舞台はとある、『花の都』と呼ばれる国。
「姫様、お食事の準備が整いました」
王宮の一室。重い扉の向こうから、幼いが落ち着いている少女の声。
「すぐ行きますから、先に行っておいて」
それに対し分厚い扉を隔て、こもった声で返事をする。
しかしすぐさま、その言葉は冷静に返された。
「レナ姫様、お言葉を返すようですが。それでは女王様が姫様を心配なさいます。姫様のお側を離れようものなら、私は覚悟を決めて参ります」
姫を独りで食事に出向かせるということは、少女にとって一体どんな覚悟が必要なのだろう。
おそらくは、その少女が咎められることに対しての意味。
「………………」
――姫はその意を数秒で汲んだ後、寝起きのような顔を重い扉からのぞかせた。
――
「レナ姫よ。明日はそなたの誕生日じゃ。パーティのスケジュールはわかっておるな?」
赤いテーブルクロスが敷かれた長机の先に、いかにも王族であることを象徴するかのような、小太りの女王が座っている。(いや、結構大柄である)
その姿は欲の塊のような印象を与えられなくもない。
「はい。わかっています、お母様……」
雨に濡れた土のような色をした瞳は暗く、姫は顔色を曇らせていた。
その背丈ほどに長い栗色の髪は、地面を引きずりそうなほど重たく感じられた。
どうやら二人はこの国の姫と女王であるらしい。王の姿がない事から、現在この国は女王の国であることがうかがえる。
女王が座っているのは、象牙色を基調とした食堂の、入り口から一番遠く。
姫は、心ここにあらずといった様子だ。遠くを見るような目で返事をし、食堂の入り口の近く、女王の席から一番遠い席に座った。
双方に挟まれたテーブルの上には、灯のともった燭台がいくつか並べられている。そして、3つ4つと並べられた大皿料理は、通常の二人前より何倍かは多かった。
それが姫の食欲を余計に失わせたかどうかは、元々虚ろであった表情からはあまり伺えない。
「おお、そうじゃ――」
食事の時間は鈍く進むが、女王は何を思ったのか、わざとらしい笑みを浮かべている。
「明日の式典では、あるお方が余興をしてくれるそうじゃ」
「?」
――姫はその意味ありげな微笑みと言葉が気になった。
(あるお方?)
「自らの命をそなたに、捧げたいのじゃそうな」
その言葉に潜むのは、禍々しい悪魔。
「!!?」
姫は突如告げられた言葉に、背筋が凍りつくような嫌な予感がした――それがそのままを意味するならば、何とも悪趣味な余興であるというのだろうか。
女王はレナ姫の顔色をよそに、一方的に語る。
「そなたの仮面を被った悪魔じゃ」
女王は悪趣味な紫色の唇で、通常の一人前を超えた夕飯を食す。
「そなたはただ、明日のパーティを楽しむだけでよいのじゃ。のう」
明日、何が起こるというのか。
訳も分からず、姫はその場に凍りついている事しかできなかった。
女王の悪の言葉は、徐々に思考を侵食していく。
そうしてさらに得意げに、悪魔は微笑んだ。
「あれは、そなたと同じ顔を貼り付けた、魔女じゃ。同じ人間など二人もいらぬ」
――
仮面。それをつけると、普段とは違う自分になれる。
しかし、自分の本来の姿を作っているものは内面である。
つまりは内面が変わらなければ、仮面をつけていてもその本質は同じ。
自分の姿を形作っているのは、誰しもが心に持つ、心の仮面。それは一人のなかにも無数に存在し、その心は表情に、顔に現れる。
人は時と場所、場合に応じてその仮面を使い分けることが出来るのだ。
だが、それはとれない仮面――“呪いの仮面”となると、話は別だ。
――永遠にはがれない偽りの仮面。
見る者をおぞましい気持ちにさせるそれは、つけた者の本来の心までも変える。
そして誰も、その人がその人であることに気づかなくなる。素顔が見えないとあれば、自分が自分だと言っても皆疑うだろう。
また恐ろしいのは、自分さえもが自分を認識できなくなる事。
そうして富だとか名誉、信頼や愛する者――持っていたものは全て失ってしまう。その呪いは、死ぬまで消えない。
それは夢の中で何度も見た、体中がこわばるほどの悪夢。
「そう――仮面に呪われてるのは、私のほう」
私は偽りの姫――レナ姫となった。夢で言われた事はきっと本当で、私は姫ではない。私が、『レナ姫』という名を語る、全くの偽物なのだ。
「私は、こんなこと望んでいない……」
魔女――そう呼ばれた人物は、私と同じ顔をしている。
(では、なぜ?! その人物と私は同じ顔なの?!)
自室の姿見に、青ざめた『レナ姫』の顔が映る。
――どちらの存在が“偽物”なのだろう。心の奥で、黒い思惑が密かに顔をのぞかせる。願わくば、自分がそうではないという事を。今まで自分の存在を、信じて疑わずに生きてきたのだから。
「あぁ……顔の皮を剥がれて、別の顔を貼り付けるという罰なのですか?! そんな、むごいこと!」
(私は何の罪を犯したというの? 罪を犯したのはその人物……!?)
その人物が全くの赤の他人であるなら、この顔、またはその人の顔は人工的に作られたもの――想像するだけで身の毛もよだつ、おぞましい物だった。
「なぜなの?」
もしかすると全くの赤の他人ではないという事もあるのだろうか。
「全く同じ顔の人間が存在するなんて……そんなこと、聞いたことないわ」
生まれたこと自体が罪たる所以であるならば。
「それならば、私も同罪」
――自問自答を繰り返した末、姫は両の手で短剣を握りしめた。
-第五幕へ-