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空を駆ける姫御子

作者:島津弥七
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第十七話 ~ひとときの休息 前編【暁 Ver】

 
前書き
『暁』移転版の十七話。ブログ版で前、中、後の三部構成だったのを、再構成して二部構成へ。 

 


────── 彼女にとって大切な人は。彼しかいないのだ。




「山。ですか」

 夏到来。最近になって俄然やる気を出してきた太陽を恨めしく思いながら、あたし達は涼しげな場所に避難する猫のように、自室へ籠もることが多くなっていた。環境AIにより一年中、一定の温度と湿度に保たれた我が城は非常に快適だ。だが、世の中には捻くれ者は必ずいるもので。こんな快適な環境を良しとしない者がいた。六課のトラブルメーカー。空を駆ける少女──── 桐生アスナその人だ。

 彼女は暑くなってくると、エアコンなど知ったことかとばかりに扇風機を引っ張り出し、「首を振ってください」とのあたし達の懇願も何処吹く風で。扇風機から送られてくる涼しげな吐息を一人で独占し、凉を取っていた。時々、扇風機に向かって間の抜けた声を出しているのは何かの儀式なのだろうか。

 そんな彼女へ恨めしい目線を送りながら休憩していたあたしの元へ、八神部隊長が尋ねてきた。何の用かと思い首を捻っていたが、彼女が切り出した用件。それを聞いた時のあたしの台詞が冒頭となる。しかし、今は────

「ティアナの言いたいこともわかる。せやけど『例の事件』もぱったりと止んでもうたしな。勿論、油断は出来ひんけど」

 八神部隊長の言う通り、ここ最近頻発していた研究所の襲撃事件は鳴りを潜めてしまっていた。まるで、やることはやったと言わんばかりに。

「一週間後には『アグスタ』の警備任務も控えとる。みんなあれ以来精神的に張り詰めとるし、二日ぐらい羽目を外しても罰は当たらんやろ? 全員が行くわけやないしな。後はフェイトちゃんと子供組だけや」

 ホテル・アグスタ。クラナガン南東にある森に囲まれた……所謂セレブ御用達の高級ホテルだ。そこで行われるロストロギアのオークション会場での警備任務が控えている。それに

「特にフェイトちゃんは、少し息抜きさせんとなぁ」

 あのミーティング以来、フェイトさんの姿を六課で見ることは殆ど無くなった。夜中に帰って来ては、早朝に飛び出して行く。そんな生活らしい。フェイトさんが何故そこまで、あの次元犯罪者に拘るのかはわからない。恐らく、八神部隊長は知っているのだろう。何せ──── スバルの()の事も知っていたのだ。八神部隊長はそれがどうしたとでも言うようにあっさりと、それを暴露した。尤も、皆にはまだ話さないように釘は刺されたが。

「ところで、ティアナ」

「何でしょうか?」

 彼女は水滴が浮かんだ透明感のあるグラスをテーブルへと置く。その拍子に琥珀色の液体に浮かんでいた氷が、からりと音を立てた。

「……暑うない?」

 そう。ここは──── あたしの部屋では無い。況やスバルの部屋でも無い。あたしとスバル。そして八神部隊長は暫くお互いの顔を見合わせていたが、やがてこの部屋の主である少女の顔へと視線を移した。

「……あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」

「なぁ、アスナちゃん。扇風機で遊んどらんで、首回そうや」

「……や」

「そないな事しとると、一台一台丹精込めて組み立てとる職人さんに失礼やで」

 扇風機職人など聞いたことはないし、恐らく工場生産だ。

「……ミキプルーン?」

「どっちかって言うと、ドモホルンリンクルやな。そんなんどうでもええ」

「八神部隊長? きりが無いので本題に入ってください」

「ああ、ごめんなぁ、ティアナ。……せやから、私らにも風よこせ言うとるんやっ」

「八神部隊長、本題が違います」

「あれ? そやったっけ。ああ、山……ちゅうか、キャンプやな。アスナちゃんも行くやろ。魚釣りして、釣った魚を焚き火で焼いて食べたりな。きっと楽しいわ。……根を詰めるのもええけど、息抜きはせんとな」

 その時。アスナの視線が一点に固定されたまま動かなくなった。まるで。どこか違う光景を見ているような、そんな瞳。アスナは時々、こんな遠い目をする事があった。空を見上げている時と同じ瞳。懐かしさ。憧れ──── 郷愁。あたしやスバルはその姿を目にする度に、掛ける言葉が見つからずに歯痒い思いをするのだ。

「……アスナちゃん? 涎出てんで」

 色々と台無しだ。……焚き火で焼いた魚に思い入れでもあるのだろうか。それはさておき。あたしとスバルはこの時、反対すべきだったのだ。アスナの持って生まれた運は、漫画に出てくる少年探偵並にトラブルを呼び込んでくることを知っていた筈なのに。





「風が気持ちいいね、エリオ君」

 問われた少年は抜けるような青空をすいと見上げ、風を感じるように目を閉じた。

「そうだね……久しぶりかも。こんな感じ」

 意外と整備されている山道。緑色した香りを穏やかな風が運んでくる。

「……二日もネットができない」

 アスナの発言にエリオとキャロは苦笑を浮かべ、あたしは呆れた顔をする。

「あんた、本当にインドアよね。小さかった頃は外で走り回ってたって、お兄さんから聞いたことあるけど……何で?」

「……おともだち、いなかったから」

 アスナの口から紡がれた小さな呟きを聞いたあたしとスバルは、似たような表情をしていたはずだ。あたし達も似たようなものだったから。あたしは家庭の事情と妄執。スバルにはギンガさんがいたけど……自分の体のこと。アスナの場合は、自分から他人を遠ざけていた節があるけど。

「わたしはお友達です、アスナさんの。勿論、エリオ君も」

「はい」

 今現在、キャロはアスナの左手を。エリオは右手を握っている。山道に入ってからずっとこうだ。いつの間にこんなに懐いたのだろうか。そんな三人の後ろ姿を、まるで母親のような顔をしながら付いてきていたフェイトさんへアスナが視線を向ける。

「……キャロとエリオをうちの子にします」

「あげないよ」

「フェイトさんの顔が、一瞬で素に戻っちゃったよ」

「フェイトちゃんは、過保護なとこがあるなぁ。まぁ、ええやろ。甘えるのも甘えられるのも、今のうちだけや。せやけど、将来キャロをくださいって男とか、エリオが彼女を連れてきたりとかしたら、どないするん?」

「私を倒しなさい」

「これ本気で言うとるんやからな……」

 八神部隊長の言う通り、フェイトさんは真顔だった。あたしがいつもの喧噪に耳を傾けていると、アスナが眠そうに目を擦っているのに気が付いた。

「どうしたの? 眠れなかったの?」

 あたしがそう問いかけると、アスナは少しだけ逡巡した後、こう切り出した。

「……最近、へんな夢をみる」

「夢?」

「……たぶん、地球。私はふつうの女の子で、ふつうに暮らしている。魔法はあるけど、こっちの魔法とは違う感じで、毎日学校へいく。親はいないけど、ともだちもいる。だけど」


──── ……おにいちゃんがいない


 傍若無人を体現しているようなアスナだけれど、意外な時にメンタル面の弱さを見せる事がある。お兄さんへの強い依存心。アスナにとって、お兄さんは()()なのだ。あり得ないとは思うが、お兄さんがあたし達の敵に回ったら。アスナは躊躇すること無くお兄さん側に付くだろう。そして、もう一つ。他人への無関心。こちらは少しずつ緩和されているが、まだ酷い。訓練校時代。犯罪者を相手に、どういった行動をするのが適切か、シミュレーションするカリキュラムがあった。


「不自然な状況ではあるが、あくまで例として挙げる。一般人と管理局員が人質に取られている状況。状況的に二人とも助けることは不可能。さて、桐生候補生。君はどちらを助けるかね?」

 管理局員であれば。魔導師を目指しているのであれば。一般人の保護が最優先だ。……それが例え建前だったとしてもだ。だが、アスナは。迷うこと無くこう答えた。

──── ……ふたりとも見捨てる


 極端な話をしてしまえば、それが一番効率がいい。何の枷も無くなるのだから。そう答えたアスナをスバルが珍しく叱ったのを良く憶えている。その時のアスナは、自分が何故怒られているのか全く理解出来ていないようだった。今更ではあるけれど、良く卒業出来たものだと思う。これは、教官の力が大きかった。

 御陰で唯一、アスナの餌付けに成功した教官として名を馳せることになった。本人は『ゲヌイトのおっちゃん』と、アスナに呼ばれる度に渋い顔をしていたけど。

「……唯の夢よ。気にすること無いわ。ここには、あたし達がいる。お兄さんもいる。あなたを、一人になんかしない」

 しまったと思ったが、もう遅い。一度口にしてしまった言葉は無かったことには出来ないのだから。恐る恐る周りを見渡すと、全員が顔面に拳を叩き込みたくなるような顔をしていた。我ながら恥ずかしい台詞を口にしてしまった。失態だ。

「……ごめんなさい。私には心にきめたひとが」

「ややこしくなるから黙って、お願いだから」

 本当に、失態だ。





 曇った笑い声。『白衣の男』は目の前のモニタに映る少女達をお気に入りのおもちゃを見つけた子供のような目で見ていた。

「暢気なものですね」

 白衣の男に影のように付き従っている女性が呟く。その音色には、明らかに侮蔑が込められていた。白衣の男は女性へちらりと視線を送ると、すぐにモニタに視線を戻した。

「仕方ないさ。エリートとは言え、まだ年若い。……まぁ、『ドゥーエ』からの報告を聞いた時は、流石に耳を疑ったが。全員で来なかっただけ、マシかも知れないね。私としては残念だが」

 白衣の男は肩を竦める。

「あれほど、派手に暴れて……挑発までしたと言うのに。危機感というもがないのでしょうか」

「ミス・八神は随分と身内には甘いようだね。人としては美徳なのかも知れないが、指揮官としては……どうかな。だから用意したのだよ。嫌でも指揮官という立場を自覚しなければならない『ゲーム』をね。私たちの敵がそんな腑抜けでは──── つまらないだろう?」

 白衣の男は、『敵』と口にした如何にも陳腐な自分の台詞に苦笑いを浮かべた。彼は、此の世に善も悪もないと考えている。只あるのは倫理観や思想が異なる者がいるだけだと。それを受け入れることが出来なければ、互いを敵と呼ぶだけなのだ。彼は自分の正義感を此の世の常識だと言わんばかりに振りかざし、他者を悪と断ずるような人間を嫌悪していた。

「さて、君たちはどちらかね」

 そう呟く男の視線の先には。これから自分達の身に災厄が降りかかる事など、微塵も考えてはいないような笑顔を浮かべている少女達の姿があった。





『その提案には賛成できない。私はただ、デバイスを制御する人格AIとしてアスナと共にいるわけではない。私の役割は桐生の代わりにアスナの身を護ること。もし失敗した場合、アスナの精神的負担は計り知れない。故に許容出来ない』

「……ボブ? お願い、アスナが一番適任なのよ」

『知ったことではない。アスナ止めるんだ。敵前逃亡、命令違反、契約不履行。好きな物を適用するといい』

「……やる」

『正気か? ……わかった。もう何も言わない。言っても無駄のようだ。私は全力でサポートに専念しよう』

「……ごめんやで。アスナちゃん、ボブ」

『勘違いをしないで欲しい。少なくとも君達の為ではないよ』

 致命的だ。ここにきてボブ。そしてお兄さんのスタンスと、あたし達の立場の違いが浮き彫りになってしまった。お兄さんとボブは飽くまでアスナの為。あたし達は次元世界の治安維持と一般人の保護。ちょっと不味い傾向よね、これは。何故こんな事態になってしまったのか。それは今から数時間前のことだ。





 風が薫る山道を抜けると、あたし達を出迎えたのは品のいいロッジが建ち並ぶキャンプ場と子供達の喧噪だった。休日と重なったこともあり親子連れが多い。キャンプ場自体を貸し切りにする案も出たが、八神部隊長が首を縦に振らなかった。確かにこんなくだらないことで管理局の権威を振りかざす必要もない。だが。思えば、これが──── あたし達が犯したミスの一つになる。

「アスナ、どこいくの?」

 各々が自分の荷物をロッジへ運び込んでいたところにアスナの姿を見かけたので一応声を掛けてみる。……彼女の格好を見れば、一目瞭然ではあるけど。

「……むしとり」

 着いた早々、虫取りか。今の彼女は黒のタンクトップに、ジーンズ生地のホットパンツ。実に彼女らしくいつも通りのラフな格好。……麦わら帽子に虫籠をたすき掛けしていなければ、だけど。ついでとばかりに虫取り網を片手に携え、おまけにエリオとキャロというオプションまで装備していた。

「……なにかリクエストは」

「気持ち悪くないヤツ」

「……しらん。いくぞ、うちの子になる予定のエリオとキャロ」

「あげないよ」

 再び真顔になったフェイトさんのツッコミを華麗に無視したアスナは、エリオとキャロを伴いながら眼前に広がる緑の海へと飛び込んでいった。あたしとスバルは微苦笑を湛えながら三人を見送る。

「お子様は元気やな」

「でも……いい傾向だと思う。エリオとキャロも、少しだけど我が侭を言ってくれるようになった。アスナには感謝しなきゃ」

 フェイトさんの表情は、言葉とは裏腹に暗い。

「またフェイトちゃんは余計な事考えとるんか。マイナス思考なんが悪い癖や。アスナちゃんだけやない。フェイトちゃんがおるからやで。そこを間違うたらあかん」

「そう、かな」

「そうや」

 あたし達にはよくわからない会話だが、二人が納得しているならいいだろう。さて、あたし達は

「食糧確保だね。アスナが楽しみにしてるから」

 スバルが釣り竿を手にしながらあたしに笑いかける。スバルから一竿受け取るが、生憎釣りなどしたことはない。太公望とはほど遠いが何とか頑張ってみましょうか。





 桐生はバークリー本家にある中庭で抜けるような蒼天を仰いでいた。その表情は今の空模様とは裏腹に晴れない。ここに来るのは久しぶりだが、いつもながら広大な中庭に、呆れながら感心するという器用な表情を浮かべながら眺めていた。この中庭だけで自分の家が何軒建つだろうなどと、いたく庶民的な事を考えていると、一人のメイド服を着た少女が近づいて来る。小動物のような歩き方が幼い頃のアスナを見ているようだった。

「やあ、アナさん。お久しぶりですね」

「はい、お久しぶりです」

 少女はそう言うと、深々と頭を垂れる。アナ・アスキス。アスナと運命的な出会いをし、その後ティアナ達に保護された少女である。現在は桐生の口添えによりバークリー本家にて使用人として働いていた。世間の中傷などから彼女の身を守る為には、それが出来るだけの環境が必要であったのだ。

「何か私に用ですか?」

「いえ。桐生様がおいでになっていると聞きましたのでご挨拶を。その節は本当にありがとうございました」

「私は何もしていませんよ。お礼ならアスナに。それと『様』は止めてください」

「それですっ」

「……どれでしょう」

「アスナさんに『アスナ様』と言うと、口をへの字になさるんです」

 桐生はそれを聞いて乾いた笑い声を上げる。

「堅苦しいのは苦手ですから。私もアスナもバークリーの経営とは無関係ですしね。私は兎も角として、アスナには出来れば、友人として接してあげてくれませんか? アスナもそれを望んでいるはずです」

「はあ……頑張ってみます」

 友人云々は取り敢えず置いておくとしても、アナは桐生の物言いに少々違和感を憶えた。現在の当主とは兄弟だと聞いている。だが、彼もアスナもバークリーとは距離を置いているようだった。況してやバークリーの関連企業の役員と言うわけでもないらしい。聞いてみようかとも思ったが、思い直す。一使用人が踏み込んでいい話ではないからだ。

 アスナの近況でも聞こうと、アナが口を開きかけた時。桐生が着ている上着のポケットから不安を煽るようなコール音が聞こえた。何事かと桐生の顔を見た彼女は息を呑む。その表情は、彼女が今まで見たことがないほどの険しい表情だった。

 アナは知る由も無いがそのコール音は、桐生とボブの間で決められた──── アスナの身に()()起こった時だけに鳴る、今まで唯の一度も鳴ったことがない、エマージェンシーコール。桐生は舌打ちすると、躊躇することなく『跳んだ』。

「へ?」

 アナは突然目の前から消えた桐生を探すように首を巡らすが、見つかるはずもなく。目を白黒させる他なかった。

「転送魔法?」

「魔法ではないよ」

「あ! レイ様、申し訳ありませんっ」

 慌てて頭を下げるアナを見た男性は、気にするなとでも言うように手を上げる。

「別に君がサボっているのを咎めに来たわけじゃないよ」

 レイと呼ばれた中年男性──── バークリーのCEO(最高経営責任者)であるレイ・バークリーはロマンスグレーに染まった髪を品良く揺らしながら微笑した。桐生にとっては義理の兄でもある。

「桐生様……とても恐い顔をなさっていました。何があったんでしょう」

「なに……心配はいらないさ。彼は『ヒーロー』だからね。アスナ限定ではあるが」

 全ての状況、戦況をひっくり返せる『力』を有しているにも拘わらず、多くの人を助け世界を救うようなヒーローではなく。たった一人の少女の為だけのヒーローになる事を選んだ『大馬鹿者』。レイ・バークリーのように長くビジネスの世界で生きてきた人間には、そのような人間が何の野心も持たずに生きていること自体理解し難い事であった。()()()もそうだった。亡くなった父の後を追うようにして、母が亡くなった時だ。


「今、何と言った?」

「いや、ですからね。遺産相続の全てを放棄します。私も、アスナも」

「おまえもバークリーの人間なんだぞ。私の弟だ」

「勿論です。ですが……自分の身の丈に合わない物を戴いても手に余るだけです。その代わり二つほどお願いがあります」

「願い?」

「はい。まず一つ目。バークリーの情報網を使わせてください。そして二つ目。あの『草原』の一部の土地をアスナの名義に。私達の願いはこれだけです」


 レイは苦笑する。あの草原へ家を建てたと思ったら、アスナと一緒にあっさりと本家を出て行ってしまった。尤も、レイは桐生に経営の才能はないと考えていた。それを考えれば、彼の判断は英断だったのかも知れない。才能が無いにも拘わらず、権力と金に執着する者も多いというのに。その結果、会社を潰してしまうなどよく聞く話だ。

 父と母が突然、あの二人を養子にすると言った時は驚いたものだった。だが彼は嬉しかったのだ。幼い頃から経営者として厳しく育ってきた彼に、弟と妹が出来た。兄弟がいたらこんな感じなのだろうかと夢想していたものが現実となった。だが彼は、寂しくもあった。桐生に経営者としての才能が無いとわかった時。アスナの目指しているものを知った時。あの二人が──── 家を出て行った時。

「レイ様。如何なさいましたか」

 気遣わしげな声に下を見ると、アナが見上げるようにして彼を見ていた。どうやら使用人に心配されるような表情をしていたらしい。彼は何でもないと言うように首を振ると、桐生が消えていった中庭を見つめる。いつかまた。彼らと一緒に暮らせるよう願いながら。





 誠に遺憾ではだけれど。スバルが大量の釣果を上げ、あたしは坊主という結果に打ち拉がれていた頃。一人の男性が八神部隊長へと声を掛けた。あたし達は兎も角として、八神部隊長とフェイトさんは管理局が発行している機関誌やマスコミに顔を出したこともある。誰かに気付かれるのは想定内ではあったが、その内容は一般人がアイドルにサインを強請るようなものでは無かった──── おかしな物が置いてある。男性はそう言った。

「フェイトちゃん、何かわかるか?」

「解析してみないとわからないけど……魔力を感じるね」

 先ほどの男性はキャンプ場の管理人だった。キャンプ場のライフラインを管理する制御室を点検していたところ()()を見つけたらしい。何の飾り気もない真っ黒な立方体。あたしが薄ら寒い物を感じていた時、フェイトさんが幾分緊張を孕んだ声を上げた。

「見て」

 解析を進めていたフェイトさんの端末スクリーンに映し出された物は、立方体の内部構造。管理局が採用している物とは明らかに仕様が違う大型のカートリッジが十本。規定値ぎりぎりまで魔力が詰められているらしい。それとは別に中型が一本。これは……

「構造から考えて十本のカートリッジへ強制的に魔力を送り込む為の物だと思う」

 規定値を超えて圧縮された魔力を送り込まれたカートリッジはどうなる? オーバーロード。つまり、『爆発』する。標準規格のカートリッジであれば、安全装置があるが……

「え? ティア、ど、どういうこと?」

──── 爆弾だ。

『ご名答』

 立方体から唐突に発せられる男の声。聞き覚えは……ない。

「……誰や」

「名乗る意味などないと思うが……いや、名乗ろうか。ジェイル・スカリエッティ。この名に聞き覚えは?」

「スカリエッティ!」

 一瞬で激高しかけたフェイトさんを八神部隊長が手で制す。

「驚いたわ……ほんまに本人かはわからへんけど。広域指名手配されとる次元犯罪者の名前を騙るメリットもないやろうからな。本人として話をするで? ……何が目的や」

『訂正してくれたまえ。正確には()()()だよ。なに、ちょっとしたゲームに付き合って貰おう』

 男──── ジェイル・スカリエッティがそう言うと、立方体の側面からコンソールとタッチパネルが。片側からはリングが転がり出た。

『そのバングル(腕輪)()()とリンクしていてね。そのバングルを付けて誰かに走って貰おう。あぁ、『飛ぶ』のはダメだよ。バングルが一定の魔力を検知すると起爆する。走る速度が一定以下になっても起爆する。こちらはそれほど厳しい速度ではないよ。百メートルを二十秒前後で走るくらいに保てばいい。因みに理解しているとは思うが、そこから動かしてもダメだよ』

「このコンソールはなんや」

『その立方体……つまり爆弾を無効化する為のキーワードを入力するための物だ。パスワードはあるよ。嘘じゃない。それを探して貰おう。そうだな、ヒントくらいは出そうか……今まで交わした私との会話を思い出してみたまえ。見事解除出来たら……ふむ。そうだね、フェイト嬢? 知っているだろうが『プロジェクトF』の研究は形を変え、未だ続けられている。研究施設の情報を提供しよう』

「ふざ、けるな」

 プロジェクト、F? ブラックボックスを睨み付けるフェイトさんの表情を見れば、それが如何に重要なことなのかは、あたしでもわかる。

「パスワードを見つけて解除するまで、誰かが走りっぱなし言うわけか?」

『その通り。交代で走り続けても構わんがね』

 八神部隊長があたし達へと目配せした。だが。

『一般人を避難させるなど考えないことだ。こちらで起爆させてもいいのだよ? オーディエンスがいないとつまらないだろう。人払いをしたのは正解だったね。パニックにならずに済む。流石六課の部隊長だ』

「嫌みはええ。……何一つ信用でけへんな」

『まだ、そんなことを言っているのかね? いい加減腹をくくりたまえ、指揮官殿。ゲーム開始は……十五分後だ』





「楽しそうですね。ですが……乗ってくるでしょうか」

「乗ってきて貰わないと困るな。折角用意したゲームだ。さて、彼女達は……ミス・八神は一般人を護る為に、一体誰を」


──── 生け贄に差し出すのだろうね?






 ~ひとときの休息 前編 了

 
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