ラ=トスカ
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第三幕その七
第三幕その七
「はい」
スキャルオーネの声がした。
「また始めろ」
「解かりました」
すぐに声がした様に感じた。その声は恋人の呻き声だった。
その声が耳からトスカの心へ入って来た。
その声がトスカの心の最も弱い部分を強く幾重にも締め付ける。胸が苦しくなりその顔は雪の様に白くなり汗が髪と顔を濡らす。
「駄目、止めて下さい」
耳を塞ぎ目を瞑った。
「では話してくれますかな」
表情を何一つ変えずにトスカに言った。トスカの心は潰れんばかりになった。
「いいえ・・・・・・」
もう少しで言いそうになった。だがすんでのところで止まった。
「鬼よ・・・・・・・・・鬼だわ、貴方は。あの人も私も苦しめ抜いて殺すつもりね」
絶え絶えに喉から搾り出す様にして言った。それに対しスカルピアは極めて、そう氷の如き冷酷さでトスカに言った。
「それで?私は貴女がそうやって口を閉じられている方がより一層隣の部屋におられる方を苦しめてしまうのではないかと思いますがね」
「そうやって心の中で笑うのね・・・・・・。地獄の炎の中の様な怖ろしい責め苦を与えそれに悶え苦しむ様を見て笑うのね・・・・・・。鬼よ、本当の鬼よ!!」
「・・・・・・・・・」
悲嘆と苦悶の入り混じった顔で壁に崩れ落ちるトスカをスカルピアは表情を変える事無く見ていた。そして密かに考えていた。
(舞台でのトスカはこれ程まで悲劇的ではなかったな)
スカルピアの嗜虐的な欲望に更に火が点いてしまった。トスカから一旦目を離し顔を上げた。
「スポレッタ」
一人残っていたスポレッタに声を懸けた。スポレッタはそれに対しほぼ反射的に敬礼をした。
「扉を開けろ」
スポレッタはその言葉に一瞬戸惑ったが上司の強い口調と眼光に怯み扉に手を掛けた。
「そうだ。悲鳴がよく聞こえてくるようにな。よく、な」
スポレッタは扉を完全に開けた。そしてトスカに立ち塞がる様にその前に立った。顔をトスカからそむけながら。
スカルピアの思惑通り隣の部屋からカヴァラドゥッシの呻き声が聞こえてくる。くぐもり地の底から呻く様である。
「負けるか」
だがカヴァラドゥッシは屈してはいなかった。もし屈すれば自分の命や誇りだけではない、友や恋人の命をも失ってしまう事になるからだ。
「強くしろ!」
スカルピアは言った。すると隣の部屋から聞こえてくるカヴァラドゥッシの呻き声が更に強くなった。
「負けてたまるか」
それでもカヴァラドゥッシは負けない。どうしても負けるわけにはいかなかった。このまま責め続けてもカヴァラドゥッシは死ぬまで口を割らなかっただろう。だがトスカは違っていた。
「話しなさい」
トスカに問うた。
「何をです?」
トスカは顔を上げた。
「早く」
「何をですの?私は何も知りません。それなのに何を言えと仰るのです!?」
トスカは必死に否定しようとする。だがそれをスカルピアは次の言葉で打ち消した。
「流石に名の知れた女優だけの事はある。愁嘆場もお上手だ。しかし先程貴女も聞かれた筈です。子爵の『まだ大丈夫だ』というお言葉を。そしてそれがどういう意味かも」
トスカの顔が凍りついた。それを確認してスカルピアは続けた。
「これはアンジェロッティ候の居場所が何処か知っておられるという事の証だ。そしてそれを知っているが何があろうとも言わないという事だ。子爵だけでなく貴女も」
完璧であった。後は追い詰めていくだけであった。
「さあ言いなさい。何処に隠れているのです?」
「あ、ああ・・・・・・・・・」
「ぐっ・・・・・・・・・」
その時部屋から聞こえていたカヴァラドゥッシの声が止まった。気を失ってしまったのだ。
「起こせ」
すぐにスカルピアは言った。そしてトスカに顔を向けた。
「貴女が話されれば貴女も貴女の恋人もすぐに自由になれるのです。さあ早く話しなさい」
次の一手を打った。トスカの心が動いた。否、動いてしまった。
「あの人に会わせて。全てはその後で・・・・・・・・・」
黒い瞳が大きく見開かれたその顔は今にも割れんばかりであった。ハァハァと肩で息をしている。
「コロメッティ、どうだ?」
スカルピアはあえてそれを無視した。何も無かったかのように隣の部屋の者達に問う。
「息を吹き返されました」
コロメッティの声がした。カヴァラドゥッシの意識が戻った事を知りトスカは少し胸を撫で下ろした。
だがもう限界であった。隣の部屋へ行こうと立ち上がった。スカルピアはそれを待っていた。
スポレッタに目配せをする。スポレッタは横に身を退けた。
廊下を駆けトスカは隣の部屋に入った。部屋の中を見た時トスカは危うく気を失いそうになった。
部屋の中には数本の燭台に照らされ十人近い男達がいた。
黒い制服の警官達が椅子を取り囲んでいた。スキャルオーネやコロメッティもいる。
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