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ラ=トスカ

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第二幕その五


第二幕その五

 多くの高名な君主を出したハプスブルグ家であるが最も偉大な人物を挙げよ、と言われてこの人物を挙げる者は多い。マリア=テレジア。オーストリア中興の祖とされ神聖ローマ帝国の事実上の女帝、国母としてオーストリアを、そして
ハプスブルグ家を支えた偉大な人物であった。
 彼女が父の後を継ぐや否やプロイセン、バイエルン、フランスといった周辺諸国がその継承権に異を唱え宣戦を布告した。世に言う『オーストリア継承戦争』である。プロイセンにシュレージアを奪われながらも何とかこれを凌いだ彼女は内政及び軍事での改革を断行すると共に長年対立関係にあったフランスのブルボン家と同盟を結んだ。『外交革命』である。次に以前より同盟関係にあったロシアとも繋がりを強めここにオーストリア、フランス、ロシアによる三国同盟を完成させた。欧州の外交史にその名を残す『三枚のペチコート』が完成した。ペチコートの狙うはサン=スーシーでコーヒーばかり飲み神も教会も無視し女性を侮蔑してやまない男、三国にとって今や目の上のたんこぶとなった成り上がり者、プロイセンのフリードリヒであった。
 彼が気付いた時事態はとんでもない事になっていた。周りはオーストリア、フランス、ロシアに取り込まれており四方から大軍が迫って来ていた。だが彼も大王と呼ばれた男である。自ら軍を率い戦場を駆け回った。幾度となく命を落としそうになったが生き残り戦い続けた。そしてプロイセンを守りきった。『七年戦争』である。
 勝てはしなかったが当代一の軍略家フリードリヒ大王を相手に一歩も引かなかった事はマリア=テレジアの名を欧州に知らしめる事となった。優れた人材を抜擢し内政、軍事の改革によりオーストリアは中欧に確固たる地位を築くようになっていた。それは文化や芸術にまで及びウィーンは『音楽の都』とさえ呼ばれるようになった。音楽の神の寵愛を一身に受けたあの若者モーツァルトも彼女の前でその天より授けられた才を披露した。
 また彼女は良き母でもあった。愛する夫フランツ=フォン=シュテファンとの間に十六人の子をもうけ限り無い愛を注いだ。後のオーストリア皇帝ヨーゼフ二世も、フランス革命の際断頭台の露と消えた悲劇の王妃マリー=アントワネットも彼女の子であった。
 マリア=カロリーネもまた彼女の子であった。母親譲りの統治能力とカリスマ性を併せ持ち、ナポリ王国を事実上支配していた。性格は苛烈にして果断、また幼い頃より共に遊び可愛がっていた妹を殺された事からフランス革命政府及びそれに与する者達を激しく憎悪していた。
 王妃は進んでいく。後には従者達だけでなくアラゴン公やオーストリア軍の将校達、そして各国の大使達もいる。広間にいる者達は皆王妃に礼をする。玉座の前に着くと向き直り一同に宴を楽しむよう言った。広間からも階下からも王妃を讃える声がした。シャンパンが次々と栓を放たれ乾杯の声が木霊する。
 王妃は賑やかな宴の中に入った。そしてトスカとパイジェッロの前に来た。
「あ、王妃様」
 二人は王妃に跪き手の甲に接吻をした。王妃は二人を立たせると優雅な笑みを浮かべてトスカに問うた。
「フローリア、喉の調子はどうですか」
「はい王妃様、今宵は王妃様に満足して頂けると存じます」
「それは何より。楽しみにしていますよ」
「はい、有り難うございます」
「それにしてもパイジェッロはそなたに謝らなければならない事が一つ有る様に思えるのだけど」 
「えっ?」
 トスカは解らなかったがパイジェッロはギクリとした。パイジェッロがナポレオンに招かれてパリに行き、彼の為に作曲した事を皮肉っているのだ。
「陛下、この者は罪有りとはいえ悔悟の情有りと見受けられますが」
 スカルピアが口を挟んできた。
「おやこれは男爵」
 皮肉な陰を込めた笑みを浮かべてスカルピアに顔を向けた。
「他人の事よりもアンジェロッティを逃がした此度の事件がそなたの不幸にならなければ良いのですが。そなたは敵が多いようですから」
「申し上げますが陛下と同じ敵かと存じます」
 スカルピアも流石だ。負けてはいない。だが王妃も引かない。
「それに彼の者の妹は美しく、裕福ですし。まあこれはどの者も知っている事だけど」
 好色で袖の下に弱いと言われるスカルピアに対し暗に当てつける。だがスカルピアも伊達に今の地位まで来たわけではない。
「陛下は私に何か後ろめたい事があるとでも言われるのですか」
 怯まない。とそこへ従者が王妃に演奏の準備が出来た事を知らせに来た。 
「そうですか、解かりました。フローリア、準備はよろしいですか?」
「はい」
 王妃に会釈し演奏の場へと向かった。そこに置かれている台に登った。パイジェッロが指揮棒を手に取り曲が始まった。
 高く澄んでいてそのうえ美しい声である。幾十もの色彩りのの宝玉を転がす様に歌われたかと思えば小河の清らかなせせらぎの様に、そして庭園に咲き誇る紅の薔薇の様に、激しく赤い血潮の様に、それから一変して夜の冷たく澄んだ森の中の湖に映る白銀の満月の様に、次々と色彩りを買え歌われるその歌はその場にいた全ての者を魅了した。その歌声と技量に誰もが言葉を失った。
「・・・・・・・・・」
 歌うトスカの姿も美しかった。その場に応じその美しさを変え時に楚々と、時に激しく、時に祈り深く、時には艶やかだった。これがトスカの魅力の一つでもあった。歌だけでなくその美貌でもイタリアに知られていたのだ。
 スカルピアもその一人だった。だが彼は他の者とは異なる感情を抱き始めた。この女を自分のものにしたいと考えた。どの様な手段を使ってでも奪ってやりたいと思った。
 カンタータは終わった。広間からは割れんばかりの拍手が沸き起こった。階下の広場からも歓声が轟く。やがてそれはナポリ王国とオーストリア軍、そして王妃を讃える声となっていった。
「陛下、民達が貴女を讃えています。愛すべき彼等に陛下の慈しみをお示しになって下さい」
 アラゴン公が慇懃に会釈し王妃に頼む。王妃はその頼みに対しバルコニーへ進み微笑みでもって応えた。
 
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