京に舞う鬼
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第二十五章
第二十五章
『ええ』
『この黒は。闇の黒だ』
『闇の』
『そうだ。全てを包み込み、覆い隠す闇の札だ。これが生み出す闇で槍を吸い込む』
『ブラックホールってわけですか』
『簡単に言うとな。これだけ言えばどれだけ危険なものかわかると思うが』
『確かに』
本郷は心の中で呟いた。
『一歩間違えると槍だけではない』
役は心の中で本郷に説明する。
『私も君も。闇の中に飲み込まれてしまう。全てな』
『で、その闇から出られますか?』
『いや』
役の返事は残念なことに予想通りであった。
『生きて出られた者は聞いたことがない』
『やっぱりそうですか』
予想していたとはいえ聞きたくはない言葉であった。本郷は心の中で苦笑いを浮かべるしかなかった。
『じゃあコントロールお願いしますよ』
『やってみる』
落ち着いた自信家の役が何時になく謙虚な返事であった。こうした己の術のことならば常に絶対の自信を持っているというのにだ。これがこの札の扱いの難しさを何よりも雄弁に物語っていた。
『だが。もしもの時は』
『せめて鬼も一緒にお願いしますよ』
『本来なら鬼も引き擦り込みたいが』
『無理ですか』
『そこまでコントロール出来ない。少しでも間違えれば終わりだからな』
『わかりました。じゃあ毒の槍で我慢しますよ』
『済まないな』
心の中での話を終えると二人は動きを止めた。鬼はその二人に向けて槍を放つ。
「観念したようじゃな」
二人を見て口を耳まで裂けさせて哂う。槍は手では投げず、妖術で投げてきた。まるでミサイルの様に唸り声をあげて二人に襲い掛かる。
「これで終まいじゃ」
槍を放ち終えてこう言う。鬼はこの時自分の勝利を確信していた。
「来たな」
役は札を自分の顔の前で構えた。そして持っている右腕を小さくスイングさせて投げた。忽ち札が黒い空間になった。
「ヌッ!?」
「本郷君、その間に」
「了解」
本郷はさっと左に動いた。闇はその間に大きくなっていく。そして毒の槍の前に巨大な闇の壁を作り出していた。
「その闇は」
「すぐにわかる」
答える役の顔に笑みはなかった。その闇を操るのに必死であった。
「すぐにな」
「何をするつもりなのじゃ」
「貴様を倒す」
役はそれに答えた。
「その為にも」
槍が闇の中に入った。そしてそのまま入っていく。
「この闇、操ってみせる」
「頼みますよ、役さん」
「ああ」
答えはするが決して油断はしていない。闇を操るのに全ての神経を集中させていた。そんな役の姿を見るのは本郷でも滅多にないことであった。
槍が全て入った。役はそれを見て呟いた。
「よし」
そして全ての神経を闇に集中させる。そのまま闇を封じ込めた。
闇が消えた時槍もその中に消えていた。これで鬼の攻撃は消し去ってしまったのであった。
「何と、その為の闇じゃったか」
「そういうことだ」
役は闇を封じ終えて安堵した顔になっていた。
「この闇を操るのはかなり厄介でな」
鬼に対して語る。
「一歩間違えれば私達も飲み込んでしまうものなのだ」
「それを。わらわの槍を消す為に使ったというのか」
「そうだ」
役は言った。
「これでもう槍は使えないだろう」
「くっ」
「あれだけの槍を出して投げるにはかなりの妖力が必要だ」
彼はそれを見抜いていたのだ。
「そして貴様はそれまでにも多くの力を使ってきた。もう残された妖力は僅かだ。違うか」
「例え妖力がなくとも」
だが鬼はそれでも二人を殺すつもりだった。殺気は衰えてはいなかった。
「この刀で。首を刎ねてやろう」
「そうか。ならやってみな」
鬼はその手に持つ薙刀を構えた。そこに本郷が襲い掛かる。
「やれるもんならな」
「ほざけ、人間が」
『本郷さん』
貴子が言ってきた。
『来ます』
『今度は何を仕掛けて来るんだい?まあ薙刀だってのはわかるけれど』
『足です』
『足か』
『はい』
何故足を狙って来るのか。本郷にはわかった。薙刀では脛を狙う攻撃があるのだ。その為剣道のそれとは少し違い薙刀の防具は脛当てまである。薙刀があまりにも強いのはそのリーチや振り回す速さだけでなく足を狙うからでもある。その為かなりの剣の達人でも薙刀の相手をするのは困難なのだ。
『一気に薙ぎ払うつもりです』
『そりゃまた随分とオーソドックスですね』
『大丈夫ですか?』
『まあね』
貴子を安心させる為にも答えた。
『薙刀ともやり合ったことありますし』
『そうなんですか』
『ええ』
といっても真剣の相手とはこれがはじめてである。だがそれは黙っていた。
『とにかく足なんですね』
『そうです』
貴子はまた答えた。
『それから一気に止めをさすつもりです』
『わかりました。それじゃあ』
「覚悟しやれや」
鬼は本郷に紅く、憎悪に燃える目を向けていた。
「これで終いにしてやるからな」
薙刀を振ってきた。貴子の言葉通りであった。今目の前でもう一人の貴子がそれで本郷の足を断ち切らんとしていた。
本郷は跳んだ。駆けながら跳んだ。それで鬼の薙刀を間一髪かわした。
「ナヌッ!?」
「薙刀ってのはな、確かにとんでもなく強いよ」
役は跳びながら鬼に対して言った。
「しかしな、一振りの動きが大きいんだよ。それで弱点もかなりのものなんだよ」
その手に持っている刀が鋭い光を放っていた。部屋の周りを燃え盛る炎の光を受けて紅く輝いていた。その紅は鬼の目に映る紅とは違っていた。純粋な、悪を絶つ紅であった。
「それを衝けば。刀だって相手が出来るんだよ」
刀を突き出した。それで鬼を貫く。刀が鬼の胸を貫いていった。
「ガハァッ」
鬼はそれを受けて大きく血を吐き出した。着物だけでなくその下の畳までも紅に染まる。
「役さん」
「うむっ」
本郷の言葉を受けて役も頷いた。素早く拳銃を放つ。
銀の銃弾もまた鬼を貫いた。その身体が弾ける。それを見るだけで致命傷なのは明らかであった。
本郷は着地した。鬼の身体から刀を抜き後ろに跳ぶ。鬼はその前でゆっくりと身体を床に倒していった。
「やった、か」
「おそらくね」
本郷は役の横に来ていた。そして彼の言葉に応える。
「もう。立ってもいられないみたいですし」
「この事件も終わりか」
「お、おのれ」
だが鬼は立てなくともまだ声は出せた。呪詛に満ちた声を吐き出していた。
「まさか。人間なぞにわらわがやられるとは」
「何言ってやがる」
本郷は燃え盛り続ける部屋の中で鬼に言った。
「ずっと言ってるだろ、鬼ってのは人間に退治される運命なんだよ」
「くっ」
「これでわかっただろ。さっさと観念しやがれってんだ」
「ま、まだじゃ」
だが鬼はそれでも諦めようとはしない。立とうとする。恐るべき執念であった。
「わ、わらわはまだ美を極めてはおらん」
畳の上に腕をつきながら言う。その整った口元からは紅い血が一条滴り落ちている。
「娘達を堪能し、その身体と花で創り上げる至高の美を。まだ極めてはおらぬ。極めるまでは」
「そっから先は地獄で追い求めな」
本郷は一言で言い捨てた。
「他人を犠牲にする芸術なんてな、芸術でも美でもねえんだよ」
「う、うぬれ」
鬼はそれに言い返そうとする。だがそれは適わなかった。
「ガハッ」
大きく血を吐いた。それで終わりであった。
「もう何か言うことも無理みてえだな。折角だから今際の際の言葉も聞きたかったがな」
「だがこれで全ては終わった」
最後に役が言った。
「帰るか」
「火はどうしますか?」
「心配することはない」
「何か術でもあるんですか?」
「術と言えるものではないが」
手の平に氷を作り出してきた。
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