| 携帯サイト  | 感想  | レビュー  | 縦書きで読む [PDF/明朝]版 / [PDF/ゴシック]版 | 全話表示 | 挿絵表示しない | 誤字脱字報告する | 誤字脱字報告一覧 | 

ラ=トスカ

しおりを利用するにはログインしてください。会員登録がまだの場合はこちらから。 ページ下へ移動
 

第二幕その七


第二幕その七

「貴女のそのブレスレットはルビーとダイアモンドとサファイアで飾られている。まるでフランスの国旗だ。その件で手錠をお架けしてもよろしいのですよ」
「?」
 トスカは彼が何を言っているのか解からなかった。悪ふざけかと思った。それに構わずスカルピアは続ける。
「それよりも貴女を異端者としてサン=タンジェロ城へ送ろうか」
「私を、ですか!?」
 この言葉にトスカは驚いた。自分の信仰の篤さと王妃への忠誠は誰もが知っていると確信していたからだ。
 「はい。貴女は教会でジャコバン派の者とお会いしていたので」
 トスカはその言葉を聞きその事か、とホッとした。だが彼女は気付いてはいなかった。スカルピアの罠に落ちた事を。そしてスカルピアの親しげな仮面の下の邪悪な笑顔を。
「あの方は私に見も心も捧げてくれています。御心配無く」
「そうですか」
 スカルピアはあえてにこりと笑った。そして懐からあれを取り出した。
「それでは安心してこれを返す事が出来ます」
 扇をトスカに手渡した。
「これは・・・・・・・・・!?」
 トスカは扇を手にして呆気に取られた。
「夕刻サン=タンドレア=ヴァッレ教会で拾ったものですが。貴女の物でしょう?」
 その時扇の紋章が目に入った。トスカの顔が割れた。否、割れたかと思える程の驚愕だった。
「これは私の物ではありません!」
「えっ、それでは何方の物です?」
 スカルピアはここでも演技をした。驚いてみせる。
「扇にあるこの紋章はアッタヴァンティ家のもの、これはあの夫人・・・・・・」
「ああ、そういえば教会のあの絵はアッタヴァンティ侯爵夫人によく似ていますな」
 スカルピアの言葉にトスカは火が点いた。事を完全に理解した、と思った。そう、思ったのである。
「やっぱりあの教会で会っていたのね、私の目を盗んで」
 一人酒を飲んでいるアッタヴァンティ侯爵の所へ行く。怖ろしい剣幕で詰め寄り問い質すトスカに何も知らない侯爵はタジタジとなる。しかも多少ぼんやりしたところのあるこの侯爵は当の扇が誰の物なのか解からない。仕方無く妻の情友であるトリヴェルディ子爵を呼んだ。
 情友とは妻や夫以外の恋人の事である。今で言うと愛人となるだろうか。ただし今の愛人とは違い当時のイタリアではこの情友と愛人は似て非なるものであった。愛人とは一目を盗んで相手の下へ入り込み誘惑し、相手の妻や夫の名誉や面目を損なわせる恥知らずな輩達のことであり、日本でよく泥棒猫だの女狐だの間男だのと呼ばれる連中と言えば解り易いか。これに対し情友とは相手の妻や夫公認の第二第三或いはそれ以上の立場の恋人である。情友とは天からも認められた堂々たる恋愛崇拝者であり、相手の妻や夫の許しの下節度と慎みをもって相手に近寄り機嫌を取るのだ。開けっ広げな恋愛観を持つイタリア人ならではの存在と言えよう。
 もっともイタリアだけでなく当時の欧州の貴族社会は何処も似たり寄ったりだった。むしろ見方を変えれば愛人が主流であった国も多いのでイタリア人から見ればそちらの方がけしからん事だったかも知れない。ロシアのエリザベータ女帝もエカテリーナ二世も男性遍歴の激しさで有名であったしイギリスのチャールズ一世は稀代の女たらしであった。何しろイギリスはヘンリー八世の女性問題でローマ=カトリック教会と袂を分かった国でもある。処女王と言われその冷徹さと鋭利な頭脳で知られたエリザベス一世も幾人か愛人がいた事が確認されている。
 この点において特に有名なのがフランスであろう。どうもこの国の国王は代々女好きの国王ばかり出てくる。フランソワ一世、アンリ三世、アンリ四世と次から次にとカサノバの向こうを張る色事師が登場する。アンリ三世に至っては自分の身辺を着飾った美男の剣客達で固めていたのだからその道の人物まで揃えていた。それでも彼等はルイ十四世、ルイ十五世の二人程ではなかったが。この二人によってどれだけの花が折られてしまった事であろうか。フランスの夜が長いのも考えものである。
 こういった状況だからおしどり夫婦として有名だったマリア=カロリーネの両親マリア=テレジアとフランツ=シュテファン=フォン=ロートリンゲンは特筆に値する。ただし中々の美男子であり人柄も良かった神聖ローマ帝国皇帝の夫には言い寄って来る女性が結構いた様である。浮気の虫が起きる前にいつも夫に気付かれぬように妨げていたので何事も無かったが。
 マリア=テレジアは男女関係、女性の誇りについてとかく口やかましい人物であり夫婦や親子の愛が何よりも好きだった。これは女性を蔑視してやまない宿敵プロイセン王への対抗意識も含まれていた。もっともこのプロイセン王は生涯独身でありサン=スーシーで哲学書を読んだりコーヒーを飲みながら青年士官達と談笑するのを無上の喜びとするこの時代屈指の変人であったが。
 勿論アッタヴァンティ侯爵にも情友はいる。彼なりに楽しんでいる。妻に情友がいるからと騒ぐつもりは毛頭無い。むしろ情友が自分も知っている気心の知れた人物だったので安心している程である。
 
ページ上へ戻る
ツイートする
 

全て感想を見る:感想一覧