山嵐
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第二章
「そうですか」
「そうだ、あの人ならだ」
「本物の山嵐が出来ますか」
「本来ならこの技が受身を取れないらしい」
「受身を」
「脳天から落ちる」
背中からではなくそこからだというのだ。
「身体が完全にひっくり返ってな」
「完全にですか」
「そう聞いている」
師匠は真剣な顔で坂上に話していく。
「こんなものではない」
「今の俺の技はただ投げているだけですね」
一本は取っている、だがだというのだ。
「けれど西郷さんの山嵐はですか」
「脳天から落ちた、一度見たが凄かった」
「先生は御覧になられたんですか」
「講道館でな」
まさに柔道の本家のそこでだというのだ。
「見た、速さも凄かったがだ」
「威力もですか」
「足を払ってそれで相手は脳天から落ちた」
そうなったというのだ。
「見て驚いた、しかし他の誰がやってもだ」
「俺がしたみたいになるだけですか」
「脳天から落ちることはない」
西郷がかけた山嵐とは違いだというのだ。
「あれは本当に不思議だ」
「何か秘密があるんでしょうか」
「さてな、わしは西郷さんと稽古も試合もしたことがないからな」
だからこのことはわからないというのだ、その目で山嵐を見ていても。
「そこまではな」
「そうですか」
「どうしても山嵐のことを知りたいのは長崎に行け」
西郷のいるそこにだというのだ。
「わかったな」
「わかりました、では」
坂上は師の言葉に頷いた、そして実際にだった。
長崎に行った、長崎は坂ばかりだった。
その坂を幾つも越えて海や洋館を見ながら西郷がいるという道場を目指す、道場の場所は師から聞いた。そしてその道場に辿り着くと。
彼より二十センチは低い小柄で丸坊主の男が出て来た、坂上はまずその小柄さに驚いてその彼に尋ねた。
「あの、西郷四郎先生でしょうか」
「そうだが」
「わかりました」
「ははは、驚いとるな」
西郷は驚きを隠せない顔の坂上を見上げて顔を崩して笑った、目の光は鋭いが顔立ちは怖くはない。小柄なこともあり子供の様に見える。
「わしが小さいからか」
「いえ、それは」
「小さいことはわかっとる」
自分でもそれはというのだ。
「別にいいわ」
「そうですか」
「それでわしに何か用か」
「先生は今柔道は」
「少し離れておる」
そうしていると言う西郷だった。
「今はな」
「そうですか、では」
「いや、わざわざわしに会いに来たからにはそれなりの理由があるな」
「個人的な理由ですが」
「わざわざ来てくれた、それならだ」
それならばだというのだ。
「何でもいいから話してもらえるか」
「わかりました、それなら」
「道場に上がってくれ」
西郷は自分から坂上を道場に上がらせた、その際。
坂上は前を進む西郷の足を見た、足はやけに床にひっつきぺたぺたとした音さえ立てている、その彼の先導を受けて道場に入る。
道場には畳もある。二人はその畳の上で柔道着になって向かい合って正座になった。そのうえで話すのだった。
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