季節の変わり目
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囲碁部の夏休み
「棋院見学なんて、囲碁部っぽくていい響きだなあ」
佐為、あかり、筒井さんの三人は、夏休みの囲碁部の活動として日本棋院を見学することを夏休み前に決めていた。数日前ようやく予定が出来上がり、今日はみんなわくわくして集合場所に集まった。市ヶ谷駅の地下道を通って、地上に繋がる階段をゆっくりと上がっていく。出口を見上げると、空から強い陽光が注ぎ込んできて、夏の暑さと相まって目が眩みそうだ。最後の段を踏ん張って上りきり、息を整えた。落ち着いたところで、大通りから右へと外れる中道へと入り、坂道を上る。アスファルトの地面が溶けそうなくらい、夏が最後の盛りを見せていた。
「ほら、あの建物だ」
石造りの塀に囲まれた日本棋院が目に入る。近くまで来ると結構な高さがあり、正面から見ようと入口のほうへと回った。棋院は太陽に照らされ、建物全体が輝いているように見える。佐為は目を細めながら棋院を見て、やわらかく微笑んだ。
「わあー。ヒカルってこんなところで碁を打ってるのね」
囲碁部員の一人、ヒカルの幼馴染のあかりが建物の一階から最上階までを眺めて思わず驚嘆する。
「久しぶりだなあ」
筒井も同じように棋院を眺め、懐かしいような雰囲気に包まれた。
「みんなで写真撮っとこうか、えーと」
筒井さんは誰か写真を撮ってくれる人を探して周りを見回す。ちょうどいいところに棋院から20代くらいの青年が歩いてきて、その人に頼むと、快く了承してくれた。棋院の正面入り口をバックに、左から佐為、筒井さん、あかりと並び、みんな恥ずかしそうに、カメラの枠に収まる。
「はい、チーズ」
パシャ。
男性にお礼を言って、三人は棋院の中へと足を踏み入れる。中は外とは打って変わって涼しく、火照った体を冷やしてくれた。入ってからというものの筒井さんは撮影に夢中になっている。あかりもそれについて、珍しそうに見学する。佐為はひとり右のほうに折れた。歩を進めると青い水槽が鮮明になってくる。その横には大きな碁盤が立てかけてあり、その配置を見て佐為に夢の内容がフラッシュバックしてきた。
「正夢、ですか」
写真を撮り終わった筒井さんとあかりは佐為のところまで来て、エレベーターの方向に歩いていく。二階に着いたら受付で筒井さんは予約を取ったことを話し、女性の受付スタッフにいろいろと説明される。それを横で聞きながら、佐為は周りを見渡し、デジャブが連続して起きているような奇妙な感覚に侵されていた。
「さ、行こうか」
受付を終え、係の人がついて、棋院の案内をしてもらう。対局のない日を狙って予約した甲斐あって、幽玄の間や洗心の間まで見せてもらえた。初めて目にするプロの対局場に三人は息を飲みっぱなしだった。
案内が終わり、最後に一般対局室の席まで係の人が誘導してくれる。奥のほうへと進むと、塔矢門下の芦原プロが見えた。日本棋院に来るからには指導碁を頼みたかったのだが、誰にするか迷った末に芦原プロという答えを出した。理由は親しみやすそうだったし、筒井さんは芦原プロのファンでもあったからだ。係の人に紹介されて、三人は慌ててお辞儀しながら、声を合わせて挨拶する。
「今日はよろしくお願いしますっ」
筒井さんやあかりは当然慣れていなかったのだが、それは佐為も同じで、ヒカルや和谷のような歳の近いプロ棋士でないことに緊張する。
「いやいや、そんな硬くならなくても大丈夫ですよ。どうぞ、座ってください」
芦原は席を勧め、三人は横に並んで座る。手元にはすでに黒石が置かれていた。
「では棋力はどのくらいですか?」
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