舞台神聖祝典劇パルジファル
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第三幕その五
第三幕その五
「しかしこれ程まで和やかで優しい草や花の数々は見たことがない」
「一度もですね」
「旅の中でもなかった」
まさにそうだというのだ。
「全てのものがこれ程無邪気に好意ふかしく香っていたこともなければ」
「そしてですね」
「これだけ可愛らしく親しげに語り掛けてきたことはない」
これが彼の言葉であった。
「今までは」
「これこそがです」
グルネマンツはその彼に対してまた語った。
「聖金曜日の霊験なのです」
「その日が」
パルジファルは彼の言葉を聞いてまた語った。
「この上ない苦痛の日故の霊験かと思うと」
「どうなるというのでしょうか」
「心が痛む」
そうだというのである。
「今日という日はおよそ咲きいでるものが」
「はい」
「息を吸い命を持つ全てのものが」
さらに話していく。
「ひとえに嘆き悲しんで泣く日に思える」
「それは違います」
だがグルネマンツはそれは否定した。
「罪深い者達の悔悟の涙がです」
「それがなのですね」
「そうです、それがです」
その言葉が続けられていく。
「野原を潤しこの様に草木を茂らせ」
「それによってですね」
「その通りです。今こそあらゆる生あるものは」
パルジファルに対して恍惚として語る。
「主の恩恵の証に出会うことを心楽しく待ちながら祈りを捧げようとしています」
「それが今日の日だと」
「そうです、今日です」
さらに話すのであった。
「彼等は十字架の上の主のお姿をそのまま拝することはできません」
「それは」
「そうです、それはできません」
こう彼に語る。
「しかしです」
それでもであった。彼にさらに話すのだった。
「救いを受けた者を仰ぎ見ることになりますがそれは」
「それは」
「主から救われた者とは罪の重荷や恐怖の境地から脱した者のことです。そして神の愛の犠牲によって純潔または幸福な思いのする者です」
その言葉がさらに続く。
「野の草や花も」
さらに言葉を続けていくのだった。
「今日は人の足元に踏みにじられないことに気付いていますし」
「それもまた」
「左様です。それに」
言葉を続けていく。まだであった。
「神が気高い労苦によって人を哀れみ人の為に悩まれた様に」
「それ故に」
「今日は人もその恩愛の心で踏む足も穏やかに草花を労わるのです。こういうことをまたあらゆる生き物が有り難く思うわけであり」
パルジファルは彼を見てその言葉を聞き続けている。
「その辺りに咲いていてです。枯れていくものも皆感謝の思いを持っていますがそれも罪を清められた自然全てが今日こそ無垢無罪の日を迎えるからです」
クンドリーはグルネマンツのその話の間恍惚としてパルジファルを見ている。そして真剣かつ平静な顔で目に涙をたたえながらであった。
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