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無明のささやき

作者:ミジンコ
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第十七章

 三日後、飯島は、昼過ぎ公衆電話で花田に電話を入れた。
「花田さん、南は無罪放免だと聞いたけど、やはり、奴は吐かなかったわけだ。」
「ああ、あいつの言うことは、理にかなっていた。義理の親父は法曹界に顔が利き、まして生きているのに、相続問題を云々するのは憚られる。しかたなく友人に成りすましたんだそうだ。都内を避けて、たまたま八王子の石原弁護士に相談しただけだと言いはった。そう言われてしまえば、ああ、そうですかと言うしかない。」
「南の女房は何と言っていた?」
「頑として口を閉ざしていた。脅迫などされてないそうだ。玄関先で追い返されたよ。」
「そうか、やっぱりな。ところで、花田さん。佐久間が姿を消したぞ。」
「えっ、何だって、奴はまだまともには歩けないはずだ。」
「だが、今朝引き払った。姉の家に行ってみたが、居所は知らぬ存ぜぬだ。何故もっと早く尋問しなかったんだ。」
「まさか、こんなに早く退院するとは思わなかった。まあ、いずれ見つけ出して身柄は確保するよ。それより南夫妻は脅迫の事実を否定しているだけじゃない。飯島さんがノイローゼだと口を揃えて言っているんだ。」
「ああ、そう言うだろうと思っていた。」
「飯島さん、どこにいるのか知らないが、いずれ奴等に見つかる。一度、こっちに来い。警察で保護することも出来る。石原さんもそう言ってなかったか?」
「ああ、電話でそう言っていたよ。でも、俺にはその気はない。俺は奴等と最後まで戦う。佐久間になんて負けてたまるか。」
「待て、待て。おい、飯島さん、携帯だけでも教えろよ。」
花田の耳にツーツーという音だけが残った。

 その後、飯島は南に電話を入れた。南の声は苛立っている。
「お前は何を考えているんだ。俺達夫婦をどこまで困らせるつもりなんだ。警察にあることないこと言いやがって。」
「俺は、あることだけを言っている。おい、南。昔に戻って、本音で話そうぜ。」
南は黙ったままだ。
「南、警察が動き出したということは、もう後がないってことだ。分かるか。俺は一週間前、中野のビジネスホテルで竹内に銃撃された。警察だって動かざるを得ない。」
「そんなこと、俺には関係ない。それより俺には妻を守る義務がある。お前だって分かるだろう。大切な家族を守るためなら何でもする。」
「南、もう諦めろ。中野のビジネスホテルで一人の男が死んだ。少なくとも新聞にはそう書かれている。しかし、実は生きている。一命を取りとめた。そいつが事件の真相を話し始めている。」
「俺は、…」
恐らく竹内から中野のホテルでの一件を知らされているのだろう。一命を取りとめたと聞いて、ショックを受けたようだ。息遣いに乱れが生じている。嘘も方便である。もう一息とばかりに畳み込んだ。
「南、観念するんだ。竹内との間に何があったかは知らない。しかし、いつまであいつの脅迫に耐えるつもりなんだ?」
南はいきなり泣き声になった。
「あの時、俺は、ただ魔が差しただけだ。あの一瞬が全てを台無しにした。奴に付け込まれた。」
「佐久間と竹内に付け込まれたんだな。」
南は黙ったままだ。
「佐久間と竹内なんだろう。」
「ああ、そうだ。飯島、助けてくれ。お前はいつだって俺を助けてくれた。そうだろう。頼む、助けてくれ。おれは怖い。奴は人間の皮を被った悪魔だ。あんな人間だったなんて、思っただけでも身震いする。」
「やつが怖いだと?佐久間なんてただのキチガイだ。」
南の感情が爆発した。
「佐久間じゃない。竹内だ。奴は金のためなら殺しなんて何とも思わない。俺は、あいつを侮っていた。奴は人間性の欠片もない、冷酷で残忍なキチガイだ。」
「分かった、南。もう何も言うな。助けてやる。何か良い方法があるはずだ。」
「今日、会えないか、飯島。」
「ああ、会おう。新宿のあそこで待ち合わせよう。東口の改札を出て、左に行った所。何
といったか忘れたが、よく待ち合わせに使ったあの地下街の小さな喫茶店だ。」
「ああ、覚えている。6時には行けると思う。」
「待っているぞ。」
そう言って、電話を切ると、レコーダーを封筒に入れた。どこかで、ポストに放り込むつもりである。明日には花田の手元にとどくだろう。

 6時を過ぎても南は現れなかった。1時間ほど待って、喫茶店を出た。ふと、視線を感じて振りかえると、サラリーマンの群れに紛れて怪しげな男が飯島を見詰めている。男はすっと柱の陰に隠れた。
 飯島は携帯で南の自宅に電話をいれた。出てきたのは香織である。
「あら、飯島さん、よく電話できたわね。警察に写真のことを密告したでしょう。でも、あれは絶対に喋れないって言ったはずよ。あれが公表されたら、私、自殺するわ。」
「いや、あれは俺が喋ったわけではない。殺された和子の旦那だ。それより、南の旦那と待ち合わせたがまだ来ない。もう、家に帰っているのか。」
「いいえ、会社からまだ帰っていないわ。」
「そうか、分かった。それから、香織さん、あんたに頼みたいことがある。俺が命を狙われていることは言っただろう。助けてほしい。」
「ええ、いいわ。何、私に出来ること。」
「ああ、出来る。実は、向田敦が佐久間と繋がっている。どういう訳か、佐久間に協力しているんだ。会長から向田社長、そして向田社長から飯田組に圧力をかけてくれ。敦の動きを封じたい。今、電話してくれないか。」
「ええ、分かった。父に電話してもらう、今すぐ。もし本当だとしたら許せないわ。向田社長は佐久間が私を襲ったことを知っているはずよ。その息子が、何で佐久間に協力しなければならないの。もし、本当だとしたら、絶対に許せない。」
「ああ、頼む。会長にも、向田社長にすぐに電話するように言ってくれ。それから、向田の携帯の番号を教えてくれないか。」
「ええ、いいわ。ちょっと待ってて。ええと、」
だいぶ手間取るかと思ったが、香織は番号を諳んじた。飯島は電話を切ると、すぐさま向田に電話を入れた。飯島が名乗ると、向田は、さも驚いたような声を発した。
「おやおや、お元気ですか、飯島さん。拳銃の使いごこちはいかかです。アーフターフォローもしませんで申し訳ございません。」
「余計な話しをしている暇はない。おい、今、香織さんにお前のことを密告しておいた。お前が、佐久間に協力しているってな。そして、すぐにお前の親父さんを通じて飯田組の組長にもそのことが伝わる。」
「おい、おい、待てよ、俺は佐久間とは関係ないと言ったはずだ。」
「惚けるな。俺は箕輪ほど甘い人間じゃない。いいか、よく聞け。これ以上余計な真似をするな。これは佐久間と俺の問題だ。」
「馬鹿な、俺は佐久間に協力などしていない。」
「嘘もいい加減にしろ。今、張っている左耳の欠けた奴が新聞を見ているが、俺を意識しているのは見え見えだ。お前の手下だろう。」
向田が息せき切って言った。
「飯島さん、俺を信じろ。片耳の欠けた奴なんて俺は知らない。そいつは佐久間の仲間かもしれないが、俺は本当に知らないんだ。俺は箕輪さんと約束した。友人を裏切らないと。そのことだけは信じてくれ。」
飯島は携帯を切った。そして歩き出す。振り返ると男は新聞を丸めて飯島の後を付いてくる。飯島が立ち止まり振り返る。飯島が見詰めているのに気付き、男も立ち止まった。
 飯島は男に向かって歩を進める。男は呆然と立ち尽くす。飯島が駆け出す。すれ違いざま、鳩尾に右拳を叩き込んだ。男はその場にうずくまる。飯島は何事もなかったように、その場を立ち去った。

 飯島は山手線で品川に向かった。昨日、用心のため新たなホテルに移ったばかりである。品川駅東口改札を出て周囲を注意深く窺った。人影はまばらで帰宅を急ぐ数人の勤め人が、飯島の前を歩いている。線路沿いの道から直角に曲がり広い通りに出た。 
 品川駅東口は再開発が進み、駅前は高層ビルが立ち並ぶが、その北側は下水道施設が大きな一画を占めている。高い塀に囲まれ、遠く2百メートル先で国道3号線にぶつかる。飯島は向田の手先を潰してやったことで緊張が解けていた。
 しかし、飯島の後方から一定の距離を保ちながら一台の黒い車が後を追いながらやってくる。車は、しばらくすると少しづつだが距離を縮めている。飯島の後方30メートルのところでスピードを上げた。
 飯島は、かすかなエンジン音に気付き後を振り返った。無灯火の車が迫っていた。咄嗟に歩道の植え込みの陰に飛んだ。銃声が響いた。二発、三発。どうやら、新しい隠れ家も奴らは知っていたようだ。向田が組員を動かしているのだ。
 植え込みの間から車の方を見ると、銃口は飯島に向けられており、次ぎの瞬間、銃声とともに火を吹いた。しかし不思議と当らない。誰かが守ってくれているのか。お袋か?などと悠長な思いが過ったが、今はそんなことを詮索している場合ではない。男が車から降りてきたら最後だ。
 飯島は、拳銃をホテルに置いてきたことを後悔していた。銃弾が撃ち尽くされた。カチッ、カチッという金属音が響いた。そして意外にも、いきなりアクセルが踏み込まれ、車は唸りをあげ全速力で疾走した。飯島は、転がって車道に出た。
 車はあっというまに小さくなった。ナンバーなど読めるはずもなかった。車は、青から黄色に変わったばかりの交差点に突っ込んで行く。その間に信号は赤に変わった。タイヤの軋む音が響く。
 突然、ビルの角からトレーラーの先端が顔を覗かせていた。急ブレーキが踏まれ、車は蛇行しつつ、そのままトラックに突っ込み火花を放った。車はボンという音とともに燃え上がった。飯島は全速力で走り、近づいていった。
 トラックの運転手が車から飛び降りた。火の勢いはもはや止めようがないほど激しい。運転手が燃える車からドライバーを引きずり出している。
飯島がようやく辿り着くと、運転手が男にジャンパーを被せている。ジャンパーを取ると黒焦げの男が肩で息をしている。苦しそうに顔を歪め、うーうーと呻き声を上げている。南である。飯島は走り寄り、叫んだ。
「南、南。何故なんだ。何故こんなことをした。」
運転手が言った。
「知っている人か。あんた、見ていただろう。こいつが突っ込んで来たんだ。信号は青だった。証言してくれるだろう。」
飯島は南の背中を抱き上げて、なおも叫んだ。
「南、何故なんだ。何故こんなことをしたんだ。」
南の口が僅かに開かれた。
「飯島?ああ、なんだ、飯島じゃないか。お前、何故こんな所にいる。こんなところで何をしている。」
意識は朦朧としている。飯島が再び叫んだ。
「何故なんだ、何故こんなことをしたんだ。」
南の視線はさ迷い、意識は混濁したままだ。わなわなと震える唇から微かな声が漏れた。
「俺は利用されただけなんだ。俺はやりたくなかった。だけどあいつが、あいつが。」
「あいつとは誰なんだ。」
「か、か、会長だ。俺は会長に操られただけだ。お前の左遷だって会長の指示だ。」
「えっ、会長だ。何で会長が出てくるんだ。」
「会長が、俺を利用したんだ。あいつは、俺を利用し尽くした。」
「おい、何を言っているんだ。お前は正気なのか。」
南の首から力が抜けて、がくっと飯島の腕に落ちた。飯島は、南の頭をコンクリートの上に静かに置いて、合唱した。そして立ちあがると、駅に向かって駆け出した。後ろで運転手の叫けぶ声が聞こえる。
「待ってくれよ。あんたの証言が必要なんだ。頼むよ。逃げないでくれよ。」
飯島は、頭が混乱していた。頭に血が登り、熱病にでも冒されているかのようだ。兎に角、西野会長に会って確かめるしかない。想像を絶するような真実があるのかもしれない。それとも南は朦朧として、うわ言を言っただけなのか。そのどちらとも取れる状況である。
 
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