とあるβテスター、奮闘する
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つぐない
とあるβテスター、雑談する
視界を覆っていた転送光が晴れると、見慣れた広場の風景が目に入ってきた。
第1層主街区『はじまりの街』。
アインクラッド最大の都市であり、新規プレイヤーがSAOにログインした際、最初に降り立つ街でもあり───同時に、このデスゲームが始まった場所でもある。
巨大な中央広場に降り立った僕は、行動可能になるや否や、すぐさま隠蔽《ハイディング》スキルを発動した。
周囲に他のプレイヤーがいないことを確認し、派手に動いてスキルが解除されないように細心の注意を払いながら、そそくさと移動を開始する。
あの《はじまりの日》から、もうすぐ半年。
最も広い面積を誇るこの街は、流石に正式サービス開始直後ほどとまではいかないものの、やはり他の街と比べて活気に満ちているように思える。
道端で談笑するプレイヤーたちを極力避けながら、大通りを抜け、店舗と屋台が立ち並ぶ市場エリアへと足を進めていく。
高レベルの索敵スキルを持つプレイヤーがいないかと不安になりながらも、何とか見つからずに目的地へと辿り着いた。
市場エリアから裏道に入り、少し進んだ所にぽつりと存在する、小さな喫茶店。
店の入口脇に設置されたベンチに、彼女の姿はあった。
「お待たせ」
「うひゃぁ!?ユ、ユノさん!?なんでいっつも突然現れるんですかっ!」
「あ……、ごめん」
隠蔽スキルを解除して、何やらそわそわしていたルシェに声をかけると、珍獣にでも遭遇したかのような驚き方をされてしまった。
毎度のことながら、目の前に突然人が現れるとびっくりするらしい。
「もう。街中では隠れる必要なんてないじゃないですか」
驚かせてしまったことを素直に謝ると、ルシェは拗ねたように頬を膨らませた。
彼女の言うように、普通、街中で隠蔽スキルを発動させる必要性はほとんどない。
というのも、隠蔽スキルというのは、アクティブモンスターから身を隠すために用いられる場合がほとんどだからだ。
尾行や奇襲など、プレイヤー相手に使われる場合もあるのだけれど……この間のゴロツキたちのような例は、至って特殊だといっていいだろう。
「僕もそうしたいところなんだけど……《ユニオン》の人たちとは、昔色々あってさ」
「えー?ユノさん、何したんですか?」
「ちょっと、色々とね……」
《アインクラッド解放同盟》。通称、《ユニオン》。この街を拠点とする、SAOで最大規模を誇るギルドの名称だ。
……そして。ディアベルやキバオウら、第1層におけるボス攻略に参加していたプレイヤーが主要メンバーのギルドでもある。
《ユニオン》の主軸となっているのは、第1層攻略後にディアベルが立ち上げた攻略ギルド《アインクラッド騎士同盟》だ。
そこに、日本屈指のネットゲーム総合情報サイト《MMOトゥデイ》の管理者が立ち上げた《ギルドMTD》が合併し、《アインクラッド解放同盟》へと名称を改めた。
『情報や食料、金銭といった資源をプレイヤー間で平等に分かち合うこと』をコンセプトに、危険と思われるモンスターの退治、オレンジプレイヤーに対する警戒など、いわば街の自警団のような役割を担っている。
彼らの活躍によって、戦いを避け、『はじまりの街』に留まることを選んだプレイヤーたちが飢えるということはなくなった。
危険を冒して狩りに行かずとも、最低限の資源を《ユニオン》が配給という形で分け与えているからだ。
この街が未だに活気を失っていないのも、彼らの活躍によるところが大きい。
今や、戦えないプレイヤーにとっての《ユニオン》は、このデスゲームにおける救世主とも呼べる存在となっている。
『民を守る騎士』を自称するディアベルにとって、《ユニオン》の指導者という立場は、まさに適任であるといえるだろう。
と、これらの活動については、立派なことだと僕も思う。
彼らの行動は、多くの戦えないプレイヤーたちにとっての支えとなっている。
自分の身を守ることで精一杯な僕なんかとは、比較することもおこがましいくらいだろう。
……だけど、問題は。
《ユニオン》の母体となった《アインクラッド騎士同盟》、その構成員のほとんどが、第1層ボス攻略において、僕に対して敵意を向けていたプレイヤーだったという点だ。
彼らの仕事には街の治安維持も含まれているため、数人体制で日夜パトロールを行っている。
ブラフとはいえ殺意を仄めかした僕が、哨戒中のプレイヤーに見つかってしまえば。
カーソルがグリーンだということなどお構いなしに、何かと理由をつけて《黒鉄宮》までしょっ引かれてしまう───といった可能性も、十分にあり得る。
こういった事情から、僕は下層の街を歩く際は常に隠蔽スキルを発動し、他人の目から逃れるように移動するのが習慣となっている。
幸いなことに、リリアから譲り受けた《シャドウピアス》、更に最近新調したマントの隠蔽スキルボーナスによって、僕の隠蔽スキルはそうそう見破られることはなくなっていた。
索敵スキルを重点的に鍛えている相手でなければ、攻略組クラスが相手でも隠れおおせることができるだろう。
……もっとも、それでも見つかる可能性が全くないとはいえず、いつもビクビクしながら歩いているのだけれど。
────────────
「──それで、あたし思うんです。カラフルな髪の色が似合う人って、結局は元々の作りがいいんだろうなって」
「あー……わかるかも。僕も染めてみようかと思ったけど、似合わない気がして断念したよ。どうせフードで隠れるしね」
「それですよ、それ!ユノさん、なんで街中でもフード被ったままなんですか!?せっかく可愛い顔してるのに勿体ないですよ!」
「か、かわいい……?」
「いっそ、髪型変えてみたらどうですか?ちょっと長めして、赤とかピンクみたいな目立つ色にしてみるとか!」
「そ、それはちょっと、勘弁してほしいかな……」
「えー?絶対似合うと思うのにー!」
他愛のないことを話しながら、NPC店員が運んできた紅茶を一口啜る。
こうして彼女の相手をしながら紅茶を飲むことは、ここ一ヶ月の間でもはや恒例となっていた。
現実世界のアールグレイに似た、それでいてどこか違う不思議な芳香の液体を、ゆっくりと嚥下していく。
口の中にほどよい甘さが広がり、思わず頬が緩んでしまう。
ルシェ曰く『隠れた名店』というだけあって、ここの紅茶は絶品だ。
彼女の話相手になるという名目で何度も訪れているうちに、僕はこの喫茶店がすっかり気に入ってしまっていた。
───今度、シェイリも連れてこようかなあ。
紅茶をもう一口啜りながら、ぼんやりと考える。
《投刃》という通り名がある僕とは違い、彼女自身はそこまで悪目立ちしているというわけでもなかった。
強いて言うなら、攻略組の一部から《人型ネームドモンスター》《歩くデュラハン製造機》《首狩りバーサーカー》などと密かに呼ばれているくらいだろうか。
人のパートナーに対して、なんとも失礼なことを言う……と、憤りたいところではあるけれど、日頃から彼女の戦い方を間近で見ている僕としては、頭ごなしに否定することができないというのが悲しい現実だ。
……まあ、それはさておき。
そんなシェイリではあるけれど、彼女は僕のように《ユニオン》の人間から厳重にマークされているわけではない。
仮にキバオウたちに見つかったとしても、有無を言わさず連行されるようなことにはならないだろう。
僕さえ見つからなければ、彼女と一緒にここを訪れることもできるはずだ。
「というわけで───って、ユノさん?」
「……あっ、ごめん。ちょっと別のこと考えてた」
「またですかー?ユノさん、そういうところありますよね。ま、まあ、あたしは別に嫌いじゃないですけど!」
「?」
そう言って、ルシェは何故か頬を赤くしながら、何かを誤魔化すように紅茶を一気飲みし始めた。
また悪い癖が出てしまって、僕としては怒られるところだと思ったんだけれど……まあ、彼女は別段怒った様子ではなさそうだし、いいということにしておこうかな?
「んぐっ───ぷはぁ。……そろそろ、お開きの時間ですかね?」
自分の紅茶を一気に飲み干し、彼女はちらりと時計に目をやった。
僕も背後を振り返り、喫茶店に設置されている壁時計を見ると、時計の針は午後2時を回ったところだった。
この店に入ってから、時間にしておよそ一時間ほど。
一週間に一度、短い時間の間だけ、こうして話相手になる───それが、ルシェが僕に望んできたことだった。
「ん、そうだね。今日はこれから攻略だから、そろそろ行かないと」
今日はこの後、シェイリと二人で迷宮区に足を運ぶ予定だ。
昨日までに半分ほどマッピングを済ませてあるので、そろそろボス部屋を発見することができるかもしれない。
「……ユノさん。あたし、迷惑じゃないですか?」
「え?」
僕が帰りの身支度を整えていると、ふと、ルシェがそんなことを言った。
「ユノさんは攻略で忙しいのに、あたしのせいで時間を使わせてしまって、迷惑だったりしませんか?」
「うん……?」
さっきまでとは打って変わって、恐る恐るといった様子で聞いてくるルシェに、僕は少し困惑してしまう。
時間を使わせてしまってると言っても、一週間に一度、それも一時間くらいなら……特に、気にすることはないと思うのだけれど。
「えっと……そんなに長い時間ってわけでもないし、僕は大丈夫だよ。シェイリにもちゃんと言ってあるし」
「……ほんと、ですか?」
「うん。それに、僕も何だかんだで楽しいからね。迷惑なんて思ったことはないよ」
本当に迷惑だと思っているなら、そもそもこうして待ち合せたりはしない。
それに、何だかんだで───誰かとこうして他愛もない話ができることが、嬉しかったりもする。
少し前まではできなかったことだから、尚更だ。
「っ!ほ、ほんとですか!?嘘なんかじゃないですよね!?」
「え?う、うん……」
「よかった!あたしユノさんに迷惑だと思われてたらどうしようかと……あ、ごめんなさい、いきなり変なこと聞いちゃって。でもよかったです、ユノさんがそう言ってくれて!」
「え、えーっと……?」
思っていたことを正直に言うと、ルシェは一転、いつも以上のハイテンションとなって満面の笑みを見せた。
正直な話、僕が言ったことの何がそんなに嬉しかったのか、言った本人である僕にもよくわからないのだけれど……まあ、彼女が元気になったというのであれば、それ以上追及するのは野暮というものかもしれない。
「あ、そうだ!今度、あたしの友達も連れてきていいですか?」
と、そんなことを考えていると。
彼女はいいことを思いついたというように、笑顔のまま僕に問うた。
「僕は構わないよ」
「やった!ユノさんのこと、あの子にも紹介したかったんです!」
特に断る理由もなかったため、僕はその提案を受け入れることにした。
彼女の話によれば、SAOで知り合った、長らく親しくしている友人がいるという。
彼女と同じくらい怖がりらしく、このデスゲームが始まってから暫くの間は、お互いこの街に籠っていたのだそうだ。
そんな彼女の友人は、最近になって、同じギルドの仲間と狩りに出るようになったらしい。
確か、名前は───
「それじゃあ、今度会う時に連れてきますね!」
「ん、わかった。楽しみにしてるよ」
「はいっ!きっと、サチも喜びます!」
───サチ。
それが、僕が───否、僕“たち”が助けられなかった、女の子の名前だった。
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