~烈戦記~
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第十三話 ~大将着陣~
『...はぁ』
隣で豪統様が何度目かになる溜息をつかれた。
『豪帯様も何れわかるようになりますよ』
『...気苦労をかけてすまぬな』
そして何度目かになるやり取りを済ませた。
少し前にこの陵陽関は先の事件により戦争に向けて会都から正式な軍の派遣を通達された。
そして今ここ陵陽関北門では軍の迎え入れに向けての通達より前に、正式には事件後直ぐに豪統様と私は交通整備に手をつけていた。
今回は前回の御子息殿のように緊急では無く、有る程度余裕を持って(それでも急ではあるが)交通整備に取り掛かれた事と、商人達の友好的な理解の元なんとか迎え入れ前に整備を終わらせる事ができていた。
そして我々は今派兵の通達日と会都からの距離で予測を立てた上で今日その派兵を迎え入れる為に朝から北門で待機している最中だ。
憂いは無い。
それは相手があの御子息殿の父上殿であっても今の所隙は無いはずた。
それなのに何故こうまでも隣の豪統様は溜息をつかれておられるのか。
それは今より少し前の昨日の事になる。
『嫌だ!』
『帯よ...わかってくれ。私はお前の事を思って...』
『絶対に嫌だ!』
予想通りといえば予想どおりだ。
今私と豪統様は豪帯様が目を覚まされたという事で豪帯様の寝室に来ているのだが...。
『僕だって父さんの役に立ちたいんだ!』
『何度も言うがお前を今回の戦争に関わらせるつもりは無い!戦争は政の手伝いとは訳が違うんだ。...お前の気持ちはわかるが...』
『それでも僕はここに残る!』
『帯!』
『嫌だ!』
と、このように今後の豪帯様の件について豪統様と豪帯様が珍しく意見をぶつからせている。
豪統様の意見は、まだ未熟で初陣どころか軍への従軍すらまだまともに行った事の無い豪帯様を戦争に出すわけにはいかないと再び元いた村へ避難させるというものだ。
対して豪帯様の意見は...とにかく何でもいいから父の手助けがしたい、といったところだ。
『凱雲!凱雲からも何とか言ってよ!』
『えっ?』
不意に名を呼ばれて腑抜けた返事をしてしまった。
どうやら豪帯様が私に助けを求めてきているようだ。
だが、残念ながらはたから聞いていた私からは豪統様の意見はもっともなものだった。
仮に豪帯様がこの関に残られたところで戦争になればできる事は無い。
そればかりか、この関にはあの洋班だけにとどまらずそれの父が来るのだ。
私は洋循という男を知らない。
しかし子が子ならとはよく言うのだからいつまた豪帯様が危険な目に合わされるかわからない今警戒はしなければいけない。
そうなれば手間が増えるだけだ。
『...凱雲。わかってはいるとは思うが...』
しかし、かといって豪帯様の意見も無視するにはあまりに酷というものだ。
これは完全に情であるが、豪帯様は豪帯様で幼い頃から甘えるべき親から離れてずっと叔父の元に預けられて今までを過ごして来たのだ。
そう思うと積もる思いもあるだろうし、何よりその父を気遣って我儘を押し殺してきたのだから一言可哀想だというのがひっかかる。
『『凱雲!』』
『...』
二人の言葉が合わさる。
どうやら傍観者のつもりがいつの間にか両意見の決定打のような立ち位置になっていたようだ。
さて...どうしたものか。
義理と道理をとるか。
はたまた人情をとるか。
『私は...』
口を開く。
二人が更に私に集中する。
そしてその私の意見は...。
『私は豪統様の意見が正しいと思います』
『...ッ!』
『...』
豪統様を選んでいた。
当然といえば当然だ。
まず、主人である豪統様への義理を抜いたとしても道理を捻じ曲げる事はできない。
それに人情で言えばそれは豪統様にだって言える事だ。
子に子の悩みがあれば、その子の親にもまた親の悩みがあるものだ。
残念だが、今回は豪帯様本人の為にも諦めてもらおう。
『...』
『...』
『...』
無言な空気がこの部屋を支配している。
だが、その中でも豪帯様は俯きながら降ろしている両手に拳をつくりその小さな身体を震わせていた。
それはさながら噴火直前の火山のように。
『...帯』
『もういいっ!!』
『帯!』
案の定豪統様が豪帯様に声をかけるや否や声を張り上げて部屋を飛び出していった。
『...』
『...』
部屋には再び無言な空気が流れた。
...これは当分私も豪帯様に口を聞いていただけないだろう。
『...はぁ』
その重苦しい空気の中で豪統様は部屋にあった椅子に腰を下ろした。
しかし、木の椅子特有のギシッと軋む音は相当量な物体を受け入れた時の様に重たく、そして深く聞こえた。
『お疲れ様でございます』
『あぁ...』
豪統様に声をかける。
それに対して豪統様は天井を仰ぎながらいかにもといった感じで返事を返してきた。
『...はぁ』
そして今に至る。
豪統様は思いのほか豪帯様の言葉が響いているようだ。
そりゃ親としては子の想いはできるだけ反映させてやりたいというのが親心というものだ。
特に豪帯様のように普段我儘を言わない子の願いとしては尚更だ。
しかし時として親はその子を正しい道、または安全の為に厳しくならなければいけない時がある。
しかしそれを仕方ない事と綺麗に割り切るには豪統様は優し過ぎるようだ。
『...私だってできる事ならあいつと一緒にいてやりたい。しかし、...』
また豪統様の一人語りが始まる。
これで何度目になるのか。
豪統様は豪帯様が絡むとどうにもこう...女々しくなられる。
今に始まった事ではないが。
私は表情に出さないように聞き耳だけは立てたまま前方遥か彼方を見た。
『...ん?』
『しかし、私はこんな情けない姿を見せつづける訳にはいかない。そうなれば他ならぬ帯自身に...』
『豪統様』
『...思いをさせるばかりじゃなく再び同い年の洋班様にいびられて...』
『豪統様』
『...ん?どうした?』
『見えたようでございます』
『...来たか』
完全に自分の世界に入り込んでいた豪統様に呼びかける。
それは正面に広々と広がる土砂ばかりの荒野とその端に広がる青々とした木々の隙間から時折見せる険しい岩肌を見せる山々の景色の中に微かな砂埃を見せる一団の姿が見えたからだ。
『...』
僕は父さんと喧嘩別れした後、部屋の荷物を整えて北門へ向かっていた。
理由は自分が数日前までいた村へ戻る為だ。
しかし、旅支度と言うには余りにも寂しい様相だった。
腰に差した一振りの得物と数少ない荷物を背中にかけた、ただそれだけの準備。
それはこの関に来た時と同じ量の荷物。
本当ならもっと荷物が増えているはずだった。
この関に来る前は余分な物は全て置いてきた。
理由はただ物が無かった事もあるが、それよりもこの関での生活を一つの自分の中での分岐点にしたかったからだ。
自分に必要なもの、自分の思い出のものは全てここで手にいれるつもりだった。
しかし、それが叶う事は無かったようだ。
それを持って行く荷物を整えている時に気付いて思わず泣いてしまっていた。
我儘なのはわかってる。
でも、それでもこの感情は抑える事ができなかった。
自分では今まで気付かない振りをしていたみたいだが、どうやら僕はどうしようもないくらいに寂しがりやだったようだ。
今になってとてつもなく寂しいという感情が心の中に渦まきはじめる。
『...邪魔だよね』
そして何より一番辛かった事は、今までずっと父さん達の役に立ちたくてここでの生活を夢見てきて、それが叶ったと思った矢先のこの帰省である。
役に立たない。
そればかりか役に立ちたいと思いここにとどまる事すら今の父さんや凱雲を困らせる事になる。
それだけはいけない。
それではここへ来た意味がない。
僕は自分に言い聞かせた。
『...ん?』
そうこうしているうちに北門付近に着く。
しかし、そこである異変に気が付く。
『...なんで?』
さっきまで北門へ続く大通りではなく、北側の城壁沿いの道を歩いていたせいで気がつかなかったが、北門付近につくと普段の喧騒は無く、人通りすら綺麗に無くなっていた。
しかし、理由を考えれば何という事は無かった。
先日の事件の事や、その後どんな状況になっているのかは目を覚まして父さんと喧嘩する前に少し聞いていた。
きっとその事で交通整理が行われたのだろう。
そしてその場に僕は呼ばれなかった。
だから知らなかった、ただそれだけの話だ。
『...グズッ』
不意に目頭が熱くなり、目の前が霞む。
さっきまで部屋で泣いていたばかりなのにまだ涙が湧いてでてくる。
僕はその涙を服の袖で荒々しく瓊ぐった。
『遠征ご苦労様でございます』
『...ッ』
不意に北門の外側から父さんの声が聞こえた。
それが丁度僕が北門から外へ顔を出そうとした直前だったせいで思わず城壁に隠れてしまった。
何故か心臓が激しく波打つ。
『うむ、苦しゅうない。頭を上げてくだされ』
しかし、父さんの声の後に続く見知らぬ声にふっと冷静さを取り戻す。
...誰?
僕はほんの少しだけ門から顔を出す形で外側を覗いてみる。
これが普段の人通りの中であれば不審者と間違われて衛兵に捕まってしまうだろう。
いや、寧ろ人通りが無いこんな状況の中でこんな事をしている方が怪しく、そして目立ってしまっているのだろう。
まぁ、そんな心配が必要無い程にこの関の兵士と街人達には顔を知られているのだが。
『それにしても大変な事になりましたな、豪統殿。はっはっは』
『いやはや面目ない』
北門の外には父さんと凱雲、そしてその先には...すごい人数の兵士達が待機していた。
そしてその兵士の一団の先頭でいかにも位の高そうな衣服を纏いながら父さんと談笑する男。
体格は戦闘はおろか、自ら剣を振るう姿を想像できない程に...その...胴回りがしっかりしている人だった。
『本来ならこんな辺境にまで州牧様にお越し頂くのは気が引けるところではありますが...何分、我々では手に負えない事態になってしまっていて...』
...州牧。
それは洋班が度々自分の父がそれだと口に出していた言葉だ。
となるとあの肉男こそがあの洋班の父なのか?
急に心の中で黒い感情が湧き上がってくる。
『いやいや、とんでもないっ。私はあくまで自分の息子から呼ばれたから来ただけであって豪統殿が気にぬさる事ではござらんよ。はっはっは』
ん?
『それに、今回の事件は紛れも無く私の息子が引き起こしたそうではありませんか。でしたら親である私が尻拭いをするのは当たり前でございますよ。はっはっは』
『はははっ...恐れいります』
あ、あれ?
この人洋班と違っていい人?
さっきまで渦まいていた黒い感情が栓を抜かれたように一気に消えていく。
『...しかしですな』
...ん?
『いくら私の息子`であっても`流石に戦経験も無しに蛮族相手に一人で
`向かわせる`のは、ちと酷ではござらぬか?』
え?
『それに息子が率いていた兵は皆徐城より出した`新兵`であり2000はあれど、流石にこれではかの英傑豪傑が率いていた`としても`難しいと私は思うのだが...』
洋班の父であろう人が、さも大物の様な困り笑顔でそう締めくくる。
...なんだこの人。
この言い方だと全部父さんが悪いみたいじゃんか。
『...それは些か語弊がございます』
『む?語弊とな?』
父さんが口を開く。
『その...洋班様からどのように聞いておられるかは存じあげませんが、あくまで我々の見解では大切な州牧様のご子息を一人で危険な蕃族の地に向かわせる事は決して...』
『では何か?』
急に先程までの人が良さそうな声色とはうって変わってドスの効いた声に変わった。
『豪統殿は私の息子が`嘘を`私に話したとでも?』
『い、いえ!そんな事は決して...』
『それに』
父さんに洋循が畳み掛ける。
『`仮に`息子が勝手に事を起こしたっして、それを止めるのも貴方の仕事ではござらんか?私は現地に`貴方程の`人間が居ると知っていたからこそ大事な息子を任せたというのに...。しかも、よりによって貴方は息子が蛮族退治に向かおうとして、それを引き留めたそうじゃありませんか?』
『そ、それは相手が蕃族であって、その蕃族の有用性と無害さを前々から...』
『私は蛮族の討伐を命じたのだ!』
『...ッ!』
『この地の責任者である私が蛮族を退治しろと言ったのだ!これはお願いでも提案でもない!命令だ!まったく...これでは蛮族退治も失敗して当然だったという事ですな。息子の初陣に泥を塗りおって...』
『...』
なんなんだあいつ!
なんなんだあいつ!
なんなんだあいつ!!
さも呆れたような顔で、しかも周りにいる人間全員にわざと聞こえるような大きな声で父さんに怒鳴りつけるこの男。
洋班の、いや、洋班以上に汚い。
僕の中で再び黒い感情が芽生える。
『...む?』
ふとした瞬間に洋循と目が合う。
『誰だ!そこにおる者は!』
『...ッ』
飛び出るかと思うくらいに心臓跳ねた。
洋循の声に周りもこちらに振り返る。
『た、帯!?』
『...ッ』
父さんの何故という表情の横で凱雲は、いかにめ苦虫を噛むような表情をしていた。
僕は逃げた。
何故かわからぬままとにかく逃げた。
『あの者を捕らえよ!』
洋循の口元が嫌らしく歪んでいるのも見ぬままに。
『洋循様!捕まえました!』
『離せ!離せよ!』
目の前では自分の息子が兵士に羽交い締めにされながらもがき叫んでいた。
それはさながら駄々をこねる童子を大人が力強くで引っ張り出してきたようだった。
『...帯』
私はそれを見て項垂れていた。
『洋循様!この者をどうしますか?』
『うむ、離してやれ』
『え、よいのですか?』
『よい。その童子は豪統殿の息子殿であるようだからな』
『は、はぁ...』
そう洋循が言うと兵士は渋々といった感じで帯を降ろす。
『...童子じゃないし』
その途中でボソッと帯が呟くのが聞こえた。
『で、その息子殿はあんなこそこそと何をしていらしたのかな?豪統殿』
洋循様がこちらに目を向けてくる。
しかしその目は愉悦に浸るようなねっとりとした笑みを零していた。
再び私の背中に緊張がはしる。
『いえ、私には思い当たる節はございますが決して疚しい事では...』
『私と豪統殿との会話の中で自分の息子に何か盗み聞きをさせる程の事でもありましたかな?はっはっは』
『い、いぇ!盗み聞きなんてそんな...』
『どうだか...』
再び口調があの蔑みに満ちた口調に変わる。
『さしずめ`自分の罪`を逃れる為の言質を私から引き出しといて、それを後後そこの息子を証人に見立てて街にでも流すつもりだったのだろう?』
『ち、違います!そのような事決して!』
『まったく。卑しい人間の考える事程醜いものはございませんな。』
『違う!!』
違う。
その渾身の込められた言葉はより一層辺りに響き渡り、そして場を一瞬にして静かにさせた。
しかし、それを叫んだのは私ではなかった。
『父さんは...父さんはそんな卑怯な真似はしない!』
そう。
その言葉は私ではなく、帯によって叫ばれていた。
『僕は...僕はただ村に帰る為にここを通っただけで父さんは関係ない...』
今度はさっきとは打って変わって急に萎らしく言葉を紡ぎ出していく。
『村とな?』
『はい。村でございます』
そしてそんな帯に変わり凱雲が前に出た。
『豪帯様は見ての通りまだ`成人`すら達していない身でございます。ですからこれからの戦には参加できぬ故、内地の村へ避難していただく事になっておりました。多分この場に居合わせたのも偶然でございましょう。誤解を招いてしまった事、誠に申し訳ございません』
そう一息に言うと凱雲は深々と頭を下げた。
帯の歳については嘘が混じるものの、見事に現在の状況の説明とそれに伴う洋循様への配慮をさり気なく済ませた凱雲の完璧な対応に呆気にとられながらもそれに合わせて頭を下げる。
本来なら凱雲の言葉を私が言うべきなのだろうが...。
『ふむ...』
流石の洋循様も納得せざるを得ないのかさっきまでの愉悦の表情がすっかり不満気な表情へ変わっていた。
『では、私は豪帯様の護衛の任がありますのでこれで。豪帯様、行きましょうか』
『え?あ、う、うん...』
そう言うと凱雲は帯の手を引いてそそくさと洋循様の隣を擦り抜けようとする。
...何とか帯を巻きこまずに済んだ。
そう安堵した。
『...待たれよ』
『...』
だが、洋循様はそれを許してはくれなかった。
帯の手を引いていた凱雲は洋循様の若干後ろで背中合わせのような状況で静止した。
距離はそんなに離れていない。
『...何でございましょうか』
凱雲が若干警戒混じりに反応する。
『いやなに、子供の育て方にも色々あるなと思いましてな』
『...?』
子供の...育て方?
『私は自分の息子には早い段階から色々な経験をさせてやりたくて、たとえそれが少々危険であってもやらせる、獅子の子落としを参考にした様な教育方針でしてな』
なんだ?
何が言いたい?
私はおろか、凱雲もその洋循様の言葉の意図が読めずに困惑していた。
『それに比べて豪統殿は随分と子を大切に育てる方針のようで』
『は、はぁ...』
『いや、別にそれが悪いと言う意味で申しているわけではないぞ?ただ...』
そこで何故か視線を後方の...帯の方へ落とした。
嫌な予感が過る。
『それがこの先の経験の差になるのだなと』
そう、わざとらしく吐き捨てた。
しかし、ただそれだけだった。
そうだとも。
本来ならただそれだけだったはずだった。
『...僕だって一緒に戦いたいよ』
帯がたった一言ぽつりと呟いた。
そしてその一言に洋循様は口元をいやらしく歪ませた。
『ッ!?』
そこでやっと私と凱雲は気付いた。
このやり取りがただの嫌味では無い事に。
『豪帯様、行きましょう...』
『え、う、うん...』
凱雲が半ば無理矢理に帯の手を引こうとする。
それにつられて空気を察した帯がその場を離れようとする。
『まぁ待て待て...ッ!』
『ッ!?』
しかし帯の空いた腕を洋循様が馬に乗ったまま器用に捕まえる。
それにより二人はその場から動けなくなる。
『お主、確か豪帯と言ったな?』
洋循様が帯に声をかける。
それはもう目をギラギラと光らせながら。
『洋循様、我々は急ぎますゆえにこれにて...』
『洋循様!私からも今後の事について急ぎ確認したい事がございますのでこちらへ!』
それでも尚無理矢理に帯を洋循様から離そうと凱雲と私で試みる。
『貴様ら!!』
がしかし、洋循様の一喝が辺りに響く。
『たかが一武官の分際で出過ぎた真似をするな!私は今貴様らではなくこやつに話しておるのだ!』
『...ッ!』
私達の試みは失敗に終わった。
『...凱雲よ』
『...』
『その手を離せ』
『...』
凱雲が黙り込む。
帯の腕は今だに握られたままだ。
『...貴様、私に逆らうのか?』
『...』
一触即発の空気。
どちらも退かぬという意思がこちらまで伝わってくるようなピリピリとした空気。
『...凱雲』
そんな空気を終わらせたのは。
『帯の腕を離せ...』
私だった。
...してやられた。
まさかさっきの流れからこんな事になろうとは。
私は豪統様の命を苦渋な思いで遂行した。
『...え、え?』
突然頼りの綱を無くした豪帯様はその不安を押し殺す事ができずに視線を泳がせる。
...申し訳ございません。
今の私ではどうすることもできません。
私はすがるような眼差しを向けてくる豪帯様から目をそらした。
『して豪帯よ』
『...ッ!?』
洋循様に声をかけられた豪帯様がその小さな身体をビクリと震わせた。
それを目の当たりにして胸が張り裂けそうになる。
『お主、戦に出たいのか?』
『...』
『正直に申せ』
この狡猾な男の狙いは最初からこれだったのだ。
ここに来てから終始豪統様を周りに聞こえるように貶めていたのは紛れもなく洋班の失態を有耶無耶にする為だ。
そしてここまで形振り構わずに対面を気にする男なのだ。
きっと名声や名誉、評判というのがこの男にとっては何よりも大切なのだろう。
そして今目の前にいるのは自分の息子と歳の近い人間。
もし同じ戦場でその同期の人間よりも自分の息子が手柄を立てれれば周りへの掴みにもなる。
しかも、皮肉な事にその相手は他ならぬ豪統様の子だ。
豪統様自身が戦乱の中で挙げた手柄の数が少なくない分、尚更洋循様にとってみれば美味い話しなのだろう。
豪帯様が口を開く。
『...僕は』
そこで一旦言葉を飲み込む。
そして伏せた顔を少し上げて豪統様に視線を向ける。
『...ッ』
当然、豪統様は必死な表情で訴える。
乗せられるなと。
『...』
がしかし、豪帯様はそれを見たうえで申し訳なさそうに再び俯かれる。
...ダメか。
『僕は...別に...』
しかし、豪帯様は踏み止まる。
豪統様と私の顔に少しばかりの安堵が戻る。
『洋班にやられっぱなしでいいのか?』
『ッ!!』
だが、洋循様はここに来て更に豪帯様を揺さぶりにくる。
『息子が手柄を立て続ければ、お主との差は広がる一方じゃぞ?そうなれば豪統殿もさぞ肩身狭い事じゃろうなー...』
『...ッ』
『よ、洋循様。そのあたりで...ッ!?』
豪統様が我慢できずに止めに入ろうとするが、洋循様に無言で鋭い眼光を突き付けられて再び沈黙する。
そして豪統様が沈黙したのを確認すると、洋循は最後の仕上げに入る。
俯く豪帯様の耳元に顔を近づけ、そして...。
『...』
『...ッ』
何かを呟かれた。
`...お主が出世せねば、豪統殿はずっと洋班にいびられ続けるぞ?`
それがあの男が僕に言った最後の言葉だった。
...ごめんなさい。
僕の戦への参加は決まった。
それが結果だった。
僕は返答を出してすぐにこの自室に逃げるように帰ってきていた。
返答を出した時の父さんと凱雲の顔は見ていない。
だが、きっと呆れと怒りと悲しみ、蔑みを合わせたような表情をしていたに違いない。
もう、当分二人の顔は怖くて見れない。
...ごめんなさい。
無いと思われた父さん達との初陣への期待や洋班と対等に戦える事への願望は確かにあった。
そしてその洋班に遅れを取らない自信もあった。
だが、それ以上に父さんがあいつらにいびられるのが我慢できなかった。
父さんがこれからずっとあいつらに、しかも自分の知らない所でいびられるその姿を想像するのが辛かった。
僕が守らなきゃ。
それが僕の答えだった。
コンコンッ
『...ッ!』
急に部屋の戸が叩かれる。
心臓が跳ね上がった。
咄嗟に布団の中に隠れる。
...父さんだ。
きっと父さんが何か言いに来たんだ。
...怒られる。
僕は布団の中で震えた。
ガチャ
『...入るぞ』
嫌な予感は当たってしまった。
その声は紛れもなく父さんの声だった。
頭の中が真っ白になる。
どうしよもなかったんだ。
こうするしかなかった。
怒られる。
でも僕がやらなきゃ。
そんな言葉が頭を駆け巡る。
『...』
『...ッ』
静かな部屋。
どちらとも言葉を発しないまま方や部屋の戸の入り口で、方や布団の中で震え、動かない。
二人が二人ともその距離感を図り兼ねている違和感のある空間がより一層体感時間を長く感じさせた。
ギシッ
『...ッ!』
だが、その静寂は僕のいる寝床の木が軋む音によって消え去った。
どうやら父さんが僕が布団にくるまって震えている横で空いている寝床の場所に腰をかけたようだ。
『...』
『...』
だが、その腰をかけた場所は僕からは一番遠い寝床の端の端だ。
それに気付いた時何故か震えは収まり、自然と冷静さを取り戻す。
何故か。
それはきっと父さんのその時の対応がどうにも弱々しく、決して憤怒を宿した者の行動ではなかったからだろうと覚めた頭で理解する。
そしてそうとわかると今度はまた別の感情が芽生えてきた。
『...帯』
父さんの声。
それはいかにも申し訳なさそうな。
...なんで。
なんで父さんはいつも...。
『...すまない』
身体の奥底から湧き上がってくる。
...やめてよ。
何で父さんが謝るんだよ。
『またお前に辛い思いをさせた...』
違う。
僕はそんな風に弱々しい姿の父さんが見たくなくて...。
それは鉛のように鈍く、そして不味く。
『ははっ、こんなんじゃ父親失格だな...』
やめて。
やめてよ...。
重苦しく。
『本当に...』
やめて...。
そして。
『すまない』
やめろッ!!
パリンッ!
目を覚ました時父さん達がわざわざ僕の為に持ってきてくれた水の入った陶器の器。
朝に喧嘩別れしてからずっとこの部屋の机に放置されたままだったもの。
それが...。
『...ッ』
陶器独特の破砕音を出して父さんの足元に散らばった。
『はぁ...はぁ...』
そしてそこには陶器に残っていたであろう水が木の床を黒々と湿らせていた。
『...た、帯?』
『うるさいッ!!』
『...ッ!?』
さっきまで胸の辺りで渦巻いていた重苦しいものが肉体の隔たりを破り、一気に溢れ出すような感覚。
『何で!!』
頭でわかっていても止める術が思い浮かばない。
『何で...ッ!!』
堰を切ったように。
『何でいつもそうなんだよ!!』
全てが溢れ出す。
『何でいつもすぐ謝るんだよ!!』
あいつらに父さんはいつだってそうだ。
『父さんは悪く無いじゃんか!!悪いのは全部あいつらじゃんか!!』
さも当たり前のように頭を下げる僕の大好きな父さん。
『それなのに毎回毎回すみませんすみませんって!!何で父さんが謝らなきゃいけないんだ!!』
それが見ていて辛かった。
『そんなんだから!!』
父さんがそんなんだからあいつらは図に乗って。
『そんなんだから...ッ!』
父さんがそんなんだから子供の僕は肩身狭くて。
『そんなんだから...ッ』
父さんがそんなんだから。
『...父さんが』
『父さんが...辛い思いしなきゃいけないんだ...ッ!!』
顔の下に隈を作って笑顔が消えた。
そんな父さんを見るのが何より辛かった。
『うぁぁぁぁッ!!』
言葉というには余りにも脈絡もなく、そして纏まりのない言葉の羅列を吐き終わると今度はただただ涙と言葉にしきれなかった分の感情がそのまま声になって溢れてきた。
『ッ!?』
そしてそのまま父さんの胸元に飛び込む。
何故か。
そんな理由は思い浮かばなかった。
『うぐぅぅッうあぁぁぁ』
ただ泣きたかったから泣いた。
『...』
父さんは何も言わない。
このまま何も言わずに父さんの温もりを受けながら眠りにつけたらどれだけ幸せなのだろうか。
そして今までの事が全部嘘で目を覚ませば青空の下で僕と父さんと凱雲の三人で街を回って...。
ぽんっ
だが、突然頭に大きな手が優しく、だが跳ねるように乗せられた事によってその先の思考、もとい幸せな妄想は終わった。
『ふぅ...』
そしてその手の主は気の抜けるような息を吐くと。
『いやな...』
一つ言葉を溜めて。
『すまんなぁ、帯よ』
また謝った。
だが、怒りは湧かない。
何故か。
それは多分この数日間で聞いてきたどの謝罪の言葉とも違う、優しさがあったからだ。
そして僕はそれに動揺していた。
僕は顔を上げてその手と声の主の顔を覗く。
そしてその顔は。
『...ぁ、また謝ってしまったな。はははっ』
目の下に隈を作りながらも眉毛を八の字にしながら困り笑顔を作っていた。
それに僕はさらに酷く混乱した。
何故父さんは自分の息子にあそこまで言われ、そして泣かれたのにここまで飄々としているのか。
僕の中での父さんでは理解できなかった。
『...私はな』
そして僕が今だに答えを出し切れていないのにも関わらず父さんが口を開く。
『昔から普通だったんだ』
どうやら父さんの昔話のようだ。
『何をするにも中途半端でな。若い時には武芸を学ぶにも軍学を学ぶにも、政学から思想学、歴史学に至るまでどうにも目が出なくてな。そしてそれは歳を重ねても変わらずに同期の人間が出世なり落ちぶれるなりしてる中でただただ流されながら生きて働いて、そしていつの間にやら官士になっていて...』
それを話す父さんは困ったような、だが深刻そうには決して見えないというような何とも微妙な表情だった。
『そして、そんな人生の中で凱雲に出会った』
だが、そこで表情が変わる。
『あいつは凄いんだぞ?何をやらせても上手くやるし、頭はいいし、おまけに武芸と腕力にかけては敵う奴なんて何処にもいやしない!まったく対した奴だよ昔から』
その目はキラキラとしていて、さながら子供が自分の友達に新しいおもちゃや自分の夢を語る時のような目だった。
『...本当に...対した奴だよ。あいつは』
だが、一通り喋ると今度はさっきとは打って変わって表情が曇る。
その様子から父さんのその言葉の次があるとするならそれはきっと`私とは比べものにならないくらいに`とか言いそうな、そんな表情だ。
『あいつと出会ってからは全てが変わった。本当なら一地方官士の下役人で終わるはずだった私は偶然部下になった凱雲の働きでみるみる出世していって、いつしか片田舎ではあるが県令にまでなっていて。そして転機となったあの日、私と凱雲は鮮武様に拾われて...』
あの日...。
夕焼けの下、白馬に跨って僕らを助けてくださった鮮武様。
その光景が脳裏を過る。
『そして私達二人は鮮武様の軍で数々の戦を周り、そして...名を上げていった』
今では戦国時代と呼ばれる時代。
平和になった今だからこそそう呼ばれるようになった時代だが、それもまだつい五年前の話しだ。
そしてその戦国時代が終わるそれまでの十三年間、僕はあの村で過ごしてきた。
だから父さんと凱雲がどんな事をして、どんな事をしてきたのかを僕は知らない。
『だが、どこまで名を上げても、どれだけ出世しても私は私のままだった』
そして再び父さんの声色は暗くなった。
『いつまでたっても私は凱雲の腰巾着だった。名目上では上司という立場だったが、そうでないのは周知の事実だった。凱雲は正に私には過ぎたる者だった。これではいけないと更なる武芸や軍学を学んだ事もあった。...だが、結局は気休め程度にしか身につかなかった』
父さんはどこか遠い目をしてそう言った。
『...そんな私が』
そう言うと父さんは再び大きな手を僕の頭に乗せてきた。
『この世界で何か大切なものを守ろうとするには`これくらい`しかなかったんだよ』
そう言って頭を撫でてくる。
『...わかんないよ』
だが、その微かな優しさを感じるも結局父さんがあいつらに頭を下げる事には変わらない。
理由に至っては何一つ理解できていない。
『...わかんないよッ』
顔を埋める。
意味がわからない。
悪いものは悪い。
良いものは良い。
間違いは間違いで正しい事は正しいに決まってる。
父さんはいつだって優しくて人の事を考えて動いてみんなから慕われて。
だからこそ尚更あいつらに頭を下げていい理由が理解できなかった。
『あぁ...わからないだろうな』
だが、それでも父さんは優しく撫でてくる。
『お前は知らなくていい』
とても優しく、そして暖かく。
『どうか、お前はお前のままでいてくれ』
僕は再び泣いた。
何も考えずにただ泣いた。
もうなんでもよかった。
何が正しいとか理由とかそんな事はどうでもよかった。
ただ、今だけは父さんがくれる無償の優しさが、安心できる父さんの胸の中が心地良くて何も考えたくなかった。
だから泣いた。
ただただ泣いた。
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