カーボンフェイス
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第三章 家路へ
「デイビット!」
黄色いテープをくぐり、現場に滑り込んできた男が、そこで立ち尽くすデイビットの姿を見とめ声をかけた。
「なんだ、もう解決しちまったか?」
赤ら顔の男が尻ポケットからハンカチを取り出し、額に流れる汗をぬぐいながら言った。
鑑識の照明の光を浴びてギラリと輝く保安官バッチ、局長を示す五連星のついたシャツの襟は汗でぐっしょりと濡れている。ウィルソン・ドルジは彼の上司にあたる男だ。もちろんその貫禄もデイビット以上といったところだろう。テープをくぐったドルジ局長は身体をのそりと起こし、バブルキットの死体を一瞥し重苦しく唸った。
「毎度毎度手慣れたものだな、今度のうちのバーベキューには招待したいもんだ。私はスペアリブを焼くのが苦手でね、どーしても毎回炭にしちまう。喜んでるのはおこぼれにありつけるウチのマックスだけだってね。」
おーよしよし、とドルジは犬の撫でるかのような仕草をした。ドルジの愛犬マックスは優秀な警察犬で数々の大会で金メダルを総なめにするほどのスーパードックだった。そのことについてドルジは鼻を高くし、スーパーマックスとよく呼んでいた。
げぇ、いつもなら局長のそんなジョークにも快く付き合うデイビットだったが今回だけは状況が違った。自分が数週間前に取引した男が殺された。もちろん、ただの通り魔の被害者として運悪く逝っちまった可能性はある。が、もし仮に男がこの街でしようとしていた何かが誰かの逆鱗に触れ、男が殺されたとしたら。デイビットも片棒を担いでいると言えなくはなかった。取引をし、目をつぶっていたのは自分だ。当然、これはずいぶんとねじまがった、ナルシスト的な見解ではあるかもしれない。本当はこの件に関する彼の不安は全くの杞憂であり、一人のイカレた快楽殺人者が新聞に載りたいがために働いている蛮行かもしれないのだ。
それでもなんとなく、本当になんとなくではあるが、喉につかえたチキンの骨のように、この事件は彼の心中をチクチクと刺激し、何度も何度も頭を巡るのだった。
現場保全が行われ始め、その作業は日が暮れるまで続いた。うんざりした手つきで派手なジャケットの端をつまみながらドルジは言った。
「なにも目新しいことはないな、いつもと同じだ。今回は目撃者もいるようだし進展があるかもな、デイビット。」
彼は仕事熱心ではあるが真面目というわけではなかった。デイビットとはもうかなり古い仲であり(デイビットが保安官になれたのも彼のおかげだ!)、よく二人で行きつけのバーで話に華を咲かせていたがそれ故に、その性格からケビンからはあまりよく思われていなかった。
道路脇の路肩で大柄な警察官に事情聴取を受ける雑貨店の店主グヴェンをケビンはアゴでしゃくった。
「あの爺さん、かなりドラッグをやってるみたいだ。有効な証言を得るのは難しいかもしれませんね。それよりこれを期に、彼を締め上げドラッグの出所を調べ上げるべきだ。」
ケビンは裏路地の存在を知らない、彼はキングストンが平和な町だと思っている。街の上澄みだけをとらえ理想に生きていた。ケビンに今回のことは相談できないな、デイビットはそう思った。一度裏路地の存在をケビンが認知してしまえばゴロツキからの「お小遣い稼ぎ」ができなくなる。それ以上に、ケビンは自分を軽蔑し、糾弾するだろう。それだけは避けないといけない。
遺体を運び出す手はずが整いだしたのはデイビット達が現場を去る直前だった。
「身元引受人はいないようだが今回も死体安置所に置いとくのか?」銀のビニールにくるまれたバブルキットの死体を尻目にデイビットは尋ねた。
「そうするしかないだろ、この分じゃ埋葬の手筈も追いつかんだろうな。」ケビンは答えた。
死体を搬送する許可が下りたことを無線で確認したケビンは捜査用に使用していた手袋を外し、煙草を取り出した。彼はヘビースモーカーだった。現場での喫煙は望ましくないのであるが、この捜査後の一服はデイビット唯一の法外の行為であり、人間臭さの表れのようだった。デイビットはそれを見届け、ゆっくりと捜査車両へと歩みを進めた。デイビットは焼け焦げたバブルキットに触りたくはなかった、検察やドルジやケビンが捜査している間も、呆けているかのように脇で立っていることが多かった。
そんなデイビットの姿を見ていたのだろう、同じく手袋を外したドルジが腹をさすりながらこう切り出した。
「浮かない顔をしてるな、デイビット。どうした?なにか揉め事か?」
「いえ、ボス。別に大したことじゃないんですよ。昼に寄ったキングストンバーガーで新作が出たんですけどそいつがひどい味でしてね、それを思い出してたんですよ。」
彼はウィンクをしながらそう言った。
「そいつは知らなかった、今度是非食べてみんとな。この歳になると食べることが唯一の趣味だ。パクパクペロリ、こいつは絶品!ってな。オレンジマフィンは食べないのか?あれはいいぞ、フカフカの生地を頬張ってみろ、疲れもぶっ飛ぶ。」
ひとしきり捲し立てた後、さてと、とデイブは切り出した。
「お前はこの頃事務所に連泊だっただろう、一度ちゃんと家に帰った方がいい。詰まらんことに悩みすぎるのはお前の悪いところだ、デイビット。」
「後始末は州警察の連中に任せよう。せっかくの週末なんだ、奥さんをどこかへ連れてってやれよ。」
携帯灰皿をかちかち開け閉めしながらケビンが黄色いテープをまたいだ。言われてみればそうだ、自分はもう長いこと家に帰れていない。妻のローザは毎日家で一人、悪いことをしているということは自覚しているつもりだった。
秋の夜の肌寒い風を受けながら、枝はその葉をすべて落としている。そんな並木を見ながらデイビットは家路に去年買った車を急がせた。
「買ったばかりの頃はこれでローザとよくドライブに行ったっけ。」
イギリス風のお洒落な庭園に動物園、それにちょっとそこのカフェまで、必要以上に二人でドライブしていた時期もあった。思えばあのころがお互い一番熱かったように思える。毎晩のように体を重ね、彼女はデイビットの体重を一身に受けても文句の一つも言わなかった。今ではもっぱら出勤用になってしまった車がデイビットの体重を支えて唸りをあげている。もう少し痩せればコイツの燃費よくなるのだろうか、今やデイビットのお小遣いの大半は車の維持費や日々のつまみ食い、それに妻のローザに内緒で部屋の戸棚の一番奥に隠してあるポルノ雑誌だ。まえに彼女が近所の友達と旅行に行くからとパスポートを探すために戸棚をあさっているのを見つけた時、彼は戦慄し冷や汗をかきながら止めたものだった。もう久しくローザと二人で外出していないな-----------------だがきっと私が誘えばローザはまた来てくれるだろう。そんなことを考えながら、家のガレージに車をつけた。
慣れた手つきでキーをはずし、するりと車を降りたデイビットは、誘い文句をブツブツつぶやきながらドアをノックした。
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