恋姫無双~劉禅の綱渡り人生~
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とある忍びは大いに悩み、劉禅は城に拉致られる
「劉禅殿、あの者は? 一体何が?」
普浄の問いに俺は答えなかった。いや、答えられなかったと言うべきか。何故なら、衝撃のあまり考え事に没頭してしまっていたから。
俺は初めて『忍び』と接触して、戸惑いもあったのだ。話には聞いたことがあるが、そんな荒唐無稽なこと出来る訳が、と思っていたのだ。また、一切表に出てこなかったので、存在すら疑っていた。まさか本当に居たとは。
「劉禅殿、聞いているのですか!」
耳元で叫ばれ、俺は我に返る。普浄がこっちを見つめていた。
「一体何があったのです? あの者は何なのです?」
普浄にとっても信じられなかったのだろう、目くらましとともに、一瞬で姿を消した者のことが。洞窟の出口に続く道は自分達で埋まっていたのに、誰にも気付かれずに消えたのだから。
「……北郷の手の者に殺されそうになった」
俺は、それだけを答えた。
「御使いが! しかし、あのような妖しい術を使う者など聞いたことが……」
「あれは『忍び』と呼ばれる者の一種だ」
俺は普浄に、北郷が抱える戦闘集団のことを話した。と言っても、誰なのか正体不明、人数も不明、実力も未知数なので、ほとんど話せることは無かったが。
「一瞬で姿を消すのが当たり前! そんな馬鹿な!」
「――とも言い切れないな。普浄も実際に見ただろう?」
正直言って、気味が悪い。あんな荒唐無稽な集団に狙われたら、命が幾つあっても足りない気がする。
「全く、厄介な敵が現れたものだな」
俺は微かに笑って足を踏み出す――が、ふいに視界が歪み、グラリと倒れてしまう。普浄はあわてて俺の身体を支える。
「劉禅殿、どうしたので……いかん! すごい熱だ!」
どうやらここが限界だったらしい。俺は普浄の腕の中で意識を手放した。
「劉禅め、何処までも悪運の強い奴だ」
『忍び』の首領は、苦々しげに呟いた。
「あの普浄とかいう小僧さえ居なければ、人知れず始末出来た物を……」
「もう普浄とかいう奴も潰しましょう。どうせ一刀様に楯突く連中でしょう?」
「不穏分子を潰した所で褒められこそすれ、罰せられる道理がありません」
「咎められたところで死者は還りません。さっさと殺っちゃいましょう」
家来たちは口々に意見を言う。それを聞いた首領は、かすかに頷いた。
「……そうだな。不穏分子は早めに潰すか」
『忍び』の連中は首領に同意する。そんな中、一人だけ発言しない者がいた。
(……本当にこれでいいのだろうか? 劉禅殿を反逆者として殺すのは容易いが、事の始まりは本郷が劉禅の許婚を無理矢理奪ったことだろうに)
今や劉禅の許婚だった女は、北郷にベッタリである。あんな馬鹿女の為に身を滅ぼしたかと思うと、劉禅が哀れでならない。それに、この忍びは北郷をあまり好きではなかった。北郷は口では立派な事を言うが、戦では女の背に隠れるだけであり、文武に才があるわけでもないので正直見苦しい。これなら、自ら賊の中に飛び込んだ劉禅の方がよほど好感が持てるというものだ。
いくら首領が北郷に恩があると言っても、限度がある。現在の北郷は、宮中で酒池肉林状態だ。蜀の主であるはずの劉備や関羽なども誑かされ、かつての旗揚げ当時の威容は見る影も無い。しかし、劉禅が反乱を起こしたのも事実であり、父の遺言や姉に背いた不孝者であるのも事実だ。それに、劉禅につけば、歴戦の武官や『忍び』の同胞も敵に回すことになる。だからこの忍びは悩んでいたのだ。
(はっきり言って北郷は嫌いだ。しかし、天の知識によれば劉禅は蜀にとっては良くないと言うし……。ああもうっ、一体どうすればいいんだっ!)
目が覚めると、目の前に知らない天井が広がっていた。
「……此処は何処だ?」
俺はあたりを見回す。しばらくして、村長の家だということがわかった。
「気付かれましたか」
俺は声をかけられ、顔を向ける。一人の娘が部屋に入ってくるところだった。俺が身代わりになった、村長の娘だ。その娘はひとしきり礼を言う。ここまで感謝されるのは初めてだ。俺は照れくさくなり、立ち上がって部屋を出ようとする。しかし、かすかに視界が歪み、壁に手をついた。
「無理しないで下さい。まだ病み上がりなんですから」
娘は慌てて俺を止める。
「……病み上がり?」
「そうですよ。貴方はあの後、高熱で倒れたんですよ」
言われて思い出す。洞窟の中で、倒れたことを。
その時、部屋に普浄が飛び込んできた。
「劉禅殿、ある軍隊がこっちに向かってきているみたいです!」
慌てた口調で普浄は言う。
「どこの軍隊か分かるか?」
「分かりません。しかし蜀に属する軍です。急いで此処を出ましょう!」
今捕まったら、旅をしてきた意味がなくなる。俺は急いで身支度をして、娘に別れを告げた。
「貴方はまだ病み上がりなんですよ! 今無理をしたら……」
「悪い、色々と事情があるんだ。この礼はいずれまた」
俺は普浄と共に村長の家を出た。しかし、間に合わなかったらしく、とある軍と鉢合わせすることになった。
「おい! どこに行くつもりだ!」
軍の中から一人の武将が進み出て、俺達に声をかけた。歳は二十代半ばぐらいの、誰もが見惚れるような美女だった。
「げ、厳顔っ!」
俺はその武将を見て声をあげる。それに対して厳顔は、つかつかと俺に歩み寄り、拳を一発浴びせた。
「ぐえっ!」
「馬鹿者っ! 真名を交換したのだから、ワシのことは桔梗と呼ばんかっ!」
一発で崩れ落ちた俺を担ぎ、厳顔は普浄にも声をかけた。
「お主らに話がある。城まで来てもらうぞ!」
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