ソードアートオンライン 無邪気な暗殺者──Innocent Assassin──
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ALO
~妖精郷と魔法の歌劇~
長き夜
チチッ、という軽い電子音とともにナーヴギアの電源が落ち、レンは、小日向蓮として意識を覚醒した。
そう、覚醒する、という言葉から分かる通り、小日向蓮の視界は真っ黒に塗り潰されている。いや、黒ではなく、白き闇といったほうが正しいか。
とにかく、周囲の風景が全て、一切合切のものがぼやけて見えるのだ。
さらに、季節は冬。病院の中とは言っても、身を凍えさせるような寒さが這いずり回っているはずだ。
だけど、それなのに────
それすらも感じない。
「……………………」
小日向蓮は、吐息を吐き出す。
もっとも、それは呼吸と呼んでいいのか正直迷うような、途切れる一歩手前のようなものだったけれど。
ほとんど失われている聴覚がかろうじて、己の腕から伸びる結構太いチューブに繋がっているコックの中で規則正しく刻まれている、栄養注入のための点滴のリズムを捉えた。
それ以外は、何も聞こえない。
何も見えないし、何も感じない。
それが、今の小日向蓮の現状。今現在の、真の姿。
こんな、ただ息をしているだけの人形のような姿が。
ちょうど一週間前までは、首だけは動かせた。
しかし、百六十八時間経過した今では、動かすどころか視線すらも動かせない。事態は、テオドラが言ったように本当に悪化の一途を辿っているようだった。
諦めて蓮は、霞む視線を仕方なく天井と思われる方向に固定する。
しかし、目を開く力すらも残っていないので、すぐさま目蓋を閉じた。
衰弱して疲れきった心臓が、か弱い拍動を伝えてくる。
トクン、トクン。
それだけが、小日向蓮が生きていることの証。
草木が眠る丑三つ時をも少し過ぎた、午前四時。
例え蓮の耳が何も捉えなくても、真っ白なオフホワイトで統一された病院内には物音一つ、足音すらなかった。
なのに、それなのに。
小日向蓮のいる病室のドアが、唐突に音高くノックされた。
コンコン、という軽やかな音が心地よい静寂の時を引き裂く。
からり、とドアが開き、誰かが入ってきたのを蓮は感じた。
目が見えなくても、視力がゼロにも等しくても、気配だけははっきりと分かる。
室内に入ってきたのは一人。
誰のものかなんて確かめるまでもないくらいに、よく知った気配。
「あ……、蓮。………起きてたんだ」
耳に、鼓膜に、耳朶に響く、子供の頃から馴染んだ声。
小日向蓮の従姉、紺野木綿季が病室に入る。その華奢な背中の後ろで、軽い音とともにドアがパタリと閉じた。
それに蓮は言葉ではなく、無言の頷きで返した。
木綿季は微笑み、傍らのサイドテーブルに歩み寄り、手に持っていた色とりどりの花束を花瓶に生けてあった古い花々と交換した。
古い、といっても、萎れかけの物ではない。つい昨日生けたのではないかと思えるほどの新鮮味だ。
いや、実際そうなのだろう。この少女は、文字通りほぼ毎日この病室にあしげもなく通っているのだ。
花を交換する音がしばしの間、室内に響く。
それを蓮は目を瞑って、音楽を聴くかのように聞いていた。
もうほとんど見えなくなっている視界の中で、花の交換を終えた人影がこちらに視線を向け、歩み寄ってきた。と思ったら、頬に暖かい感触を感じた。
温度なんか、触感なんか、もう感じられないはずなのに、なぜかそれだけは確かな感覚として蓮の脳の中枢を刺激し、魂を揺さぶった。
ああ、という呻きとも声ともつかぬ空気の震えが発せられる。
ヒトの温度だ。
体温だ。
心臓が紡ぎ出す確かで力強い拍動。それが血管を通る時に振動する音が、温度が、感触が、木綿季の手を通して全て伝わってくる。
生命力に溢れ、迸るほどのエネルギーが。
「…………アパートの皆は……、どうしてる?」
うん、と木綿季は言う。
「元気だよ。それに、寂しがってる。やっぱあそこは、人が一人でも欠けたらダメなのかな」
ジグソーパズルみたいにね、と木綿季は言う。
言いたいことは山ほどあるだろうに、それら全てをバレバレの笑顔で押し固める。今にも崩れ、壊れてしまいそうな笑顔で。
目が見えなくて良かった。そんな顔を見たら、こっちが負けてしまいそうになることだろう。いや、恐らく負けてしまうだろう。
自分自身に。
死期が迫るという、その現実に。
「るり子さんね。いっつも蓮のごはん作っちゃうんだって。作った後に、やっと余計だって気づくんだけど」
「はは、るり子さんらしいね」
「住職さんは……、毎日お経唱えてる。いつでも来いってさ」
「冗談に聞こえないよ」
「…………………………………」
「…………………………………」
そこで、会話が途切れて沈黙が室内を支配した。だが、頬に当たる暖かさは欠片も衰えていない。
触れられて、ふれられている。
人の温かさがここまで心地が良いものだと、蓮は忘れていたのかもしれない。たった二ヶ月、それだけの期間なのに人のぬくもりを忘れかけていた。
ぼす、と唐突に胸の上に衝撃を感じる。
頬に感じていたぬくもりが離れ、胸の上に新たに出現した。たぶん、胸に頭を乗っけられたのだと思う。
「……蓮」
くぐもった声が、その予想が当たったことを知らせてくれる。
「なに?」
「もう………ダメ?」
主語がないその意味を、蓮はすぐに気付く。
皮肉なくらい、すぐに。
「………そうだね。もう、無理みたい」
「本当に?」
「うん。命がね、段々と抜けていってるのを感じるんだ。それに、自分の身体のことだもん。僕が一番解かってる」
「そっ……か」
そう言って、木綿季は胸の上で小さく身じろぎする。
「大丈夫だよ、蓮。大丈夫。絶対に……絶対に、上手くいくから」
震えていないのが不思議なほど、中身のない言葉。
しかし、それをわざわざ口に出して言わねばならないほど、木綿季は追い詰められているのだ。
否、そこまで追い詰めたのは他でもない蓮自身なのだが。
「………うん」
えへへ、と木綿季は笑う。
屈託なく、本当に屈託なく笑う。
それでも、蓮は感じていた。皮膚の触感も、温度を感じることもできないほど衰弱しきった身体でも、感じていた。
ぽたり、ぽたり、と薄い入院着に染み込む温かい涙の温度を、ぬくもりを。
痛いほど、感じていた。
ゆえに、蓮は言う。
急激に湧き上がってきた眠気に、懸命に抗いながら。
「ありがとう、木綿季ねーちゃん」
白く染まる闇に飲まれる前に蓮が聞いたのは、少し苦笑気味な木綿季の声だった。
「どーいたしまして。────蓮」
目を閉じた小日向蓮の顔をきっちり見、紺野木綿季は彼の胸の上から顔を上げた。
その際、零れ落ちた涙の粒が、淡い青色という手術衣みたいな入院着の上にできた水溜りに音もなく落ちる。
それを無駄なことと知りつつゴシゴシし、それから今更のように自分のした行為に対しての羞恥心が表に出てきた。
かぁっ、と顔に血が上ってきて、目を擦っていた手で目を覆った。
気分的には、うわぁもうなんでこんなことしちゃったんだよボクぅぅー!!みたいな感じだ。
結論から言って、かなり混乱中である。
うわぁー、うわぁー、と蓮を起こさないように超小声で、しかも身悶えしつつ喚く木綿季。傍目から見たら、完全に変人である。
バタバタバタ、と高速で手でうちわを作って顔を少しでも冷やそうとする。が、顔に上った熱はこびり付いた泥のように中々取れない。
パタ、と扇ぐのを止めて少しだけ冷静に、木綿季は傍らを見る。
頬がごっそりとこけ、もはや残っているのは骨と皮だけだと確信できるまでに痩せ細った少年を姿を。
「…………………………」
それを見て、やっと木綿季の頭は静けさを取り戻した。
同時に、忘れていたかった事も、思い出してしまった。
「……もう無理、かぁ」
一番聞きたくなかった言葉。
絶対に、蓮だけはそんな弱音を吐かないと思っていた言葉。
天井を仰ぎ見る。
口許から一つ、ゆるゆると重いため息が吐き出された。
助けて、とは言えない。
誰にも、言えない。
これほどまでに頑張る人間を目の前にして、そんな事などできるはずもない。
二ヶ月前、紺野木綿季は他の約五千七百人の旧SAO帰還者と同様に、現実世界に無事に帰還した。
帰還した木綿季が一番にやった事は、駆けつけてきた《総務省SAO事件対策本部》の人間と名乗る男に、従弟である小日向蓮の現在入院している病院名を問い詰めることだった。
突き止めた彼の病院は、偶然にも同じ病院だった。
群がる看護婦の制止の声を無視し、点滴台を支柱にして辿り着いた蓮の部屋。
息も絶え絶えに入室した木綿季を待っていたのは、相も変わらずにナーヴギアを被って昏々と眠り続ける少年の姿。
そして、その姿をどこかもの悲しげに見る、蓮の住んでいるアパートの住人である深瀬だった。
眼を一杯に見開いて立ち尽くす木綿季をちらりと見、画家は言った。
行っちまったよ、と。
蓮とは、ALOで週一で行われる定期メンテナンスで、彼が現実世界に帰還しなければならない時にかなりの口論をした。
喧嘩もした。
絶交もした。
それでも、どうしても嫌いにはなれなかった。だって、子供の頃から家族のように、いや家族そのもののように過ごしてきたのだから。
両親を亡くした時、姉である紺野藍子を亡くした時。
いつも、この少年は自分の側に居てくれた。
励ましてくれた。
慰めてくれた。
自分はそれに甘えていただけ。
ただそれにすがりついていただけ。
木綿季は、ベッドに歩み寄る。右手を上げ、こけた頬に手のひらを当てる。
びっくりするくらい冷たく、硬直した皮膚。
そう。まるで、死人のような。
それでも、木綿季は臆さずにその頬を何度も、何度も撫でる。
あどけないその寝顔を見ながら、木綿季はぼんやりとこの胸にわだかまる感情はいつからあるのだろう、と胸中で呟いた。
胸の奥深く、ずっとずっと深い所で疼いているこの不思議な感情。それが恋心と呼ばれる物だと気が付いたのは、初めて感じた時から随分な時が経った時だった。
知った時は、あぁやっぱりな、と思った。
漫画のヒロイン達が恋する理由としては、既にできすぎていたからだ。
しかしそれでも、蓮は今こうして、木綿季とは違う者のために命を懸けている。
別に、それに嫉妬しているとか、そんなことはない。まぁ、ないと言われれば嘘になるかもしれないが。
単純に、羨ましかった。
そのココロを一身に受ける、あの純白の髪を持つ少女のことが。
「……………………」
スッ、と木綿季は手を下ろす。
柔らかな笑みを浮かべ、一歩だけ下がった木綿季は胸中でちょっとだけ、ごめんね、と蓮に謝りながら、身を屈め────
そのこけた頬に自らの唇を触れさせた。
数秒間そのまま固まり、立ち上がった時、その瞳には確かな焔が宿っていた。
それは、運命を打ち破らんとする光。
「………蓮、ボクも………、少しだけ、わがままをしてもいいのかな……」
それだけを言い、少女は身を翻した。
後書き
なべさん「始まりました!そーどあーとがき☆おんらいん!!」
レン「ひっさしぶりの、ユウキねーちゃん登場回だったねぇ」
なべさん「おうよ!皆さん忘れていませんでしたか?大丈夫ですか?一応サブヒロインでゲスよ?この人」
レン「サブヒロインだったら、もう少し出せよ。空気じゃねぇか」
なべさん「出せる場面がなかったんだよね~。でもその代わり、今回はギャグなしの真面目しっとり回にいたしましたが、いかがだったでございましょうか」
レン「お前が真面目を語るな、気色悪い」
なべさん「ぐはっ!」←グサッ
レン「はい、自作キャラ、感想を送ってきてください!」
──To be continued──
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