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真鉄のその艦、日の本に

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第九話  叛乱への反旗

第9話 叛乱への叛乱

遠沢が、血を流している長岡の首筋に包帯を巻く。その首筋には、神経に達するまでのインプラントがなされ、それが記憶中枢にまで介入し、記憶に歪みを生んでいたのだ。それを引き抜いた遠沢は、簡易救急セットを使って、慣れた手つきで手当てをした。長岡は力が抜けてしまっていた。何も言わない、目は何も見ていない。
無理もない、と遠沢は思う。

遠沢が福岡駐屯地を出発前、自室に戻ると、上戸から化粧品が贈り物として届いていた。中身はファンデーションだったが、そのスポンジの裏には、ICチップが仕込まれており、この建御雷の幹部達の情報と、彼らが意図するであろうところが仔細に記されていた。
幹部達は田中と長岡以外は全てが東機関で廃棄処分になりそうだった所を脱走したサイボーグ達であったが、一応長岡の情報にも目を通しておいた。

妻に先立たれてからというもの、この長岡という男はどうにも勤務に身が入らなかったようである。そこで環境を変えてやろうという当時の艦隊司令の計らいで、建御雷の初期メンバーに選ばれたのだった。勤務に身が入らなくなったのにも関わらず、却ってそのように気を効かせてもらえるあたり、この人物がそれまでに積み上げてきた人徳が伺える。そして一年間の研修のうちに、段々と状態が上向いて、現在に至っていたらしい。それはやはり、建御雷の幹部達との交流の効果だったのだ、と遠沢は思う。初心に返って、一から未知の物を苦労して仲間と学ぶ、というのが新たな生き甲斐になったのかもしれない。

その自分を助けた一年間、今日までの日々が全て欺瞞だったと知った今、長岡は空っぽになってしまった。

だから諜報部員は嫌いだ、と遠沢は思う。他人の人生を覗いてしまう。こんなもの、見たくなかった。こんな事知らなければ、彼らが“人間”だって事を、ここまで意識せずに済んだ。自分の行動の邪魔者として排除すらできたかもしれなかったのに。さっきの営倉でも、毒ガスが満ちるまで待っておけば良かったのかもしれない。自分はあの程度では死なないし、あんな貧弱な牢はいつだって脱出できる。津村と長岡にあそこで別れを告げていた方が行動はしやすかったかもしれない。でもそんな事はできなかった。他人の人生、そんなものはただの情報だって上戸局長は言うけれど、自分にはそれを割り切る事はできない。単純に、向いてないのだろう。
だからこそ、今は陸軍所属にされてるのだろうけど。

自分で体をまだ動かせない津村と、腑抜けてしまった長岡。この二人をこれからどうしようかと思った時、艦内放送が響いた。

<長岡副長、津村中尉、そして遠沢准尉。聞こえとるか?砲雷長の本木じゃ。今建御雷を預かっとる。>

このタイミングで語りかけてくるか…と遠沢は唇を噛む。

<まー、ほんで津村、すまんかったの。そこに居る遠沢准尉は東機関の工作員でな、いや、元工作員なんじゃが、とにかく俺たちにとっちゃ厄介なんじゃ。しかし巻き添え食わすのはいささか乱暴じゃったの。まー、お前の事は嫌いじゃなかったけ、できるだけ殺したくはないんじゃ。じゃけやっぱりのう、生き残るチャンスをやるわ。脱出艇が一つ余っとる。それん乗ってこの艦から出てってくれたら、俺らはもうお前らにゃ手だしせんわ。まー、説明不足ですまんけどの、でも絶対、後になりゃ俺らのした事の意味が分かる。ほんじゃ、元気で、な。遠沢、お前ももう東機関じゃないんじゃけ、賢明な判断をしてくれ。以上。>
「…やった」

遠沢はすぐさま、プラットフォームの電子盤を操作し、プラットフォームに脱出艇を呼び寄せる。武士の情け、か。もしかしたら、これも嘘で、脱出艇が建御雷から射出された途端撃つのかもしれないが、しかしここに残っていれば100%、殺されてしまう。勿論、遠沢は残る。しかし、津村も長岡もこれから始まる"人でなし"同士の戦いになど関わるべきではない。彼らは生きるべきだ。真っ当に生きていくべきだ。ここは、本木を信じて、その情けに甘えさせてもらう。

プラットフォームに到達した脱出艇のハッチを開け、津村をその中に運び込む。操縦席で自動操縦を設定し、次に自分から立ち上がろうともしない長岡に肩を貸す。

「………んきになれるわきゃねぇだろ」

不意に、長岡が言葉を発した。次の瞬間、長岡の足に力が入った。自分の力で立ったかと思うと、肩を貸している遠沢を突き飛ばした。

「!!なにを…」

長岡はそのまま駆けていき、脱出艇のハッチを乱暴に、叩きつけるようにして閉める。そして制御盤の、発進のスイッチに渾身の拳を叩き込んだ。

バキッ!

スイッチが強く押し込まれすぎて割れる。
その勢いそのままに脱出艇の発進口が開き、津村だけを載せた、残り一機の脱出艇が艦外の空に射出されていった。

「あ…ああ……」

遠沢はその光景に言葉を失った。
長岡は息を切らして、しかし光の戻った目で艦外の空を見ていた。

―――――――――――――――――


「行きました。しかし、艇内には一人のみ。本木さん、長岡は、残りましたよ」

レーダー手の山本が、本木の顔色を伺うように言った。しかし周りが気にするほど、本木は気にはしていない様子である。四角い顔の無精髭をさすっていた。

「ま、残ったって事は俺らには従わんゆう事やの。殺すしかないわ。行ってこい。」
「おう。」

辻を中心とした何人かが、発令所を出て行く。
その脇には、武器庫から出してきた重火器も抱えられている。

本木は発令所の虚空を見つめる。そして目を閉じて、ため息をついた。

―――――――――――――――――


「なッ…何でッ…何でこんな事をッ…」

突き飛ばされて床に倒れこんだ姿勢のまま、遠沢は言葉を震わせ、俯いて床を叩く。長岡は、とても意外に感じた。これまでずっと冷たく尖った雰囲気しか出してこなかった遠沢が、ここまで憤りを露わにするとは。

何で逃げなかったのか?簡単である。逃げたく無かったからだ。二神島海戦で、田中に食ってかかった時と同じように、腹の底から熱くたぎったものが湧いてきて、それが長岡を一気に突き動かした。

人を騙しておいて、説明不足だと?後になれば分かるだと?元気でな、だと?
ふざけるな。騙してた事にまず詫びやがれ。
お前を信頼して、お前の言葉に救われた気になっていた数時間前の俺は一体何だったんだよ。殺しにかかる前に、俺を慰めようとでもしやがったのか?

そういう、旧友だと思っていた男に対する怒りもあった。そして何よりも、自分にはもう何も残っていない。妻も居ない、信頼できる仲間も居ない。この上、この建御雷からも、つまりは自分の軍人としての在り方からも逃げてしまったら、自分に一体何が残るのか?何も残らない。生きた所で、ただのクソ製造機だ。何の価値もない。自分を自分たらしめてきたものから、逃げる訳にはいかない。この艦が俺の全てだ。生き甲斐だ。よくわかんねえ連中に好きにされてたまるか。こいつは俺自身なんだ!敵から逃げて平穏に、細々となんて生きていけるか!それじゃ今の日本と一緒だ!勝つか負けるかなんかはいい、戦ってやる!




「自分のした事ッ…分かってるんですかッ!?」

遠沢は痛恨の面持ちで奥歯を噛みしめる。
長岡の、失ったものへの思いは分かる。しかし、命さえあれば、それを取り戻すチャンスなんていくらでもあるだろう。なのにどうして、最後に残った最も大切なものまで失おうとするのか。その命を、私がどんな気持ちで助けたのか分かっているの?あんたを守ろうとした私の思い、何でそんなにあっさりと踏みにじれるの?

遠沢は、意を決したように立ち上がる。唇をキッと結んで、長岡を睨み、ツナギのポケットに忍ばせていた拳銃を向ける。

「足手まといです。もう、知りません。死んで下さい。」

怒りを孕んだその視線は、例え銃口とセットだろうと、長岡は不思議と怖いとは思わなかった。それよりも今までの、モノを見るような冷たい視線の方が恐ろしかった。今の遠沢は、自分と同じような気がした。感情を剥き出しにした、同じような人間だ。人間には、負けない。

「撃ってみろや」

長岡はその銃口に向かって、堂々と歩み寄っていく。これも、腹の底からの何かがそうさせた。

「確かに俺はの、お前ほど凄くはねぇしの、足手まといかもしれんの。でもな、この艦は今、俺のもんだけんな!艦長が殺されたんなら、この艦は砲雷長の本木じゃねぇ、副長のおれのもんだ!ほんでな、今の俺は副長じゃないと、他の何でもなくなっちまうんだ。他にない、これは命に換えても守ろうとしなくちゃいけないもんなんだよ!」

長岡は自ら、遠沢が構えた拳銃に自分の心臓を押し付けてやった。遠沢の形の良い輪郭の顔が紅潮し、その銃口の震えは、長岡に直に伝わる。長岡は何故だか、勝った、と思った。
そしてそれは、間違っていなかった。

「…阿呆です。本当に阿呆ですよ…」

遠沢は銃を下げた。恨めしそうに、長岡の顔を見上げる。長岡はニンマリと笑った。


「男は、みんなこんな感じの阿呆だけん。…ここに居たらまずいんだったか?じゃ行くか」
「どこへですか?」
「とりあえずは作戦を練る。奴らに分からん所に行くぞ」


長岡は駆け出した。
遠沢はそれについていった。
ドタドタと走るおっさんと、鹿のようにひょいひょいと、足音も立てずに駆ける女。何とも滑稽な図だが、それを突っ込む者はその場には居なかった。

――――――――――――――




「ふぅ~」


古本は大きく息をついた。手に持っていた対物ライフルを地面に置き、両手を合わせて空に向かってうん、と伸びをする。

その周りには、引き裂かれた沢山の屍。近衛師団のものもあれば、飛虎隊のものもある。地に倒れ伏して、血を垂れ流して積み上がったそれらを目を細めて見渡しながら、古本はつぶやいた。


「弱かったな~。返り血もつかず終わっちゃったよ~。」


それは実際、1分もかからぬ出来事だった。
陸軍近衛師団の陣地に突貫する飛虎隊。その動きたるや、まるで同じ人間ではない。尋常ではない速さで走って、近衛師団のバリケードに肉迫し、携行したマシンガンで弾をばらまいた。
一瞬の出来事である。恐らく、近衛師団の兵の多くは何が起こったかを知覚する前に四散した。彼らの携行しているマシンガンというのは、その口径を見れば機関砲とも形容すべきもので、普通の盾やバリケードの類は簡単に吹き飛ばしてしまう。そのような銃を持っての、そのような常軌を逸した動き。飛虎隊も山犬と同じように、普通の人間の部隊ではない事は明らかだった。

しかし、古本にはその動きが見えていた。この場で彼らの動きを簡単に目で捉える事が出来ていたのは、古本と徳富だけであろう。この日本で10人だけの、原液のHソイルにより死亡する事なく覚醒した人類、この場に居る2人がそうだった。彼らにとっては、飛虎隊の連中の動きはワンパターンに見えていた。

飛虎隊の兵士は、強化人間である。しかし、山犬のような希釈Hソイルによる強化ではなく、外科的手術による強化だった。その点、人体改造を施されたサイボーグとも言える。
全身に小動物の脳を配置し、動きのパターンを記憶させるという方法である。これにより本来の脳に神経伝達が行われるより早く配置された小脳が指令を出して動くことで反射能力の向上が測られ、同時に組み込まれたパターンも各分野の達人のものであり、訓練なしに達人と同じ動きができるようになる。
しかしこれには短所があり、逆にいくら訓練しようとインプットされたパターン以外の動きはできない。いや、これは普通なら短所とは言えないもので、その時々でアウトプットするパターンの組み合わせをいじるだけで動きにはそれなりにバリエーションは出るし、それなりにバリエーションがあれば対策など練れないほどの動きの良さなのだ。
しかし、今回は相手も普通ではなかった。
古本にとっては、たったそれだけの事で簡単な動きにそれが見えていたのである。


「コ・ブレーン方式の連中って事は、中共にはこの動きのオリジナルを提供した奴が居るって事だが…今回は来てねぇのかぁ?そいつとならそれなりに楽しめるはずなのになぁ。」


突然にして目の前にできた負傷者死者の山に対して、応急処置及び救急搬送に駆け回る近衛師団を意にも介さず、古本は実に呑気な口調で言う。
圧倒的な実力。これが東機関のNo.3である。


「…………」


しかし、その古本の影に隠れるようにしていた徳富は、通りの向こうを、じっと見つめていた。幼い顔を精一杯引き締めたような表情をして、粉塵が少し舞っている通りの向こう側を睨む。


「……いえ、来てますよ。その、オリジナルの方が」
「うん?」


古本も、徳富の見ている方向を、メガネを右手でくい、と引き上げながらレンズの奥の目を凝らす。そこには人が立っていた。一人の男が立っていた。


「あっ」


古本は何かに気づいたように声を上げる。


「あぁ~~」


古本が何ともしんみりした、先ほどまでの飄々とした雰囲気とはまた打って変わった顔を作り、足下に置いた対物ライフルを拾い上げるのと、その彼方の人影がそこから消えたのが同時だった。

ダンッ!ダンッ!

二発続けて、古本は対物ライフルを放つ。先ほど人影が見えていた地点より、だいぶ古本らに近い地点で、ガチン!!と金属がぶつかり合う高く耳触りな音がした。
徹甲弾は、音が響いたその場所で、砕け散っていた。地に落ちた徹甲弾の破片の傍には、キラリと光る刃、日本刀を持つ男が立っている。その男は、先ほど遠くに見えていた人影、まさにその人である。濃紺のスリーピースのスーツを着込み、その腰には洋服とは全く不釣り合いな日本刀、90cm以上の大太刀の鞘を佩いている。90cmの大太刀を腰に佩けるくらいには背が高く、古本と違ってガッチリとした体格をしている。何も言わないその顔は唇がキッと結ばれ、今時珍しい顎のよく発達した輪郭をしていた。そして一瞬にして、相当な距離を移動した。徹甲弾が砕け散ったのは、やはりこの男の仕業なのだろう。どうやったのかは分からない。しかし、この男がやった。

突然の古本の発砲と、その銃口の先に現れた一人の日本刀を持った妙な男に、救急搬送に忙しく動き回っていた近衛師団の兵士もその手を止める。多くの視線が自身を捉えようが、日本刀を持った男は構えを崩さず、微動だにしない。
古本も、その男に銃口を向けたまま、固まっている。


「………はぁ~あ」


声に出して息をつき、古本はその銃を下げた。すると、日本刀の男もその大太刀を鞘にしまう。一体どういう事なのか、近衛師団にもさっぱりであった。呆気にとられたまま、両者の挙動に釘付けになっていた。

古本はその場に腰を下ろし、自分の対物ライフルを不意に解体し始める。恐ろしく慣れた手つきでアッという間に銃を元のケースにしまうと、そのケースを肩越しに負って、踵を返して歩き始める。


「おっおい!君!どこに行くんだいきなり!」


いきなり発砲したかと思うと、自分が撃った相手に背中を見せて悠然と歩き始めた古本を、前線指揮官が慌てて呼び止める。古本は実に簡単に言い切った。


「ああ、悪いなおっちゃん。俺アイツには勝てねーわ。だから逃げる。」


あまりに唐突な物言いに、前線指揮官も怒るより先に力が抜ける。勝てない?勝てないって事はありゃ敵なのか?逃げる?逃げるって何だそれはそんな事が許されるのかそんな選択肢が用意されているのかお前恥ずかしくはないのかそもそも(以下略


「だって、アイツ世界最強なんだもん。勝てる訳ねーべ?意味わかんねぇんだもん、あの強さ。お前らもとっとと逃げな。さすがに背中見せるような奴に切りかかっちゃこねぇから。」


言いたい文句がありすぎてかえって固まってしまった前線指揮官に、その逃げ足は止めず飄々と古本は語る。


「だよなぁ、瀧ィ?それがお前の人の好さだもんなぁ?」


ふと振り向いて、日本刀の男に呼びかける古本。瀧と呼ばれたその男は、眉間に皺を寄せたその表情はそのままに口だけを動かして応える。


「逃げるんなら、とっとと行け。負け犬。」


跳ねつけるような調子で言われた古本は、苦笑いしながら手をひらひらと振った。


「あの世でまた会う時がありゃ、そん時は久しぶりに飲もうぜ、裏切り者。…徳富ィ、後は任したぜ~」


古本はもう一度瀧に背中を向け、歩き出す。
徳富は慌てた。


「ちょっ、本当に帰っちゃうんですかァ!?」
「当たり前よぉ~上戸のヤローにも許されてるんだし別に良いだろ~」
「ですけども!可愛い後輩が心配になったりしないんですかァ!?」
「うん、全然。キャバの姉ちゃんが無事かどうかの方が気になるな~」


背中越しに徳富にかしましく騒ぎ立てられても古本は一切振り返らずに適当な返事だけをよこし、とぼとぼと歩くのを辞めなかった。徳富は丸い童顔を膨れさせてむくれ、地団駄を踏んでいる。こうして見ると本当に子どもにしか見えない。

その様子を見て、瀧はため息をつく。あの助平眼鏡は、しばらく見ない間にもちっとも変わっていない。しかし、嫌いではなかった。

やがて、地団駄を踏んでいた顔の幼い女が、ようやくこちらを振り返り、ずんずんと肩を怒らせて歩いてくる。近衛師団の面々に「何があっても手出しはしないで下さい。早く負傷者を集めて、後方の陣地まで撤退をお願いします。」と命じた。若い女の言う事だが、近衛師団はその言葉に頷いて、そそくさと撤収作業に取りかかる。さっきまで圧倒的に敵を蹂躙してきた古本が尻尾を巻いて逃げ出したという事実に、ただならぬ気配は察したのだろう。一斉に退き、逃走を図る屈強な男たち、それらを庇うように立ちはだかり、こちらに向かってくる若い女。構図としては実に滑稽だ。若い女を盾にする男たち。もはや今の世界に男も女もないのだと暗に示しているかのような絵だ。

いや、そうさせているのは、「普通の人間」の理屈では説明できない自分であって、そんな人外の立場から彼らを馬鹿にしてはいけないのかもしれない。



瀧と徳富。角ばった男と、丸顔の女が、互いに相手を睨みながら、がらんとして荒廃してしまった帝都にて対峙する。


「………若いな。年は幾つだ?」


先に口を開いたのは瀧だった。


「申し遅れました。徳富です。歳は18になります」


徳富の童顔が、緊張に強張る。


「18か。まだ18の女だというのに、こんな…」
「瀧さんだって似たようなものではないですか。まだ東機関に居た頃のご活躍は、局長からよく聞いております。」


瀧がまた、ため息をついて首を傾げた。けして浮かれた顔はしない瀧であるが、ずっと強張った顔で、虚勢を張るように瀧を睨み続けている徳富よりかは余裕のある態度を見せている。


「またこちらに戻ってはくれませんか?局長もそれを望んでるようですが…」
「断る」


徳富の頼みを瀧は即座に却下した。



「閉塞した現状をただ継続していく為に人を殺し続けるのは、俺はもう嫌なんでな。日本は緩やかに死につつあるんだ。ここらで変わらないと、本当に取り返しがつかなくなる。」
「その為にする事が、日本を裏切って中共に祖国を売る事なんですか!?中共に取り込まれれば今よりマシになると本当に思ってるんですか!?」
「俺は今の日本を変えたいだけだよ。中共はその為に利用しただけだ。日本を乗っ取らせはしない。この俺がさせない。ただこの国の中枢…もうどうにもならない腐った部分は取り出さないといけない。例え容共どもの手を借りてもだ。」
「……その中共の連中がこの帝都で何をしたと思ってるんですか?犠牲が多く出過ぎです。あなた、それは傲慢ですよ。」
「傲慢、な。そもそも俺たちの存在そのものが傲慢じゃないか。人間以上のモノを作ろうとしてな



人間に及ばない何かになっちまった。」

瀧は大太刀を抜き放つ。徳富も、スーツの上着の下から両手に脇差を抜き放った。
瀧が地面を蹴る。徳富も地面を蹴る。
二人はお互いを目指して突進し、すれ違い様に互いに斬りかかる。

ガチッ!!

金属同士がぶつかり合う音。瀧は上から刀を振り下ろしてそのまましゃがみ込む形。徳富は下から上に跳躍し切りつけようとしたまま宙に舞い、バック宙して着地した。

徳富の両手にあった脇差が、ボロボロと崩れ落ちる。まるで消し炭のように脆く、そして変色していた。


「例え重金属製の脇差でも、この刀に斬られればひとたまりもない。…今のはわざとだ。お前の脇差に狙って当てた。」


瀧がゆっくりと背後の徳富を振り返る。その表情は先ほどと変わらず、息一つ切れていない。対照的に徳富の方は冷や汗が頬をつたい、顔が上気している。今の接触に、相当神経を使ったらしい。


「刀に仕込まれた…呪禁道……」


徳富も話には聞いていた。この瀧がHソイル原液によって目覚めさせた能力は、霊能力。それを古代の呪術、呪禁道と結びつけ、彼が自ら細工をした日本刀で斬れば、それが例え致命傷で無くとも、例え霊体であろうとも、物理的に切断が不可能なものでも、

死ぬ。朽ちる。滅びる。沿岸に浮かぶ、廃艦になる護衛艦を一刀で沈めた事もあったらしい。科学の発展したこの時代に何が呪術だ、呪いだとも言われるかもしれないが、しかし、効果が実際であるからには認めざるを得ない。人を作り変えようという科学の野心は、遂に科学によって解明できないようなモノまでを生み出してしまった。戦車や装甲車などの重火器より、この男はよほど恐ろしい。ついでに、この男は反射速度、俊敏性、腕力、持久力、生命力などの身体的基礎能力も図抜けていた。東機関が採ったデータの蓄積の中でもこれほどまでに能力が向上した例は瀧以外には無い。もはやそれらの数値は人間の域を超えている。まさに、Hソイルによって強化されるべき運命にあったとしか言いようのないほどの能力を手にいれた男なのである。

勝てるはずがない。徳富はそう思った。自分のようなヒヨッコには、明らかに及ばない相手だと。しかし

退く訳にはいかない。
代わりの脇差をまたスーツの懐から引き抜いて、徳富はもう一度瀧に突貫する。

瀧は呆れたため息をついた。警告は十分にした。遠慮は要らない。もう相手の間合いで勝負してやる必要はない。相手は脇差、こちらは大太刀。近づかれる前にケリをつけてやる。

瀧は向かってくる徳富を、その大太刀で横薙ぎに払った。避けようとしても無駄。幸せ草によって強化された人間ですらそうそう捉える事のできないほどの速い動きだった。これが瀧の本気である。そしてこの大太刀は致命傷を与える必要はない。かすりでもすればそのまま死に至るのだ。生傷をその場で修復するほどの強化人間特有の回復力、生命力も意味がない。とりあえず致命傷だけは避けるようガードする、という事も無駄である。

しかし、徳富は、瀧の予想に反して、その剣撃を"避けよう"としなかった。その中背の体に、大太刀を受け止めた。しっかりとした手応え。瀧の四角い顔に、返り血が飛び散る。
そして返り血と一緒に、徳富の持つ脇差の切先がその顔に飛んできた。
身を翻し飛び退いて瀧はそれを避けるが、頬にそれは擦り、肌に血が走る。予想外の行動に、少し反応が遅れてしまった。

大太刀をその胴にまともに食らった徳富は体を血に染め、地に手と膝をつき、むせこんで口から血を大量に吐き出した。体に大きな裂傷が出来ていた。しかしその裂傷は、みるみるうちに塞がっていく。

何、呪禁道が効かないか…それに捨て身の攻撃かと思ったが、よく考えれば相手の脇差が届かない間合いで斬ったのに、どうして自分の顔まで脇差が伸びてきたのか…

首を傾げ訝しむ瀧。荒い息を整えながら、立ち上がる徳富。瀧はその体から、消し炭のような欠片がパラパラと落ちたのを見て、ふん、と鼻を鳴らした。


「斬られた部分の細胞を切り離して、呪いの侵食を防いだな。そして回復が異様に速い。お前が目覚めさせた能力とはそれか。」
「よく…分かってるじゃないですかっ…」


これは、それなりに厄介な相手かも知れないな。瀧はその実直な顔を引き締め、大太刀を構える。徳富は、肩で息をして、口元を血で汚しながらくりくりとした眼を真っ赤に充血させて瀧を睨み、脇差を構える。


「哀れな小娘。攻撃が効かないというだけでは、俺に勝てないのに。」
「余計な……お世話ですっ……!!」

もう一度、両者は対峙した。


――――――――――――――――



機関室には、エンジンの音が響く。多くの計器、コンソール、機器やそれらをつなぐダクトに囲まれて、長岡と遠沢は艦内図を広げていた。
今建御雷は、発令所で全ての艦機能をコントロールしている状態で、各所の見張りも監視カメラ頼みである。この機関室はエンジンなどの影が大きく監視カメラの死角が多い。そして、出港直前に整備をスムーズに行う為のハッチを増設した部分があった。これは曹士以下が勝手に換気用ダクトを改造したもので、幹部達の殆どはこれを知らない。知っているのは、たまたまその場を通りかかった長岡だけで、その時曹士の代表である先任伍長に勝手な改造を口止めされた。他のハッチを開くと、隔壁の開閉が発令所の艦内コントロールに伝わってしまい、自分の位置を教えてしまうが、このハッチには監視システムは設置されてはいまい。そのハッチをくぐり、艦の急所である機関室に潜入できた。いざとなれば、目の前のエンジンを人質に立てこもる事もできる。エンジンを破壊すれば、勿論長岡と遠沢も塵芥と化してしまうのだが。

遠沢は、長岡はやっぱり相当、良い副長なのだろうなと思った。艦長を支える幹部の中でもかなり上位に位置しておきながら、曹士以下の事まで把握している。艦を統べる上と、それに従う下と、両方の事を理解しようと努めていたのだろうと思う。少なくとも、つい数日前にこの艦に乗った、陸軍上がりの自分よりはこの艦を理解している。



「なぁ、さっきも本木が言ってたが、お前、東機関の工作員なんか?」
「はい。正確には、"元”ですけど」
「"元”?じゃあ、陸軍には潜入とかじゃのうて…」
「はい。入り直しました。陸軍戦車隊学校に。19歳の時です。」
「」


長岡は眩暈がするようだった。19歳?19歳で入り直したって事は、それまで東機関の工作員だったと?一体何歳から工作員やってんだ?
そんな子どもにスパイ活動やらして、あの組織の連中は何とも思わないのか?
福岡駐屯地で出会った、上戸の顔が思い出される。あんな清潔な身なり、上品な顔をして、平気で学齢期の子どもに人の目を欺く事を命じ続けているかと思うと、心中穏やかでは居られない。


「…東機関で工作員してたのは、15〜18の間です。普通の女の子ではなかったのは、事実です」


長岡の引いている様子を感じたのか、遠沢も少し気まずそうであった。



「…今発令所に居る連中も、普通ではありません。そもそも、"東機関で仕事をする為に生み出された"者ばかりです。人体複製の技術で作られた試験管児を、成長を促進させ知識は脳内に直接記憶を定着させる事で無理矢理短期間に大人にしたような人間なんです。だから大人のような見た目をしていますが、まだ生まれて10年も経っていないと思います。」



遠沢が静かに語る内容に、長岡はついていけなくなりそうだった。人体複製?人造人間?何かそんな小説を見た事があるような気がするが、そんなものは虚構の世界の設定ではなかったのか?長岡は自分自身の常識が信じられなくなりそうだった。同時に、目の前のこの小柄な若い女を信じたものかどうかにも、若干の躊躇が残る。

いや。長岡は首を振った。
あの首筋に埋め込まれていた針、刺されていると気づく事もできなかったあの針。そして、ありもしない記憶が植え付けられていた、あるはずの記憶が消されていたという事実。これらが現実にあった時点で、この一連の事件に関しては自分の常識の外で起こっている事だと分かる。そして、遠沢は自分を助けようとしてくれたではないか。あの営倉から連れ出してくれたのは目の前のこの小娘だ。津村を手当てして、艦から逃がそうとしたのはこの小娘だ。自分の常識は信じられなくなったかもしれないが、しかし自分の勘はまだ信用できる。遠沢は嘘をついていない。遠沢は味方だ。



「で、そいつらをぶっ倒すにはどうすればええんだ?」
「そうですね…幹部の殆どは潜入型で、一般人と見分けがつかないのが特徴です。つまり普通の人間と同じです。…普通の人間の身体能力の範囲の最高値まで強化されてはいますけど。」
「て事は」
「凄く強いです。全員、海兵隊並の白兵戦能力があります。」



長岡は体から力が抜けた。発令所要員がほぼ全員、敵として、その人数は三十人程度。海兵隊三十人相手にするのに、こちらは海軍軍人(佐官なので、ただのオッサンという事だ)と、東機関の工作員だったとはいえ小柄な女が1人だ。勝てる訳がないではないか。


「そして厄介なのが、少し紛れ込んでいる、体に機械的改造を施してある者です。こういったのは、パワーも頑丈さも人間の域じゃないので、殺すのも容易じゃありません。」
「…………」


勢いで本木達に立ち向かう事を決めたが、頭が冷えてくると、これは本当に勝ち目がない戦いだ。自分達だけではどうにもできないのではないか。
長岡には、本木達に対してできる抵抗は一つしか思いつかなかった。
目の前で唸りを上げているエンジンをぶっ壊しての、建御雷の自沈。
今からでも容易にできる、それでいて連中に建御雷を使わせない、唯一の手だ。
勿論、自分と遠沢も死ぬ。
ごくっと、長岡は唾を飲み下した。死んだら、どうなるんだろうか。


「でも、できる事はあります。彼らの殆どが発令所から動く事ができません。艦内見張りに割ける人間はそう居ないはずです。」


どうやら遠沢は、自爆する気は無いらしい。それを聞いて、長岡は少しホッとした。いつも冷たい顔をした奴で、さっき脱出艇のプラットフォームで怒らせるまでは、どこか冷徹な印象もあった。1人残って自分諸共艦を沈める気だったとしてもおかしくはないと思っていたが、どうやら別の勝算があって艦に残ったらしい。


「彼らに持たせておくのが危険なのは、やはり荷電粒子重砲です。艦首の荷電粒子重砲の管制室に行って、そこのコンソールを壊せば、とりあえず荷電粒子重砲の使用は止められます。あの部屋はCICほどには堅牢には作られてないし、つけいる隙はあると思います。」


そうか、あの部屋か。長岡は、長らく忘れていた(記憶から抹消されていた)荷電粒子重砲の管制室を思い起こす。あそこまで、この機関室から行けば良いんだな。艦内通路の全てに監視カメラがある訳じゃない。監視カメラの無い通路を通りつつ、艦内を巡回してるであろう数人の敵をやり過ごす事ができれば…
とりあえず奴らの手から大量破壊兵器は奪い取る事ができる。


「行きましょう。基本的には、私が護衛します。でも副長もこれを。」


長岡は拳銃を遠沢から手渡された。ごく稀に、射撃訓練で使った事はあったかもしれない。人の命を、その手応えなしに奪う事ができる道具。自分の殺意を、簡単に相手にぶつける事ができる道具。勿論それを人に撃った事は、長岡はない。人に向けた事すらない。黒い拳銃の、思った以上にズシリと重い感触、そして冷たさに鳥肌が立つようだった。

ビビッとっちゃいけん。相手は一度、俺の命を奪いに来た連中だ。
そうだ、中共艦隊と同じなんだ。最初から奴らは俺たちを”敵”として見てるんだ。それを受け入れないと、自分が死ぬ。俺の建御雷を取り返すには、俺の生き甲斐を取り戻すには、俺自身を取り戻すには、撃つしかない。殺るしかない。

そう自分自身を奮い立たせて、長岡はその腰を上げた。遠沢も立ち上がる。

二人は、粗末な増設ハッチを開き、機関室を出た。





第十話に続く。


 
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