ソードアート・オンライン ~無刀の冒険者~
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マザーズロザリオ編
episode2 俺の使う呪文は
あれから数日。
今日もまた、ユウキは絶好調で対戦者を退け続けていた。
既にその人数は、六十人を超えただろう。
『絶剣』ユウキの噂は、一週間とたたずにアルヴヘイムを駆け廻り、三日目を過ぎたあたりからデュエル大会でも上位に食い込むような面々も多くみられるようになっている。しかし彼女は、なんとその全てを退けて見せた。驚愕すべきことに、彼女はなんとあの『黒の剣士』すらも倒して見せたのだ。もっともキリトは二刀はおろか本気で……いや、「全力で」集中してはいなかったようではあったが、それでもあのALO最強の一人と名高い剣士に対して、真正面から斬り勝った。
(大したもんだ……)
俺はその様子を、毎日見ていた。
有難いことに俺のこの影妖精のアバターである、『D-Rasshi-00』が、『行商人シド』のサブ(どっちがサブアカでどっちが本アカかというのは微妙なラインだが)だと知る者は、ブロッサムさんとチビソラくらいのものだ。更に言えば『ラッシー』は殆どがソロでの経験値稼ぎとクエスト攻略しか行っていない為、名も顔も知られていない。雑踏に紛れれば、俺とは誰も気付かないだろう。ネックウォーマーで顔を隠しながら、彼女を見つめ続けた。
見るたびに、痛いくらいに記憶が軋んだ。
振舞いが、笑顔が、剣技が、弾むような声が、いちいち俺の心を揺さぶった。
「やああっ!!!」
「ぐああっ!?」
ユウキの裂帛の気合が響き、土妖精の男が空から激しく叩き落とされる。衝撃によって平衡感覚をやられたのかあっさりと降参を告げ、周囲からまた歓声が沸く様子を、俺は睡眠不足の頭を振って、けれども一瞬たりとも彼女の動作を見逃すまいと眺めていた。
(ああ……)
全てを、この目に焼き付けたい。もう何も、見逃したくない。
取りつかれたかのような、一種の強迫観念が、俺を突き動かしていた。
それが、俺の錯覚によるものだと知っていながら。
その思考がユウキにも、そして『彼女』にも失礼な考えだと、分かっていながら。
(それでも、見に来ちまうんだよなあ……)
有難いことに俺の仕事はフリーの雑誌記者、昼の三時という世の社会人諸君が汗水流して働いている時間であっても俺は毎日この大木の元へと訪れることが出来る……が、その分夜中に遅くまでキーボードを叩きまくることにはなる。そのせいで、ここ一週間の俺の睡眠時間は凄いことになっているのだが。
こんな生活がいつまでも続けば体力には一家言のある俺でも心身ともにボロボロになりかねないが、有難いことにその心配は杞憂に終わった。
一人の、途方もなく美しい水妖精が、その戦地へと降り立ったことによって。
◆
(『閃光』、アスナ……あいつ、水妖精になったのか……)
このALOでは、SAOデータ引き継ぎ組は基本的にあの世界と同じ外見……つまりはリアルと同じ外見をしている為、何らかのアイテム(例えばこのALOで俺『ラッシー』が付けている艶消しの黒のネックウォーマーの様な)を装備して顔を隠さなければ、簡単に正体が割れてしまう。
しかし、どうやら相変わらず『閃光』殿は自分の外見への配慮が欠けておられるようで、その絶世の美貌を惜しげも無く晒していた。その凛々しい外見は、まさに水の精霊にふさわしい神秘的な青によく映えた。
だが。
(ま、中身は火妖精も仰天の苛烈な戦士だが、な……)
あのかつて『狂戦士』と謳われた彼女の性格を知っていれば、誰もがそう言うだろう。
すらりと剣を抜いて構えるアスナを見て、襟巻の下の口だけで小さく苦笑する。あくまで、周囲に悟られないように、だ。アスナが来たということは当然この人込みの中にキリトやリズベットもいるだろう。今は正直面倒なので、顔を合わせたくは無い。
「わっ!」
誰かに押されたのか、ふらふらと前に進み出るアスナを見て、ユウキが微笑む。
「あ、お姉さん、やる?」
「え、えーっと……じゃあ、やろうかな」
まるでドジっ子のようなアホなやりとりを得て二人が剣を構える。
当然、アスナが選ぶのはSAO時代と同じ、地上戦。
(油断するなよ、ユウキ……その嬢ちゃんは、なかなか強いぜ? 俺を倒せるくらいには、な)
湧きあがる歓声の中、俺は遠い昔のデュエルを思い出していた。途方も無く美しく、強く、気高かった、『閃光』の剣技。俺なんかでは及びもつかない、キリトと並んであの世界を救った、『勇者』の一人に恥じない力。
デュエルが始まった瞬間に地を蹴っての突進突きは、あの頃と変わらない鋭さ。
だが。
(……勇者は、お前だって同じだろ? 『絶剣』)
そのアスナの薄水色の剣が鋭くユウキに弾かれるのを、俺の目はしっかりと捉えた。
◆
「うん、おねーさんに決めた!」
デュエルが終わると同時のその言葉に、俺は即座に人ごみを離脱してやっと慣れ始めた呪文の詠唱。むやみなレベル上げでかなりの熟練度に達している幻属性の魔法、《シェイド・サイト》だ。視力の強化……正確には「指定対象の移動を追尾し、隠蔽や遮蔽物、明暗エフェクトの効果を一定まで無効化する」というストーカー御用達……もとい、かつての《追跡》スキルの魔法版といった効果の呪文。
正直人並なモラルを持ち合わせている(と、自分では思っている)俺では気が引けるが、今回ばかりはしょうがない。
(悪いな……使わせてもらうぜ……)
振り返ってその呪文の対象に選ぶのは、ユウキ。あいつはああ見えて、目の前のこと以外には妙に鈍い所がある。幾つかのお邪魔呪文をかけてもそれが直接効果を及ぼさない限りは気付くまい。彼女が飛び立つ寸前に呪文は成功し、その闇妖精の姿が、視界の中で浮かび上がる様に鮮明になる。
(……よし)
飛び去っていくユウキ。それに引き摺られるように連れていかれる、アスナ。皆がそのあっという間の人攫いを呆然と見送っていき、その姿が普通では見えなくなる距離まで離れ、今日のお開き(本当はこれでもう辻試合はおしまいなのだが)を皆が知って三々五々に散っていく。
その中に紛れて、俺も飛翔。
苦手なりに訓練した(モモカとブロッサムが嫌だっつって言っても嫌ってほど鍛えてくれた)結果、空戦こそ苦手なままだが、直線の随意飛行はかなりの速さで出来る様なくらいにはなっていた。そもそも直線での随意飛行に最も必要なのは、その速度に耐えうる度胸だ。それなら、SAOで敏捷一極で鍛えた俺なら造作も無い。
(……いける。追いつける)
見えるはずのない距離の中でも、はっきりと見えるその背中。猛スピードでこの二十四層の湖を南下していき、外周部へと向かっていく、紫と青の妖精の羽。
俺は慣れない羽を必死にはばたかせ、その背中を全力で追いかけた。
◆
ぎりぎりだった。本当に本当に、ぎりぎりのタイミングだった。あと数秒遅かったら……というか、このアインクラッド第二十七層の上空を彷徨うMobである『ガーゴイル』連中が彼女らの進路を妨害してくれなければ、間に合わなかっただろう。
二人を射程の限界に捉えて放つのは、幻属性の魔法と同時に上げている闇魔法の呪文、《エアヴェスドロップ》。この単語が「盗み聞き」を意味する「eavesdrop」から来ているなんて知ってる奴いるのか? と言いたくなるが、その名の通り付着させた対象周囲の音声を聞きとれる…要するに盗聴だ。
(どんどんストーカー化していくなあ、俺……)
標的となるユウキに再び呪文をかけて、闇に紛れる様に空中で隠蔽。
今回もなんとか気付かれずに効果が発動したらしい。うん、変態の汚名はなんとか逃れられたようだな。さすがにあの天真爛漫なユウキでも、ここまでやったら笑って許してはくれまい。それ以前に、せっかく普通まで持ち直したシウネーさんの信頼が地の底突き抜けて大暴落してしまう。
『―――まずはボクの仲間を紹介するよ!こっち!』
やれやれと溜め息をついてネガティブな想像をしていた俺の耳に届いたのは、弾むようなユウキの声。ちらりと見やれば、その体は俺の視界の端で、主街区である《ロンバール》の宿屋の一つへと入っていった。
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