星の輝き
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第4局
地下鉄の中で、アキラは熱心に何かを考え込んでいた。そんなアキラを横目に眺めつつ、ヒカルとあかりは小声で会話をしていた。佐為を交えて。あかりは、ヒカルが近くにいれば佐為の声が聞こえるし、頭の中での会話もできた。だが、頭の中での会話はあくまで1対1の時だけだった。さすがにヒカルの考えまではわからなかった。だから三人での会話はあくまでも声を出す必要があった。
「やれやれ、何とか同じような感じになったな、オレの冗談に怒っちゃってまあ。」
―本当に冗談だったんですか、ヒカル。
「そうよ、もう、あんな言い方されたら塔矢くん怒るわよ。」
「前のオレは、このころ囲碁のことはさっぱり分からなくてさー。佐為の強さも全然分かってなかったからな。ほんとに冗談だったんだよ。まさか佐為がプロ相手でも倒しちゃうレベルだなんて考えてもなかったからなぁ。塔矢相手にやっと勝てるくらいだって思ってたのさ。」
「でも、偶然打った初めての相手が塔矢くんだったって、なんかすごいよね。」
―…きっと偶然ではなかったのでしょうね。必然だったのですよ、ヒカルと塔矢アキラとのの出会いは…。
「佐為…。」
―この間の1局だけでも彼の力は見えました。ただの子どもではありません。未熟ながらも輝くような一手をはなっていました。よほどのものでも歯が立ちますまい。彼が成長したら、獅子に化けるか、龍に化けるか。…そして今、その彼がキバを剥いている。
「うー、大丈夫かなー、緊張してきちゃったー。」
佐為の言葉を聞いて、ヒカルの手をぎゅっと握り締めるあかりだった。
碁会所に入ってくるアキラ達を見て、碁会所の中がざわめいた。
「アキラくん。」
「奥のあいてるところ、借りるね。」
そう受付の市河に声をかけると、周囲の様子に目もくれず、まっすぐに奥に進むアキラ。
「おい。」「あの子達…。」「そうだあの時の。」「あ、あの子か。」「アキラくんに三子で?」「そうだよ、あの子だ。」
「ちょっと、ヒカルぅ。」
「大丈夫、碁を打つだけだ、落ち着けって。」
―そうです、あかりはいつもどおり打てばいいのですよ。ヒカルの指導を信じて。
「…うん。」
「勝負なんだから、互先でいいよね。ボクがニギろう。」
そういわれたあかりは、少し考えてから黒石を二個置いた。アキラがこぶしを開き、握っていた白石を数えた。
「二・四・六・・・十二、偶数だね。」
「当たった。私が黒石ね。」
「コミは五目半だよ。」
「あ、そうか、互先だもんね。うんわかった。」
「じゃあ、はじめようか。お願いします。」
「お願いします。」
アキラの挨拶にそう答えると、あかりはまず大きく深呼吸し、気持ちを落ち着かせた。そして、右上スミ小目に初手を打った。
アキラはじっと盤面を見続けた。三分ほどして二手目を左上スミ星に打った。あかりとアキラ、二人の対局は静かに始まった。
中盤まで進行し、盤面はまだ穏やかだった。二度ほどアキラが仕掛けてきたが、あかりは我慢してじっくりと打っていた。
-相手は上手、仕掛けに乗っちゃだめ。じっくり力を蓄えてからじゃないと戦えない。
盤面に向かうあかりは落ち着いていた。上手相手に打つのはいつもと同じ、慣れていた。また、盤面に集中すれば周囲のことが見えなくなるところなどは、ヒカルにそっくりだった。
対するアキラは若干の焦りがあった。盤面若干リードしているものの差はわずか。なかなか相手が隙を見せない。
-やはりこの子は強い。リードがなかなか広がらない…。でも、負ける相手じゃない。
終盤の大寄せであかりにミスが出た。本来先手が取れるところ、後手を引いてしまう。周囲の客たちは気づかなかったが、そこで勝負はついた。アキラの手を見て、あかりは自分のミスに気づいた。悔しくて手が止まってしまうあかりだった。
そんなあかりの頭に手を置いて、ヒカルが声をかけた。
「せっかくここまで打ったんだ。今日は最後まで打たせてもらえ。いいよな、塔矢。」
「…ああ、もちろん、かまわないよ。」
その後は問題なく終局まで進み、盤面で十目、コミを入れて十五目半の差でアキラの勝ちとなった。
「「ありがとうございました」」
「いや、たいしたもんだ。」「アキラくん相手にあそこまで打てるなんて。」
-あかり、お疲れ様。いい碁でしたよ。あなたの力は間違いなく塔矢アキラに伝わりましたよ。
「負けちゃった。」
あかりのつぶやきを聞いたヒカルは、あかりの頭をくしゃっとかき回すと、アキラに声をかけた。
「よし、弟子の敵討ちをしないとな。検討はいいよな、塔矢、勝負だ。」
「…望むところだ。返り討ちにするよ。」
普段の穏やかなアキラとは思えない発言に、驚く周囲の客達。周りのざわめきををよそに、席を替わり、対局の準備を進めるヒカル。
「あの子が弟子だって?」「いや、間違いなく高段だろ、あの女の子。」「はったりでアキラくん怒ったのかな?」
隣の席から、碁笥をひとつ取り、中身を確認すると手元の黒石と交換した。
「進藤、何をしている?」
「普通に打つだけじゃつまんないだろ、勝負なんだ。一色碁でやろう。」
これがヒカルたちが考えた作戦だった。今はまだヒカルの実力をアキラ以外にはあまり見せたくなかった。まだしばらくは表に出るつもりはなかったのだ。ただアキラだけがヒカルの実力を知ってくれればいい。そのための一色碁だ。同じ色の石だけで打ち、頭の中だけで把握する、プロでも難しい碁だ。当然、周りの客では碁の内容まで把握できるわけがなかった。
「塔矢が黒でいいや。塔矢、その白石、黒石な。コミは五目半。」
「え、一色碁?」「そんな、白石だけで打つってのかい。」「できるの、そんなの?」
「進藤、本気か?一色碁はプロでも難しいんだぞ?」
「何だ、塔矢自信ないのか?んー、まあそれなら仕方ないかー。」
「誰が自信がないといった!いいだろう、そっちこそ後悔するなよ。」
売り言葉に買い言葉、あっさり一色碁での勝負が決まった。
-うーん、ヒカルも子供だけど、意外と塔矢くんも子供っぽいところがあるのね。やっぱり男の子なのねー。
ヒカルの挑発に簡単につられたアキラに、あかりも内心ちょっとあきれていた。
対局が始まった。先ほどとは異なり、周囲のざわめきは止まらなかった。
「ちょっと、このまま盤面真っ白になってくの?」「こんなの打てるの?」
盤面に向き合うヒカルとアキラ、そして真横で見ているあかりは、真剣な表情のまま、ただ盤面だけを見続けた。
盤上は布石が終わり、中盤に入り始めていた。すでに盤面はヒカルの白が優勢。だが、それがわかっているのはヒカル、アキラ、佐為、そしてあかりだけだった。
「広瀬さん、これどっちがいいの?」「いや、私なんかじゃわかりませんよ、北島さんどうです?」「…俺にもさっぱりだ。」
-そんな、ばかな!まさかここまで差があるなんて、嘘だ!
あってはならない事態に、アキラはうろたえていた。あれだけの碁を打つあかりの後に堂々と出てくるのだ。弱いわけがなった。油断など一切なし、最初から全力での勝負だった。なのに歯が立たない。どう見てもヒカルの棋力が上だった。
-…これが、…進藤ヒカルの碁…。
ヒカルの覗きがとどめとなった。アキラが予想もしていなかった切断。中央の石が浮いてしまっては勝負にならない。
「ありません…。」
アキラはうなだれながら投了した。
「ふー…。」
ヒカルは大きく息をついた。
「塔矢、これが今の俺の全力だ。」
「…進藤、君はいったい…。」
「塔矢もいい碁だったぜ。じゃ、いくぞ、あかり。」
「あ、うん、待ってよヒカル!」
そう言うと、ヒカルたちは走って出て行ってしまった。まだショックから立ち直れないアキラと、状況が飲み込めていない周囲の客たちを残したまま。
「進藤ヒカル…。」
アキラのつぶやきだけが、小さく零れ落ちた。
後書き
誤字修正 互い戦 → 互先
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