銀河英雄伝説~悪夢編
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第三十話 地雷女って何処にでもいるよな
帝国暦 488年 1月 15日 オーディン ヴァレンシュタイン元帥府 エーリッヒ・ヴァレンシュタイン
「帝国元帥、宇宙艦隊司令長官か。おめでとう、エーリッヒ」
「有難う、ギュンター。嬉しいよ、喜んでくれる人が少なくてね」
俺が答えるとキスリングが苦笑を浮かべた。実際全く歓迎されていない。元帥杖授与式では貴族の大半が欠席したし出席者の殆どが面白くなさそうな表情をした。軍人も同様だ、まあ二十歳をちょっと過ぎたばかりの平民の若造が元帥とかって頭くるよな。
元帥杖授与式では本当は膝をつかないといけないんだが足が不自由だからという理由で勘弁してもらった。その事も不評だったみたいだ。でも俺は気にしていない、どうせ連中のほとんどはこれから起きる内戦で居なくなる運命なのだ。ちょっとぐらいの不満は大目に見てやろう、だから最後の段階で命乞いとかするなよ、無駄だからな。
元帥府を開くことにした。グリンメルスハウゼン元帥府はそのままヴァレンシュタイン元帥府になった。使っていた建物も同じだ、今俺はグリンメルスハウゼン老人が使っていた執務室にキスリングと共に居る。
「宇宙艦隊も陣容が決まったようだな、平民と下級貴族の司令官か、反発が大きいぞ」
「実力で選んだ、それだけだよ」
「皆危険視している、気を付けろ」
気を付けろか、全くだ。今は戦場で役に立つ軍人、そう思わせる事が大事だ。
実際艦隊司令官に選んだ男達も戦場で役に立つ男達だ。アイゼナッハ、ワーレン、ビッテンフェルト、ルッツ、ファーレンハイト、シュタインメッツ、シュムーデ、リンテレン、ルーディッゲ、ルックナーが新たに中将に昇進して正規艦隊司令官になった。俺の後任の総参謀長にはメックリンガーを選んだ。
なかなかの陣容だろう、これなら何処に出しても非難などされない、出自さえ除けばな。彼らは今艦隊を編成している最中だ。使えるようになるまで後一カ月から一カ月半はかかるだろう。内戦の開始は三月だろうな、今年は梅は楽しめるが桜は楽しめそうにない……。
「良いのか、そんな危険人物と会って。卿も危険視されるんじゃないか?」
「俺はここには卿の護衛態勢について話しをしに来たんだ、問題は無い」
胸を張って言うな、それはもうヴァレリーと話しをしただろう。しかも基本的にはこれまでと変更無し、そうなったはずだ。
「それで?」
「例の事件について報告しようと思ってな」
「……」
「ナイトハルトから依頼を受けた。大本はクレメンツ教官だ。卿は動くなと言ったそうだがそれでは有耶無耶になる、密かに調べてくれと依頼を受けた」
「……」
「まあそんな顔をするな、依頼が無くても調べていただろう。あの事件はベーネミュンデ侯爵夫人の暴発で片付けられたが色々と不可解な点が有ってな、調べたかったんだが上からの命令で打ち切られた。疑問に思っていたんだ」
「危険だから関わらせたくなかったんだ」
困った奴らだ、危険だというのに手を出す……。リューネブルクが死んだ事を忘れたのか……。
「反乱軍が攻め込んできた事で皆の関心があの事件から薄れた。皇帝陛下が崩御された事で更にそれが強まった。今では誰もベーネミュンデ侯爵夫人の事を口にもしない。密かに捜査しても誰も気にしなかったよ、あの事件はもう忘れ去られている」
「……そうか」
もう過去の事件か、俺の脚は未だ時々痛むというのに……。
「痛むのか?」
キスリングが痛ましそうな表情をしていた。
「……いや、大丈夫だ」
「そうか、足を擦っているから痛むのかと思った」
「……大丈夫だよ、ギュンター。そんな顔をするな」
あの事件の事を想いだすとどうしても足を擦ってしまうんだ。そしてリューネブルクの事を想いだす……。
「ベーネミュンデ侯爵夫人は自殺じゃない、間違いなく他殺だ」
「そうだろうな、彼女は自殺する様な女じゃない」
俺の言葉にキスリングが頷いた。
「彼女は寝る前に温かいミルクを飲む習慣が有った。それに遅効性の毒を入れたのだろう。多分、彼女は何も分からないまま死んだはずだ」
「楽しい夢を見ながら死んだだろう、羨ましい事だ」
キスリングが肩を竦めた。皮肉を言ったつもりは無い、本心だ。あの女はアンネローゼが死ぬ夢を見ながら死んだはずだ。
「彼女の屋敷の使用人を調べた。事件二ヶ月後、侯爵夫人の傍近くに仕えた侍女が一人、ナイフで刺されて死んでいた。警察は通り魔による犯行と判断している。多分彼女が毒を入れたのだと思う」
「……動機は?」
「男だ」
「男?」
俺が問い返すとキスリングが頷いた。
「彼女には恋人がいたのだがこの男が酷かった。どうにもならない賭博狂いで借金を十万帝国マルク程作っていた」
長い戦争で男が少なくなっている。だからクズみたいな男でも女からは必要とされる、病んでるよな……。
「その男の借金を返すためか……」
「そうだろうな。あの事件の前後、彼はもう直ぐ大金が入る、借金は返せると言っていたらしい」
まともな話じゃない、十万帝国マルクと言えばごく平均的な家庭が得る年収の二倍の金額だ。胡散臭さがプンプン臭う。
「それで?」
「事件の後、彼は借金を返した。しかしその二ヶ月後にナイフで刺し殺されている、女と同時期だ。こちらも通り魔による犯行だと警察は判断している」
キスリングが俺をじっと見ていた。
「有り得ないな、同一人物による口封じだろう」
「ああ、どこかの有力者が手を回したのだと思う、それ以外は考えられない」
警察を意のままに操る有力者、貴族か……。
「大金に味をしめて強請ったかな?」
「そんなところだろう」
馬鹿な男だ、自業自得だな。
「それで操ったのは誰だ?」
「例の男が借金していたのはブラウンシュバイク公の息のかかった金融業者だった。敢えて野放図に貸して借金漬けにした可能性が有る」
「……」
「公自身が関与したとは思えないがその周辺が動いたのではないか、そう思っているよ」
ブラウンシュバイク公の周辺か……。
「手際が良いな、フレーゲルやシャイドに出来る事かな?」
「……」
「あそこにはシュトライト、アンスバッハ、それにアントンが居たな」
「ああ」
キスリングの顔が強張っている。まあここまでだな。
「それで捜査が打ち切られた理由は?」
キスリングがホッとしたような表情を見せた。
「イゼルローン要塞が反乱軍の手に渡った事が関係している」
「やはりそうか」
俺の言葉にキスリングが頷いた。
「あの事件の裏に貴族が絡んでいるんじゃないかという事はどんな馬鹿でも分かる事だった。だがそれを突けば国内が混乱しかねなかった。そう貴族達が脅したのさ、だからベーネミュンデ侯爵夫人の暴走で収めざるを得なかった。帝国軍三長官がミュッケンベルガー元帥の辞任だけで事を収められたのもそれが理由だ。貴族達も強く軍部を責められなかった、元はと言えば自分達が原因だからな。両者ともギリギリのところで手を引いたのさ」
俺の事などどうでもいいという事か、所詮は替えの利く駒、消耗品というわけだ……。
「有難うギュンター。良く分かったよ、危険だという事が。これ以上は動かないでくれ、卿を失いたくないからな。それにアントンを不必要に刺激したくない。どうせ戦うことになるけどね」
「分かった」
キスリングが掠れた声で答えた。やれやれだな……。
帝国暦 488年 1月 20日 オーディン アンネローゼ・ヴァレンシュタイン
今日の夕食はチキングーラッシュと付け合せに粉ふき芋。それときゅうりとラディッシュのサラダ。ブレートヒェンとクヴァークを用意した。夫はジャガイモが好きらしい、先程から粉ふき芋を美味しそうに食べている。夫は余り量は多く摂らない、でも結構口は肥えている。美味しくないと口に出すことは無いが美味しいと思っている時とそうでない時ははっきりと分かる。今日は喜んで貰っている様だ。
夫にはお水、そして私には赤ワイン。私もお水にしようかと思ったけれど夫が自分に遠慮はいらないからワインを飲むようにと言ってくれた。申し訳ないけれど一杯だけ頂くことにした。
「この家に慣れたかな」
「はい」
私の答えに夫が頷いた。今度はブレートヒェンにクヴァークを付けて食べた。眼が和んでいるからこれも気に入ったのだろう。夫は元帥に昇進するとこれまでの官舎から元帥府の傍に有る瀟洒な館を購入して移り住んだ。理由は官舎よりもこちらの方が警備しやすいから。事実警備兵は元帥府とこの館の両方を一つの警備対象としている。それだけ今のオーディンは危険だという事だろう。
「今日、ヴェストパーレ男爵夫人とシャフハウゼン子爵夫人がいらっしゃいました」
「そうか、あの人達が住んでいる屋敷に比べれば小さな館だ、驚いていただろう」
「そんな事は……」
「冗談だ、そんな顔をするな。それでお二人は遊びに見えたのかな」
真顔で冗談だと言われても……。
「そう仰っていましたが本当はこれからの事を相談に見えられたのだと思います。一体これからどうなるのかと仰られていましたから……」
「そうか……」
夫がちょっと考え込む姿を見せた。一口水を飲む。
「内乱を避けるのは難しいだろう」
「やはりそうなりますか」
「ああ、大きな騒乱になると思う。多くの貴族が存続を賭ける事になる。中立というのは許されないだろうな、中立を願ってもどちらかに所属する事を選択させられるだろう。無理強いされる前に自らの判断でどうするか決めた方が良い、悔いの無いように」
自分達の陣営に付けとは言わなかった。
「決断は急いだ方が良いだろう、ぎりぎりになって決断しても誰も喜ばない。何を迷っていたのかと不審がられるだけだ」
冷静と言うより他人事のような口調だった。夫が粉ふき芋を口に運んだ、ゆっくりと噛んでいる。微かに笑みが頬に浮かんだ。夫はヴェストパーレ男爵家、シャフハウゼン子爵家よりも粉ふき芋に関心が有るようだ。
「御味方に付いて欲しいとは思われないのですか?」
「味方に付いて欲しい家ならリヒテンラーデ侯が声をかけている。声をかけられたと言っていたか?」
「いえ、そのような事は……」
言っていなかった。私が口籠るのを見て夫が微かに笑みを浮かべた。先程までの楽しむような笑みではない、冷ややかな笑みだ。
「おそらくリヒテンラーデ侯だけではない、ブラウンシュバイク公、リッテンハイム侯からも声はかけられていないだろう。その事を両家とも不安に思っている……。ここに来たのは探りに来たのだろうな、自分達がどう思われているか、或いは私に味方に付いて欲しいと言わせたかったか……」
「……」
多分私が夫に相談する事も想定していたのだろう。そして何らかのアクションが有る事を期待しているに違いない。
「だからこそ自ら決断して自分を売り込むべきなのだ。その方が相手に対してずっと心証が良くなる、戦後の扱いも良くなるだろう」
「よく分かりましたわ」
溜息が出た。夫は自分で考えろと言っている。夫が一口水を飲んだ。
「シャフハウゼン子爵夫人は平民の出身だと思ったが?」
「ええ、そうですわ」
「それとあの家はもう断絶してしまったがヘルクスハイマー伯爵家とトラブルが有ったはずだ」
「ええ、良く御存じですのね」
驚いた、夫はあの事件の事を知っているらしい。ではラインハルトの決闘の事も知っているのかもしれない。
「だとするとブラウンシュバイク公やリッテンハイム侯に付くのは避けた方が良いかもしれない」
「そうですわね」
突き放しているわけではないようだ、早く決断しろという事かしら、それほど時間は無いと。夫なりの好意なのかも。
「ではヴェストパーレ男爵夫人は?」
私が問い掛けると夫はクスクスと笑い始めた。
「男爵夫人が声をかけられないのはどちらも敬遠しているからではないかな、男爵夫人を味方にしたら厄介な事になると。男爵夫人の噂は私も色々と聞いている」
「まあ」
夫が声を上げて笑った。結構人が悪い。
少ししてから今度は夫が話しかけてきた。
「少し遅くなったがミューゼル少将を呼び戻す事にした。今シャンタウ星域の辺りの筈だ、来月初めにはオーディンに戻ってくるだろう」
「……」
「宇宙艦隊司令部の幕僚として務めて貰う」
宇宙艦隊司令部の幕僚……、夫の部下という事だろうか、でも……。
「これまで艦隊指揮官としての経験は有るが幕僚経験は無い筈だ、良い経験になるだろう」
「元帥府にも入るのですか?」
「無理強いはしない、彼が自分で決めれば良い」
夫はサラダを食べている。平静な表情だ。ラインハルトの事をどう思っているのか……。
ラインハルトは夫の事を快くは思っていない。夫もその事は知っているはずだ、夫に対して大分酷い事を言ったらしい、男爵夫人がそう言っていた。ラインハルトが夫に敵意を隠さないのはそれが有るからかもしれない。軍の実力者である夫に嫌われた以上、出世は難しいと思っているのかも……。大丈夫だろうか……。
「貴方、私の事を考えての事なら……」
「勘違いするな、アンネローゼ。ミューゼル少将に力量が有ると思ったから呼び寄せるだけだ。戦場で私の義弟で有る事など何の意味も無い。その事で特別扱いなどしないし周囲にさせるつもりも無い」
「はい」
口調には何の変化も無かった。誰もが夫の事を冷徹と言うけど私もそう思う。感情を露わにした所など見た事が無い。軍人なのだと思った、何万、何十万と将兵が死んでも平然と指揮を執る事を要求される職業。感情等に左右されていては指揮を執る事は出来ないのだろう。大丈夫だろうか、ラインハルトは……。感情を抑えられるだろうか……。
「あの……」
「ミューゼル少将が心配か?」
「はい、出来れば……」
私の言葉を夫が首を振って止めた。
「キルヒアイス少佐も司令部に入れる」
「はい……」
全て想定済みらしい、夫はまた粉ふき芋を食べていた。
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