| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

世紀末を越えて

作者:のに
しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

プロローグ
  エンカウント・ツー

ひょっとすると、あのとき彼女はうなされていたのだろうか。あの彼女がうなされる様な夢とはどのようなものなのだろう。恐らく僕がどれほど考えた所で答えは出ないであろう。今度機会があれば聞いてみたいものだ。しかし当然それは無理なことだろう。そんなことを考えつつ、僕は眠りにつこうとした。その後幾らか時がながれたかもしれない。それなのにどういう訳か中々寝付けない。何やらとても寝苦しい。窒息してしまいそうだ。そんな夢か現かも分からない中、無の裏から気づくと奏でる音色が、ふと僕を唯一の僕として落ち着かせたのだ。

声を聞いたような気がした。

あなたは、樂間啓、そうですね?
 
随分とゆったりとした口調だ。しかしその口調と声色は聞いていてとても心地が良いものだ。既にそこは僕の知る空間ではなく、僕は知らない部屋に来てしまったようだ。白い部屋。その部屋の中央、そこに在る肘掛け椅子に、一人の女性と思しき人物が、他の雰囲気と何の干渉も起こさず、当たり前のように、そこに「居た」。
「そうですが。」
 
樋泉あゆを知っていますか?
 
「ええ、その人なら僕が一番良く知っていますよ。」
 
それは良かった。ところで貴方に信じる者はありますか?
 
「神、でしょうかね。仮に神という存在が本当にいるとするなら、僕がその神に捧げることが出来るものと言えば、信仰心くらいのものです。そうでしょう?神は全能なのですから。僕にとって神とは、万物をこよなく愛し、世界の成り立ちを支える世界そのものなのです。しかし少なくとも貴方は僕に語りかける時点で神とは異なる。それにしてもいきなり随分と不思議なことをお聞きになるのですねああ、目が冴えて来たじゃないですか。」
 

すみません、元々私はあなたに鍵を渡しに来たのですが、私があなたに直接渡す事は出来ません。貴方の仰る通り、少なくとも私は完璧な存在ではありませんから、申し訳有りませんが、後日彼女の元へ届けてはもらえないでしょうか。

別に、構いませんよ。お安い御用です。
 
そうですか、そう言ってもらえると助かります。では、また会えるといいですね。さようなら。

 風のざわめく午後の授業。ややもの寂しくある教室に響く教師の声に耳を傾けること無く、僕は昨晩の出来事について思い返していた。あの声が時間を超えて今でも僕の耳に語りかけている様な気がした。そのイメージを無くしていまわないように、繰り返し、繰り返し僕の心の中で反芻させる。あの声、あの雰囲気。一方的ではあるが、僕に取って一番大切な人と言えば紛れも無く彼女のことなのであるが、昨晩僕の夢と思しきものに出て来たあの人からは、どこか彼女と似た何かをその身に宿していた様な気がした。あれは本当に僕が外の世界から感じ取ったものなのであろうか、しかし逆に夢の中の出来事であったというには多少現実味を帯びすぎていた。そこから朝、目覚めたという記憶さえも曖昧なものであった。確か僕はその人に、鍵を、彼女に届けるようにとお使いを頼まれたのであった。何故僕に託したのかは分からない。それに、鍵とはいったい何のことであろう。しかし一度僕はその件に関して承諾してしまっているのだ。これを覆す訳にはいかない。ふと、窓の外に黄金の鱗粉を纏う蝶が飛んでいるのが見えた、あの蝶は風に流されてしまわないようにその小さな羽を翻し、意図的に僕の視界に留まるようにしている気がした。完全に閉じている筈のその窓をすり抜け、僕の机の上に横たわるペンの上に止まった。僕の見間違いであろうか。或は今だに僕は昨晩の夢の続きでも見ているのだろうか。しかし紛れも無く今僕の目の前にいるものは黄金の蝶であった。今まで僕はこのような色の蝶を見たことがなかった。試しに、僕の隣に座る生徒にもこれが見えるかどうか、試しにそれとなく話しかけ、こちらに意識を向けさせてみたが、その何食わぬ様子から、やはりこの蝶が見えることはないようであった。蝶は授業中その体を休めるようにただ、僕の目の前に静かに佇むばかりであった。やがて授業の終わりを告げるチャイムが鳴り、僕が席からはなれようとした時、この時を待っていたかのように再び蝶は僕の目の前を舞い始めた。
 そもそもこの学校に、生徒の数そのものが多い訳ではないとはいえ、それでも、此れと言って僕に友人と呼べるものがいる訳ではない。今回、友人曰く、用事がある故、途中まで帰り道が同じ方向となったそうである。僕自身、他人に対して、与太話に費やすような、これといった主張も無く、(正確な所、あるにはあるのだが、単純に発言の機会が無い)ともあれ、大概こうなると僕の都合は精々他人に相槌を打つ程度であるのだが。僕はそのことに対して他人がどう思っているかは知らない。
 学校はほぼ島の中心部に位置しているのであるが、それでも校門を出てすぐの、種編を幾分か見渡せる崖の上の道路からの景色の幾らかは綺麗に整備された田んぼの苗の色が映えていた。

「で、なんだっけ?、まあいいや。ところでお前って樋泉のどこがいいん?まあたしかにスタイルは抜群だよ?胸が大きい訳じゃないけど。顔も、まあいい方ではある。そこに個人の理想像的なフィルターをかけてみれば、そりゃ惚れることだってあるだろうけどさぁ…。」
「ん…どういうこと?」
「いやあのひと…なんていうか、八方無心って感じじゃん?」
「ああ、まあね、でも僕にとってはそこが一番好きなんだよ。」
「なんでって聞いてもどうせよぅ分からんこと言い出すんやろうからあえて聞かんけど?お前謎キャラが好きなん?」
「謎キャラ?」
「ほらあいつってさ、学校にはちゃんと毎日登校するくせに特に最近じゃほとんど授業に出ないじゃん?別にどこか具合が悪い訳でもないのに。しかも保健室でもなく、何故か屋上…」
「服。」
「ん?」
「自分の、服がほしいんだって。」
「あぁ、成る程、あいつ孤児院にいるからなぁ…で?で、なんで屋上?」

 振り返ってみると、やはりその蝶が、後を付けていた。

その蝶は、友人と別れる際、僕の前に出てきたのだ。いい加減、この蝶の意図が読めて良い頃である。

ついてこいって?いいよ。

僕は黄金の蝶の後についていった。
蝶は時折僕がついて来ているか確かめるようにこちらを向きそうして僕を先導した。本当にこの蝶は僕を認識しているのだろうか。僕は敢えて蝶の進む方向とは全く逆の方向へ進みだす。するとそれを遮るように蝶は僕に立ちはだかった。
分かった、ちゃんと君についていくよ。
そう言うと満足したように鱗粉を振りまき再び僕を先導しだした。
蝶の向かう先はどんどん人が少なくなっていき、地面もアスファルトに舗装されたそれではなく、赤土がむき出しになっていた。そして林に突き当たる。生い茂る木々を縫うようにして蝶は進んでいき、僕は道無き道を枝や草を手足で退けながら進んでいった。
「ちょっと、もう少し、ゆっくりと進んでくれないかな…」
手足で草木を退けるといっても、そもそもその量が半端なものではない。木の枝が僕の顔を引っ掻き、地面の落ち葉やその腐葉土はとても湿っており、起伏もまだらで滑りやすかった。前ばかり見てもいられない。
どれほど進んだろうか、僕の前から僅かに海のさざ波の音が聞こえた。小さな山一つ分越えてどうやら島の端の所まで来てしまったらしい。先ほどまで強い風が吹いていたが、山に遮られるためか風も感じなかった。それに取って代わるように僕が進む程に霧が濃くなって来た。
その変化に気を取られ、目と鼻の先に迫った大きな蜘蛛の巣と、その中央に足を広げて張り付く、巣相応の大きなグロテスクな模様の蜘蛛に気づいた時にはもう遅かった。そのまま全身で蜘蛛の巣を突き破ってしまった。
「あっああああ、うわ、ああああああ」
蜘蛛自体はさほど苦手ではない、しかし不意なことであったし、この大きさとなるとさすがに気持悪いものである、しかも、よりによって肩にその蜘蛛がへばりついていた。
「あ!!え!?う、わああ!」
大の男だというのに、情けない叫び声を上げてしまった。反射的に蜘蛛のへばりつく右肩の反対の、左方向に飛び退く。飛び退いた先の地面の起伏に足を取られ、僕は急な勾配の坂を転げ落ちる。もうわけが分からなかった。
起き上がると僕の制服は蜘蛛の巣と、落ち葉と、泥に塗れており、迷彩服のようになっていた、幸いどこも怪我はしていないようであったが、蝶は僕を笑い、笑い声が空間に反響した。
「笑えるのかよ…なんだよおまえ…」
僕は改めて蝶を見る。その特殊な外観に今まで気を取られていたせいか、最も単純な異変に気づかなかった。その蝶の羽の一つはくしゃくしゃに折れていたのだ。
僕が触ろうとすると蝶は嫌がった。まあ当たり前か。
 僕の目の前は最早霧が立ちこめており、その先の様子は分からず、ひたすらに真っ白であった。ここは島のちょうど端に位置するというのに、以前聞こえた波の音の大きさも、どういうわけか全く変わっていない。しかし本来ならば僕の目の前は崖若しくは海が広がっている筈だ、それでも蝶は僕に前へ進めという。さすがにそれには従いかねる。
 僕の挙動にしびれを切らしたのか、蝶は僕の足下から、立ちこめる霧をひらひらと羽ばたきながらゆっくりと切り開いていった。最早音など何も聞こえなくなっていた。そこから見える道らしきものはごつごつとした岩肌でも、砂浜でもなく、霧と同じように白い道であった。その道を進むとやがて、その場所のみぽっかりと霧の開けた場所に出た。

そこで、僕は見た。

一人、いや一つ佇む。人の形をした、黒き異形の姿を。まるでその黒は、霧に溶けているように拡散、収束を繰り返し、人が人を認識するための常識で観測するならば、顔と思しきものは確かにあるものの、一体何どのような形の目をしており、口を、鼻を、髪をしているのかはまるで見当もつかない曖昧なものであった。そしてその黒き異形の周りには、数えるのが困難な程の、黄金の蝶が舞っていた。

蝶ではなく、異形が問う。

蝶に導かれて来たか。お前の名前は樂間啓。そうだよな?

「…そうです。」

僕はたじろく。こいつとは、何か関わってはいけない気がする。

ほうら、こっちへおいで…

僕の側にいた蝶は、異形の元へ飛んでいった。

ほう…この蝶はまた…よくもここまでこれたものだ。この蝶に導かれたお前にも、何かそういった理由があるのだろうな。

何時から僕の世界はこんなにも、こんなにも素敵なものに溢れたのだろう。ついこの前まで、僕にとって本当に素敵な人物は彼女だけだったというのに。

「理由?そんなもの、僕は知りませんよ。」

ああ、そうだろうな。だが私には分かる。恐らく、お前はあれを拾わねばならぬのだ。

異形の示す先に、何かがあった。金と銀に輝く何か。目を凝らして見ると、それはどうやら鍵の体を為しているようであった。不可思議なことだ。まさしくこの状況そのものもそうであるが、全てあの、「少なくとも神ではない者」の言う通りの事柄なのであろうか。

そういった、何かしら「理由」を持つ者には、私という存在を認識してもらわねばならぬ。私は…私は神でも世界でもない。真に全てを知りうるのは神か、ただ在るように在るお構いなしの世界のみであるというのに、全てという範囲も知らずに全てを知った気でいる傲慢なものである。

樂間は言う。あなたが人間であるならば。

私は限りなく全てを知っているのであろう。私は全てを知り、世界になりたい。しかし全てを知り世界若しくは神になるということは驚くことも無く、世界のようにただ在るように、なるように自我の消失を意味するという。私は恐怖のジレンマに捕われている。そうでなくとも私は全てを手にすることなど現状では不可能だ。

こいつ、殺してやろうかな。最強を自負するものの力とは如何程のものか。見下すくらいならまだましなのだ。明らかに人の体を為していながら、ただ、そう云う存在であるとして、相手の尊厳と云ったものを完全に無視しているように思われる。

私にはそれが何なのかは分からない。だが唯一私に取って理解できないものがそこにあるという理不尽な事実だけははっきりと認識できるのだ。お前が既知を為す未知か。あえて問おう。お前はこれが何に見える?何故此れを求める?

「それはただの鍵です。僕はそれを拾うよう命じられました。」

誰に?

異形は再度問うた。

「夢に出て来た者です。しかし少なくとも神ではありません。」

暫くの沈黙の後、その異形は口を開く。

お前を信じよう。私もお前がこれを拾うことで私の感じる世界にどのような変化があるか見てみたい。永遠という概念に絶対などあり得ぬのだ、そう、神か、世界でない限り…。どの道、私はそれに触れることは叶わぬのだ。いいだろう。それを拾うが良い。

僕は促されるがまま異形の向こう側の鍵を拾った。そして振り向いた時にはその異形は跡形も無く消えていた。

声のみが辺りに反響する。

そのまま、前へ進むが良い。お前の家まで送ってやろうではないか。

僕は前へと進んだ。すると、しだいに霧は晴れて行き、気づくと僕は、僕の家の前に立っていた。制服の汚れや傷は無くなっており、ただ、ズボンのポケットの中に、確かな鍵の重みがあるだけである。


 在るものは仕様がない、鍵を渡さねば為るまいよ。
 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

感想を書く

この話の感想を書きましょう!




 
 
全て感想を見る:感想一覧