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魔狼の咆哮

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第二章その九


第二章その九

「ですね。だが容疑者からは今のところ外れかかっていますね」
「彼には完全なアリバイがありますし。事件が起こった時間は常に仕事等で誰かと共にいました。これは共にいた商売相手や部下の人が照明してくれました」
 役が手元の資料を差し出した。そこにそれぞれの事件の起こった時間のカレーの行動が書かれていた。
「この家の者全員の行動を調べましたが同じでした。どの者も完全にシロです」
「今のところこの屋敷からは何の手がかりも出ていません。これはこれまでの捜査全般に言えるのですが」
 署長が言った。
「実はこの屋敷の捜査をそろそろ打ち切ろうかとも考えているのです。手がかりは出ませんし」
 署長達の声も顔も極めて暗いものであった。
「ですか」
「それと共に気になるのはこれからです。如何にして野獣の凶行を止めるか。これ以上無残な犠牲者を出すわけにはいきません」
「このジェヴォダンは元々平和な地、その地をこれ以上恐怖で支配することは許せません」
 警部も言葉を発した。口調こそ穏やかだがその声にも目にも怒りの色が混ざっていた。
「・・・そのお気持ちはわかります。しかし」
 中尉は言葉を続けた。
「野獣、人狼を除かなければ平和は戻ってはきませんよ。相手は血に飢えた化け物、放っておいてはこれからも罪なき人々を貪り続けますよ」
 その通りだった。だからこそ皆この屋敷を隅から隅まで捜していたのだ。
「見たところこの屋敷を取り囲むように事件は起こっています。この家と人狼は何らかの関係があると見てよいでしょう」
「それは我々もそう見ています。しかし何も出てきませんでした」
「いえ、出ていますよ」
「えっ!?」
 中尉の言葉に五人は目を丸くした。
「これです」
 中尉はそっとテーブルに置かれている資料の一つを五人の前に差し出した。それはカレー家の家系図だった。
「ここを見て下さい」
 カペー朝から続く古い家、それだけに長い系譜である。そこには野獣の捜査を妨害したと言われる当時の当主の名前もある。妻や夫とその出自、生没年に到るまで細かく書かれている。
 綴っていくと最後にカレーの名にあたる。彼の他に二人の弟と三人の妹の名前がある。
「彼等は今ここにはおりません。五人共それぞれ何ヶ月も前から外国にいます。旅行や留学との理由です」
 あくまで表向きはそうであった。
「この屋敷は戻っていません。これは出入国手続きにも載っています」
「いえ、そこではありません」
 中尉が指差したのは彼等の父の代であった。
 インクで書かれたその名の横に何人かの名が連なる。
 女の名が四つある。皆カレーの父の妹達である。
「四人共フランスや他の国の有力者と結婚しております。中にはイギリスの公爵家の奥方もおられます」
 それは家系図にも書かれている。欧州ではよくあることだ。婚姻政策や縁組は欧州外交の根幹の一つでもある。特にハプスブルグ家は有名である。
「この婦人方ではありません。この方です」
 その端に書かれているのは男の名だった。崩れた字でシラノと書かれている。
 どういうわけか彼だけ生まれた歳だけ書かれている。結婚相手も書かれていない。
「彼はどうなったのでしょう?」
「シラノ氏ですか」
 署長の顔色が変わった。
「この一族の中でも変わり者でしてね。絵画や歌劇といった芸術をこよなく愛される方でした。家の他の方々とそりが合わず家出してそれっきりです」
「行方は?」
「わかりません。遠い異国で絵を描いているとも流しの歌手になったとも言われています。どれも噂でしかなく行方はようとして知れません」
「このシラノ氏が重要な鍵を握っているかも知れませんよ」
「えっ!?」
 中尉の言葉に一同声をうわずらせた。
「彼はともかくもし彼に子供がいたら。彼はカレー家にも闇の世界にも興味はなかったとしても。子供もそうであるとは限りません」
「・・・・・・・・・」
 五人共考える顔になった。
「実際にカレー家の者はそれぞれ独特な暗殺術を身に着けています。その中にそういった人狼に変化したりルーン文字の魔術を使う術があったとしたら。そして人を犯し喰らうことに無上の喜びを見出す魔人だとしたら」
 中尉の言葉は深みがあった。実際には到底考えられぬ内容だというのに。
「調べてみる意味はありますよ。そうだとしたらこの屋敷にまだ潜んでいるか匿われている可能性があります」
 その言葉で決まりだった。中尉を入れた六人は頷き合い席を立った。
 本郷と役は役の部屋で一旦入った。
「成程ね、よく家系に気付きましたね」
「特殊部隊にいるだけはある、優れた洞察力だ」
 テーブルに着き二人は言った。
「カレーが人狼だとは俺も考えていましたけどね。奴の先祖が野獣の捜査を妨害していたっていう話も気になっていたし」
「そもそも彼の気は常人の気ではなかったしな。もしやと思っていたが」
「そういう術が家に伝わっていたからですか」
「ただ気になることがある」
「?何です?」
 役の言葉に本郷は尋ねた。
「カレー氏はどうやら本当にシロだ。しかし彼からはその気が感じられた。あのルーン文字の気と同じ気が」
「気、ですか」
「それだけじゃない。中尉は人狼に変化する術と言ったがあの人狼は元々人であったものではない。最初から人狼であった魔性の存在だ。それは君もあの夜でわかっただろう」
 「・・・はい、忘れようとしても忘れられませんよ。あれだけの禍々しい気は人のやつじゃない」
 本郷が顔をしかめた。
「魔術を使う狂気の殺人鬼だけではない、より怖ろしい話が裏にある。私にはそう思えてならないんだ」
「・・・それは一体どんな話です?」
 本郷の顔からしかめが消えた。
「おそらくカレー氏に、いやカレー家に深く関係のある事だろうな。どちらにしろカレー氏とあの人狼は深い関係がある」
「・・・やはりカレー家は」
「断定は出来ない。だが人の世に災いをもたらす黒き者達であれば」
「・・・ですね」
 二人の心に秘められた刃が白く輝いた。
 その日の夜中尉は屋敷の中を歩いていた。当然捜査の為だった。
「昼と夜では見えるものが異なる」
 そう言う者がいる。事実昼の世界と夜の世界では支配する神が異なり棲む者達も異なる。濃紫の中に棲む者達は月の朧ろ気な光を愛する者達なのである。
 屋敷の中は燭台の火で照らされている。ぼうっとした弱い光が廊下の左右に連なっている。
 その中を中尉は一言も発さず足音すら立てず進んでいる。まるで猫の様にしなやかな動きである。
 息一つの音さえ漏らさない。気配も消している。
 燭台の火に左右から照らされた顔には表情が全く無かった。仮面の如き白くそして血の気が無い。
 カレーの執務室の前に来た。何やら怪しげな気を察した。
「・・・この部屋の中か?」
 心の中で喋った。すすす、と音も無く扉の前へ進む。
 ズボンのポケットから針金を出した。その針金をドアの鍵口に入れる。
 程なくして扉は開いた。音は立てないようにした。
 僅かに扉を開け部屋の中へ入る。入りつつ左胸の懐へ手を入れ拳銃を取り出した。
 
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