緋弾のアリア-諧調の担い手-
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後輩と北欧の主神
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《???・???》
「………っ」
仄暗い泥沼の中より、私の意識は何かに引き摺られる様に“覚醒”させられた。
身体が急速に凍える様に冷えて、空っぽになった。
それは私自身が空っぽになったという事に他ならないのに、私の意識は目を覚ました。
だって、私は“死んだ”のだ。それは確実で、覆しようのない事実の筈だ。
ならば、此処は一体何処なのだろうか…?
天国、それとも地獄であろうか?
私の視界に納まる光景は、何処までも続く群青色の空間、世界。
私は同じく寝かされていた群青色の簡易ベッドより“起き上がった”。
本来ならば、起こす事の出来ない行動だ。
そうだろう、私の身体は無残にも原型を留めているのが不思議な位な怪我を負った。
頭を激しく強打し、頭骨は割れ、背骨を砕き、手足は本来向く事のない歪な方向に捻じ曲がっていた。
それがまるで事故に遭った事が夢であったかの様に、この身体は傷一つ負っていない。
事故に遭う前まで時間を巻き戻したかの様に、身体は綺麗だ。
「……どういう事、なんでしょうか?」
思わず声にして、欠損を確認する様に身体を動かし、思考に耽る。
不思議と解る、理解出来る。この今存在している世界は夢や幻ではなくて、現実であると。
「―――漸く目覚めおったか」
「……誰、ですか?」
思考に耽っていて聞き逃しそうになったが、確かに声が聞こえた。
低い男性の声。荘厳で威厳をその内に秘めた声だった。
だが周囲を見回してもこの群青色の空間には私以外に誰も存在しない。
幻聴の類ではないだろう。確かに私は聞き取ったのだ。
「…もう一度問います。誰ですか」
「そう何度も言わなくても聞こえておる。…今姿を現そう」
そう不可視の人物が告げると、空間の前方の景色が波紋の様に歪み、一人の存在が姿を現した。
その容貌は長い立派な髭を携えた、ファンタジー調の格好をした隻眼の老人であった。
その存在を目に入れた瞬間、私の第六感が激しく警戒音を鳴らす。
私から見たその老人の存在は異質、異端、異常。
外見は一見して普通だが、その魂が常人のそれではない、只人である私でも理解出来る。
思わず身構えて、半歩後ろに下がる。
そっと自身の背中を伝う冷や汗、そして私は自身の身体が未知の存在に対する恐怖で小刻みに震えている事に気が付いた。
「……何者ですか」
声を震わしながらも、毅然とそう眼前の存在に問い掛けた。
この老人は間違えなく“人間”ではない。
私の自身の深層に位置する何かがそう告げる様にして、警笛を鳴らす。
「ふむ、察しの良い娘じゃの。“秩序”の力を破り、真実に目を向けるとは中々に面白い」
そう老人は口元に薄く笑みを浮かべて、此方に視線を向ける。
互いの視線が交差した時、まるで自身の内面を、自身という存在全てを見据えられているかの様な錯覚に陥った。
それ程までに、この老人とは存在の位階がかけ離れている。
耐え切れずに、私はそっと視線を遮る。
「まぁ此処では殺風景過ぎて、話をするのものぉ…悪いが娘よ、場所を変えよう」
目の前の年老いた男性がそう言うと、世界を眩い光が支配する。思わずその眩しさに瞼を閉ざす。
次の瞬間、瞳を開いた時には高価な調度品が揃えられた洋風の一室にいた。
色々と“突っ込み所”のある物が飾られているが、あえて突っ込まないでおこう。
「…ここは?」
今、この目の前の老人は何をしたのか?
眩い光が世界を包んだ次の瞬間。
私は洋風の部屋の一室に、老人と対面する様にテーブルを挟んでチェアに座っていた。
「…まずは紅茶でもいかがかのぅ。幾分か、気分が落ち着くと思うぞ?」
「…あっ、はい。……お願いします」
穏やかな声でそう言うと、老人は“虚空”より見覚えのある紅茶のカップを取り出す。
そしてまた何処からか取り出したティーポッドで紅茶を入れて、私の方へと差し出した。
「……このカップ」
そのカップにそっと手を馳せる。
それは先輩が私にプレゼントしてくれたカップと同じ物であった。
……もう、この老人が何をしても驚くまい。今なら神だと言われても信じてしまいそうだ。
軽く心の中で嘆息する。
そうして茶葉の良い匂いを発している紅茶に口を付ける。
……美味しい。
その紅茶の温かさに、冷たくなって空っぽになった私の中が、満ちて行く事を感じ取る。
「よく解ったのぉ。私は確かに神と呼ばれる存在じゃよ」
「……ああ、やっぱりそうだったんですか。というか、心内を勝手に読まないで下さい」
否応にも納得する。納得してしまう。もう何が起きても驚かない自信がある。
「それで質問なんですが。此処は何処ですか?私は確かに死んだ筈なのですが」
「うむ、そろそろ本題に入ろうか。日朔真綾、確かに主は死んだ…此処は生と死の狭間と呼ばれる場所じゃ。私が死に逝く主と話をする為に作り出した空間だとでも思えばいい」
「…そうですか。やはり、私は死んだ」
あの世界でやはり私は死を迎えた。それは間違えない様だ。
その事に後悔はないし、未練もない。
「それよりも、此方の事は知られているのに私は貴方の事を知らない。フェアではないと思いますが?」
正直な所、この神と名乗った老人は自身の事を名前だけではなく、根深い事まで知っている
自身でも知らない様な事を、十全に知っているだろうと思う。不思議とそう理解出来た。
だが、他人に自分の事を事細かに知られている。それが凄く気味が悪い。
「…そうじゃの、私の名は“オーディン”。これでも北欧の主神をしておる。」
「……オーディン」
思わず、その名を反芻する。
目の前の隻眼の老人は確かに北欧神話に出てくる戦争と死の神、オーディンの偶像と酷似している。
相手が本当に主神クラスの神格の持ち主ならば、尚更解らない。
何故、この様なビッグネームの神様が接触して来たのかが。
「オーディン、貴方が私に接触してきた理由は何ですか?」
「うむ。単に主に興味が沸いたのじゃよ。秩序を…世界の修正力に打ち勝った主に」
「…先程から言っていますが、それは一体?」
彼の指している事。
話の趣旨が理解出来ずに、私は思わず小首を傾げる。
「時に真綾よ。お主が、世界の住人が何故暮桜霧嗣の事を忘れていたと―――いや、あの男が“世界から消された”と思う?」
それは私自身も疑問に思っていた所だ。
何故、私はあんなにも大切に想っていた先輩の事を忘れていたのか。
何故、世界は先輩が元より存在していなかったかの様に動いていたのか。
その理由は定かではない、きっと私程度では推し量れない事だろう。
「…何故、なんですか?」
「その前に、主に謝らなければならないのぅ」
そうして、主神たるオーディンは語り始めた。
自身の身内が手違いを引き起こし、先輩を間違えて死なせてしまった事。
先輩がその死を受け入れて、新たな世界に転生をした事。
そして先輩がその神様候補生に頼み、自身の存在を世界から消した事。
「本当に、身内が迷惑を掛けた。すまなかった。私が叶えられる望みであれば、出来うる限りの事を叶えよう」
そう言い、頭を下げる北欧の主神。オーディンは知っていたのだ、真綾のその思いの強さを。
故に、世界から消された男の事を思い出した。
彼を想うあまりに、自らの生命を沼に投げる様にして後を追った。それ程までに想っている事を。
私はそんな主神の姿を見ていられなくて、直ぐに頭を上げて貰う様に告げる。
「頭を上げて下さい。確かに自らの保身の為に走るその候補生に思う所はあります。けど、先輩が許したのなら私が言う事はないです。それよりも―――」
私はそう言いながら、言葉を告げる。
胸の内に、沸々と煮え滾る様な感情が灯る。それは怒りと言ってもいいだろう。
「私が許せないのは先輩です。先輩がした事は独りよがりの善意でしかないのですから」
そう、先輩がしでかした事は独りよがりの善意でしかない。
私が生きている時に先輩について聞いた人達は覚えてはいないが、何処かしらに心に隙間がある様に思えた。
私が彼を、先輩を思い出せたのは本当に奇跡とも言えるだろう。
「…そう、正に奇跡とも言えるじゃろうな。主があの男の事を思い出せたのは」
「……そうなんですか?」
「普通はその世界に生きる人間は、世界の強制力というものに抗う事は出来ない。時に例外はいるが」
「私がその例外だったと?」
「……うむ、本当にそれがなせるのはその者と深い絆、魂で結ばれた者だけじゃ。だから私は主に興味を持ったのじゃよ、昨今それほどまでに深い繋がりを持つ人間を私は殆ど見る事がなかったからのぅ」
そう、オーディンは告げる。私と先輩は繋がっていると。
確かにそうかも知れない、私という人間の大部分は先輩が占領している。
そして先輩も少なからず、私の事を想ってくれていたという事だ。
私は先程の、オーディンの発言を思い出す。
「オーディン。貴方は先程言いましたよね?私に出来うる事ならば、叶えると」
「うむ、確かにそう申したよ。願いと言っても、主の願いは既に決まっていると思うが」
彼が言った様に、既に私の願いは決まっている。
その一つ以外に他ならない。そうでなければ、自らの生命を絶つ様な酔狂な真似はしない。
―――もう一度、先輩と巡り会いたい。
「私は今一度、先輩に会いたい」
力強く、意思と信念を込めて、私は自身の望みを口に出して宣言した。
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