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銀河英雄伝説~悪夢編

作者:azuraiiru
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第三十二話 待っていたぞ、お前が来るのを


帝国暦 488年 3月 5日  オーディン  ヴァレンシュタイン元帥府  ヴァレリー・リン・フィッツシモンズ



艦隊司令官達が元帥府の会議室に集められた。私も元帥閣下の副官として会議室に居る。会議室は静かだったけど覇気が溢れていた。誰もが内乱が近付いている事を知っている。そしてそれが起きるのを待っている。獲物を待ち受ける肉食獣達が集まっている、そんな感じがした。

そんな中で元帥閣下だけが平静を保っている。不思議なのよね、何時興奮するんだろう。新しく事務局長になったオーベルシュタイン准将もクールだけどあの人は感情そのものが無い感じがする。ヴァレンシュタイン元帥は感情は有るのだけれど常にクール。元帥が会議室を見回した。

「既に知っているかもしれませんがブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯が動き出しました」
皆が頷いた。
「リップシュタットの森に有るブラウンシュバイク公の別荘に現政府に反発する貴族、四千名近くが集結したそうです」
四千名が集まる別荘? それって要塞じゃないの、あるいは城郭とか。私にはとても別荘には思えない。やっぱり小市民なのかしら。

「彼らはリヒテンラーデ侯と私を激しく非難したそうです。ゴールデンバウム王朝を守護する神聖な使命は“選ばれた者”である伝統的貴族階級に与えられたものだとか……。残念ですね、帝国の軍事を担っているのは貴族階級では有りません。意欲は認めますが能力が伴わない、困ったものです」
会議室の彼方此方で失笑が起きた。クレメンツ提督も顔を歪めている。

「盟主はブラウンシュバイク公、副盟主はリッテンハイム侯。帝国軍の一部にも同調する者が居ます。正規軍と私兵を合わせた兵力は三千万に近いとか」
嘆声が聞こえた。兵力三千万? 貴族ってどれだけ凄いんだろう。宇宙艦隊がもう一揃え有るような物じゃない。

「大神オーディンは吾等を守護したもう。正義の勝利はまさに疑いあるなし……。そう宣言して締め括ったそうですが戦う前から神頼みというのは……、あまりいただけませんね」
元帥閣下が肩を竦めると会議室に笑い声が起きた。

「仕方が有りますまい、戦略戦術とは無縁な方達ですからな。必勝の方法と言えばそれしか知らんのでしょう」
また笑い声が起こった。発言したのはロイエンタール提督、良い男なんだけどちょっと皮肉屋、ついでに冷笑癖がある。おまけに女性関係が派手だし……。

「総司令官はブラウンシュバイク公が務めるようです。それをシュターデン少将が参謀長として支えるとか。なかなか楽しくなりそうです」
皆が意味ありげな表情を浮かべて顔を見合わせている。シュターデン少将とは色々因縁が有るのよね。元帥閣下だけじゃない、この部屋に居る若手の指揮官達は士官学校でシュターデン少将に戦術論を教わったらしいけど最悪と言っていたわ。余程嫌な思いをしたみたい。

「近日中に彼らは動くはずです、油断せずに事態に備えてください」
元帥閣下の指示に皆が頷いた。会議はそれで終わった。執務室に戻る閣下にちょっと話しかけてみた。
「三千万の兵力となると勝つのは簡単ではないと思いますが……」
閣下が頷いた。

「数が多いですからね、簡単ではありません。しかし難しくはない、所詮は烏合の衆です」
大言壮語に聞こえないのが凄い、この人が言うと本当にそうなんだと思える。
「問題は反乱軍でしょう、彼らが再度侵攻してくるようだと厄介です。こちらは専門家の集団ですからね」

「ですが捕虜を交換する事で合意が出来ているのではありませんか?」
そういう風に聞いているんだけれど違うのかしら。私の問い掛けに閣下が頷いた。
「合意は出来ています。しかし合意が守られるという保証は無い。大規模な内乱が起きればそれに付け込もうという動きは必ず出るでしょう。捕虜交換など時間稼ぎだ、実際に行われることは無い、そんな意見が出るはずです」

言われてみればそうね、無いとは言えない。
「では捕虜交換は無くなる可能性が有ると?」
「いえ、捕虜交換は行いますよ。例え同盟が約束を破っても」
思わず閣下を見た。視線に気付いたのだろう、閣下は私を見てフッと笑みを浮かべた。

「帝国は約束は守るという事でしょうか?」
「違います、約束を守った方が帝国に利が有るからです。無ければ守りません、守る必要は無い」
帝国に利が有る? 一体どんな利が……。
「いずれ分かります、いずれね」

意味深な言葉を吐いて閣下が口元に笑みを浮かべた。冷やかさが漂う笑みだ。何時も穏やかな表情を浮かべているけど最近は時折こんな笑みを浮かべる。多分冷笑なのだろうと思う。以前はあまり浮かべる事の無かった笑みだ。あの事件から浮かべるようになった……。



帝国暦 488年 3月 12日  オーディン  アンネローゼ・ヴァレンシュタイン



窓の外がざわめいている。兵士が動く足音、大声。彼方此方をライトが照らし物々しい雰囲気が私達の館を包んでいる。夫は既に軍服に着替え窓の外をじっと見ていた。物々しい雰囲気の所為だろうか、黒のマントが何とも言えず禍々しく見えた。

「貴方……」
背後から声をかけると夫が振り返った。
「どうやら私を殺しに来たらしい。おそらくブラウンシュバイク公の手の者だろう、まあ誰が来たかは大体想像は付く」
殺しに来た? それなのに夫はまるで動揺していない。

「大丈夫なのですか?」
私が問い掛けると夫は軽く頷いた。
「心配はいらない。この館はミューゼル少将とキルヒアイス少佐が三千の兵で警備をしている」
「ラインハルトが……」
夫がまた頷いた、そして苦笑を浮かべた。

「不本意だろうな、私を守る事は。今頃あの二人はお前を守るためだと懸命に自らに言い聞かせているだろう」
「そんな事は……」
「無いと思うか?」
そう言うと夫は軽く笑い声を上げまた視線を窓の外に向けた。

無いとは思わない、多分夫の言う通りだろう。恥ずかしくて思わず顔を伏せた。
「アンネローゼ、これは内乱の始まりだ」
「はい」
「鎮圧にはかなりの時間がかかる、……健康には注意しなさい」
「はい、貴方も御身体には気を付けてください」
「そうだな、……気を付けよう」
夫は窓の外から視線を外さない。でも私を気遣ってくれているのが分かった。

ドアをノックする音がしてラインハルトとジークが部屋に入って来た。夫が窓から離れ二人に近付くとラインハルトとジークが姿勢を正した。
「御苦労です、襲撃者の捕殺は出来ましたか?」
「申し訳ありません。……その前に撤退しました」
ラインハルトが口惜しげに表情を歪めた。でも夫は弟を叱責しなかった。

「撤退したか……、相変わらず状況判断が早いな」
相変らず? 声に楽しそうな響きが有った。先程“誰が来たかは想像が付く”と言っていたのを思い出した。夫は誰が襲撃者なのか想像が付いたのだろう。ラインハルトとジークが訝しげな表情をしている。

「閣下、襲撃者に心当たりが御有りなのですか?」
ラインハルトが問い掛けたが夫はそれに答えなかった。
「私は元帥府に行きます、地上車と護衛を手配してください」
「はっ、直ちに」
「アンネローゼ、コーヒーでも出して二人を労ってくれ」
二人が遠慮しようとすると夫は“次にゆっくり話せるのは随分と先の事になる、遠慮はいらない”と言って遮った。

夫が元帥府に向かった後、二人を居間に通してコーヒーを出した。今夜の事を感謝した後、以前から気になっていたことを訊いてみた。
「どうかしら、元帥府に入って。周りの人と上手くやっているの?」
「ええ、まあ」

頼りない返事だけど表情に曇りは無い。取りあえず問題無くやっているのだろう。ラインハルトは皇帝の寵姫の弟から元帥の義弟になった。その事が二人にどう影響するかが不安だったけど特に問題は無いようだ。夫はこの二人を特別扱いはしていないのだろう。

「仕事は如何、楽しい?」
私が問い掛けるとラインハルトがちょっと不満そうな表情を見せた。
「出来れば艦隊を指揮したかったです。幕僚勤務はどうも窮屈で……」
「我儘を言わないの、貴方のためなのよ」
私がそう言うと弟もジークもキョトンとした表情を見せた。

「艦隊指揮ばかりしているからこの辺りで幕僚勤務を経験させた方が貴方のためになる、そうあの人が言ったの」
もう一度“貴方のためなのよ”と言うと二人が顔を見合わせてバツの悪そうな表情をした。

「今夜だってこうして時間を作ってくれているの、少しはあの人に感謝しなさい」
「……それは、まあ」
不承不承だ、到底感謝しているようには見えない。
「貴方達、今夜もあの人を守るんじゃなく私を守るために仕事をしたの?」
「いや、そんなことは……」
図星ね、溜息が出た。

「全部分かっているわよ、あの人は。笑っていたわ、とっても恥ずかしかった」
「……」
「ちゃんとあの人に敬意を払いなさい。貴方達にとっては上官なのよ。それにラインハルト、貴方にとっては義理のお兄さんになるの」
義理のお兄さん、その言葉にラインハルトが目を瞑って身体を硬くした。前途多難だわ……。



帝国暦 488年 3月 15日  オーディン  ヴァレンシュタイン元帥府  ラインハルト・フォン・ミューゼル



「閣下、そろそろ宜しいのではないかと」
メックリンガー総参謀長が遠慮がちに問いかけると
「……もう少し待ちましょう」
とヴァレンシュタイン司令長官が答えた。その瞬間、元帥府の会議室の彼方此方から小さな溜息が漏れた。これで何度目だろう……。

会議室には正規艦隊の司令官、そして総司令部の要員が詰めている。ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯がオーディンを抜け出し自領に戻った。そして帝国政府は正式に彼らを国賊と断定し宇宙艦隊に討伐の勅命を下した。既に出撃の準備は整っている。後は司令長官が出撃を命じるだけだ。しかし司令長官は未だ出撃を命じない、何かを待っている。

皆、じっと座って待っている。普通ならもっと出撃を主張する人間が出ても良い。だがそれをする人間は居ない。皆黙って司令長官から出撃命令が出るのを待っている。息苦しい程の緊張が会議室に満ちている。一体司令長官は何を待っているのか……。

五分、十分、十五分が過ぎた時だった。会議室に事務局から連絡が入った。スクリーンに事務局長のオーベルシュタイン准将が映る。
『元帥閣下、アントン・フェルナー大佐が元帥閣下との面会を望んでおります。如何致しますか?』
「こちらへ通してください」
司令長官が答えると皆が顔を見合わせた。俺だけじゃない、多分皆が思っただろう、彼を待っていたのかと、フェルナー大佐とは何者かと……。

五分ほどするとフェルナー大佐が会議室に現れた。未だ若い、大佐という事はかなり有能なのだろう。彼が現れると司令長官が嬉しそうに笑みを浮かべた。
「遅いぞ、アントン。卿を待っていて出撃を延ばしていたんだ。皆を大分苛立たせてしまった」
司令長官の言葉にフェルナー大佐はちょっと驚いたような表情をして会議室を見渡したが直ぐに不敵ともいえる笑みを浮かべた。かなり胆力のある男らしい。

「それは悪い事をした。待っていてくれたのか、もっと早く来ればよかったな」
「こっちへ来いよ、私達は親友だろう」
「ああ、そうだな」
フェルナー大佐が司令長官に近付いた。艦隊司令官達の後ろをゆっくりと歩く。

「その友人の館を襲ったのは卿だな」
この男が、あの時の……。司令長官の発言に会議室がどよめいた。彼の傍にいたケンプ、ワーレン提督が素早く立ち上がりフェルナー大佐を取り押えようとしたが司令長官が“その必要はない”と言って止めた。ケンプ、ワーレン提督が不満そうな表情を見せたが再度司令長官が“その必要はない”と言うと不承不承引き下がった。

「分かっていたのか……」
大佐が苦笑を浮かべると司令長官が声を上げて笑った。
「あんな突拍子も無い事をする人間はそうそう居ない。それに撤退を決めた状況判断の速さ、撤退の鮮やかさ、卿だと分かったよ」
そうか、司令長官は心当たりが有るような口振りだったがそういう事だったのか……。フェルナー大佐が司令長官の前に立った。

「余り褒められても嬉しくないな、失敗したのだから」
口調が苦い。
「その所為でブラウンシュバイク公からも切り捨てられた。ここに来たのは私の部下になる事を決めた、そうだな」
また、皆がどよめいた。

「ああ、そうだ。……元帥閣下、小官のヴァレンシュタイン元帥府への入府をお許し頂きたいと思います」
フェルナー大佐が姿勢を正して許可を願った。受け入れるのだろうか? 司令長官は笑みを浮かべている。

「フェルナー大佐の入府を心から歓迎する。……言っただろう、卿を待っていたと。私には卿の協力が必要だ」
会議室に三度どよめきが起きた。親友とはいえ自分を襲った人間を受け入れた事に驚いているのだろう。或いは協力が必要だと言っているから高い評価に対してだろうか……。

「ただ二つ守って欲しい事が有る。私に嘘を吐かない事、私に隠し事をしない事だ。守れるか?」
「その覚悟を決めたから此処へ来ました。それで遅くなったのです」
司令長官が頷いている。妙な言葉だ、何か有るのだろうか。

「では、例の件を話してもらえるな」
「ベーネミュンデ侯爵夫人の一件ですね、お話します」
ベーネミュンデ侯爵夫人の一件? ではあれはブラウンシュバイク公が関与しているのか……。会議室がざわめいた。皆が顔を見合わせ口々に言葉を発している。

司令長官が手を上げてざわめきを止めた。
「後で話してもらおう」
司令長官が立ち上がった。それを見て皆が立ち上がった。
「これより勅命を奉じブラウンシュバイク公を首魁とする国賊を討伐する。全軍出撃せよ!」
全員が一斉に敬礼で答えた。


 
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