東方虚空伝
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第二章 [ 神 鳴 ]
二十二話 会戦の狼煙
「ふざけんじゃないわよ!!」
諏訪大社の社殿に諏訪子の怒声が響き渡る。そして読んでいた書状を引き裂き、いや八つ裂きにして床に叩きつけ、忌々しいというように足で踏みつけた。楓や数人の神達が必死に諏訪子を宥めている。
今朝、諏訪大社に大和の国から書状が届いた。宣戦布告、遂に来るべき時がきたのだ。それを受け都の近くに居る神達を召集し緊急の会合を開く事となった。
社殿に集まったのは、僕、諏訪子、楓、巫女である早希、数人の土地神。そして諏訪子が集まった皆の前で送り付けられた書状を読み上げたのだが、宣戦布告状だと思われていたその書状の中身は上から目線の降伏勧告文だった。
その結果がさっきの諏訪子の怒声という訳だ。
「虚空様、虚空様」
僕の隣に座っていた早希がクイクイと服の袖を引く。
「ん?どうかしたの早希?」
「さっきの書状なんですけどー…難しくてよく分からなかったですー」
あぁなるほど。確かにあんなに硬い言葉じゃ分かり辛いよね。
「えーと、簡単に言うと『どうせ勝てないんだから余計な抵抗せずとっとと降伏しろバーカ』って書いてあったの」
僕の説明に早希は、なるほどーという風に首をコクコクとしていた。早希にはかなり砕いて説明したけど書いてあった事は本当にそんな事だ。諏訪子がキレるのも無理は無い。
だが実際あっちとこっちの戦力比はあらゆる要素を加味してだいたい5:1だ。正面から戦ったらまず勝てない。まぁその為の作戦は用意できてはいるけど、うまくいく保障など何処にも無い。
僕がそんな事に思考を巡らせていると突然諏訪子が叫んだ。
「あいつら馬鹿にして!こうなったらこっちから攻め込んで「ダメに決まってるでしょ!」って虚空!なんでさ!」
台詞を途中で遮られ諏訪子が僕に突っかかってくる。
「頭を冷やしなよ、大将がそんなんじゃ絶対に勝てないよ。とりあえず、はいこれ。僕の立てた作戦計画書だよ、目を通しておいてね」
諏訪子の所まで行き計画書を手渡す。
「…こんなの作ってたの?」
僕から計画書を受け取りながら諏訪子は意外そうな顔をしていた。
「諏訪子…もしかして僕の事脳筋か何かと思ってたの?これでもいろいろ考えてるんだよ」
「別にそんな訳じゃ……」
諏訪子はそう言いながら目を逸らす。まぁいいけど。
「それじゃ僕はちょっと出かけてくるから準備の方はよろしくね」
「え?虚空さんどちらに?」
社殿の入り口に向かう僕に楓が聞いてくる。
「ちょっと大和の陣地に、ね」
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諏訪の国の国境際に大和の陣が敷かれていた。
そこまで飛んでいくと無駄に警戒される為、わりと離れた場所に下りる。とりあえず向こうに警戒されない事が作戦の第一段階だ。陣に向かう前にやる事がある。それは、
「紫、これ以上ついて来ちゃだめだよ」
僕がそう言うと空間に少しだけスキマが開き、紫が目だけを覗かせる。
「…どうして?」
「間違っても向こうに紫の存在を知られる訳にはいかないから。…ごめんね」
今回の作戦には紫のスキマが必要不可欠。そして相手にスキマの存在を知られる訳にはいかないのだ。
それにしても仕方ないなんて言い訳して自分の娘を戦に利用しようなんて僕は最低だね。クズだね。自分自身を罵倒しながら紫の方に目を向ける。
「…分かった…」
紫は不満そうにそう言いスキマを閉じた。後できちんと謝らないとな。そんな事を考えながら大和の陣地に向かって歩を進めた。
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陣の入り口付近にはおそらく見張りだろう、二人の神が立っていた。そして近づいてきた僕に警戒の視線を向けながら声をかけてくる。
「止まれ!此処が何なのか分かっていないのか?」
「存じ上げております。大和の軍神『八坂 神奈子(やさか かなこ)』様率いる大和の軍の陣地と」
軍神 八坂神奈子。
大和の軍についてあちこち調べ回ったが何処に行ってもこの名前が出てきた。その神奈子の指揮が大和の軍を常勝無敗に導いている、なんて噂まである位だ。噂の真偽はどうあれ軍の最高指揮官であるのは間違いなかった。
これからそんな神と渡り合わなければならないと思うと気が重い。まぁ泣き言をいってもしょうがないか。
「それが分かっていて此処に何用か、人間?」
「私は諏訪の国より、諏訪の王洩矢諏訪子様のご伝言を預かった者にございます。畏れ多いのですが八坂神奈子様にご面会申し上げたく願います」
僕は慇懃な礼を取り頭を下げる。書状にしなかったのは神奈子に直接会うためだ。書状にすると門前で受け取られて終わり、という事にもなりかねない。
門番の神達も諏訪子の伝言役と聞いてどうするか逡巡している。そして何やら話し合い一人が陣の方に走っていった。
「今、八坂様に指示を仰ぎにいった。しばし待て」
そう言われ僕は頭を下げ少し離れた場所に移動した。さて、どうなるかな。
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暫くして話を通しに行った神が帰ってきた。
「使いの者よ、八坂様がお会いになるそうだ。案内するゆえ付いて参れ」
「はい、ありがとうございます」
よし、何とか面会には漕ぎ着けた。ここからだ。案内された場所はおそらく軍議などを行う為の広い部屋。
そこには一番奥の席に座る女性が一人と数人の神がいた。
「貴様が洩矢の使いか」
奥に座っている女性が僕にそう問いかける。
「はいそうです。御身が八坂神奈子様で在らせられますか?」
「そうだ、私が八坂神奈子だ」
紫がかかった青いセミロングの髪。力強さが宿った紅い双眸で僕を見つめていた。白い長袖の上に赤い半袖の服を着て臙脂色のロングスカートを穿いている。
存在感でいえば諏訪子に引けをとらない。まさかこれ程だとは思わなかった。
「さて、それでは洩矢の言葉とやらを聞かせてもらえるか?」
神奈子は頬杖をつきながら僕の言葉を待っている。
「分かりました、それでは『汝らの要求、誠に遺憾なり。我らは暴虐の軍勢には屈さぬ、正々堂々と正面より汝らを打ち砕かん。悪逆の徒よ、義は我らに在り』以上です」
「「「「 ワハハハハハハハッ!!!! 」」」
僕の発言を聞いた大和の面々は声を上げて笑った。まぁ理由は分かるけど。ちなみに諏訪子の言葉って言うのは嘘だ。僕が適当に考えた。
「アハハハッ!なるほどなるほど、洩矢は中々に冗談が上手いようだな。――――それとも単純に愚か者なのか?」
笑みを浮かべていた神奈子が真顔に戻り僕を視線で射抜く。その瞳に宿るのは間違いなく怒気。期待を裏切られた、たぶんそんな事を考えているはずだ。
普通に考えてこの戦力比で正面から戦うなんて宣言するのは愚者以外の何者でもない。
それを音に聞こえた土着神の頂点と謳われる者が言ったとなると嘲笑と失望が生まれるのは当然だ。
諏訪子には悪いけど作戦の為に愚者になってもらわないといけない。本人にばれたら怒られるだろうな。
「我らの王を侮辱するのは止めて頂きたい!」
僕は怒ったフリをしながら神奈子に言い返す。
「一つ聞くが貴様自身、我々と正面からぶつかり勝利できると思っているのか?」
思っている訳が無い、と正直に言いたいがここは我慢だ。
「我が国には諏訪子様の御加護があります!打ち破れぬ訳がない!」
僕の言葉を聞いて神奈子は興味が失せたというように、
「…そうか、用件は済んだ。帰るがいい」
そう言い残し部屋から出て行った。他の神達もそれに続き部屋には僕一人が残された。これ以上此処にいる理由もないな。そんな事を思いながら大和の陣を後にした。
□ ■ □ ■ □ ■ □ ■ □ ■
部下達に翌朝進軍できるようにと指示を出し、八坂神奈子は陣の中央にある天幕を目指していた。その途中ですれ違う神達は彼女と目を合わせない様にそそくさと去っていく。
彼女が明らかに不機嫌です、という空気を纏っている為だ。機嫌が悪い理由は先ほどの使いの男から聞いた洩矢の言葉のせいだった。
土着神の頂点などと謳われているからどれ程の者かと思えばあんなにも愚かだったとは。あんな単純な挑発に乗る所か態々使いの者まで遣して。
期待を裏切られ怒りと失望が入り混じった気分、実に不愉快だった。そんな神奈子に声をかける人物がいた。
「どうした神奈子?そんな不機嫌そうな顔して、美人が勿体ねーぜ」
声の主は若い男。黒い長髪を後ろで結び、黒い瞳は鋭い輝きを放っているがどこか子供っぽさがある。白いタンクトップに前を空けた紅いベストをつけ黒いジーンズ風の物を穿いている。
「悪いね須佐之男不機嫌なんだよ」
「お?なんだなんだ何かあったのかよ?」
須佐之男は面白い事を見つけた子供の様に目を輝かせながら神奈子に詰め寄ってきた。
「天照様の所で聞かせてあげるよ。報告しなきゃいけないからね」
「そうか、じゃぁ早く行こうぜ。面白い話が聴けそうだ」
そんな訳ないだろう、と神奈子は心の中で嘆息した。
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目的地の天幕に辿り着き神奈子は中にいる人物に声をかける。
「天照様、御報告に上がりました」
「ご苦労様入りなさい」
中から女性が返事を返す。それを聞き神奈子と須佐之男は天幕の中へと入る。
天幕の中では見る者に落ち着きを感じさせる女性が机に向かい書き物をしていた。そしてその手を止め入ってきた二人に向き直る。
腰辺りまである栗色の髪、栗色の目をした神奈子より少し小柄な女性である。紅を基調とした少し袖の長い振袖に薄紫色の羽織をかけ、袴状の朱色のロングスカートを穿いている。
「邪魔するぜ姉貴、神奈子に何か面白い話が聴けるって聞いたもんでよ」
「そうなのですか神奈子?」
須佐之男の言葉を聞いて天照は不思議そうに神奈子を見る。
「いえ恐らく面白くはないでしょう」
そして神奈子は先ほどの事の顛末を報告した。神奈子からの報告を聞いても天照は表情を変える事は無かった。須佐之男は大爆笑していたが。
「我々は少しばかり諏訪の国を過大評価していたようです。態々天照様が御出でになることもなかった」
先ほどの怒りがまだ抜けていないのか神奈子の言葉には棘があった。そんな神奈子に天照は冷静に言葉を返す。
「そんな事はありませんよ。諏訪の国は古き大国、大和の長としてこの戦に出向くのは礼儀でしょう」
「しっかし拍子抜けだなおい。神狩って奴が居るって聞いて楽しめると思ってたのによ」
須佐之男は本気で残念そうにぼやいた。しかし彼の発言に神奈子が反応する。
「須佐之男、何だいその神狩っていうのは?」
「うん?あぁ何でもちょっと前に諏訪が召抱えた人間の倒魔士らしいぞ。この辺りじゃ結構有名らしいな」
「なんだ人間か、厄介な神かと思ったじゃないか」
人間と聞いて神奈子は興味を無くした。どれ程の力を持ったとしても所詮は人間、脅威にはならないと判断したからだ。
「人間らしいんだが名前が興味深くてな、姉貴聞いて驚け…七枷虚空だってよ」
その名前を聞いた天照が少しだけ驚きの表情を見せた。
「なんとまぁ分不相応な名を名乗ったものですね」
「天照様、その名に何かあるんですか?」
神奈子は興味半分、疑問半分で聞いてみる。
「七枷虚空というのは私達の故郷である月の英雄の名です。貴方は地上生まれですから知らないのも無理ありませ」
「俺にとっちゃ憧れの人物だ。親父や師匠とかからいろいろ聞かされたしな」
「まぁ偶然同じ名を持つ者がいただけでしょうが。それよりも神奈子、戦の事くれぐれも油断無き様に」
天照は話題を打ち切り神奈子に念を押す。
「お任せください天照様、必ずや大和に勝利を」
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何時もの様に天に輝く月を眺める。しかし今日は場所が違った。都から離れた森の中。そこに諏訪の軍の陣を敷いていた。
少し先には大きな河が流れておりそこが諏訪の軍と大和の軍を別ける境界線になっている。視線を向ければ小さな明かりが幾つも見える。
作戦の詳細の説明などの軍義も終わり一人夜風に当たる事にしたのだ。そんな僕の近くにスキマが開き紫が顔を覗かせた。
「寝ないのお父様?明日に響くわよ?」
「寝ずの番は慣れてるから大丈夫だよ、でも紫は寝なさい」
僕の言った事が不満なのか紫は頬を膨らませスキマの中に引っ込み閉じてしまう。次の瞬間いきなり僕の上に落ちてきた。それをなんとか抱きとめる。
「っと!危ないなもう」
「私ここで寝るから。おやすみなさいお父様」
紫はそう言うと僕の服を握り締め狸寝入りを始めた。まぁいいか。紫の頭を撫でながら明日の戦の事を考える。
考えられるだけの状況は想定した、打てるだけの手は打った、でも絶対は無い。そもそも、もしかしたら途中で自分が死ぬかもしれない。僕は不死身でも無敵でもないんだから。
まぁ仮定の話を考えてもしょうがないか。やれる事をやるしかないんだ。そんな事に思考を巡らせていたら何時の間にか紫が本当に眠っていた。
ここで僕の寝ずの番に付き合わせる訳にもいかないので紫を抱え宿舎の方に向かう。
泣いても笑っても明日決まるんだ。きっと皆も不安を抱えながら過ごしているのだろう。
そして夜は更けていった。
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