アンドレア=シェニエ
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第一幕その三
第一幕その三
「デザインはどうかしら」
「悪くないと思うわ」
「本当!?」
「ええ、本当」
彼女は素直に答えた。
「ううん」
だがマッダレーナはまだ不満そうである。
「どうしたのよ、今日は」
ベルシはそんな彼女に対して言った。
「ちょっと裾が」
マッダレーナが気になっているのはドレスの裾であったのだ。
「そんなに悪いと思わないけれど」
ベルシはその裾を見て言った。
「私はこんな派手なのはあまり好きじゃないの。無理してまで自分を綺麗に見せて何なるというの?」
「あら、随分我が儘ね」
「そうかしら」
マッダレーナは友人のその言葉にキョトンとした。
「ええ、貴女は充分美しいわ。それに胡坐をかいて努力しようとしないなんて」
「そういうわけじゃないの」
マッダレーナはその言葉を否定した。
「ではどうして?」
「私は着飾ったり宝石で身を包みたくはないの。そんなの普通じゃないわ」
「よくわからないわ」
ベルシはその言葉が理解できなかった。彼女は豪奢なドレスも宝石も大好きであった。それで実を飾ることは素晴らしいことだと思っていた。だがマッダレーナはそれを喜ばない。かえって不自然にすら思えた。
「こうしたドレスよりも普段着の方がいい。私は窮屈なのも派手なのも嫌いなの」
その顔はあきらかに嫌悪が浮かんでいた。だが彼女はそれをすぐに消した。
「けれど今は仕方がないわ」
そう言って微笑んだ。
「お母様の為にも」
そこで伯爵夫人が戻って来た。とある重要な客人を自ら席に案内していたのだ。王家に縁のある公爵であった。
「綺麗な薔薇を着けているわね」
ふとマッダレーナが頭に着けている真紅の薔薇を見て言った。
「え、ええ」
どうやら母は彼女の内心を知らないようだ。
「よく似合ってるわ。私も一輪欲しい位」
「宜しければお渡し致しますわ」
「いえ、それはいいわ」
彼女は娘の申し出をやんわりと拒んだ。
「その薔薇は貴女に相応しいもの。私なんかには勿体無いわ」
「そうかしら」
「そうよ。若い乙女には薔薇がよく似合うものだから」
「あまりそうは思わないけれど」
マッダレーナはこの薔薇を頭に飾るのも否定的だった。とかく豪奢な装飾は好まなかったのだ。
見れば母は父と共に客人達を出迎えている。そして口々に世辞を言う。
「何と優雅な」
「何と美しい」
「お会いできて光栄ですわ」
全て社交辞令である。それはもう儀式なのであるがマッダレーナはそれも好きにはなれなかった。彼女はそうしたお世辞も好きではなかったのである。
「そんな心にもないことを言ってどうするのかしら」
そうは思っていても口には出せない。それが貴族の世界であった。
ジェラールもこの虚構を嫌悪していたのである。だがマッダレーナの思いとジェラールの嫌悪は全く異なるものであった。彼女はその世界の中にいて彼はその世界の外にいる。それだけで見るものが違うのだ。感じることも違うのだ。
それはマッダレーナにもジェラールにもわからない。人間というのは別の世界のことはなかなかわからないものなのだ。例え注意していても。
マッダレーナもジェラールもその性質が善であることは事実だ。だがそれが人を正しい方向へ導くかというと決してそうではない。逆に誤った方へ導くこともある。
その逆もある。それは人間にはわからない。わかるとすれば神だけである。だがジェラールは神を否定する。
「こうした虚構を作る神なぞ・・・・・・」
仕事を終えた彼は城を去り何処かへと消えた。その行く先を誰にも告げずに。
やがて伯爵夫人とマッダレーナのところにフレヴィルがやって来た。
黒い髪に黒い瞳を持つ派手に着飾った男である。イタリア出身らしい彫の深い顔立ちに見事な着こなしである。伊達男と評判のあるイタリア男だけはあった。
「奥様、お久し振りでございます」
彼はそう言うと恭しく頭を垂れた。その身のこなしも優雅である。
「こちらこそ」
伯爵夫人やマッダレーナも挨拶を返す。だがその優雅さでは彼に劣っていた。
「私のような軽輩をお招き頂くとは。身に余る光栄です」
「いえ、そんな」
「いえいえ、感激あまり今日は友人と二名連れて来ました」
「お友達を?」
「はい、こちらに」
彼は微笑むと左に控える二人の男を手で指し示した。
「まずはフランド=フィオリネルリ」
フレヴィルに紹介されたのは中年のやや肥え太った男であった。茶色い髪と瞳を持ちあまり背は高くない。どちらかというと美男子というより愛嬌のある外見、顔立ちである。
「はじめまして」
フィオフネルリはマッダレーナ達に笑顔で答礼した。
「イタリアの貴族にして音楽家であります。遂この前スカラ座で上演したオペラが大好評でした」
「まあ、スカラ座で」
オーストリアのマリア=テレジアがミラノに建てさせたスカラ座はこの時から欧州で最も権威のあるオペラハウスであった。そこで成功するということは音楽家としての栄誉であった。
「まあどちらかというと音楽家よりコメディアンの方が似合うかも知れませんが」
ここでフレヴィルは冗談を言った。
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