渦巻く滄海 紅き空 【上】
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五十九 仲介
全てを失ったあの夜。
あの時、兄さんがどんな顔をしていたか。
どうしても思い出せない。
胸騒ぎがする。
朝から感じた違和感にどうしようもなく心を掻き乱され、サスケは無意識に胸元を押さえた。
日課の修行に繰り出したものの、身が入らず、彼は屋根から屋根へ跳んでいた。
里でさえ、どうにも妙な空気が漂っているように思えて、建物と建物の間に滑り降りる。
両隣の建物が間近に迫る、細い道。
動揺する自分自身が腹立たしく、拳を握り締める。
昔の夢をみた。ただそれだけなのに。
傍の石壁を殴りつける。どんっと鈍い音が路地裏で谺した。
細道を苛立たしげに歩いていたサスケは不意に顔を上げた。目を見開く。
「………っ!?ま、さか…」
路地の出口。そこで誰かがじっとこちらを見ていた。互いの視線が確かにぶつかる。
「…嘘だろ!」
路地裏を一気に駆け抜ける。先ほど見た人物が人混みに消えてゆくのを彼は見た。迷わず追い駆ける。
(そんな馬鹿な!あいつは死んだはずだ…っ)
仮死状態とは言え、一度自分を死へ追い遣った人間。壮絶な最期を迎えた存在。
波の国で出会った少年―――白。
死んだはずのその背中を、サスケは追った。橋の方角へ向かう彼を決して逃がすまいと。
其処でまさかの再会があるとも知らずに。
「なんでまた、こうも抜け忍が…っ」
目の前の展開に、アスマと紅は暫し声が出なかった。
不審な二人組を追い駆けたと思えば、あの同族殺しのうちはイタチと霧隠れの抜け忍こと干柿鬼鮫。それだけでも厄介なのに、現在介入してきたのは鬼鮫同様霧隠れの抜け忍―――桃地再不斬なのだ。
いきなりビンゴブックに載っている凄腕の忍びを目前にして、流石の上忍二人も背筋が寒くなった。寒気がする。
元『霧の忍刀七人衆』と、元木ノ葉の忍びであるイタチ。それぞれがとても手に負える相手ではない。
「…とにかくこの事を早く暗部に…」
不利な状況を見て取って、判断を下した紅がアスマを促す。紅に同意し、凍りついていたアスマもまた、その場から離れようとした。だが―――。
「……ッ!?」
足が動かない。見下ろすと文字通り、両足が凍りついていた。
氷に覆われた自らの足。驚愕に目を見開く紅とアスマの耳に届いたのは、少年の声だった。
「すみませんが、此処でおとなしくしていてください」
霧が益々深まる。神経を尖らせる彼らの眼に飛び込んだのは、数多の鏡。
何時の間にかドーム状に取り囲む氷の鏡を見て、紅が眉を顰めた。
「この術……確か、カカシの報告書にあった…」
鏡から溢れ出す冷気に纏わりつかれ、アスマがチッと舌打ちする。寒気の原因はこれか、と内心自身を叱咤して、彼は銜えていた煙草に火をつけた。
「死者が復讐にでもきたのか?墓場にでも行ってみるんだな。カカシがいるかもしれないぜ?ただし、そいつは生きているがな」
思えば、再不斬とて死んでいるはずなのだ。突然すぎて混乱したが、以前波の国における報告をカカシから聞いていたアスマは、紅の一言でようやく思い出した。
ふう~…と煙を吐き出す。白煙が霧と雑じり、やがて消えてゆくのを目で追いながら、アスマはにやりと口角を上げた。
「だがあいにく、お前さんは幽霊…ってわけじゃなさそうだな」
指に挟んだ煙草の火口がぽっと赤く光る。同時に、鏡の中からぬうっとお面を被った少年が現れた。
「追い忍の仮面……なるほど」
「カカシが一度取り逃がしたのもわかる気がするわね」
抜け忍である再不斬を、追い忍に扮した彼の仲間が連れてゆくのを見送りにしたというカカシの失態。報告書に目を通した時は少々苦笑したものの、今や前言撤回する。
木ノ葉の上忍二人を前にしても、少しも取り乱していない少年。ただの子どもではない、と感嘆しつつ、アスマと紅は瞬時に報告書における彼の情報を思い浮かべた。
「悪いけど、貴方に構ってる暇はないのよっ!」
無言で佇む少年に向かって、紅が先手をとった。クナイを投げる。
だがクナイは吸い込まれるように鏡の中へ消えていった。代わりに、一斉に飛び掛かる数多の千本。
周囲の鏡からの攻撃をアスマと紅は難なくかわした。カカシからの情報が大きいが、鏡全てに映る少年の動きを見切っているのは流石上忍と言える。
「大人を舐めるなよ!」
そう叫ぶや否や、アスマがかちりと奥歯を鳴らした。刹那、包囲していた鏡の上部が爆発する。
先ほどの煙草の煙に、体内のチャクラによる高熱の灰を忍ばせておいたのだ。周りは冷気なので煙はすぐ上へ上がってゆく。その瞬間を狙い、奥歯に仕込んだ火打石で着火。敵の被爆及び包囲網の突破を狙ったのである。
爆発の炎がじりじりと鏡より上空へと舞い上がる。火花と共に降り注ぐ大量の水滴。
ドーム状だった鏡の上部が溶けた事を察して、アスマと紅は跳躍した。砕け散る足元の氷。
しかし次の瞬間、二人の全身は千本で突き刺された。同時に耳朶を打つのは、美妙な鈴の音。
「なにッ!?」
「そちらこそ、あまり子どもを舐めないでください」
跳躍する前と同じ地点に降り立ったアスマと紅は、自らの身体を見下ろした。全身を突き刺す千本は何れも、鈴が連なる糸に繋がれている。
糸の先はアスマの【火遁・灰積焼】により溶けたはずの鏡。
「あれだけの爆発で罅一つ入ってないですって!?」
未だ顕在する鏡に、驚いた紅が目を瞬かせる。先ほど同様、自身を取り巻く鏡の包囲網に彼らは当惑した。
その上、糸に連なる鈴の音が反響する。視界がぼやけ、どんどん増えてゆく鏡。
「この音…!?幻術ね!」
逸早く気づいた紅が幻術返しをする。二重三重に増え続けていた鏡の数が元に戻ってゆく。見事幻術を破った紅とアスマだが、今度はがくりと膝が落ちた。
「……ッ!?か、身体が」
バランスを崩し、膝をつく。動かぬ身体より、アスマと紅は次から次へと起こる展開についていけなかった。
決して鏡から伸びる糸や幻術が原因ではない。にも拘らず、身動き出来ない彼らはこの不可解な現象に迂闊な行動は出来ないと悟った。慎重に相手の動きを窺う。
その為、自分達の事で精一杯だった二人は鏡の外にまで気が回らなかった。
警戒心故にこちらへ手を出してこないアスマと紅。彼らを足止めしていた鏡の中の住人はお面を被り直した。
(邪魔はさせない)
決意を胸に、お面の少年――白は眼下の木ノ葉の上忍を見据えた。秘かに鏡の外を見遣る。視線の先ではイタチとサスケが対峙している光景があった。
術で己と同じく鏡に潜り込んでいるキン。そして橋傍の木に潜むドスと香燐の姿を確認し、白は今一度気を引き締める。
実は、最初から鏡は五枚ほど重なって展開していたのだ。五重の内、三重はアスマの【火遁・灰積焼】によって確かに溶かされた。だから罅一つ入ってないのではなく、既に三枚の鏡が犠牲になっているのだ。
しかし最初から一枚の鏡だと思い込んでいるアスマと紅は戸惑ってしまう。その隙を衝いてキンが千本を投擲。千本に繋がれた糸に連なる鈴の音で幻術をかける。同時に鈴の音にドスの音による攻撃を紛れ込ませる。
鈴の音に気を取られていたアスマと紅は、ドスの【響鳴穿】で平衡感覚を奪われたのである。
白は眼前の木ノ葉の上忍二人の顔触れを眺めた。ドスの攻撃で立てない彼らを油断なく見つめる。
彼の役割はアスマと紅の足止め及び二人が再不斬と鬼鮫・イタチとサスケの間に介入しないように見張る事。
(決して邪魔はさせない)
サスケを誘き出した張本人は、兄弟が対峙する橋の方角を気遣わしげに見た。直後、鋭い視線をアスマと紅へ投げる。
鏡から洩れる冷気がより冷やかに立ち昇った。
(ナルトくんの邪魔だけは…)
偶然か必然か。
再会を果たした兄弟の表情は真逆だった。
「うちは…イタチ……」
血の滲むような心の底からの叫び。
久方ぶりの弟の激語に、兄は無表情で答えた。
「久しぶりだな…サスケ」
懐かしい兄の声に、弟は歯軋りした。
自分は夢を見ただけで動揺したのに、目の前の男はどうしてこうも余裕なのか。昔と変わらぬ力の差を見せつけられているようで、どうしようもない焦燥に駆られる。
「イタチぃ…ッ」
頭に血が上る。視界が真っ赤に燃え、目の車輪が激しく渦を巻く。
今のサスケには何も見えてなかった。アスマや紅の声さえも耳に入らない。
当初の目的だった白の存在すら彼の頭からはすっぽり抜けていた。
視線の先には生きる目的であり、標的である男ただ一人。
「あんたの言った通り、あんたを恨み、憎み、そして……」
手を垂直に下ろす。左手からバチバチと火花が散った。青白き雷が迸る。
「あんたを殺す為だけに、俺は…――」
首元の襟をぐっと開ける。輝く左手を眼前に掲げ、サスケは咆哮した。
「―――生きてきた……ッッ!!」
【千鳥】を手に、突っ込むサスケ。その攻撃を難なく避け、逆にそのまま手を伸ばすイタチ。
サスケの手首を掴もうとした、その瞬間――。
「せっかくの再会に水を差して悪いけど……」
イタチの動きが止まる。大きくも小さくもない、ただただ静かな声がその場に響いた。
「やはり君か……」
伸ばした手をイタチはゆっくりと懐に戻した。何の前触れも無い唐突な発言に苦笑する。
橋の欄干。其処に何時の間にか腰掛けていた彼をイタチは眩しげに見遣った。
「ナルト君」
名を呼ばれた彼は穏やかに微笑んだ。
イタチとサスケ――擦れ違う兄弟の仲を取り持つべく。
橋の下。三人の影を映す水面がキラキラと、無数の光芒を放っていた。
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