銀河英雄伝説~生まれ変わりのアレス~
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それぞれの理由
士官学校の夜は早い。
時間に完全に縛られており、消灯時間も決められている。
それでも抜け出す人間や夜に起きている人間はいるが、見つかれば厳罰であるため騒ごうとする人間はいない。
広大な敷地を確保するために、周囲に民家や商業施設も少ない。
必然的に明りは少なくなり、十二時にもなると澄んだ星空と静けさが士官学校を支配する。
ましてや校舎に夜中まで残る人間はいない。
だから。
「やっぱりここね」
唐突に聞こえた言葉に、驚いたようにテイスティアは背後を凝視した。
校舎の屋上――そこへ繋がるはしごから女性の頭がはみ出ていた。
息が止まりそうになりながらも、泣きはらした赤い瞳でまじまじとみれば、見知った人物だと気づいた。
ミシェル・コーネリアだ。
「ど、どうして」
「しっ。気づかれるとまずいわよ」
小さく唇に指をやる姿に、慌てたようにテイスティアは口を閉ざした。
それでも疑問の入り混じった表情に、コーネリアは小さく笑った。
柔らかな魅力を持つ、大人の笑みだった。
「一人で泣ける場所なんて、そう多くないでしょう。特に一年生が一人になれるところなんてね」
第一校舎の屋上。
そこは階段こそ鍵がかかっているものの、外壁の点検口へと繋がるはしごが屋上に設置されており、そのはしごは最上階の一室――壊れて鍵のかからない窓からぎりぎり届くところにある。
人気のないところは隠れたデートや一人になりたい人間にとって欠かせないところであるが、それでもこの屋上は下手をすればはしごに手が届かず落ちる危険性もあり、何より当直員の寝室が第一校舎にあるということもあって、不人気な隠れスポットになっていた。
コーネリアが屋上にあがり切ると、テイスティアはこちらに向いていた。
微かに恥ずかしそうにしている。
まだ髪が濡れているのは、風呂に入って、そう時間が経っていないのだろう。
一番風呂は最上級生であり、次が四年――一学年の風呂の時間は就寝時間間際だったはずだ。
「あの……その、ごめんなさい」
「それは何に対してなの?」
「僕が逃げだしたから」
「そりゃ、いきなり上級生から辞めろと言われたら逃げたくなると思うけど?」
「違うんです。その……僕が逃げたのは。その、あの」
コーネリアの言葉に、否定の言葉を告げて、テイスティアは首を振った。
何度もつっかえるテイスティアの言葉を、コーネリアは黙って聞いている。
「そのですね……やめろと言われたのはショックだったですけど、そんなにショックではなかったというか」
「ん?」
「やめろとはいつも言われてたから……確かにアレス先輩には初めて言われて、少しはショックでしたけど。でも、違うんです。僕が逃げだしたのは、逃げだしたのは……」
言葉に迷っているというよりは、考えを言葉にするのが怖いように、コーネリアは見えた。
それでもテイスティアは――今度は逃げださずに、真っ直ぐに答えた。
「自分の覚悟がないことに気づかされたから」
その表情は無力さに気づいた、よわよわしい少年のものだ。
儚くひどくもろい。
それでも恐々としながら、呟かれた言葉。
まだ十五歳だものね。
あの一つ下の後輩を見ていれば忘れてしまいそうになるが、テイスティアはまだ十五歳なのだ。
それを自分と同じ年齢――いや、彼に至っては実年齢より遥かに成熟しているようだが――と同じように求めても無理があるだろう。
その点で言えば、アレスの言葉は正論であり、間違えているとも言えた。
他人の死への責任を感じるには早過ぎると思う。
けど、今ではないと遅過ぎなのよね。
テイスティアに覚悟を求めるには早過ぎる――けれど、覚悟を求めなければ、現在の成績では、彼は落第することになる。
それならばと、アレスは今それを伝えることを考えたのだろうが。
下手をすれば自分の評価を下げることになったかもしれない。
ワイドボーンのように何も言わなければ良かったのに。
優しいことだと言った、ワイドボーンの気持ちがコーネリアは今になってわかった。
実際に、アレスの事がなければコーネリアもこうして動こうとは思わなかっただろう。助けを求められれば助けるかもしれない――だが、テイスティア自身は助けを求めることすらしていなかったのだから。
「あの……」
何も言わないコーネリアに、テイスティアが言葉をかける。
不安げに揺れる瞳には、怒られることへの恐怖があるようだった。
別に怒るつもりはないと、小さく首を振った。
すぐに言葉が出てこないのは、回答が思いつかなかったからだ。
コーネリアは考えながら、テイスティアに近づいた。
小さく胸を押さえる小動物のようだった。
彼が果たして戦場に行くことが出来るだろうか。
戦場で最善の判断を行い、敵を殺すことを決断できるだろうか。
覚悟がないと言った彼では、とても無理なことのように見えた。
そんな彼を戦場に狩り立たせるのか。
その必要があるのだろうか。
――結局は、この子次第なのよね
小さく息を吐きながら、フェンス越しに下を見れば――明りのない闇が広がっている。遠くに街灯りが見えた。おそらくは金曜日の今日であるから、あの街に向かって何人もの脱走兵がいるのだろう。同時に帰ってくる彼らを待ち構える巡回兵も増える。
今日の見回りはアレスらしい。
脱走兵にとっては酷く可哀そうなことだが。
「私にも全ての覚悟があるわけじゃないわ」
「そんなこと」
「ないと思う? でも、ない方が自然でしょう。平然と敵や味方を殺せるわけがないわ。ああ言っているけど、アレスもそうじゃないかしら」
怪訝そうに見上げるテイスティアに、小さく首を振る。
「別に覚悟がない事が悪いわけじゃない。怯える事が悪いわけでもない。誰もがそう。ようはそこで逃げるか、逃げないかじゃないかな」
「……どうして、先輩は逃げずに戦えるのですか」
「参考にはならないわよ」
「教えてくれませんか」
少し迷ったようにコーネリアは口を止めた。
テイスティアが見上げている。
真剣に聞き逃さないとする様子に、コーネリアは苦笑する。
「私は士官学校に入った理由なんて、あなたみたいに大きな理由があったわけじゃないわ。ただ中等科の時に好きだった人が、士官学校を受験したから。ま、その人は落ちたわけだけど。アレスも言っていたでしょう。別に士官学校に入った理由――戦う理由なんてどうでもいいのよ。どんな理由だって、恐いものは恐いのだから。でも」
と、コーネリアは小さく呟いてフェンスにもたれかかった。
「入ったら入ったで、きついし、辞めたいと何度も思ったわ。その上、過去の戦いを見たら見たで、酷い戦いがいっぱいあるわけよ。あまりに酷い艦隊運用とか見てると、私ならもっと救えたのにってね。そう思ったら、もう逃げられなくなった。私は誰よりも艦隊運用には自信があるし、その自信が私を支えてくれる」
いまだに固まるテイスティアに、コーネリアは笑いかけた。
言葉はでないものの、それだけかという表情が隠れている。
きっと逃げない理由に、凄い理由があると思っていたのだろう。
あるいは、全て解決する完全無欠の回答か。
そんなもの存在するわけがないのに。
「その……ありがとうございます」
「でも、勘違いしないでね。私が言った理由は私だけの理由よ――あなたにはあなただけの理由があるわ。それを私が教えることはできない、自分で考えなさい」
「ごめんなさい」
慌てたように謝ったテイスティアに、コーネリアは微笑む。
「謝らなくていいわ。別にいますぐに見つけろってわけじゃないし」
「え?」
「そんなに簡単に人を殺す理由を見つけられても驚くわ。むしろ、一学年なんて何も考えてないんじゃないの。それは、あと五年間で、ゆっくりと見つければいいの。それが普通だし、アレスが早熟し過ぎているのよ」
呆れたような言葉に、テイスティアは目を白黒させている。
「いま答えが見つからない事が悪いわけではないのよ。この五年間に探せばいいだけのこと。それにこれは私のことだけれど、誰にも負けないものがあれば結構楽よ。自信にもつながるわ」
「でも、僕は……」
「あなたにしかできないことだってあるはず。そのヒントは、もう貰っているでしょう」
くすっと笑ったコーネリアに、テイスティアは大きく目を開いた。
士官学校に入って、初めて褒められた言葉。
自分にそんな能力があるなど思ってもいなかった。
だからこそ。
「自信がない?」
「はい」
「私だって最初から艦隊運動に自信があったわけじゃないのよ。何度も失敗して、挑戦して、戦術シミュレーターにこもって――ようやく自信がついたのだから」
「僕にも……出来るでしょうか」
「やればいいじゃない。失敗しても、あなたが困るだけで終わる。何百人の命を背負うより、遥かに楽なことでしょう」
あっさりとコーネリアは言った。
確かに、今まで自分が悩んでいたことに比べれば、自分だけで終わると言うのは遥かに簡単に聞こえた。
もちろん、恐い。
失敗したらどうしようと思う。
誰だって失敗をしたくない。
でも、辞めたら失敗すら出来なくなる。
「コーネリア先輩。僕――もう少し頑張ってもいいでしょうか」
「それになぜ、私の許可が必要なの」
「そうですね。……僕、もう少し頑張りたいと思います」
言いなおした言葉に、コーネリアは満足そうに頷いた。
+ + +
「すみません。ご迷惑をおかけしました」
小会議室の扉が開くや、声とともに頭を下げる少年がいた。
小さく片眉をローバイクがあげ、コーネリアが出迎える。
いらっしゃいとの言葉に、テイスティアも嬉しそうに微笑んだ。
しかし、それは一瞬。すぐに真面目な顔になれば、アレスの方に歩きだした。
アレスも何も言わずに向かい合う。
視線に対して、テイスティアは怯むことなく頭を下げた。
「アレスさんの言っていた覚悟は、僕にはまだわかりません」
「そうか」
「でも、僕はやめません。覚悟もない駄目な僕だけれど、その理由を見つけたいから――僕はやめません」
「卒業まで見つからないかもしれないよ」
「かもしれません。でも、僕は今まで何もしなかったから。もう遅いかもしれませんけど、頑張りたいんです」
テイスティアの答えに対して、アレスはしばらく彼を見つめた。
怯えのない目が、アレスを捉えている。
アレスが何を言ったところで、迷わない。
そんな瞳に、アレスは小さく髪を撫でた。
「なら、好きにしろ。元より辞める辞めないは君が決めることだ」
「ええ。でも、先輩には――アレス先輩には言っておきたくて」
「普通は、最初は私に言うものだと思うがね」
少し不愉快気な声に、アレスとテイスティアがワイドボーンを見た。
口をへの字に曲げている様子で、どこか拗ねたようだ。
そんなワイドボーンらしからぬ姿に、アレスは笑い――テイスティアは頭を下げた。ごめんなさいとまた謝る姿に、周囲の表情が綻ぶ。
あがる笑い声に、テイスティアも照れたように笑っていた。
「まあいい。嫌われるのは慣れている。それより訓練の後は、テイスティア――お前は残れ」
「え、は、はい」
戸惑いながら頷いたテイスティアに、ワイドボーンは意地悪げな笑みを浮かべた。
「貴様一人が頑張ったところで、どうせ無駄だ。だから」
笑みを浮かべたままで、周囲を見渡す。
「だから、君らが責任を持って、彼に教えろ。ローバイクは兵站と一般常識について、コーネリアは艦隊運用、機関工学について。そして、アレス、貴様は戦略概論と戦史、戦術分析だ」
小さく目を開いたアレスに、ワイドボーンは眉根をしかめた。
「何だ、不満なのか」
「いえ。戦史はともかく戦略概論や戦術分析はワイドボーン先輩が教えると思ってましたから」
「ふん。こんなところで意地を張っても仕方がないだろう。戦略や戦術については君が適任だと思ったから、そう言っているのだ」
「で、ワイドボーン先輩は何を教えるのですか?」
「俺は陸戦実技と射撃実技を教えてやる。君らでは出来ない事だろう?」
「ええ、あまり得意ではありませんね」
そうだろうと、ワイドボーンは笑い、いいなとテイスティアに確認する。
話の流れに唯一ついていけなかった彼は、言葉の意味にようやく気付いた。
「そ、そんな。皆さんに迷惑をかけるわけには」
「貴様が無能な方が迷惑だ」
「す、すみません」
「だから、迷惑にならないように教えてやるといっているんだ。それにな……」
顔を覗かれて、驚いたようにワイドボーンを見つめる。
睨むような姿にも、戸惑いはすれ目をそらす事はなかった。
「良い顔をするようになった。少なくとも自分の無能すら理解できない馬鹿から、無能を理解する馬鹿になったようだ。厳しく教えてやるから、覚悟をしておけ」
「は、はい。お願いします」
テイスティアは大きく頭を下げ……顔を覗いていた、ワイドボーンに力強く頭突きをした。
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