銀河英雄伝説~生まれ変わりのアレス~
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閑話 アレスとの出会い1
自分で言うのも、嫌なものだけれど、僕は賢かったと思う。
中等科ではトップクラスの成績であったし、難関とされていた士官学校に合格した。
近所では神童と言われていたし、そんな環境であったから子供ながらに自分は優秀だと思って天狗になっていた。
正直に言って、嫌な子供だった。
もっとも、その天狗の鼻はわずか一カ月でへし折られることになったけど。
聞けば当たり前の話だったが、士官学校には全国から優秀な人材が集まってくる。
少しくらい頭が良いからといって、それが通じるほどに甘い世界なわけではない。
そのことに入ってからようやく気づけたのは、つまるところ僕が馬鹿だったのだろう。
自分よりも遥かに優秀な人間がいるという現実に、夢破れた多くの人が一カ月で学校を去った。
全ての成績で優秀なアンドリュー・フォーク。
実技においては教官ですら右に出るものがいないキース・フェーガン。
そして、アレス・マクワイルド。
入校式当日に隣にいた目つきの悪いこの少年は、異常とも言える士官学校の中でも一番おかしな奴だった。
何と表現すればいいのだろうかと、スーンは迷う。
ただ賢いだけではない。
そう。一言にいって、子供らしくない。
子供がそう考えることではないのかもしれないが、まさに適した表現だろうと思う。
そのことが良くわかったのは寮に入って二カ月ほどが経過した頃だった。
そのころになれば、自分の様な似非の天才達は自分の実力に気づかされて、三つの選択を取ることになる。
一つは最初に言ったように、自分の限界を気づかされて辞めていくもの。
もっとも、それは最初の一カ月であり、残ったのは残る選択をした者たちだ。
つまり本当に優秀な者に従うものか、ただ何とはなしに一日を終えるもの。
スーンは後者で、多くのものが前者を選んだ。
なぜ彼が前者を選ばなかったのかといえば、おそらくは未練だろう。
まだ自分でも英雄になれるのではないかという、本当に馬鹿な未練だ。
その日も、厳しい訓練が終わり皆が一時の休息を取っていた。
消灯時間があるほんの三十分ほどだけれど、与えられたよりも少し広い休息室に集まって、多くの人間が談笑している。
その中心になっているのが、学年主席候補であるアンドリュー・フォークだ。
話題は銀河帝国の帝政がいかに悪いか。共和制がどれほどに優れているかだった。
まだ十五の子供の話題ではなかったかもしれないが、そこは士官学校。
議論は白熱し、僕を含めて周囲で休んでいた者たちの耳にまで言葉は入ってきていた。
「いずれ帝国主義は潰れる。民衆を人とも思わない政治があってたまるか」
「民衆もきっとそれに気づくさ!」
「そのとおり。そして、それを実現するのは我々だ!」
フォークが一際大きく声をあげれば、それに従う男達が拍手をした。
おそらくは興奮してきたのだろう。
同意を求めるように、関わりのもたない周囲にも声をかけている。
そして、それは――アレスの背にもかかった。
彼もまた優秀と言って良い成績を取っている。しかし、彼の場合は取り巻きを従えることはなく、一人でいる事が多かった。
僕も入校式で席が隣だったとはいえ、知っていたのはその程度だ。
黙って過去の戦術シミュレータの試合を見ていたアレスは、振り返り、怪訝な顔をした。
きっと聞こえていなかったのだろう。
「なんだ?」
「何だじゃない。マクワイルドもそう思うだろう?」
「いや。聞いていなかったわけだが、何がそう思うんだ?」
「だから」
馬鹿だなとばかりに、フォークの隣に座っていた男がため息を吐いた。
その大げさな様子に周囲から笑いが漏れる。
ますます怪訝さを深めるアレスに、助け船を出すように近くにいた別の男が当然とばかりに手を広げた。
「帝国主義はいずれ共和制の前に膝をつくってことさ」
同意を求めるような視線に、アレスは一瞬眉をひそめる。
そして、情け容赦なく一言。
「君らの頭にはお花畑が咲いているのか?」
+ + +
気色ばむ者たちに、アレスは眉をひそめていた。
本当にわかっていない様子だった。
今にも殴りかからんばかりの様子に、帰ろうかなとスーンは思った。
もしここで暴力沙汰になったのならば、きっとスーンも同罪となるだろう。
それでも、男達を止めたのはフォークだった。
その時は感謝したものだったが、後になって思えば、この時のフォークはアレスを論破してみせようとしたのだろう。同じクラスで――さらに成績でもトップレベルを争う二人であったから、早いうちに芽を摘もうとしたのだ。
だが、さらに今になって思う。
それはかの有名なローゼンリッターに対して、丸腰で挑むようなものだと。
即ち、無謀。
「お花畑とは酷い言い方じゃないか、マクワイルド候補生」
「いや。そうとしか思えないが。なぜ、帝国が何もしないのに負けてくれる」
「それは帝国主義では、優秀な人材が育たないからさ」
いいかとフォークが指を立てて語ったのは、帝国主義の欠点だ。
皇帝の意見が絶対である帝国主義では、例え優秀であっても庶民が貴族よりも上に行くことがない。
その貴族によって抑圧された民衆は、いくら頑張っても貴族に税として取られてしまうため、生産性が乏しくなる。
さらに言えば、そんな民衆は共和制を歓迎し、ひとたび攻勢に出れば、我々を歓迎してくれるだろうと。
要点だけを言えば、そんなところだろうか。
確かに自分で論戦を挑むだけあって、その口調はもっともらしく聞こえた。
実際に最初は周囲で黙っていた無関係な人間達も、フォークの言葉に引き込まれている。
いや、他人事ではなくスーン自身も――その時はさすがだと関心をしたものだ。
視線がアレスに集まり、彼はただ面倒くさそうに眉をひそめた。
「皇帝の意見が絶対だというのならば、優秀な皇帝に率いられた軍は誰よりも強くなるだろう。実際に共和制が帝国主義に敗れた歴史など幾らでもある」
「そんな太古の話をして何になるマクワイルド候補生」
「共和制を壊した銀河帝国が出来て、ほんの数百年しか経っていないがね。ま、それはともかく、生産性か――確かに現状では一人当たりの生産性ではこちらが有利だろう。だが、人口比では圧倒的に帝国が上だ。例え、優秀でなくとも消耗戦を強いられれば、インフラが崩壊して敗北するのは先に同盟の方だろうね」
アンドリュー・フォークが劇場のように大きく身振りを振る役者であるならば、アレス・マクワイルドは大学で講義をする学者のようであった。
淡々とした問題点の列挙に、最初は余裕を持って答えていたフォークも次第に顔を赤らめていく。
「何より共和制と君たちは言うが、帝国の民に共和制を理解しているものがどれだけいる? そんな人間にとっては共和制よりも、その日の食料の方が大事だろうさ」
「そんなことがあるか。君は馬鹿にしているのか。共和制を、そして、貧しくても共和制に命をかけたアーレ・ハイネセンを!」
「もしハイネセンが貴族だったら、ハイネセンも命をかけたりはしなかったと思うが」
「貴様っ!」
気色ばんだフォークが、立ち上がった。
既に何人かはアレスの方へと動いている。
やばい。
スーンはこの後に起こるであろう事態を想像して、青くなる。
しかし、その様子に怒りを与えた当の本人は目つきをより悪くした。
睨んでいる――そうも見える視線で、彼らをゆっくりと見回した。
心配をよそに、アレスはゆっくりと口元に笑みを浮かべて、呟いた。
「で。いつからその共和制ってのは、他者の意見を許さないようになったんだ? それでよく帝国主義について批判ができる」
「――っ!」
――ああ、もう駄目だ。
スーンは無駄かもしれないが、逃げだそうとして――しかし、それは驚くべき事にフォークの声によって、全ては動きを止めた。
「やめろ」
と。
意外な顔は無関係な人間は元より、フォークの取り巻き達の表情にも浮かんでいる。
その集中する視線の先で、浮かぶ表情は笑みだ。
おそらくは――蛇が笑えばあんな顔をするのだろう。
スーンはその爬虫類に似た笑みを見て、背筋を震わせた。
「アレス・マクワイルドだったか」
「なんだ?」
「その言葉に二言はないな」
「ああ」
「そうか……ならば、明日を楽しみにしておくがいい」
「ん?」
「その言葉を、学生教官がどう判断してくれるか、楽しみだ」
言葉を聞いて、スーンはフォークが見せた笑みの理由を理解した。
学生教官とは、彼ら学生が最初に接する先輩である。
一学年の四月からわずか半年の間であるが、現役の士官が先輩として士官学校の生活を公私ともに面倒を見てくれる。
もちろん、それは決して生易しいものではない。
逆らえば鉄拳が飛び、スーンが怒鳴られた事は数えきれない。
まさしく鬼軍曹として――階級こそは大尉であるが――何も知らない一般市民をそれなりの軍人に変える上司でもあり、先輩でもある。
「そ、それは……!」
幾らなんでも酷いのではないかと口を開けたスーンの言葉を、アレスの声が遮った。
「何だ。何かと思えば、ママに言いつけるのか?」
スーンは初めて人を進んで、殴りたくなった。
「覚悟しておけ!」
上から見下ろすような表情をしていたフォークに、怒りが走った。
しかし、殴りかかることもなく、取り巻き達を引き連れて、部屋を出ていく。
激しく閉じられた扉が、けたたましい音を鳴らした。
これは大変なことになった。
スーンはアレスに近づき、声をかける。
「今のうちに謝っておいた方がいいよ?」
「謝る?」
そこでアレスがゆっくりと唇を持ちあげる。
それまでの睨んでいる目つきとは別の――悪魔の様な優しげな笑みだ。
なぜ笑っているのか。
その笑みの意味に、気づいたのは随分後のことだったけれど。
+ + +
授業が終わり、片づけを進める中で、後方、授業を見守るという名の監視をしていた学生教官がゆっくりと近づいてきた。寝たり、態度の悪い学生がいれば、鉄拳を与えるためだ。
数年前に士官学校を卒業したという大尉は、すでに戦場を経験しており、頬に小さな傷を残している。
鍛えられた体つきは、服の上からでも筋肉が盛り上がっており、短く髪を刈りあげていた。
一見すれば恐ろしく、近くにいてもお近づきにはなりたくないだろう。
そんな学生教官――ニコライ・サハロフが机の押しのけるように近づいて、やがてアレスの席の前で止まる。
「マクワイルド候補生」
「何でしょう、サハロフ学生教官」
なぜそんなに平然としていられるのか。
むしろ隣の席に座るスーンの方が寿命が縮まる思いであった。
そして、口を開いたのはスーンの予想通りの言葉だ。
「君は共和制を卑下して、帝国主義を称賛したらしいな」
「違いますね」
アレスの即答にも、強面の学生教官は表情を変える事がなかった。
ただ一言。
すぐに視線をスーンへと向けた。
僕は何も言ってません。
喉の奥まで出かかった言葉の前に、サハロフが口を開く。
「ほう、そうか。スールズカリッター候補生」
「は、はい!」
「今の言葉は……事実か?」
「え。あ、ええと……ええ。アレスは帝国主義を称賛していません」
共和制を卑下をしたことは確かであるが。
心の中で、そう思えば、アレスがスーンを助けるように口を開いた。
「どちらも糞といっただけですよ」
ちょっと黙って欲しい。
思わず叫びたくなったのは、スーンだけではないだろう。
何も知らずに戸惑っていた周囲の人間も、そして遠くからこちらを楽しげに笑っていたフォーク達も、顔を蒼白にしている。
言い過ぎだと。
下手をすればクラスごとが巻き込まれかねない。
誰もを威圧する剣呑な瞳にも、アレスは一切怯む事はない。
先に言葉を出したのは、サハロフの方だった。
「その理由を聞いても?」
「帝国主義が悪いからといって、共和制が良いという事になぜなるのかわかりません。政治体制を選ぶにあたって、少しでもマシな糞を選んだのであって、糞が糞であると言う事には変わりがない」
と、言ってのけた後で、アレスは集中する視線に気づいた。
学生教官への真っ向からの反抗に、目をそらす者までいる。
その視線にようやく当人も気づいたようだ。
すまなそうに小さく頭を下げた。
「ああ、汚くて失礼。訂正する。糞ではなく、排泄――」
「訂正しなくてもいい。何度も聞きたい言葉でもない。それよりも君はわかっているのか。君のその言葉は政治体制を真っ向から反抗しているのだ、その立場の危険性が」
「誰がいつ反抗したというのです」
「いや、今でしょ! たった今」
サハロフの言葉にアレスがまるで心外だと言わんばかりに、目を大きく開いたため、隣で聞いていたスーンは思わず声に出した。
「あのな」
そこでアレスは深々とため息を吐いた。
まるで出来の悪い生徒に、頭を抱える教師のようだった。
頭を数度ほど叩いて、スーンを、そして、サハロフを見る。
「俺はどちらも駄目だとは言ったが、共和主義に反抗したつもりはない。どちらを選ばなきゃだめだというのなら、まだ共和主義の方がマシだとは言ったけどな。そもそも、君らは政治に何を期待している。誰もが幸せになる政治なんてあるとでも思っているのか。もしそうなら、それこそ病院で一度みて貰った方がいい」
アレスは肩をすくませ、小さく笑う。
嘲笑。
その笑いに対して、誰かが言葉を告げる前に――机が叩かれた。
一撃。集中する視線の中で、アレスの声はよく響いた。
「たった二人の人間が集まるだけで離婚やら絶縁やらと、何かしらの問題が発生する中で、共和制という名前だけで、なぜ何十億という人間がまとまると思う。共和制になれば、誰もが幸せになるのか、違うだろう」
いつしかアレスの言葉からは笑いが消えている。
元々の目つきの悪さも加わって、サハロフを睨むような格好であるが、誰も何も言えなかった。告げられるサハロフですら、黙ってアレスの言葉を聞いている。
「人が集まれば軋轢が生まれるのは当然のことだ。当然、共和制にだって欠点がある。それを無視して、都合のいいように解釈して、他者を批判し、自己を肯定することは主義主張の問題ではない。ただの立派な自己弁護で――何より君らの嫌う帝国主義とどう違う」
アレスの言葉に対して、誰も言葉を出せないでいた。
批判も、肯定も。
声すらあげるという動作すら出来ずに、黙ってしまう。
それは共和制というものを絶対視する彼らに対しては、手ひどい言葉だ。
絶対不可侵の銀河帝国皇帝――それが、絶対不可侵の共和制に置き換わっただけではないか。
その問いかけに対して、まだ十五歳のスーン達では反論する言葉を持たない。
ようやく絞り出すように、声を出せたのはサハロフだ。
腕を組んだままで、口を開く。
「それでは帝国主義と比較して、共和制の欠点とは何だ。君が糞と表現するほどに酷い欠点があるのだろう」
言葉に、アレスは肩をすくめた。
「いろいろあるけれど。一番の理由は責任の所在が不明確であること」
「責任とは何だ?」
「そのままの通りさ。もし、間違った行動を――例えば、軍が敗北した時に市民は誰のせいにする?」
「それは……軍と政治が」
「おかしいだろう。むろん、負けた理由は軍なり政治家にあるのだろうが――それを選んだのは誰だ、市民じゃないのか。だが、その失敗の原因が自分たちであると誰も思わない。普通失敗をしたら、失敗しないでおこうと思うものだ。それに気づかない――失敗が起こったとしても、政治家や軍に責任を転嫁してしまう。まさに衆愚政治という現状は古代ギリシアが帝国主義に変化した原因であるし、近年ではルドルフが誕生した原因であるのだろう。けれど」
叩きつけた音が、再び教室に反響した。
全ての指を追って、そのままの勢いでアレスは机に叩きつけていた。
「何より、その事にすら気づかない現状が一番問題だ。少しは歴史を見ろ。それを言葉で理解するだけではなく、理解しろ。なぜルドルフが誕生したのか――ただ否定するだけで、それが起こった原因を解決どころか、誰も直視すらしていないじゃないか。これを糞と言わずに、何と言う」
アレスの言葉に、教室中が静まり返った。
もはやサハロフですら、声をあげる事はできない。
ただ驚いたように、アレスを見るだけだった。
もはやそれは論戦ではなく、先にスーンが思ったように教師が出来の悪い学生に講義をしているかのようだ。
いや、現状だけを見れば、説教か。
それ以上の話は終わったというように、アレスはゆっくりと鞄を手にした。
誰も止められない。
そして、立ち上がった視線に向けて、困ったように――小さく笑った。
「さっきも言ったが。それでも俺はそんな共和制が好きさ。帝国主義が上手く機能すれば、共和制よりも遥かに強大になるだろう。けれど、皇帝になる人間が間違えれば、遥かに酷いことになる。でも」
一言。呼吸をして、周囲を見回した。
「そんな言葉と理想を掲げたところで、帝国市民は同盟を歓迎してくれると思うかい。彼らが欲しがっているのは、主義や主張何かじゃない、今日のパンと明日の労働だ。それを与えてくれるならば、共和制だろうが帝国主義だろうが、大歓迎をしてくれる――それを忘れてはいけないと思う」
呟いた言葉とともに、アレスは教室を後にした。
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