分かってるよ……」
「ふん、澤永、行くよ!」
「ちょっと待て黒田、俺はまだ誠と……」
泰介の話も聞かず、光は強引に泰介の手を引っ張って行ってしまった。
誠はギターを奥に運びながら、初めて世界と結ばれた日のことを考えていた。
たぶん、それは親父の血なんだろうな。
そういえば、世界と結ばれたのも、言葉と触れ合いたいという思いから始まった。
でも、世界や言葉と違ってあの子は触れ合わなくても……
笑顔だけで相手を虜にするような、人間なんだ。
「すみませーん、オーダー!」
客の声で彼は現実に戻り、急いで客室へ向かった。
「あ、はい。ご注文は何でしょうか?」
ウェイターとしての声で、尋ねた。
続く
後書き
明暗、緩急のメリハリをつけてストーリーを展開できていたらいいものかと。
軽音部員って男っ気ないなあ……と前から思ってたこともあって、恋愛ものがいいんじゃないかという結論になってます。
今回は平沢唯と伊藤誠、すれ違いだけれど、再会の日はいずれ来ます。
筆者自身も書くのを楽しみにしていたり。
一方で澪達周りの人は動向を懸念しているけれど……。
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