銀河英雄伝説~生まれ変わりのアレス~
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真っ白な紙
一撃で腰が砕けるように倒れたウィリアムを、足で払って地面に投げ出しながら、とどめとばかりに胸を踏みつけて、アレスは振り返った。
その一連の容赦のない攻撃に、男達はもはや反撃する気力もなく、見ている。
拳を小さく振って、アレスは男達を見る。
「さて。どうする?」
問いかけた言葉であるが、答えは決まっているようなものであった。
小さく息を吐いて下がる男達に、倒れていた男を投げつける。
「そんなゴミをおいていかれても困る。男達を連れて、さっさと出ていけ」
「こ、こんなこと……」
「ん?」
「こんなことして良いと思っているのか」
その言葉に、アレスはゆっくりと唇を持ちあげた。
「なに。全ての責任はこいつがとってくれる」
足で意識を失ったウィリアムを蹴りながら、アレスは小さく笑う。
「それとも戦うと言うのであれば、幾らでも相手になる。暴力だろうが法だろうが、好きな方法をとると良い。ただし」
と付け加えられた言葉とともに、アレスの視線を受けて、男達が小さく悲鳴をあげた。
「次に戦うと言うのであれば、そちらも命をかけてもらうぞ。腕を折られて、ごめんなさいですむと思うな、一般人」
覗きこまれた視線に、怯えたように男達が腰を抜かした。
それでもアレスから遠ざかろうとして、一人が逃げれば、後はあっという間だ。
倒れた男達を引きずるように、男達は逃げ去っていった。
+ + +
「インフラが悪くなって、治安も悪化していると聞くが――あんな馬鹿が幅を利かせているとは、世も末だな」
逃げ去るのを見届けながら、ため息を吐き、アレスは振り返った。
一連の流れを呆然と見ていたライナは、そこで気づいたように身体を腕で隠す。
その肩にアレスの制服が投げられた。
「で。君の意見も聞いておこうか」
「……感謝いたします」
「礼を聞きたいわけではないな。なぜこんな事になっている」
尋ねかけて、アレスはライナの隣に落ちている紙を目にする。
「あ、だめです――」
ライナの制止が終わる前に、アレスはそれを手にした。
表面を見て、眉をしかめる。
「なんだ、この歯が総入れ歯になりそうな美辞麗句は」
少なくともアレスが思いつく文章ではなく、そこにアレスの名前が書かれているだけで、背筋がむず痒くなる。
手にした紙を折り畳みながら、それでも理由はわかったと呟いた。
「君が呼び出された理由はわかった。だが、これが嘘の手紙だと思わなかったのか」
「九十パーセントは嘘かと思慮しておりました」
「そう理解していて、何故ここに?」
「いずれ決着は付けないことです。それに……」
呟かれた言葉の後に、見上げられて、アレスは言葉を待つ。
「それに?」
「何でもありません。先輩には関係のないことです」
ライナは視線をそらす。
どこか頬を赤らめて、口を噤む様子からは答えは聞けそうにない。
そこに――。
「い、いたっ」
アレスの振り下ろされた拳が、ライナの頭を直撃した。
鈍い、石を叩くような音に、ライナは頭を押さえて、短く悲鳴をあげる。
見上げれば、眉間にしわを寄せるアレスの姿があった。
「自分一人で何でも解決できると思うな」
「……しかし」
「確かに君は一人で多くの事が出来るだろう。だが、出来るからといって、頼るなというわけではない。今回も君が一人で来ずに、誰かに相談していれば、危険な目に合わなくてもすんだはずだ。結果オーライで良かったわけじゃないぞ、ライナ・フェアラート」
厳しい視線にライナは口を開こうとして、口を閉じた。
その通りだと理解して、頭を下げる。
自分が馬鹿だと言われれば、否定する言葉など浮かばない。
何とかなると思っていたのは自分であって、そこに予想外に銃が出てきたからと言いわけになるわけもない。
巡回責任者にアレスがなっていなければ。
どうなっていたか、想像を仕掛けて、ライナはアレスにかけてもらった制服の上から身体を抱きしめる。
小さく震えるライナの頭に、再びアレスの手が伸びた。
柔らかく、優しい掌が頭にあてられる。
見上げれば、髪をすくように、頭を撫でられた。
「君に比べれば頼りないかもしれないが、人を頼ることを覚えろ。君が助けた分だけ、みんな君を助けてくれる。少しは甘えろよ」
優しげな言葉に、ライナはアレスを見上げたままに固まった。
厳しいまなざしから心配そうな顔を見れば、ライナの視界はゆっくりと崩れた。
嗚咽。
止めようとして止められず、撫でられたままに、ライナは両手で目を覆った。
子供のように泣く事が恥ずかしくて、でも止まらなくて。
静かに泣く間、アレスの手をライナの頭を撫で続けていた。
+ + +
「そろそろ巡回に戻る。その制服はやるから、着替えて、今日はゆっくり休め」
最後に頭を軽く叩いて、アレスが踵を返した。
そのズボンが引っ張られ、疑問を浮かべて振り返れば、ライナの小さな手がズボンを掴んでいる。
「……ん?」
「腰が抜けてまだ立てそうにございません。だから……」
早速の言葉にアレスは微笑し、ライナの手を取った。
一瞬で引っ張り上げれば、肩をライナの身体に入れて、荷物を持つように軽々とライナを背中に担ぐ。
短く驚いた声が終わるころには、ライナはアレスの背中にいた。
一瞬だけ戸惑って、ライナはアレスの首に回した手に力を込めた。
草木を踏む音がする。
夜も遅いとはいえ、まだ消灯前の時間帯だ。
誰かに見られる可能性があるにも関わらず、アレスは誰にも会わない道を歩いていた。
おそらくはどの時間帯にどこに、どれくらいの人がいるか把握しているのだろう。
アレスが巡回員になっている日は、抜けだすなという学校での不文律の理由がわかった気がする。
そう考えれば、ウィリアムはアレスを軽視するあまり、失敗したのだろう。
「ご迷惑をおかけして、申し訳ございません」
「ん?」
「おそらく、ウィリアム先輩は騒ぎたてると思います」
それで自分が被害を受けるだけであれば、問題はない。
どんな風評被害も甘んじて受けるつもりであるし、関係のないことだ。
けれど。
「申し訳ございません」
「気にするな、後輩。別段問題はない」
あっさりと口にした言葉が、頼もしくて、ライナはアレスの背中に顔をうずめた。
「ライナです」
「ん?」
「後輩じゃなく、ライナと呼んでください」
「ははっ」
アレスは笑い。
「わかった、ライナ。俺のことはアレスと呼んでくれていい。こちらの事は気にするな、明日になれば全て終わっているさ」
「はい、アレス先輩」
ライナは答えて、ゆられる暖かさに身を任せた。
恐かった――でも、それ以上に。
これを言えば、アレスには怒られるだろう。
だから、ライナは心の中で、今日は最高の日だったと呟いた。
そうして瞼を閉じたライナの耳に、しばらくして微かにアレスの呟きが聞こえる。
誰も聞いていないと思ったのだろう、独り言のように口を開き、
「もう少し肉付きがあれば、最高だったのに」
「……」
目を開けたライナは静かに、アレスの首に回していた腕に力を込めた。
+ + +
「で。一般人を含めて、アレス・マクワイルドに暴行を受けたと、そういうわけだな?」
誰も使っていない小会議室。
その一席で、アンドリュー・フォークが手にしていた教科書をつまらなそうに眺めている。
「はい。これは明らかに暴行であり、士官学校の学生としてあるまじき行為ではないかと思います」
そう胸を張って呟く、ケビン・ウィリアムの鼻には痛々しく包帯が巻かれている。
その姿で身振り手振りを広げて、いかにアレスが酷い行動をしていたか、自分が被害者であったかを伝えている。
「それで、君は私に何を期待するんだ?」
「何を。アレス・マクワイルドを退学させるチャンスではないでしょうか!」
「チャンス……ね?」
言葉とともに、フォークは教科書を閉じた。
「それが起こったのは何時頃だ?」
今まで興味のなさそうであったフォークが、初めて問いかけた言葉に、ウィリアムはほっとしたように胸をなでおろした。
「昨日の八時頃です。なんでしたら被害者をそろえることも……」
「八時か――それで、今が何時だ?」
「午前八時ですが」
壁掛けの時計を見て、ウィリアムは眉をひそめた。
当たり前の事に対して、フォークは爬虫類のような目をウィリアムに向ける。
つまらなそうに髪をいじりながら、息を吐く。
「十二時間だな、ウィリアム候補生。この十二時間に君は何をしていた?」
「何をとは……報告が遅くなったことでしたら、謝ります。私も殴られて怪我の治療を」
「もしだ」
ウィリアムの言葉を遮って、フォークは言葉を続けた。
「もし君がすぐに私に報告していれば、話は変わったかもしれない」
「ど、どういうことです」
「遅いということだ。君は授業で何を習ってきた、報告はすぐにという言葉を知らんのか。君がのんびりと、その無駄な鼻を治療している間に、こちらは全て終わっているのだよ。今更十二時間も経って何を期待している?」
「どういう事なのですか、フォーク先輩!」
「学外で喧嘩をして、あまつさえ怪我までさせるとは士官学校の学生としてはあるまじき行為。理由はそんなところだな、退学だ――貴様は」
フォークの冷静な言葉に、ウィリアムの顔が蒼白となった。
「ま、まさか。俺が――俺は学年主席ですよ」
「学年主席一人と、学年主席と戦術シミュレート大会四連覇の二人を天秤にかければ、どちらが重くなるかは自明の理だろう。君は何を言っている?」
蒼白となって、次に真っ赤になったウィリアムが拳を握りしめる。
震える体と怒りを込めた視線を、フォークはつまらなそうに一瞥した。
「俺を、俺を売るつもりなのですか」
「売るとは随分な言葉だな。君と組んだ覚えがない、利用した覚えはあるが」
「それで使えなくなったら捨てるつもりですか」
怒りにまかせて、ウィリアムが机を叩いた。
響く衝撃音に、フォークが肩をすくめる。
「こんなこと許されていいわけがない。それならば俺も出るところを」
「ケビン・ウィリアム候補生」
呼ばれた名前に、ウィリアムはフォークを見る。
爬虫類のような舐めるような目が、ウィリアムを見て、背筋を震わせた。
嫌らしく上がる笑みは、獲物を前にした蛇のようでもある。
「そんなことを、私が許すと思っているのかね」
「許さなければどうするのです」
「君の罪が増えるだけだ。銃の持ち出しに、それを使った殺人未遂もあるか、他にも叩けば幾らでも埃が出てきそうだな。調べてみるか? 言っておくが」
そう言って笑い、フォークは目を細めた。
「潔白な人間に罪を着せる事は難しい。無理ではないがね。だが、心にやましい記憶がある者に対しては、無実の罪を着せることなど、実に簡単なことだよ。まだ軍法会議にかけられず、退学だけですんで良かったと、私は思うのだが」
からみつく言葉に、ウィリアムは力なく席に腰を下ろした。
蒼白になり、震える様子に、フォークはしばらく見ていたが、興味を失ったようだ。
「それでよく戦えると言えたものだ。ほら」
白い紙とペンが投げられる。
真白な紙が目の前におかれて、ウィリアムは何も出来ない。
違うと小さく呟いた声に、フォークはとんとんと机を叩いた。
「それとも親御さんに全てを話してみるか、ウィリアム。憂国騎士団の息子が軍法会議にかけられたなどと知れば、さぞかし肩身の狭い思いをされるだろうな」
「なぜ、それを」
「敵の弱点を把握するなど、基本だ。相変わらず時間を無駄にする男だな、ウィリアム。お前に出来る事はその紙に除隊届をかいて、さっさと一般人戻るか、軍法会議の場で争うかのどちらかだ。紙を見ていても、答えなどでない。選べ?」
覗き込むような言葉に、ウィリアムは震え、やがて、ペンを手にした。
+ + +
「入ってくれ」
フォークが呼べば、小会議室の扉が開いた。
入ってきたのは教頭であるサザール少将だ。
たった一人で入ってきて、ウィリアムの書いた除隊届を確認する。
満足げにフォークを見れば、フォークはつまらなそうに顎を動かした。
教頭に促されるように席を立たせられれば、ウィリアムは抵抗もせずに従った。
扉へと歩き出す、と、そこにアレスの姿を見つけて、一瞬憎悪の視線を向けるが、何か言う前に引きずられて、出ていった。
問題が大きくなる前に、片づけられた。
それは事前のフォークの根回しが大きいところであろう。
まさに人を陥れる事に関しては、右に出る者はいないと、アレスは思う。
そんなフォークは、それまでの表情から不愉快なものへと変えている。
「つまらぬことに巻き込まないで欲しいものだな、アレス・マクワイルド」
「問題を起こしたのは、君のチームメンバーだろう」
「不愉快ながらにな」
フォークは鼻を鳴らした。
ライナを送り届けた後で、アレスはすぐに行動を起こした。
まず既に就寝中であったフォークを叩き起こした。同じチームのメンバーが起こした行動は、他人事には出来ず、さらに言えばどんな指導をしていたと、フォークの責任にもなりかねない。
彼が深夜に抜けだして無駄な交友関係を深めていた時は、戦術シミュレート大会の期間中も含まれるからだ。
そこからフォークの行動は速かった。
教官や学校への根回しに、学外での人間の把握。
ウィリアムに全ての罪を押しつけるように、証拠や証言の手配。
わずか数時間後には、昨日の件は学生による暴行事件から、ただの学生と一般人の喧嘩へと問題を変えてしまっていた。
学校としても、学生が学外の人間とつるんで少女を暴行しようとしたという事実よりも、ただの喧嘩に終わる方が遥かに良い。ましてや現在の学校長が真実を追求するよりも、自己の保身を優先する人間だったこともあって、真実は闇に葬られた。
この後でウィリアムが違うと主張したところで、フォークの言葉通り、既に時は遅い。真実よりも、皆が信じる事実こそが伝えられ、そこにライナ・フェアラートの名前は一切出てこない。
「ま、君の考えはともかく助かった。ありがとう」
「疑ってごめんなさいの間違いではないのか」
フォークの言葉に、アレスは目を開き、そして微笑する。
否定のない様子に、フォークはつまらなそうに息を吐く。
「ま、銃など普通は手に入らんが、私でなくても手に入れられるものだな。もっともそれをしても確実にばれるし、見つかるだろうがね。くだらない、私であれば」
「もっと完璧にしてみせるか」
「あの小娘程度を陥れるのであればな。だが……」
そこでフォークは首を振って、アレスを見る。
「陥れるとしても、小娘に暴行を働いて、私に何の利点があるというのだ。ただ陥れるというだけであれば、そんな面倒なことをせずに」
呟きかけた言葉を、フォークは止めた。
視線の先には、アレス・マクワイルドがいる。
「恐い顔をするな、マクワイルド。あの小生意気な小娘程度ならばどうにでもなるが、それで君と敵対するつもりはいまはない」
「随分な言葉だな」
「貴様の除去が簡単な話なら、さっさと士官学校からお引き取りを願っている」
吐き捨てるように言えば、フォークはゆっくりと席を立つ。
そして、聞こえぬように唇を曲げた。
いまはな。
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