アンドレア=シェニエ
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第一幕その七
第一幕その七
「田園ものですか」
「如何でして?それが駄目でしたら」
マッダレーナは言葉を続けた。
「尼僧か花嫁に捧げる愛の詩でもいいですわよ」
これも当時の詩の定番であった。
「ふむ」
シェニエはそれを聞いて考える顔をした。
「マドモアゼル」
そして彼は表情を元に戻すとマッダレーナに対して言った。
「大変有り難い申し出ですが詩情というのは指図や求めに応じて出て来るものではありません」
「あら」
マッダレーナはそれを聞いて悪戯っぽく答えた。
「詩情とは何時出て来るか全くわからないものなのです。大変気紛れです。そう」
彼はここで言葉を一旦とぎった。
「恋のように」
「うふふ、恋みたいにですか!?」
マッダレーナはそれを聞いて思わず笑ってしまった。
「そうです、詩とは恋なのです」
だがシェニエはそれに腹を立てるわけでもなく真面目に答えた。
「それでしたら私にも詩を作れるということになりますわよ」
「その通りです」
やはりシェニエは冷静なままである。
「誰もがその胸の中に詩を持っているのです」
「そうなのかしら」
マッダレーナはそれを聞いて違和感を覚えた。
彼女は詩は芸術だと思っている。それは限られた人だけが持ち得るものなのだ、少なくとも彼女はそう考えている。だがシェニエは違うようだ。彼はそれは誰もが持っているものだと言う。
「それでしたら」
彼女はここで意地の悪い質問をすることにした。
「誰でも、そう例え異教徒ですらも詩を作ることができると仰るのですか?」
「当然です」
「何と・・・・・・」
皆それを聞いて少しざわついた。
「私はコンスタンチノープルで生まれました」
あえてキリスト教風の呼び方で街を呼んだ。
「そこで私は多くの美しいものを見ました」
「本当ですか!?」
マッダレーナはそれを聞き驚いた。実は彼女はフランスから一歩も出たことはなかったのである。
「はい。そして多くの美しい詩も知りました」
昔からイスラムでも詩は深く愛されてきた。宮廷詩人フィルドゥーシーもいた。だがそれをキリスト教徒達は偏見により見過ごしていたのだ。フランスの民話ではイスラム教徒達は皆野蛮で残忍なものとして書かれている。だがこれこそが偏見なのだ。実際はむしろ彼等の方が野蛮で残忍であった。十字軍もそうであったし異端審問のような酸鼻を極めるおぞましい組織もあった。少なくともイスラム教徒達はそのようなことはしない。
「嘘みたい」
「嘘ではありませんよ、マドモアゼル」
シェニエは疑おうとする彼女に対して言った。
「その証拠に遠く中国の詩も我々は愛しているではありませんか」
この時代にも漢詩は伝わっていた。そしてそれを知る人々はそれを愛した。
「人の心は皆同じなのです。たとえ貴族でも庶民でも」
「そんな筈は・・・・・・」
ここにいる者達は皆貴族である。青い血が流れる者達である。その彼等が自分達を庶民と同じと言われて気分がいい筈がなかった。
「それはいづれわかることです。必ず」
「・・・・・・・・・」
皆その言葉に沈黙した。そして先程の修道院長の言葉を思い出した。
「怖れることはありませんよ。真実というものは必ず明らかになるものなのです」
彼はそう断ったうえで話を続けた。
「私は神を信じます。ですが」
その言葉はまるでそこにいる者達の心に対して語りかけているようであった。
「その神は束縛を好まれません。愛と自由を好まれるのです」
「愛と・・・・・・」
「自由を」
皆その言葉を繰り返した。マッダレーナもである。
「はい、それこそが神の教えです」
シェニエはそう言って微笑んだ。
「その神は時として私に授けて下さるものがあります」
「それは?」
「それはミューズを通して授けられます。それこそが詩情なのです」
「そうなのですか」
「はい、そして今それが授けられました」
シェニエは穏やかな声で言った。
「それを今から皆さんにお伝えしましょう。神の授けて下さったものを」
そう言うとゆっくりと構えた。左手の拳を胸に持って来たのだ。
「ある日私は青い空に見惚れていました」
彼は詩を口にしだした。
「スミレの花が咲き誇り太陽の黄金色の雨が降り注ぐ中見ていました」
詩を続ける。
「大地はその恵みを受けた巨大な宝であり空はそれを包んでいます。それについて考えていた時大地が私にあるものを授けてくれました」
「それ何でしょうか?」
人々は問うた。
「それこそが愛でした。そして大地は私に教えてくれたのです。私が愛し、愛するものはこの美しい祖国であると」
「祖国・・・・・・」
「はい。私はコンスタンチノープルで生まれました。しかし心はフランスに常にありました」
彼は言った。確かに母はフランス人ではない。だが彼の心はフランスのものであったのだ。
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